第4話


 ***

 

 どこか遠くに声が聞こえて。未だに慣れない自分の名前を呼ぶ声がして。

 目を開けると、今にも殴られるのではないかと思うほど不機嫌そうな魔女の顔が出迎えた。

「…………あの世ってのは実在しないんじゃなかったのか」

 歪な花を背に立ちこちらを見下ろすその表情は、しかし仮面のようにぴくりとも動かない。

「何のつもりなの」

 拳が飛んでくることは無かった。

 代わりに、その感情を押し込めたような低い声で魔女が問う。

「それとも私を試しでもするつもり」

 突き刺すようなにその視線に、しかし連絡員は当たり前のように答える。

「なにって、そういうつもりだったんだろう」

 魔女が連絡員に見出した「存在理由」。本来与えられたそれとは異なる、使い道。

「連絡員は見方によれば、歩く魔術爆弾だ。拾い物の連絡員。偶然手に入った爆弾。あんたもそういうつもりで俺を連れて来たんだろ」

 まあ、その役割すら果たせずに失敗した欠陥品な訳なのだが。

 全くもって、よく出来た出来損ない。本来の存在理由を逸脱した存在には、別のそれを手にする資格は無いとでもいうかのように。掴み取ろうとした見せかけの自由意思も、偶然か必然かその指の間をすり抜ける。

 自虐的に笑う連絡員に、しかし魔女は語気を強めて問いを重ねる。

「なら、何で君は生きてるの」

 その顔に浮かぶ怒りのような表情がどこへ向いているのかは分からない。連絡員に向けられているというには些か曖昧。魔女自身に向いているというにはあまりにも露骨。

「その銃は霊装の破壊のために内部術式を書き換えてある。殺傷力は大きく失う代わりに、霊装の機能を破壊する事に特化した道具」

 からん、と。魔女の投げ捨てた銃が床を滑り、壁にぶつかって乾いた音と共に止まる。

「君がその銃で霊装を破壊する。機能を停止したところで私が術式を書き換え、修復して、再起動する。それだけで、今回の工作は終わったんだよ。わざわざ誰かが死ぬ必要があるような、そんな大層なものじゃあない」

 その言葉に、思わず漏れるのは乾いた笑い。

「死ぬ必要、ね」

 身を起こし、見下ろす魔女の双眸を正面から迎え撃つ。

 なるほど、これが魔女の意図した連絡員の使い道で無い事は分かった。

 ただ、ナナの話しているところはそこではない。

「一つ教えてやるよ。連絡員ってのはな、消耗品なんだ」

「…………」

「あんたたち魔女とは違う。最初っから人間にできない仕事をさせるための存在で、最初っからそれだけが全て。存在理由はあらかじめ定義されていて、それに従って死ぬためだけにこの世に生み出される」

 使い捨ての紙食器と同じ。捨てるために、作られる。

「あんた達は知らないだろうな。死に方の価値って言うのを」

 何のために死ぬかというのは、即ちその生の価値と同義。

「理由があるから死ぬ?死ぬ必要が無い?あんたにはどうせ分からない。自分の手で永遠に近い命を手にして、間延びした生命を生きている魔女には、絶対に、」

「馬鹿にしないで」

 遮ったのは低く小さい、けれど頭の中に直接差し込むような濃い色の乗った声だった。

 それと同時に胸元が掴まれ、寄りかかっていた中心の柱に上体が押し付けられる。

「魔女がそれしきのことも知らないと?人間がただ漠然と生きてると?」

 死が何ももたらさなければ、その生に意味は無いと?

