第3話


 ***

 

 連合王国の生存圏、世界最大の王城を抱える「直轄領」の中心部。

 目の前にそびえるのは巨大な塔だった。テニスコートがすっぽり入りそうな床面積に、見上げると首が痛くなるほどの高さ。先端に連合王国旗の掲げられたその塔は雪のような白色に塗られているが、その材質が何なのかはナナには分からない。

 その入り口の扉の前に立つ二人の傍らで、糸の切れた操り人形のように音もなく崩れ落ちるのは二人の衛兵。つい先程までこちらへ向けられていた魔術銃の長い銃身は、タイル張りの地面の上で明後日の方向を向いている。

「悪い魔女のお通りだよ」

 小さく呟いた魔女の手に現れるのは、彼女が「写本」と呼ぶ軽い装飾を施された手帳ほどの大きさの霊装。日ごろから愛用するそれを片手にあっさりと塔の重い扉を開いたアストラエアに続いて、ナナも身長の倍近くはあろうかという扉をくぐる。

 中で舟を漕いでいた警備員が目を覚まし、そして何かを言う前に先ほどの衛兵のように机の上に崩れ落ちる。アストラエアは一言も発さなかった。その手の中の手帳ほどの大きさの本の頁がひとりでにめくれ、何らかの魔術が使われたことを示している。

 後ろで低い音と共に扉が閉まり、魔女が手にした霊装を小さく振ると巨大な閂がひとりでにかかる。そこで初めて、扉に鍵がかかっていたことにナナは気付く。

 閉ざされた空間に響くのは、二人分の足音だけ。

「直轄領の最重要施設だっていうのに、随分と警備が薄いんだね」

「魔女ですら撃退するような警備なんてそうそうあってたまるかってんだ」

「別にこの程度なら並みの魔術師でもできるよ。それに、今回は魔女としての力はあんまり使いたくないのさ。一応、連合王国は友好派閥だからね。これがばれたら色々と面倒くさい」

 建物の中はこのような塔によくある吹き抜け状ではなく、階ごとに区切られている様子。円筒形に近い空間の中央を太い柱が貫き、バウムクーヘンのような間取り。

「あんまり時間は無いからね。さっさと行くよ」

 一通りのクリアリングをしてから、バウムクーヘンの外側部分に設けられた階段を上がって上階へ上がる。アストラエアは霊装片手に、ナナは鞄の中の護身用の銃に手を添えて。

 警備員は入り口前の二人と一階の一人で全てだったのか、人の気配はなかった。間取りは先程と同じようなバウムクーヘン状。違うとすれば、ホールのように開けていた一階と違ってよく分からない機械がぎっしりと詰まっているところか。

