第4話 創れないもの
それはまだ夏の暑さが残るある日のことだった。俺はいつものように店でお客が来るのを待っていた。不思議なことにお客さんは来るときには嫌というほどくるのに、来ない時はほんとパッタリと誰も来なくなるのだ。
しかし、今日は珍しく客足が無いのにもかかわらず一人の男性がやってきた。
「すみません…ここに来ればなんでも創っていただけると聞いたのですが」
「えぇ、キャンパスに掛ける大きさのものでしたらなんでも」
まだ暑いというのに黒いスーツを身にまとう嫌に静かな男性はふらふらとカウンターに近寄るとそのままストンと椅子に座った。
「えっと、本日はどのようなご用件で?」
「…………です」
「はい?」
「…息子を創って頂きたいのです」
俺は驚きで吸った息を吐くのを一瞬忘れていた。男の無造作に伸ばされた髪の隙間から覗く鋭い視線から分かる。冷やかしではなく、本気なのだと。今まで犬猫、鳥などの死んでしまったペットを描けないかという依頼は何件かあった。そして俺はその度その依頼を断り代替案を示した。思い出の品としてガラス細工だったり、木彫りだったりにして形として残しませんかと……しかし人間となると、何も思いつかなかった。ペットと違い人間には不気味の谷現象というものがあり、俺がリアルに再現して置物を作ったとしてもきっと不気味なものにしかならないのだ。仮にデフォルメ化させて作ったとしてそれは依頼人の要望に応えられているのかと言ったら否だろう。
俺は居住まいを正し男を見据えた。
「それはできません」
「なっなぜですか!?なんでも創ってくれるのでしょう!金ならあります!いくらでも払いますですから!ですからっ」
必死に訴えてくる男に、すみません、と頭を下げた。実のところやったことは無いが技術的な話出来ないことはない、と思う。しかし俺が創れるのはあくまで形ある物なのだ。人を作っても心は作れない。所謂“入れ物”しかならないのだ。
「お願いですお願いします。息子を、息子をどうか」
余命宣告をしなきゃいけない医者の気持ちが今だけは分かった気がした。どうにも出来ないことはある。きっとこの人はちゃんと説明をしなければ俺が、はい、と頷くまでここにいるのだろうなと思い、いつもならしない話をすることにした。
「あまりこういうお話をするのは良くないのですが
技術的に人を、息子さんを創るのは不可能ではないと思います」
「では!」
「しかし、あくまで私が創れるのは“形ある物”なんです。人は物質だけで出来ているわけではない。記憶、習慣、癖、価値観、様々な見ない物があって初めて“その人”になると思うんです。俺の能力で人は作れても“その人”はつくれない」
「それでも良いです!人形でも良いのです!成長しなくてもっ形だけでも!どうか、どうかお願いします」
必死の形相でそう願ってくる男が俺には理解できなかった。人形なんて余計虚しくなるだけではないのか、そう思うから。理解出来ないと話を聞いてみたくなってしまうのは、きっと俺を俺たらしめる悪い癖なのだろう。
「どうしてそこまで創られたいのですか」
「……これを見て下さい」
少し落ち着いた様子の男は懐から二枚の写真を取り出すと机にそっと置いた。一枚は少年が笑っている写真、もう一枚は目の前の男らしき後ろ姿と女性の後ろ姿が川に向かって身を乗り出し手をのばしているとこ映っていた。まるで川に落ちた人を助けようとしている一枚だった。まさか、と顔をあげた。
「こっちは息子の、リュウの写真です。
そしてこっちは…息子が亡くなった時の写真です。川に流されて、」
「どうしてこんな写真、」
「私たち家族は夏の最後の思い出にとバーベキューへ行きました。ご飯も食べて記念に写真を撮ろうとした時、カメラが不調を訴えたんです。そして妻とカメラを一緒に見ていて、よし直った撮ろうと私たちが振り返った時にはもう……
夏の最後の思い出どころか、息子の最後の思い出になってしまって、それ以来妻は自分が目を離したせいだとふさぎ込んでしまい、このままだと妻まで
だから偽りでも良いんです、妻が一時的にでも前が向けるのなら、それに私も、もう一度息子に会いたいんです!」
男は握りしめた拳に涙を落しながら話をしてくれた。偽りの息子、ほんとにそれを創れば奥さんやこの人は前をむけるのだろうか……俺はそれでも、
「すみません。やはりお創りすることはできません」
「なんでっ」
「そんなの虚しいだけじゃないですか、それに」
「貴方はっ大切な人を無くしたことがないからそう言えるんだ!!」
「…そうかも、しれません。けどやはり創ることはできません」
「……いいでしょう、ほんとは穏便に済ませたかったのですが…私はどんな手を使っても息子をあなたに描いてもらいますから」
その時、俺を睨みつけ息まく男の胸ポケットで電話がなった。俺を一度キッとにらみつけると立ち上がり背を向け電話を取った。どうやら奥さんのようで先ほどまでと違い口調が柔らかくなっていた。しかし電話の内容は穏便とは言えなった。
「リュウは友達の家に泊りに行くって言ってたろ、大丈夫だって
うん、うん、分かった。すぐ帰るから」
そう言って電話をポケットにしまうとゆっくりと俺の方を向いた。俺が先に口火を切る。
「奥さんは、息子さんがまだ生きてると思ってるのですか」
「…えぇ、この時のことも忘れてしまったようで、しかし本人の姿が見えなければいつかは思い出すでしょう。だから」
「俺が描いた絵は自ら動いたりはしませんよ」