 重い吐息を感じるほどの距離で、魔女は続ける。

「君を助けたのが損得勘定も何もない純粋な善意だとは言わない。けど、それはだからと言って君を道具として使い潰すという意味でもない」

 零距離の視線に乗って感情が流入する。

「言わなかった?私は君を一人の人間として扱うつもりだって。連絡員とは?決められた存在理由?そんなもの知った事じゃない」

 あの日うわべだけと連絡員が一蹴した言葉が、確かな質量を持って繰り返される。

「君は連絡員かもしれないけれど、同時にこの封書の魔女の契約者だ。連絡員だ何だ、その程度のつまらない枠組みで御託を並べるなら、その枠組みごと踏み潰してやる」

 魔女がその程度のものに縛られると思われてるなら心外だね、と。

「それで信用できないというならこう言うよ。魔女の契約者の命ってのは、そう安くは無いんだ。勝手に価値を見積もって、勝手に使い捨てないでもらえるかな」

 対するナナは、けれど小さく笑う。

 彼女が言いたいことは受け取った。彼女の誠意は理解した。

 ただ、アストラエアはきっと大きな前提を一つ飛ばしている。

「けど、どうせそれでも同じことだ」

 結局、連絡員はどう転んでも連絡員。

「その感じだと、これは知らないんだろうな」

 胸倉をつかむ手を押しのけ、一歩下がった魔女を見上げる。

「連絡員ってのは、生存圏間の情報の行き来を一手に担う存在だ。その連絡員に、運用者である連合王国が何も手綱をつけないと思うか?どんな機密情報も必ず通る。それでもって、運用者の目の届かない生存圏外を自由に行き交う連絡員に」

 もし、繊細な情報を運ぶ連絡員が別の生存圏や派閥にそれを流出させたら?連絡員が組織的に反抗を企んで連絡員と言う制度自体が機能不全に陥ったら?或いは、連絡員が他派閥の手によってマリオネットのように魔術的に「操作」されたら?

 いずれにしても、連合王国にとっては大打撃だ。

「連絡員の間じゃ、首輪って呼ばれてる。連絡員がどこにいても、何をしていても、然るべき者が然るべき手続きを踏めば、指定された連絡員は即座に活動を停止する。もしくは、連絡員に対して外部からの不正な魔術的侵入が見られたとき」

 意識が遮断されるとか、体が動かなくなるとか、そういう事ではない。もっとシンプル。

「つまりは、連合王国が俺を特定すれば、あとは書類一枚で俺は死ねるんだよ」

 先程のような分かりやすい表情は無かった。

「何百年たっても、変わる物じゃない、か」

 ぽつりとつぶやき、アストラエアは静かに手元にあった手帳のような霊装を閉じる。

 光の粒子となって消失したそれに代わって現れるのは、いつか見た黄ばんだ封筒。

「だからどうせ、とでもいうつもりかい。つくづく舐められたものだね」

 ぱちんと指が鳴る音と共に、纏う服が契約を結んだ時にも見た紫色のドレスへと変化する。

 無数の魔術的意匠の織り込まれた、魔女の正装。或いは、戦闘服。

「いいじゃないか。悪い魔女の本領ってやつを見せてあげるよ」

 

 

 それは一方的な蹂躙だった。

 居並ぶ警備兵が、手の一振りで吹き飛ばされる。

 放たれた光弾は、不可視の壁に阻まれて掻き消える。

 各所に埋め込まれた幾多の防御機構は、作動する前に撃ち抜かれる。

 厚いはずの鋼鉄の城門は、まるで氷のように熔け落ちた。

 四大派閥の一角、連合王国。その権威の象徴たる王城。

 遠い昔には要塞の中枢であったというそれが、抗う事も叶わずその門扉をこじ開けられる。

 躊躇い無く破壊を振りまくのは、たった一人の魔女。

 歩みを妨げる物だけを正確に排除し、そこが己の城かのように進み続ける。

 そして、その進撃はひときわ大きな空間に出たところでようやく止まった。

 追いすがる警備兵はもはや一人もいない。

 魔女の城でも見たことのないような大広間。

 視界に入りきらないその白い壁と柱は細かい装飾が施され、足元には今や金より貴重とすら言われる大理石がびっしりと敷き詰められている。

 広間の端の方から一時停止でもかけたかのように硬直してこちらを凝視しているのは使用人と思しき集団。この場が職場である彼等でさえ、あまりにも圧倒的な空間の中で、早朝の新雪に残る泥色の足跡の様なちぐはぐさを放っている。

 決して、彼らの服装が貧相というわけではない。むしろ、一般的に言えばかなり上等。ただ、あまりにも空間が圧倒的。

 きっと、薄汚れた制服の連絡員に至っては舞踏会に紛れ込んだ孤児のように見えただろう。

 その中にあって、しかし紛れもない侵入者であるはずのアストラエアだけはその圧倒的な空間に馴染んでいた。むしろ、最早その空間の雰囲気を塗りつぶしていたと言っても過言ではないだろう。新雪の例えを用いるのなら、こちらはそれを溶かして自らの色に染め上げる陽光といったところか。

