第7話
***
ホムンクルス。人造の人間。人造の命。
「君の先輩にあたる人だよ」
棺の中で眠る彼女の顔を見下ろしながら、アストラエアは言う。
科学的に人間を作るのがクローンならば、魔術的に人間を作るのがホムンクルス。
ただその本質は、人間という「形」にはない。「形」たる体は、あくまでタンパク質でできた入れ物。ホムンクルスという物の本質は、人の手によって作られた「命」にある。
概念としての命ではない。存在を持った魔術的実体として、自我や意思を司るいわば魂。
地脈という形で世界を流れる生命力を、肉体で言う遺伝子に当たる「設計図」に従って加工・凝縮させ、人の手で生み出される「命」。それを容れ物にあたる器に入れ、そうして「製造」されるのがホムンクルス。
もちろん、容易なものではない。本来、自然に存在する命の「設計図」は解析不可能であり、空間を満たす生命力も自在に操作できるものではない。だが、ここ数千年の魔術が積み上げてきた物と、天文重爆撃以後の「需要」によって、設計図は「完成品」からではなく「成長過程」から解明が進み、生命力を変質させることで「取っ手」とでも言うべき特殊な性質を設けて一定の精度で操作はできるようになった。
親を持たない事、子孫を残す能力を持たない事、そして生まれ持った名前を持たない事を除けば、今や傍目には人と区別がつかないホムンクルスが日々「製造」される。
そして、今や人類の存続に不可欠な技術となっている。
「最初に会ってから五百年近く経つから、今でいう第二世代かな。ホムンクルスが人間と遜色ない能力を持つようになった、最初の世代だよ。当時から連絡員として扱われてたから、もう他では博物館にすら残ってないだろうね」
そう。連絡員。
約千年前に起きた宇宙規模の大災害「天文重爆撃」。太陽系外から飛来した火星ほどの大きさの自由浮遊惑星が太陽系を通過した、空前絶後の天文イベント。それは、この地球を寒冷化させ常冬の世界にしただけではない。それだけなら良かった。通り過ぎざまに様々な惑星・衛星・小惑星の軌道を捻じ曲げたその来訪者は、46億年をかけて生命を生み育んできた太陽系全体での生命力の流れ、龍脈を、かつて無いほど大きくかき乱していった。
当然、より大きな生命力の流れである龍脈が変動すれば、地球上における生命力の流れである地脈も変動する。命というのは、生命力、即ち地脈をその内に通すことで機能する。以前の地脈で46億年かけて生れ育ってきた生命は、かき混ぜられた、以前とは全く異なる地脈には対応できなかった。
肉体は寒さで凍え、命は乱れた地脈によってその内側から削り取られた。人を含む主要な生命は、急速にその数を減らした。虫などの世代交代が早く適応速度の速い生命は絶滅する前に肉体・命共に適応し生き長らえたが、寿命の長く世代交代の遅い大型の生物は殆ど姿を消した。
人間も例外ではない。最早、その環境で脆弱な人類が生き残ることは不可能だった。
唯一人間が生存できたのは、当時の魔女達が強引に地脈に干渉し、以前のような地脈を局所的に再現した「生存圏」だけ。そして現在は魔女の展開する生存圏は「聖域」と呼ばれ、一般市民の暮らす生存圏は、その仕組みを応用し霊装としてくみ上げた「アララトの円匙」を用いて魔女の手によらずに展開されたものが主流となっている。
だが、当然一つの生存圏の大きさには限りがあり、自給自足などはとても望めない。自給自足で生存圏を成立させるには、人類の文明は発展しすぎていた。そのため、生存圏間の物流を担う「足」が必要となる。無人の車などの魔術に頼る精密機器は、そのベースとなる地脈が乱れていては正常に動作しない。
そこで白羽の矢が立ったのがホムンクルスだった。
人造の命という性質上その設計図をある程度人の手で操作することが可能であり、通常の人間よりも生存圏外での活動可能時間を延ばすことができる、というのは嘘ではないが、あくまで表向きの理由。実のところは、いくら死んでも人類の総数は減らず、「再生産・増産」可能な工業製品としての性質が主な理由である。決して安いものではないし使い捨てとは言わないまでも、四大派閥規模になればいくらでも補充の効く消耗品。
現在は、主に連合王国と自由連盟が製造する大量のホムンクルスが、世界各地に点在する生存圏の間の物流を、そしてその命脈を支えている。
そして、そのうちナナのように連合王国に所属する者は「連絡員」と呼ばれる。