「随分と詰め込んだもんだね。もうちょっと分散させればいいのに。それとも分散させて警備の手間が増えるのを嫌ったかな」

「なんかの霊装か、これ」

「これ?まあ一言で言えば、インフラ系の制御装置だよ。直轄領の広域暖房とか、上下水道、域内通信網とか。そういう物の制御用の魔術機械さ。厳密に言えば霊装じゃないね」

 そう話しながら、そのうちの一つにアストラエアが手を触れる。

 ジッ、と小さな音の後、その機械は灰のようになって崩れ落ちた。

「一応、侵入者用の警報装置も紛れてるみたいだけどね」

 へぇ、と適当に相槌を打つナナ。そのナナを促し、アストラエアは中心の柱に添うように設けられた螺旋階段へと進む。

 天井に設置された僅かな光源。差し込む自然光は無く、その光源だけでほの暗く照らされた埃っぽい塔の内部に居心地の良さを感じるのは、塔が中心に抱えるもの故か、或いは。

 階層として作られているのは、この二階で最後。目指す最上部へ向け暗い口を開ける螺旋階段に、ナナは一歩踏み出して。

 ところで、警報装置とは普通何のために置かれるものか。侵入者がその存在だけで逃げ帰るような小心者でない限り、それは単体では何の意味も持たない。

 外部から戦力が駆けつけるというのも一つの手だが、侵入されることそれ自体が問題となるこの塔において、それではやはり意味がない。つまり。

 警告は無かった。短く連絡員を呼び止める魔女の声。それに振り返ろうと足を止めたナナの鼻先を、風圧と共に銀色の光が掠める。

「やっぱり、このままあっさりとはいかないよね」

 反射的に手を掛けていた護身用の銃を鞄から取り出したところで、後ろから襟をひかれる。

「これは私の仕事だよ。君にはまだ死なれちゃ困るんだ」

 頭上から降って来た人影。

 室内で扱い易いよう切り詰めた剣を構えたその「番人」が、ナナの前に出た魔女と対峙する。

 街中を巡回する警備兵の鮮やかな色彩とは対照的な、飾り気のない黒いシルエット。古代の鎧にも近いそれが、その人影の役割がこけおどしでは無い事を如実に物語っている。

「報告。侵入者2。魔術師が一人、連絡員が一。登録番号照合を開始」

「無駄だよ。域内通信くらいなら妨害するくらい訳はない」

 ここでは無いどこかへ呟く番人に、しかし微笑を湛えてアストラエアが告げる。

「だって、ここにその通信の心臓部を置いちゃってるんだから」

「防衛行動に入る」

 白と黒が、激突した。

 

 

 戦争、という物がかつてあった。

 幾つもの国同士が兵を率いて戦い、何千何万という軍がぶつかる殺し合い。

 皮肉にも、分断された無数の生存圏に人類の活動域が制限された結果姿を消したが、その時代には魔術師は後方から火力支援や目に見えない魔術戦を行う後方要員だったという。

 理由は単純。持てば誰でも使える刀剣や魔術銃を装備する歩兵に対し、身一つで魔術を操る魔術師は貴重であった事。そして、そもそも術式構築の即応性や小回りという点において近接戦闘に圧倒的不利であったという事。

 が。

「魔術師の脅威度を上方修正。術式の解析を要請……失敗」

 薄暗い室内で、鈍く輝く剣を振るう番人。立て続けに斬り込む身のこなしは素人目にも洗練されていることが分かり、あのままナナが護身用の銃を振り回していたところで容易にその刃に捉えられていたことは明白。

 その近接戦闘を得意とするはずの剣士が、しかし本来このような場を不得手とする魔術師を捉えられていなかった。白い軌跡と共に振るわれる刃は、その白い肌に傷一つつけられない。

「だから、余所に頼ろうとしても無理だよ」

 虚空から現れた氷塊が振るわれた刃にあたり、軌道を逸らす。

 崩されたバランスを逆に利用して放たれた蹴りは、しかし引き寄せられるように飛来した何かの部品が受け止める。

「まあ、頼れたところでどうにもならないとは思うけど」

 砕かれた氷の破片、それが再び集結し一つの鏃のような形を形成。淡い光と共に射出されたその鏃を、しかし番人は剣の腹で受け止める。微かな光源を受けて霧のように輝くのは、砕け散った氷塊。術式を構築し直す隙を狙ったのか、その氷片を吹き飛ばすようにして、床を蹴った剣士が接近する。

 互いが重なって見えるほどに肉薄。

 その至近から突き出された剣は、しかしやはり魔術師、もとい魔女には届かない。

 いや、届いてはいる。届いているが、その服に微かな傷をつけるにすら至らない。

 まるで騙し絵のように、本来切り裂くべき肉をすり抜ける。

「残念」

 明らかに遅れて身を退いた魔女が、小さく笑う。

 魔術。万人の知る「当たり前の法則」である物理法則とは独立した法則に則って、この世界に干渉する術。そのもの自体は、物理法則を否定するものではない。魔術的な現象が加わらない限りに於いて、物理法則は依然として成立する。

 逆に言えば、魔術が働いている限りにおいては物理法則も絶対のルールではない。

「そっちの法則に縛られてる限り、私には届かないよ」

 今度は短距離の空間跳躍。背後に跳んだ魔女の首を振り向きざまに振るわれた剣が襲うが、今度は不可視の手で押しやられたかのように軌道が逸れる。まるで、空間が歪んだかのように。

