第5話


 ***

 

 雪の残る路面の両端には金属製のパイプが敷かれ、等間隔に設けられたバルブから噴き出した蒸気が雪を溶かしている。街中なので広域暖房のおかげで気温は氷点下ではないものの、つい先程までいた暖房のよく効いた城内よりは遥かに寒い。

「……友好派閥だから対立はしたくないんじゃなかったのか」

「物事には優先順位っていうのがあるんだよ」

 連絡局の本局。王城に続いて、連合王国の連絡員運用の中心であるそこにも半ば殴りこむような形で向かい「首輪」の解除を済ませてきたナナ達は、その城下の目抜き通りにやってきていた。気を抜けばすぐに人とぶつかりそうな雑踏。しかし近づくそのベージュの薄汚れた制服を見た群衆は、示し合わせたかのように綺麗に道を空ける。

「で、なんでわざわざここに。観光でもするつもりか」

「まあ、それもあるんだけどね。ちょっと気になることもあって」

 隣を歩く魔女は、先ほどまでとは異なり粗末なシャツと薄手の上着にロングスカート。どちらも濃淡こそあれベージュのような茶色がかった色で、最早その銀髪以外はその辺を歩いている町娘と大差ない。

「それって」

 尋ねるナナに前を向いて歩いたままアストラエアは答える。

「まあそれは直に分かるよ。それより、さっきの話どう思う?自由連盟の」

「対立が云々って話か?どうって、まあ大変そうだなと」

「随分と他人事だね。連絡員なんだから生まれは連合王国だし、務める先も国だろうに」

「生憎、そこまで国にも人にも恩義や愛着は感じてなくてな。それに珍しい事でもないだろ」

 確かに、ナナの生まれは連合王国のエーベルト辺境伯領という生存圏。

 ただ、それはただ単に生まれた場所というだけで、別に生存圏や王国そのものに思い入れのような物はない。履いている靴の製造場所とおなじような感覚。

 肩にかけた大きく連絡局の紋章のあしらわれた支給品の鞄を、道の外側、見えにくい方に掛け直した。アストラエアはそれを横目に見て苦笑する。

「ま、それもそうか。それより、そうなんだよ。珍しい事じゃないはずなんだ」

「そうそうそうそう分かりにくいな」

「別に、自由連盟がよその派閥に難癖をつけるのはいつもの事。なのに、わざわざあの男は、魔女がその件について中立の立場を示すことを求めた。多少の距離感の違いはあれ基本的にどの派閥からも中立を保っている魔女に、わざわざね」

 唐突に立ち止まり、道端に立ててあった喫茶店の看板を眺めながらアストラエアは続ける。

「きっと今回はいつもの小競り合いとはちょっと訳が違うんだろうね。場合によっては、それなりに大規模な派閥同士の抗争に発展することを、連合王国は想定してる」

「なんのために?」

 ナナも横に並び、黒い立て看板に白いチョークで書かれたメニューを眺める。

「さあね。けど、自由連盟が無理難題を吹っ掛けたなら、その目的はだいたい想像がつく」

「運送員か」

「そ。君たちの、まあ同業者なのか競合相手なのかは知らないけどね」

 看板を見つめたまま、小さくこくりとアストラエアは頷く。

「自由連盟は運送員を運用して、生存圏間の物流を一手に担ってる。もちろん、連合王国の経済に不可欠な輸出入についても。そこに制限でもかけるための口実だろうね」

 ちりん、と。アストラエアが開けた喫茶店の扉につけられていた鈴が澄んだ音を立てる。

「まあ、それで結局何がしたいのかは知らないし、興味もないけど。連合王国や自由連盟が何を目論んでいようと、悪い魔女には関係ない事だからね」

 と。そこまで言ってから店内を見回したアストラエアがナナの方を振り向いて尋ねる。

「ところで、これって先に注文してから座るのかい?それとも座ってから注文するの?」

「座ってからだろ」

「へぇ、こういうカフェとかにはよく来てたのかい?」

「ごくたまに。連絡員がいるってだけで気に食わない連中もいるし、行った回数も片手で足りるだろうな」

 果たして今突き刺さっている視線は、そう言った視線なのか、はたまた連絡員が銀髪の町娘と一緒にいるという事に対する純粋な奇異の視線か。

 最早慣れっこになった視線は無視し、窓際の適当な席に向かい合って座る。

「こうやって店で食事をとるのは何世紀ぶりだろうね」

 メニュー表のクリーム色の厚手の紙の上では軽食や飲み物などのリストがゆっくりと流れるように動き、窓越しに見える向かいの店の硝子にはまたどこかの生存圏が落ちただのなんだのというニュースが流れていた。

「見ないうちに随分と技術も進んだもんだね」

「これか?」

 メニュー表をアストラエアの方に差し出す。

「そう。大方、動物性の物質で羊皮紙の性質を持たせた紙だろうね。定番と言えばそうだけど、私が普通に生活してた頃には無かったよ。あっちの窓も硝子を鏡に見立てた上で、その記号性を利用して映像を映してるんだろうね」