もはやホムンクルスなしには、人類は現状の文明を維持は出来ない。
あれほどの災害の後で、種のみならず文明を保存できていること自体が奇蹟に等しいのだ。
「もっとも、命の抜け落ちたただの入れ物である今の彼女を、ホムンクルスと言うのかは分からないけれどね」
棺の蓋をあけながら、アストラエアは言う。
恐らく、ここで眠る彼女はホムンクルスとしては極めて珍しい人生を送ったのだろう。魔女の口にしたアカシアという名前や、今ここで彼女を納めている棺の存在がそれを示している。
彼女の生きた時代がナナの知る今と変わらないようなものであったのならば、恐らく彼女と同時期に生まれた同胞達は、機械的に決められた識別番号しか持たず、今頃は厚い氷のどこか遥か下で眠っているはずだ。
「けど、これ……」
勿論、先ほどまでナナの抱いていた恐怖や不安という物はもうない。ただ、疑問は残る。
アストラエアは、彼女がもう「命」を持たぬただの抜け殻だと認めた。
では、なぜ彼女の肌は温かみのある、血の通った色をしているのか。なぜ、乾ききってひび割れ皺だらけにはなっていないのか。そして、なぜ寒いとは言え決して水が氷るほどではないこの空間で、腐りもせずに綺麗な状態を保てているのか。
答えは、すぐに与えられた。
「ああ、ナナとは違って彼女の体は肉と骨からは出来ていないんだよ」
アストラエアは、棺の中のその手をゆっくりととると。
「彼女の体、「入れ物」は機械なのさ。当時の言い方だと自動人形。まだ辛うじて残っていた「科学」の技術をかき集めた、機械仕掛けの身体。そのころはまだ、肉と骨でできた空っぽの身体を作る技術は無かったからね。何とかしようっていって、僻地や国粋派、つまりは都市同盟の小国に残っている科学の技術を技術者たちが血眼になって探して作り上げた、いわば「科学」の最後の結晶みたいなものだよ。もちろん、魔術で代用したところとか、ホムンクルス用に魔術的な調整を加えたところはあるけどね。でもまあ、当時でも科学が衰退して数千年は経ってるからね。よく残ってたもんだよ」
「それで、こんな…………生きてるみたいに?」
「それだけじゃないけれどね。肉と骨でできた身体ほどではなくても、自動人形だって何百年もたてば色落ちはするし、乾燥で表面がひび割れたりはする。虫食いが出来たりもする。もちろん骨になることは無いけど、放っておいたら身体は駄目になる。彼女の身体が今もいつでも動かせる状態なのは、私がきちんと手入れをしていたからさ」
そこまで言って、アストラエアはナナの方を振り返り。
「ちょうどいい機会だし、君には言っておこうか。魔女の相方となるのならば、私には君に対して説明する義務があるだろうしね」
「義務?」
「ただし申し訳ないけど、君がそれを知ることを選ぶのならば、前に言った君をここに縛るつもりは無い、という約束は果たせそうにないかな。魔女の相方になる、魔女の秘密を知るって言うのはそういう事だからね」
棺の中の彼女の頬に手を伝わせながら、アストラエアは続ける。
「強要はしないよ。ここで見聞きした物は全て忘れてただの魔女の契約者として生きるか、それとも悪い魔女の共犯者になるか」
忘れる、と魔女が言うからにはそれは比喩や建前ではない。ホムンクルスの記憶を操作する程度、造作も無い事だろう。微笑みを浮かべていた表情が、わざとらしく歪む。
浮かべられた酷薄な笑みは、しかし明らかにぎこちなく。
「どうする?悪い魔女の共犯者として、世界を敵に回す気はあるかい?」
そう問うた声も、悪い魔女というには些か頼りなく。
ナナが答えるまで、少し間があった。
「彼女の製造日は?」
「497年前の9月14日。これがアカシアの誕生日だよ」
「……なるほど」
一呼吸ほどおいてから、棺から数歩離れたところにいたナナが棺のすぐ前、アストラエアの隣に並んだ。
「共犯者?世界の敵?構わないさ。ここに来た時から腹は座ってる。悪い魔女の相方に命令違反の連絡員。ぴったりの役回りじゃないか」
「そう」
棺の蓋をゆっくりと閉めながら、小さく微笑えんだアストラエアは。
「それじゃあちょっと場所を変えようか。あんまりアカシアの近くでうるさくしても悪いからね」
***
「私が最初に言った言葉を覚えてるかい」
城の外、陽の当たる小さなベンチ。その脇で二人がちょうど出てきた扉を閉めてから、アストラエアは言った。
