間章2
Episode-1.3
人は一人では生きていけない。よく聞く格言だ。これを唱えた人間が友人の大切さを説きたかったのか、はたまた社会に依存する人間という生物の脆弱さを説きたかったのかは、私は知らない。恐らくどちらもだろうとは思うが。
では魔女はどうなのだろうか。その社会を一人でもって支えられるだけの力を持ち、長い時の中で幼少期からの知己が老い死んでゆくのを見続ける魔女は。
そんなことを特に考えもせずに呟いたら、テーブルの向かいで紙にペンを走らせていた彼女に呆れたような目を向けられた。
「まだ誰を看取ったわけでもないのに何を言ってるんですか。そもそも、あなたはまだその長い時間とやらに手を出す気はないんでしょう」
「まあ……そうなんだけどね。そのうちの話だよ」
「それに、わざわざ私を発注した時点で答えを言ってるような物でしょう」
「人を寂しくてホムンクルスを買った悲しい人みたいに言わないでよ。君を作ってもらったのは書物を記憶してもらうためであって、別に話し相手に困ってたわけじゃないからね」
「その割には、私がいないと生活もままならなさそうですけどね。いくら魔女とはいってもいい加減いい年なんですから、もうちょっと生活力を付けたらどうですか」
「アカシアができるんだからいいじゃないか。分業だよ、分業。君が家事、私が仕事。それに、私が料理とかその手の事が苦手なのは知ってるだろう」
「それじゃあ、一人では生きていけないってことでいいんじゃないですか」
ふふっと小さく笑ってから、彼女は再び手を動かし始める。
確かに彼女がこの城に来てからは、主に生活面で何かと彼女に助けられているので否定はできない。最初は本当に嵩張らない書庫くらいの気持ちで工房に発注したのだが、世の中分からないものだ。今や完全に気の置けない同居人である。
背もたれに体重を預けたまま、ぼんやりといつものように何か書いている彼女を眺める。二人分にしてはかなり広い空間の中で微かに響くカリカリと羽ペンが紙と擦れる音が、耳に心地よい。記憶の入出力を司る術式の都合上、魔術的に記憶のアウトプットを行う場合の筆記具が古典的な羽ペンに限定されてしまったが、案外悪くなかったかもしれない。羽ペンで紙に文字を綴ってゆく彼女は、城内の雰囲気も相まって思っていた以上に美しくて絵になる。
こうやって見ると、彼女もただの人間にしか見えない。いや、今に限らずか。かれこれ数ヶ月間この城で、ひとつ屋根の下で生活しているが、暮らせば暮らすほど人間臭さが増してくる。これで中身は機械でできた自動人形だというのだから、魔術を極めた魔女が言うのも何だが科学というのも案外捨てたものではないのかもしれない。
まあ、今の社会の基盤となる生存圏が魔術に支えられている以上、科学が再び日の目を見ることは無いのだろうけど。
そんなことを考えていたら、ふと思った全く関係のない疑問が口をついて出てきた。
「ところで、それ何を書いてるんだい?確か頼んでた文献の写本は昨日までに済んだんじゃなかったっけ」
「これですか?私の記憶のバックアップです。本じゃなくって、思い出の方の。まあ、日記みたいなものですね。人に限らず自動人形だっていつボケて記憶が駄目になるかは分かりませんし、そうなったら修理が出来るかもわかりませんからね」
藪をつついて蛇を出すとはこういう事か。
自分の頭を指さしながら小さく笑う彼女に、私は誤魔化すような、ありふれた相槌しか打てない。魔術では最先端にいる魔女であっても、大昔の技術である科学についてはその辺りの子供と大差無い。彼女の笑顔の裏にあるのであろう不安には、何もできない。
思わずちょっとした無力感に苛まれそうになって、すんでのところで踏みとどまった。魔女ともあろう者が無力感なんて言うものじゃない。何か問題があったら無理やりにでも解決して前に進むのが魔女というものだ。
「ま、相方のメンテナンスも魔女の仕事の内だよ。そんなに心配することもないさ」
「もちろん、頼りにしてますよ」
ちょっとだけ強がりを言ってから、彼女の真っ直ぐな視線に見透かされたような気がして後悔する。ここで強がってもどうしようもないのに。
ん、と可愛らしい呻き声を出して伸びをして、彼女が椅子から立ち上がる。
「ちょっとお茶にでもしませんか。ちょうど昨日焼いたクッキーがあるんです」
「いいけど、それはいいのかい。心配するなとは言ったけど、別に思……日記を書くのをやめろというつもりも無いよ」
思い出、というのは少し恥ずかしかった。彼女の記憶は、ほとんどが私との記憶だろうから。
「ええ、ずっとペンを持ってて手も疲れてきたので、休憩もかねてです」
「じゃあ私が紅茶を入れるよ。クッキーはお願いしていいかい」
「分かりました。今度は間違えないで下さいよ。紅茶は沸かしたてのお湯ですからね。冷ましてから入れるのは緑茶です。あと、蒸らしは二、三分ですよ。長すぎると渋みが出ますので」
「さすがに私も前と同じミスは繰り返さないよ」
「前にも何回か聞いたんですけどね、それ。まあ今回は頼みますよ。茶葉の種類を間違えるとかはやめてくださいね」
「馬鹿にしてるのかい?」
「そんなつもりは無いですよ。ただ、この前インスタントコーヒーをフィルターにかけて淹れていたのを知ってると、ちょっと心配になっただけです」
「……フィルターに何も残らないから変だなとは思ったんだよ。ちゃんと気付いたからね。というか、見てたなら教えてくれてもよかったんじゃないかな」
「成長させるコツは間違ってても努力を否定しない事、とよく言うじゃないですか」
「それ、子育てのコツだよね」
「それに、別に飲めないってわけじゃないでしょうし。面白かったのでそっと見守ることにしておきました」
「濃ゆくて飲めたものじゃなかったよ」
「知ってますよ。一口飲んですごい嫌そうな顔してましたから」
「あぁ、そんなに分かりやすい顔だったかい?」
少し赤くなっているかもしれない顔を見られないようにしながら立ち上がり、台所へ向かう。
きちんと紅茶の茶葉であることを確認してからやかんで沸かしたお湯を注ぎ、待つことざっくり三分。体感だけれどまあいいだろうという事で、ポットを片手にテーブルに戻ると、もうすでにクッキーをかじりながら待っていた彼女に驚いたような目で迎えられた。
「随分早かったですね」
「さすがにそろそろ慣れてきたからね。お湯だって、魔女にかかれば何分も待たなくたってすぐ沸くんだよ」
いくら彼女は生まれた時から最低限の知識はインプットされてるとはいえ、私だって伊達に20年近く生きてきたわけじゃあない。いつまでも生後一年ほどの後輩に舐められているわけにはいかないのだ。
「……そういう事じゃないんですけどね。まあいいです」
「ん?あ、確かアカシアも砂糖要らないよね」
「ええ、ストレートでお願いします」
注ぎ口から紅茶が出る直前で気付いて台所から茶こしを持ってきて、それで茶葉を濾しながらティーカップに注いでゆく。
きちんと最後の一滴まで注ぎ切り、ソーサーの上に載せて彼女の前に置き。
「……やっぱり、薄いですね」
「茶葉はちゃんとティースプーン二杯分だよ」
「ちゃんと時間測りました?時計で」
「体感だけど、大体三分」
「あなたが台所に行ってから戻ってくるまでが、大体三分でしたよ」
魔女は、という問いに対しての答えは分からないが、少なくとも私には、今のところこの世話焼きな同居人が必要ならしい。
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