 無数の視線を集めたその中心で、アストラエアは手にした封筒のような霊装を掲げる。

「この城の主を出してもらおうか」

 固まっていた場の空気が、動き出す。さながら、凍った水面に小石を落としたかの如く。殺意すら感じる、ちりちりと肌に刺さる物に。

 彼等だって、この王城に仕えることを認められたいわば精鋭。その得意とするものが荒事とはかけ離れていたとしても、或いは決して敵わないと知っていても、この状況でこの城の主に仕える者としての行動は迷いなく取れるだろう。

 慣れ親しんだそれより数段研ぎ澄まされた敵意。逃げるためか闘うためか、何のためなのか自分でも分からないが、ナナは反射的に身構える。

「お願いとか要請とかじゃないよ。交渉でもない」

 アストラエアが、小さく笑った。

 その笑みの意味するのは何なのか。

 この場でも、やはり最終的な決定権を握るのは彼女だった。この広い空間は、魔女の色一色に染め上げられている。その笑みの意味するものが、数秒後のこの空間の色を決定づける。本来の透き通った白か、煤けた土色か、それとも。

 が。

 それをナナが知るより先に、別の色が、魔女の色を上書きした。

「いや、わざわざ魔女に来ていただいたんだ。言われずとも出迎えくらいはしますよ」

 ナナ達二人に向いていた視線が、一斉に声のした方へ向く。

 ざっ、と。闖入者二人を残してその場にいた全ての者が、まるでよくできた機械仕掛けのように一斉に跪く。

 広大な大広間で、二つの色が拮抗する。

「言って頂ければ門も開けたのですがね。我が国の国庫も無限ではないのですよ」

「なに、ちょうどいい公共事業になるんじゃないかな」

 声の主は、壁の中腹にある扉の前にいた。高さは1階分ほどだろうか。後ろ手に扉を閉め、壁に沿うようにして設けられた階段を静かに降りてくる。

 分かりやすい冠などは無かった。

 それでも、これで誰だか分からないほど、ナナだって鈍くはない。

 少し遅れて跪こうとするナナを、アストラエアが片手で制す。

「では改めてご挨拶を。我が城へようこそ、封書の魔女殿」

 派手過ぎず、尊大でもなく。それでいてこの場の誰よりもこの大広間に馴染んだ男は、鷹揚に礼をしてからそちらを見つめる魔女としっかり目を合わせる。

「連合王国第73代国王、ルートヴィヒ・オットマール・フォン・センチュリオン」

「ああ、そういうのはいいよ。別に、お上品に会談をするために来たわけじゃ無い」

 対して、魔女はそれを一笑に付した。

 厚い氷を叩き割るような音があった。

 広間に並ぶ無数の大理石の柱。その一つが砕け散り、破片が魔女の手元へ引き寄せられるように集まる。現れるのは、大理石の短刀。

「面倒な建前とかは飛ばすよ。「首輪」の術式を解除してもらおうか」

 荒削りの、しかし鋭く尖ったその切っ先が、向かい合う国王の喉元に触れる。

「首輪? ……ああ、なるほど」

 国王の視線が魔女の傍らのナナへと向けられる。まるで、今気づいたとでもいうように。

「連絡員だと色々と不便もあるでしょう。いっそ、新たにこちらから都合のいい「人員」を手配する事も、」

「状況を分かってるのかな。人間、歳をとると忍耐力が無くなるんだよ」

 言葉を遮るようにして一歩踏み出した魔女に、突き刺す視線が一斉に殺気立つ。

 それを、しかし顔色一つ変えない国王は片手で制する。

 その首に浮かぶのは珠のような赤い雫。

「そもそも、連絡員は連合王国の所有する連絡局に属するものであって、その身柄は連合王国の財産であるはずなのですがね」

「別に私は聖人君子でも慈善家でもないからね。全連絡員の首輪を解除しろとは言わないよ」

 膨らんだ雫が弾け、糸のような細い線をその首に引く。

「ただ、ここにいるのは魔女の契約者だ。彼に限っては、私はその身を庇護する義務がある」

 国王の返答に、初めて感情が覗いた。嘲るような乾いた色が。

「相変わらずの物好きで」

「昔話ばかりしてると嫌われるよ」

 低い声で魔女が答える。

「対応しかねるといったら」

「もう一度言うよ。状況は分かってるかな」

「ええ、よく分かっておりますとも。仮にも友好派閥である我々を、あなたが切れない事は。既に提供した18機、手配中のS115番、F337番、H874番。これらすべて連合王国の所有する霊装であり、然るべきものが命じれば直ちに内部術式を抹消する自壊措置が作動します」