当然、足元は雪。だが、本来なら足元から伝わってくるはずの寒さはない。魔女の聖域だから、だろうか。ナナの付けた足跡の底からは茶色い土すら覗いている。
「彼女がその理由だよ」
ベンチの背もたれに軽く腰掛けるように体重を預けるナナは、黙ったまま。この流れで予想していなかったと言えば嘘になる。だが、安易に相槌を打つのは躊躇われた。
論理が飛躍して理解できないから、ではない。
逆。そこを出発点として、彼女の言う結論に至る道筋は無数にある。
そもそも、本来なら絶滅していたはずの人類が生き長らえるための「歪み」の代表格が連絡員達だ。とても正常とは言い難い世界で、一般市民が生存圏から出れないこと以外は以前と大差ない生活を送るために、その代償を背負う職業。
「復讐?」
ひょっとしたら。まさか。そんな気持ちで、よく聞く単語を口にした。平等主義者を自称する人間がよく口にする単語を。
もちろん、アストラエアとアカシアと呼ばれた彼女の間にどういう物語があったのかは、ナナは知らない。だからここでアストラエアが何と答えようと、ナナにどうこう言う権利はない。
ただ、その単語にはいい印象が無い。この手の事を言うのは彼等だけで、ナナの同僚が言っているのを聞いたことは無い。アストラエアを彼等に重ねる気はないが、出来ればそうであって欲しくはない。
そんなナナの胸の内を知ってか否か、その言葉を聞いたアストラエアは小首をかしげて。
「それはちょっと違うかな。それだったらとっくに星ごと滅ぼしてるよ」
ただ、続いた言葉はナナの思い描いていた「道筋」のどれとも全く違った。
「簡単に言えば、アカシアともう一度会いたいんだよ、私は」
「……もう一度?」
思わずオウム返しに尋ね返すナナ。
その意味するところが分からない程、想像力は乏しくない。
死者の蘇生。魔術には疎いナナですら知っている、現代魔術における最大の課題の一つ。
不遜にも人類は、自らの手で命を作り出すところにまで至った。それならば、それこそ系統化されていなかった古代魔術の時代からの題材である死者の復活についても手が届くのではないかと考えるのは自然な流れである。
生命の誕生、即ち生命力の凝集と、死、即ち生命力の拡散、この二つによる「命」と「地脈」の間での生命力の循環はいまだ未解明の部分も多く、副作用のような物を案じてこれを禁忌とするような動きもあるが。
アストラエアは小さく頷くと。
「そう。それが、私の目的。悪い魔女が、悪い魔女たるね」
「けど、蘇生なんて」
「もちろん、今の魔術じゃ死んだ人間を生き返らせることはできないよ。魔女を以てしても。命を失った肉体は毎秒少しずつ駄目になっていくしね」
そこまで言って笑みを浮かべたその顔は、理解の範疇を超えた魔術を手にこの世界の頂に立つ魔女というよりは、明日の予定を楽しみにする女の子のように、ナナには見えた。
「けど、人の手で作られたホムンクルスなら、話は別なんだ。花が枯れたら二度と全く同じ花は見られないけど、造花が壊れたなら全く同じ造花を作ることは不可能じゃない。本来なら解析できない命の「設計図」は、設計段階で使ったものが残っている。拡散したら見分けがつかない生命力も、その命を形成する時に生命力につけた性質である「取っ手」を見れば、その命を形作っていた生命力かどうか分かる。同じ材料で、同じ設計図によって再構築された命なら、それはもはや同じ物といっていい。魔女に掛かれば、出来ない事じゃないのさ」
まくしたてるように、何かに憑かれたように、アストラエアは話し続ける。
「他の命を形成していたら回収できないけど、龍脈として宇宙を満たす生命力の中で、その命を形作っていた生命力がすでに他の命の材料となっている確率なんて、全宇宙からランダムに選んだ一点が地球と一致するくらいの天文学的確率なんだよ。それに、ホムンクルスの「取っ手」のついた生命力は通常の生命力の循環からは外れるから、その可能性はさらに低い」
少しの間。
「それで、彼女を生き返らせるのが世界を滅ぼすのとどう関係するんだ?」
アストラエアの目を見たまま尋ねるナナに、アストラエアは笑顔のまま答える。
「そのための対価さ。とは言っても、別に神や悪魔と契約する対価とかではないよ。そのために必要な術式の過程の一つとして、天文重爆撃クラスの地脈変動が必要なのさ。宇宙規模の龍脈に溶け込んだ彼女の生命力を回収するにはね。そして、もう今の人類社会にあの規模の災害をもう一度耐えきる力はないからね。きっと種としての人類は絶滅する。文明無しで生き延びる力はずっと昔に失ったしね」