 ただ、そこまで都合のいい物なのか、という疑問も同時に頭をよぎる。いくら魔女とはいえ、ここまで「なんでもあり」なのかと。

 無表情を貫いてきた番人の顔が、かすかに歪む。

「脅威度を最大と修正。制限を解除」

 剣を握るのと逆の左手。その掌をかざし、番人が口を動かす。

「回路作成、選択、C、J、S、S」

 直後。その掌から放たれたのは、蒼みがかった炎。

 初めて、魔女が回避行動をとった。何か魔術的な補助を受けてか、明らかにその細い脚の力だけでは不可能な動きで後方へ距離を取る。

 立て続けに、雷霆、氷塊、光線、飛びすさった魔女を追って放たれるのは、やはり小細工や魔術銃の仕込みなどでは説明の出来ない現象の数々。

「魔術師⁉」

 思わず声を上げるナナに、しかしアストラエアは不敵に笑って否定する。

「いや、違う。単純だね。魔術師どころか、魔法使いと呼ぶのも憚られるくらいに」

 ついに魔女を捉えた一条の光線が、その胸に届く住んでのところで掻き消える。

「だって第一に、人間じゃないからね、これは」

「…………!」

「ああ違う。そうじゃないよ。そもそも、これは生きてない」

 その言葉に、ようやくナナの理解が追い付く。

 魔術の原動力とも言えるのは、人間の持つ「命」そのものだ。地脈と言う形で世界を満たす生命力に、同じく生命力から構成され、人間の自我を司る「命」を起点として干渉する。その地脈が人間の見る物理世界と密接に影響を及ぼし合う関係にあるため、魔術を扱う者は究極的に言えば意志や思考だけで物理法則を捻じ曲げ、求める結果をこの世界に出力する事が出来る。

「見てくれだけは魔術だよ。あるいは広い意味で言えば、魔術と言ってもいいかもしれない」

 魔女の手の周りで生じた無数の水滴。それが集結と共に凝固し、一本の獲物をその手の中に生み出す。剣や槍には程遠い、叩き負った氷柱のような乱暴な造形の氷を。

「たしかに、これは地脈に干渉して物理法則に反した結果を出力している。けど、そこに術式の構築、解析、妨害、干渉。そういった魔術における戦いは存在しない」

 今度は炎を纏わせた刃。それを正面に構え、「番人」が再び回避を許さない速度で突進する。

「ここに在るのは、命を持たず予め決められた術式に則って稼働するただの人形。できるのは予め仕込まれた単純な術式を組み替えて数パターンの攻撃を行うだけの、ただのカラクリ」

 それに対し、魔女はただ笑った。答え合わせでもするような、得意げな表情を浮かべて。

「だから、私はここではまず負けない。実際の魔術の限界を決める、予測不能で微弱な地脈のブレ。他の命から生じるそれが無いここなら、理論上できることは何でもできる。普通なら、計算の上でしかできないような事でも」

 例えるなら、誤差なくペンを動かせれば、思い描くものは何でも描ける。そういう話。

「本来は、剣には魔術仕掛けで、魔術には剣で勝てるように作られてるんだろうけど」

 宙に浮かせた霊装に、アストラエアは氷柱を持つのと逆の手を這わせる。

「相手が悪かったね。そもそも、相性が悪すぎた」

 そう言い切ると同時、掻き消える炎。ただの鋼と化した刃が、再び魔女の心臓をすり抜ける。

 対して、一振り。片手で振るわれた刃も無い氷が、あっさりと「番人」の首を刎ね飛ばす。

 血飛沫は無かった。切断面から無数の紙や木、金属、その他様々の「材料」と化して、人の姿をした魔術仕掛けは崩壊。

 崩れ落ちた残骸に、軽い音と共に墓標のように氷柱が突き立てられる。

「……さ、行くよ」

 魔女に促されるまま、先程「番人」の落ちて来た階段へ。今度は、何も降っては来なかった。

 金属の階段を靴底が叩く規則正しい音が、縦に長い空間に響く。

 一段、二段。光源は一切なく、頼りになるのはアストラエアの手元で淡い光を放つ霊装のみ。

「なあ、ひとつ聞いていいか」

「なんだい」

「あれがただの人形だったのは分かった。けどなら、なんであれは魔術が使えたんだ」

 先を行くアストラエアは、小さく苦笑して答えた。

「魔女としては、あれを魔術とは呼んで欲しくないんだけどね」

 挨拶に挨拶を返すオウムを会話が出来ると言わないのと同じことだよ、と魔女は付け加えて。

「忘れたかい、ここが何のための場所なのか」

 アストラエアが足を止めた。照らし出されるのは、重厚感のある扉。

「別に地脈に干渉する方法は命を介するだけじゃない。元々流れている地脈に対して、適切な構成の霊装を用いれば、その設計で意図したとおりに地脈に干渉する事が出来る。あの人形みたいにちゃちなものから、半径数キロの規模まで。あるいは、あの人形もその半径数キロの地脈を制御する霊装の子機みたいなものだったのかもね」

