間章4

Episode-1.1


 真新しい木の看板。小さな建物に、小さな間口。

 その看板には、こうあった。工房グレムリン、と。

 目をつぶって深呼吸をしてから。

 その引き戸に、手をかけた。

 

 そもそも、私が何でここにいるのか。

 まあ当然、工房に用があるとしたら九割方はその工房で作っているものに用がある訳で、それは私だって例外ではない。工房グレムリン。機械に悪戯をするとされる妖精、魔術的なものである妖精でありつつ、今はほとんど姿を消した科学とも密接に関わり、何なら科学の誕生と共に生まれた妖精、グレムリンの名を冠した工房。

 その工房で扱っているものは、その名の通り科学の結晶であるともいえる、自動人形。遠い昔に魔術によって表舞台からは姿を消し、今やその影を見る事すら難しい科学。それを細々と引き継いできたのだろうことは、その小さく、お世辞にも綺麗とは言えない建物を見ればよくわかる。

 そして、魔女ともあろう私が科学の結晶を扱う工房に何の用があるのかという問いに一言で答えるのならば、ホムンクルスのためである。

 太古の昔には、錬金術で生み出せると考えられた人造人間、そして今は人造の命を宿した人間の形を模した物の総称。この工房には、それを受け取りに来た。

 現在、魔術技術の結晶ともいえるホムンクルスの「身体」として最も優秀な性能を持つとされるのは、皮肉にも科学技術の結晶たる自動人形。魔術の方については、ここに魔女がいるので何ら問題にはならない。ただ、科学については魔女にはどうしようもないので、あちこちの生存圏を探し回り、ようやく見つけた先がここ、工房グレムリン。

 わざわざそこまでして私がホムンクルスを求めたのにも、理由がある。

 別に人恋しくて相棒が欲しいとか、奴隷のようにこき使える労働力が欲しいというわけではない。自由に「生産」できて、人間ほど法によって守られていないという以外にも、ホムンクルスの長所という物はある。簡潔に言えば、その命と身体を自由にデザインできること。それを用いれば、このような事も不可能ではない。即ち、膨大な量の書物をその頭の中に保存し、自在に入出力のできる「歩く書架」のような魔術的機能を持たせることも。

 魔女とは言え未だ新参者に過ぎない私が魔女として魔術の研究を進めてゆくには、当然ながら数多の文献や論文といったものが必要になる。けれど、自らの城も聖域も持たない私に、物理的にそれだけの物を置いておくことはできない。ならば、魔術的にそれらの文献を記録してしまおうという事。

 今日はそのための道具を、魔女としての本分を果たすための道具を、受け取りに来た――と割り切ることができたらもう少し気は楽だったのだろうか。

 ホムンクルスを受け取るという事は、即ち私の生活は一人だけでのものではなくなるという事。共同生活。果たしてやっていけるのか、不安がないと言えば嘘になる。

 ある程度設計に自由が利くホムンクルスとは言え、その人格や性格までは思うようにはできない。そこについては、出来上がってみるまでは分からない。

 どうか、変に捻くれたりしていませんように。そう、信じてもいない神様に、私は祈る。

 

 建付けの悪そうな嫌な音を立てて、滑りの悪い引き戸が開く。

 前に来た時にも見た、外観からの印象を裏切らない狭い部屋。

「失礼します」

 中で待っていたのは、胡麻塩頭の工房の主人と、人のよさそうな顔をしたその奥さん。

 そして、茶色い髪を肩の下あたりまでたらした、私と同じくらいの年の女性。

 あれ、ここって娘さんいたっけな、と。そう思って。

「初めまして、ミストレス」

 立ち上がってそう言った彼女を見て、ようやく気が付く。

 彼女こそが、私が注文したホムンクルスであると。

「ミストレスはやめてちょうだい。別に私はご主人様でも何でもないからね」

 無言でこちらを向いた主人夫婦に見守られ、彼女とのファーストコンタクトを私は果たす。

「だったら、あなたのことは何と呼べばいいですか」

 そういう彼女はその声も、姿も、所作も、まるで人間と相違なく。

「アストラエアで構わないよ」

 差し出された手は、けれど表面だけは柔らかく、その中は人とは違う固さがあって。

「では、改めて。初めまして、アストラエアさん」

 彼女は――私の同居人となる彼女は、そう言うと小さく笑って。

「私に、名前をくれませんか?」

 その微笑みに、「書架」を意味する昔の言葉から用意していたはずの名前は、頭の中から抜け落ちた。

 とっさに、何かないかと頭をひっくり返すようにして彼女の名前を考える。

 出てきたのは、もう見ることは無いであろう実家の鉢植えに生えていた、好きだった木の名。

「アカシア」

 捻りも何もない、安直な名前。それでも、私に後悔は無かった。

 だって、彼女が笑ってくれたのだから。

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