あっさりと。人類の滅亡など構わない、と。
「彼女一人とまた会うためだけに、この世界を終わらせる。零れ落ちた一人の命のために、今生きる何千万の命を迷わず切れる。私は魔女の中では結構な常識人のつもりなんだけど、これができてしまうあたり、やっぱり私は魔女なんだろうね」
やはり悪い魔女らしからぬ柔らかい笑みを浮かべながらそう言ったアストラエアはナナに背を向けると、薄い雪の上を歩いてすぐ脇に立っていた小屋の方へ向かいながら続ける。
「もし君が私にこの人間社会とか理不尽な世界とかに対する恨みみたいなものを求めてたのなら申し訳ないけど、そういう事だよ。別にそういう憎悪の類は私にはない。この世の中に不平不満が無いわけではないけど、別にだからと言って滅ぼしてしまえというほどではないのさ」
「いいや、むしろ安心したさ。俺たちの代弁者を名乗る偽善者ならもう足りてるからな」
「まあ、彼女がそれを望んだのなら私は偽善者にだって魔王にだってなるけどね。でも、救世主には、慣れそうにないかな。それは魔女の仕事じゃない」
自虐的に笑ったアストラエアが開けた小屋の中から、大量の霊装が現れる。杖、剣、鏡、絵画、書物、硬貨、冠。中には得体のしれない立方体や、名前すら分からない謎の小物まで。
「ここにあるのはそのための、彼女を取り戻すための物の一部だよ。四百年以上かけて、他の魔女や派閥には勘づかれないように集めてきた霊装さ。王城で国王が言ってたのもね」
「それで、一部?」
決して狭くはない小屋の中に、ぎっしりと。ナナには霊装の使い方は分からないが、明らかに手足2本ずつで扱える量ではなさそうなのは分かった。
「人類を滅ぼすだけなら、他の魔女の邪魔を考えなければこれで十分なんだけどね。ホムンクルスとはいえ命一つを取り戻すってのは、それだけ大仕事なんだよ。莫大な量の霊装を集めて、細かい仕込みを数え切れない程して、何世紀も跨いで惑星配列が揃うのを待って。それで初めてチャンスができる。数千万の命を対価に、一つの命をよみがえらせるチャンスがね」
恐らくは、その数百年間も楽なものではなかったのだろう。小屋の中で霊装を漁るその背中から伺い知ることはできないが。
「……俺の勝手な想像だけど、そこまで思ってもらえるなら、きっとそいつはホムンクルスとしては幸せだよ。大抵の奴らは死んでも名簿から番号が一つ消えて、代わりに新しい番号が一つ増えるだけだからな」
「そうだろうね。彼女をこの世に生み出した身として、私には彼女が幸せと思えるようにする義務がある。けど、私はそれで終わらせるつもりは無いよ」
ずらりと並んだ霊装の中から、先端に多面体のあしらわれた大振りな杖を取り出しながら、アストラエアは言う。
彼女の幸せを勝手に語るな、くらいには言われる覚悟はしていたので、意外な言葉だった。
そのままアストラエアはナナの方を振り向くと。
「さて、ちょっと暗い話になっちゃったけどそれはこの辺にしといて」
杖と反対の手に持っていた、おそらくはこれも霊装と思われる紺色の帽子を被って続ける。
「あんまりしんみりしてたららしくないからね。悪い魔女は悪い魔女らしく、楽しくやらないと。今の話はナナもそんなに気にしなくて構わないよ」
そう言ってにやりと笑った顔は、帽子に杖という格好のせいもあってか珍しく魔女らしく見えて。
「ああ、別に俺のやることは変わらん。はじめっから悪い魔女の共犯者さ」
ナナは軽く腰掛けていたベンチの背もたれから離れ、彼女のいる小屋の方へ歩いていって。
そこで、あるものがふと目に入った。
茶色と金色からなる、掌ほどの大きさの大柄な方位磁針。
数ある霊装の中で、なぜそれだけが目についたのかは分からない。
ただ、その色と意匠に、何か引っかかるものがあった。
嫌な予感がして、思わずアストラエアのことを呼ぶ。
呼ばれたアストラエアはナナの方を向く。
その手に持った杖の端が後ろに会った棚に軽くぶつかって。
小さな衝撃で棚の中にあった霊装のバランスが僅かに崩れ。
その方位磁針のような霊装が棚から落ちて、地面の上で表面の硝子が割れて。
空間がゆがんだ。
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