 それが何のことを指すのかは、さすがに分かった。

 知らない者は、この世にいないと言っても過言ではないだろう。

 この世界で人間が生きていくための叡智の結晶。生存圏を生存圏たらしめる命綱。

 塔の最上部。厚い扉が開かれる。その先にあるのは、下の階層とは異なり嵌め殺しの窓から差す自然光で満たされた小さな空間。

「そ。直轄領の、「アララトの円匙」。分かりやすい言い方をすれば、維持霊装」

 天井のように思えたものは、いかにも霊装と言った趣の巨大な円盤。パイプのような物で構成された骨組みに取り付けられているのは、もはやナナにはただの芸術作品にしか見えないような意匠が施された部品の数々。

 一言で形容するのなら、歪な花か。この世界で人が文明を営むための、そして本来人間にはどうにもできない地脈を歪めるための霊装。妙な不気味さと、美しさを兼ね備えている。まるである種の蛾や茸のように。

「直轄領の文字通りの生命線。悪い魔女なら、することは決まってるってね」

 

 

 アララトの円匙に幾つかの細工をする。

 それが魔女の言った事だった。バックドアだの管理者だのと言っていたが、その意味するところまではナナには分からない。悪い魔女なら壊すんじゃないのかと冗談半分に言ったら、その辺のテロリスト一緒にするなと怒られた。

「言った通り連合王国は、一応は友好派閥なんだよ。魔女も万能じゃないからね、どこの派閥からも距離を置いてやってくのは簡単じゃない。だから、今回やることは連合王国には気づかれたくない。少なくとも、どこの誰がやったのかは」

 流石に大声で世界の敵を名乗って立ち回れるほど無敵ではないからね、と魔女は補足する。この世に魔女は残り十二人、派閥は四つ。この世界の情勢が一応の安定をみているのは、これらの影響力が総合して言えばある程度拮抗しているがゆえ。

「この霊装に秘密裏に工作をするには、一度霊装を再起動する必要がある。よその派閥からの魔術的な干渉に備えて魔術防壁は厚く作られているから、穏便に停止させようにも魔女としての力を使わずに突破するのは困難。そもそも、そんなことをしたら封書の魔女の仕業だってことはすぐに分かってしまうしね」

 だから無理やり停止させる、と魔女は言った。

「ある程度の修復はできるから、多少荒っぽくなっても問題ない。機能が停止しても数分なら生きていくのに影響はないし、再起動に成功すれば些細なシステムエラーに偽装できる」

 含みのある笑みを乗せた魔女の視線が、連絡員の方へと投げられる。

「停止さえすれば、あとの細工と再起動なんかは私がやる。だから、ナナは」

「わかってる。その停止させるってのが、俺の役割って訳だろう」

 なるほどね、と小さく呟く。

 個人としては文字通り人類の頂点に位置する魔女が、底辺に位置する連絡員を必要とする。

 どういう酔狂だとはつくづく思っていたが、聞いてみればなんてことは無く腑に落ちた。

 鞄の中から掌に収まる大きさの銃を取り出すと、魔女は笑って言った。

「護身用の銃じゃ、確実性に欠けるでしょう。用意してあるよ」

 手を一振りすると、虚空から連絡員の持つ物より一回り大きな銃が現れる。

 支給品の銃を仕舞い直して差し出されたそれを片手でつかむと、霊装の操作を始めた魔女に背を向けた連絡員は霊装の軸、花の中心の部分へ歩み寄る。

「別に、そこまで世話を見られなくてもこれくらいはできるんだけどな」

 冷たいその銃口を、雑にこめかみに添える。

 本来、生命の死という物は周囲の地脈に微かな影響を与える。水に浮く氷が一瞬にして溶ければ、周囲に微かな波紋を広げるのと同じように。そして、本来人の生きられない生存圏の外を歩いて生存圏同士を繋ぐことを生業とする連絡員の「命」は、そうでない人々とは少し違っていて、その影響が多少大きい。霊装、特に物理現象の出力ではなく地脈自体を制御することを目的とする霊装に、目に見えた不調をもたらす程度には。

 だから例えば、健康な状態から無理やり死に至らしめたなら。

 その影響は付近のそういった霊装を一時的に機能不全に陥らせる程度には強力だ。

 一山いくらの連絡員。コストパフォーマンスは上々。

「まあ、感謝はしてるさ。魔女殿」

 束の間の寸劇を見せてくれただけでも、対価としては十二分。

 生まれた時から決まった運命に対する、些細な反抗。

 張りぼての自由意思。中古品の存在理由。

 その本質は、何ら違う物ではないと理解はしているが。

 軽い引き金を引く。

 何故か、驚いたような声と傾く視界を確かに知覚して。

 些か遅れて、世界が暗転した。


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