「その程度、この魔女が補えないと?」

「出来るのでしょうが、それをしたくないから我々から借用している。そうでしょう」

 短剣の切っ先で再び生じた雫が大理石を小さく赤く染め、引き絞った弓の弦のような無数の視線は主がその引手を放すのを待つ。

 薄氷のような沈黙。

 先に破ったのは国王だった。

「まあ、いいでしょう。たかが一連絡員、そう意地を張るような物でもありませんし。連絡局には話を通しておきます。後の作業はそちらでできるでしょう」

「たかが、ね。……まあその判断に免じて、今回は聞かなかったことにしてあげよう」

 突き付けられた刃が、ゆっくりと離される。

 ただ無条件でとはしかねますな、と国王は小さく口角を歪めた。

「お互い、これだけの為に関係をふいにするのは本意ではないでしょう」

「別に私は構わないし、そもそも交渉ではないっていったはずなんだけどね」

「魔女ともあろうお方が、まさか単純な損得の勘定もできないという事はありますまい」

 ここからは政治の話です、と。

「まだ表面化はしていませんが、我々連合王国と自由連盟の間で水面下の対立が生じています」

 自由連盟こと人民派。連合王国と並ぶ、四大派閥の1つ。貴族と庶民などの身分を重んじる封建制の「国」である王国派とは対照的な、議会制をとり人権尊重を謳う生存圏の連合体。

「自由連盟の例の病気が出たようで。詳細は省きますが、まあいつもの無理難題です」

 そして、その価値を掲げての他派閥への干渉が激しい事でも知られている。曰く、他派閥の制度は人権を踏みにじっている、自由連盟の物に準ずる人権水準を確保しろ、と。

「この時代に人権の完全な保障なんてお花畑な夢を見ている連中の考えることは分かりませんよ。今の人類の最大の課題は発展でも何でもなく生き延びることです。あれでほんとに自分達こそが正しいと妄信してるんだからなおさら質が悪い」

「つまらない愚痴を聞いてくれって言うのがそちらのいう条件かい」

「ああ、聞き苦しいものを失礼。ですが、気にするほどのものでもありますまい。どうせあちらも同じようなことを思ってるんでしょう。古臭い封建制なんて、と」

 わざとらしく小さく肩をすくめる白髪交じりの男に、魔女が問う。

「それで私に連合王国につけとでも?」

「それでもいいのですがね。ですがまあ今回は、そこまでは言いません」

 含みのある薄い笑みを湛えて国王は続ける。

「派閥間の対立における中立の表明していただきたい」

「それで表明したところで信じるのかい」

「そういう風に表明していただければ十分という話です。あとはこちらの話ですので」

 それとも、と挑戦的な光がその目に宿る。

「その連絡員と天秤にかけるには高すぎる話でしょうか」

 魔女の手で砕かれた大理石の柱から、その欠片の落ちる硬い音。

「……これで首輪の機能が少しでも残ってたりしたら、封書の魔女は連合王国の敵に回るよ」

「まさか。神に誓って、この言葉が誠実な物であることを約束しましょう」

「魔女が神の存在を否定するって知って言っているのかな」

 まあ形の上では「奇蹟の篝火」を国教とする連合王国の信仰心を信じるよ、と魔女の手の中で大理石の短剣が形を解かれ、無数の破片へと戻って地に落ちる。

 長い銀の髪をふわりと膨らませ、アストラエアが国王へ背を向け。

 そこで、ふとナナの視界にそれが映った。

 国王が降りて来た階段、その上にある扉。

 そこに、一人の少女がいた。肩の上程の黒髪に、無個性な外套。

 見逃してしまいそうな小さな影。しかし、その異質さは雪に落ちたインクのように確か。

「ところで、先程この生存圏の維持霊装に一時的な動作不良が確認されたのですが。封書の魔女殿は何かご存じでないですか」

 前を行くアストラエアへ視線を向けると、彼女もその人影を一瞥し。

「さあ、知らないね」

 破壊の跡だけを残し、封書の魔女は大広間から立ち去った。

 


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