 一体何百年前の話をしているのか分からないので反応に困るナナを気にする様子もなく、アストラエアは続ける。

「でも、まだまだかな。これだって、外から簡単にいじれるし。ほら」

 そう言ってアストラエアがナナの方に向けたメニュー表の上では、先ほどまでのメニューではなく、意味不明な文字の羅列が踊っている。時たま意味を持った単語が現れるのはアストラエアの遊び心か。

「魔女でも介入できないような術式だったら、それこそ軍用品レベルだろ」

「まあそうだけどね。けどきっとこれくらいなら優秀な魔術師でもできるはずだよ」

 たん、と音を立ててアストラエアがメニュー表を元の位置に戻したときには、表示は正常に戻っている。

「まあ、昔からあった技術が民間にも浸透するのはいい事だけど、果たして技術そのものはここ数百年で進んだんだろうかね」

「聖域に住んでるあんたが知ってるのかは知らんが、十年に一度は維持霊装の寿命で落ちるような生存圏で生きてんだ。落ちたら再展開されるまでは極寒の中、制限時間付きのペグで張った一部屋にも満たない生存圏での生活だ。誰もが生き残るので精一杯でそんな暇ないんだろ」

 その維持霊装のダウンスケール版にあたるペグを使って極寒の生存圏外を行き来するのが連絡員なのだが、まあそれは今は関係ない。

 手を挙げてやって来た店員に、飲み物と軽食をそれぞれ注文する。

「こうやって見てると、まだ街中はいつも通りだね」

「まだ?」

「そう。連合王国はいくつもの内政不安を抱えてる。ま、この時代じゃここに限った話じゃないけどね。王室に仕える貴族達への待遇、貴族同士の権力闘争、成長の無い経済。ここ直轄領は王国派の中心地だから栄えてるけど、小さな生存圏では飢えた民衆が反乱を起こしたとかいう話も聞いたことがある。さっき言った何かってのもこの辺に関係してるのかもしれないね。天文重爆撃以来続いてるこの4大派閥だけれど、だからと言って盤石とは限らない」

 エプロンをしたウェイトレスが来て、ナナの前にコーヒーとサンドイッチを、アストラエアの前にグラスに盛られたパフェを置いて去っていく。勿論、伝票も一緒に。

「ま、その変化が先か、悪い魔女が仕事を完遂するのが先かは知らないけどね」

 そう言いながら、長いスプーンをパフェに突き刺すアストラエア。

「ここで言っていいのか、そんなこと。今時壁に耳あり障子に目ありってのも、ただの比喩とは言えないだろ」

「大丈夫だって。今のこの席はちょっとした防音室みたいなものだからね」

 スプーンを持ったままのアストラエアはそれとは逆の手をテーブルの裏にのばすと、一枚のカードを取り出す。

「その辺の雑貨店でも売ってる遮音用の結界。ちょっと手は加えてるけどね」

「ちょっとって、大方猛獣が吠えても聞こえないくらいには強化されてんだろ」

 少し迷ってから、結局ブラックのままでコーヒーを一口すする。

「そういや、パフェなんて頼んでたのか」

「こう見えて、というかどう見えてたのかは知らないけど、甘党なんだよ、私は」

「その割には普段あんま甘い物食ってるの見ないけど」

「作るのが面倒だからね。それに、私はいわゆるお菓子作りってやつとは相性が悪いらしい。昔は作ったりもしてたけれどね。何度作っても上手くはならず、最後どういう訳か小麦粉と片栗粉を間違えて作ったのを最後にお菓子を作るのは止めた」

 言葉の合間合間にすくったものを口に運びつつ言うアストラエアの向かいで、サンドイッチを一口齧ってからナナは相槌を打つ。

「ま、塩と砂糖よりは余程分かる間違え方だな。結果は?」

 ちなみにサンドイッチの中身は卵だった。

「美味くは無かったけど、案外何とかなるもんだよ。どちらも澱粉だしね」

「面白味が無いな」

「現実なんてそんなもんだよ」

 口の端についたホイップクリームを紙ナプキンで拭いてからアストラエアは続ける。

「で、そんなつまらない現実に刺激を与えるのも、また魔女ってわけだ」

「まだここで何かするつもりなのか」

「いや、今回は私じゃない」

 小ぶりな苺の乗ったスプーンをナナの方につきつける。

「言ったでしょ、ちょっと気になることがあったって」

 そしてにっと笑ったアストラエアはその苺を口に運び、飲み込んでから。

「随分と遅かったね」

 答えるその声は、やけに明瞭に聞こえた。

 

「あら、お気付きでしたか。なら話は早いですね」

 

 視界に、宝石のような眩い輝きが舞った。

 熱い何かが、頬を走ったような気がした。

 窓ガラスが飛び散り、一呼吸おいて、ナナの理解が現実に追いつく。

 レンズを通したかのように歪む周囲の景色。宙に浮く硝子片が、その「レンズ」が半球状をしていることを示している。

 爆風でも受けたかのように綺麗に硝子の無くなった窓の外に、恐らくはその声の主がいた。

「お久しぶりですね、第四位殿」

「六分儀の魔女かい。会いたくなかったよ」

 アストラエアはそちらに視線を向ける事すらなかった。

 道のど真ん中に佇むのは、齢17程に見える少女。あれはボブカットというのだろうか、肩の上辺りまでの黒い髪に、人ごみの中にいたら完全に溶け込んでしまいそうな無個性な外套。

 その中で、彼女自身と、その手にした小柄な小ぶりな望遠鏡が圧倒的な存在感を放っていた。博物館で見るような、真鍮の装飾の施された茶色がかった屈折望遠鏡。片手で握れるような太さに、長さも腕より短いくらいで望遠鏡としての性能は見るからに劣悪。ただ、アストラエアの城でしばらく生活していたせいか、それが魔術的な用途で用いられるものであるとナナの直感が告げる。

 そして、それは紛れもなく去り際にナナが王城で認めた人物だった。

「白昼堂々襲撃とは、もうちょっと周りの迷惑ってものも考えたらどうだい、第八位」

「それくらいは考えてますよ。周りの人たちは何一つ気が付いていません。ちょっとした認識阻害をしてますから。貴女の隣にいる彼も例外ではないはずなのですが、わざわざ用心深く二人分の防護結界を張っていたところを見るとやはりお連れさんですか」

 思わず立ち上がっていたナナが改めて周囲を見回すと、残りの客や店員は何もないかのように食事や仕事を続けている。割れているのは二人の横の窓硝子一枚だけ。どちらの魔女がやったのかは分からないが、ガラスの破片は綺麗にナナ達のテーブルのすぐ周りだけに散乱している。

 はらり、と。テーブルの裏に張られていたカードが舞い落ち、半球状の「レンズ」が頂点から消失する。硝子が床を叩く、軽い音が響いた。

「で、なんでここにいるのかい。別に、連合王国と仲がいいわけじゃないだろう」

 この状況で、新たに一口パフェを口に運んでから、アストラエアが尋ねた。

「仲が良くないからこそ、対話を図るのが人間でしょう」

「まずは自分の行動を振り返ってから言ったらどうだい」

「何を言ってるんですか。魔女が二人に、連絡員。この場に人間なんていませんよ」

「…………自覚はあるようでよかったよ」

 初めて。アストラエアの視線が、外に佇む六分儀の魔女をとらえる。

「わざわざ派手な登場までして、これもその派閥間対立の関係かい」

「まあ関係ないとは言いません。ですがそれだけだったら、わざわざこんなことしませんよ」

 そこまで言った六分儀の魔女は、それこそ幼子が母親を前にした時のように、無邪気に微笑むと、

「気になるじゃないですか。数十年振りに聖域から出た魔女が、約百年ぶりに市中に降りてきて、数百年ぶりに契約者まで連れていて。おまけにアララトの円匙に干渉しようとしたら、既に制御が連合王国からどこぞの魔女に書き換えられている。面白そうだとは思ってましたが、ここまで面白そうなことになってるとは、来たかいがあったというものです」

「それだけで第4位に喧嘩を売りに来たんだね」

「威力偵察ですよ。黙ってても何も分かりません。気になることがあったら、自分から行動を起こすのが基本ですから」

「で、何か分かったのかい?」

 グラスの底に残ったフレークとクリームを集めながら、アストラエアは言う。

 黒髪の魔女が、右手に握った望遠鏡を水平に振り、軽やかな音と共に特殊警棒のように縮まっていた鏡筒が伸びる。

 アストラエアが、グラスの壁からかき集めた最後の一口を口に運ぶ。

 色の淡い青空から差す陽の光が、不自然に捻じ曲がる。

 横を向いた銀髪の魔女が、黒髪の魔女を真っ直ぐ見つめる。

 黒髪の魔女が、松明か何かのように望遠鏡を真上に掲げ。

 銀髪の魔女が、そのスプーンの表面を舌で小さく舐め。

 黒髪の魔女が、掲げられた望遠鏡を勢いよく振り下ろし。

 見た目の古さとは不相応に磨き上げられたレンズが、二人を捉えて。

 付近一帯に降り注ぐ陽光が、集約されて、その直轄領の一角に突き刺さる。

 周囲の陽光が奪われたというわけではない。保存則の破綻。明らかな、魔術。

 が、その光の針はアストラエアの鼻先にまで迫ったところで、柔らかい針金を曲げるかのように捻じ曲がる。何も無いはずの空間で。

「威力偵察にしても、もうちょっとがんばったらどうだい」

「威力偵察は相手の反応を見るためのものです。殺してしまったら意味が無いんですよ」

 言い切る前に黒髪の魔女が振り切った望遠鏡に呼応し、虚空から無数の弾丸が現れる。

 同時に射出されたそれらの弾丸は冷え切った空気を切り裂き、面制圧をする形でカフェの中の二人に迫る。

 その風切り音が聞こえるような気がして。

 かつん、と銀髪の魔女がかかとで床を叩く音が響いて。

 その足元から現れた白色の光球が二人を飲み込み。

 何もない空間を貫いて床に突き刺さった無数の弾丸だけが、残された。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る