男はカウンターに置かれたままの写真に触れると薄く笑った。
「形さえあればどうとでもなります」
男がそういうと同時に夫婦二人が映った写真がひとりでに浮かび上がり俺の頬を掠め後ろの壁へと突き刺さった。
「これが私の能力です。この能力を使えば思った通りに動かすことができる。つまりリュウを生き返らせることだってできるんです。
…妻が心配していたのでとりあず今日は帰ります。また明後日きます。いい返事を期待してますね。
あぁ、そう言えば名乗ってもいなかったですね。私はキサキと言います」
不気味なほど落ち着いたキサキさんはカウンターにあるリュウさんの写真を手にした。様子から言って後ろの壁に突き刺さっている写真は回収しないつもりだろう。
「あの、」
「なんです?」
「その写真、お借りすることはできますか?」
キサキさんはぱぁと笑顔になった。
「えぇ!もちろんです!」
「あっや、創るわけではないですよ?」
「いえ、きっと最後には創ってくれますよ。貴方だって大事な人は失いたいくないでしょう?」
キサキさんはそれだけ言うと軽くお辞儀をして帰っていった。立ち上がってその後ろ姿を見送っていたが、姿が見えなくなればドッと疲れがやって来て椅子に座り込んだ。
「……人を創る、か…」
椅子の背もたれに寄りかかり、リュウさんの写真を手に取るとそれをぼうと眺めた。
実は、幼い頃に一度だけ命あるものを創ったことがある。その時飼っていたインコを――
俺が餌やりの為に鳥籠の中に手を突っ込むと、インコが俺の手に乗った。初めての事だった。嬉しくなった俺は深く考えもせず自分の手にとまったインコを見せたく外で洗濯物をしまっている母の元へと駆けた。
「かあさん!見て見て!イコちゃんが俺の手に乗ったよ!!」
「リオ?あっ」
母さんが振りかえると同時にイコちゃんはバサバサと今まで使う事の無かった翼を羽ばたかせて空へと飛び出した。
「イコちゃん!?待って!!」
俺は空へと飛んでいくイコちゃんを追って裸足で外へと駆けだした。
「リオ待ちなさい!リオっ」
上を向いて走る俺の背中を母さんが掴んで引っ張った。それと同時に前を走り去る車、危うく轢かれるとこだったのかと心臓がバクバクと脈打った。
空高く飛ぶイコちゃんは俺たちを残してそのまま空へと消えていってしまった。
「なにやってるの!あぶないでしょ!」
「かあさん、ごめん、でもイコちゃんが」
「いいのよ、イコちゃんはきっと空を自由に飛べて喜んでるわよ」
「でも、イコちゃんは」
泣きそうになる俺の頭を優しく撫でた母さんは俺の手を引いた。新しいタオルを用意して俺の足を拭き家の中へと押し込むと、散らばってしまった洗濯物をてきぱきと纏め片付けていた。その母さんの顔に悲しそうな表情は見えなくて、それが余計俺を不安にさせた。
母さんがイコちゃんをとても大切にしていたことを俺は知っていた。だから、俺の力を使えば母さんはきっと喜んでくれるそう思った。俺のせいで逃げて行ってしまったから、俺の事を思って悲しい顔すらしない母さんに心から笑顔になってほしかった。
俺は家の中にあるイコちゃんの写真をかき集めるとキャンパスへとイコちゃんを描き始めた。イコちゃんとの思い出を思い出しながら、
「できた!」
子供にしては良い出来の絵が完成した。時計はいつもの夕飯の時間を差していた。夕飯の時にイコちゃんを出せばきっと母さんは喜んでくれるぞと、母さんの喜ぶ顔を想像して顔がにやけた。
しかし、俺の想像に反して絵から出て来たのは今にも動きそうなイコちゃんの置物だった。それは冷たく、軽い。
「リオ、ご飯よー…まあ!これイコちゃん?すごい上手ね」
ご飯だと呼びに来た母さんは俺の手に収められたイコちゃんの置きものを見ると顔を綻ばせた。ほんとはちゃんとしたイコちゃんをあげたかったけど喜んでくれるのならとそれを母さんに手渡した。母さんはとても喜んでくれた。
俺は寝る時になってなぜイコちゃんは置物になったのだろうと考えた。思い当たったのは俺がイコちゃんの中身を知らないということだった。
そこでやめればよかったのに、完璧なイコちゃんが創れたら母さんはきっともっと喜んでくれると思った俺は完璧なイコちゃんを創ろうと図鑑などの本を読み漁るようになった。最初こそ母さんたちも不思議そうな顔をしていたが、勉強熱心なのね、とあまり干渉しては来なかった。
そしてイコちゃんが空を飛んで行ってしまってから数週間が経った。俺はついに完璧なイコちゃんを描き上げることに成功していた。内部構造だってちゃんと理解した上でだ。こんどこそイコちゃんが、そう思っていた俺は絵から出てきたイコちゃんにに触れた時、とてつもない恐怖を感じた。俺はなんてことをしてしまったんだ、と良くないことをしたのだと一瞬にして悟った。
先日とは違い、それは温かく重く、トクントクンと脈打っていた。しかし開かれた目はそのまま閉じることはなく、鳴けるはずの声も聞かせてくれることはなかった。どうしたら良いか分からなくて恐怖の中、困惑していた。しかし、一つだけ確かに分かることもあった。そう、これはイコちゃんじゃない。
「リオー?ご飯……リオ?」
「かあさん、おれ…おれっ」
ゆっくりと近づいてくる母さんに俺は振り返り、震える手でイコちゃんになれなかったものを差し出した。それを見た母さんはその目を丸くして固まった。
「リオ、あなたそれっ」
「母さんに喜んで欲しくて、それでそれで……でも、俺はちゃんと描いたんだ!イコちゃんの中身をちゃんと理解して、それでちゃんとイコちゃんを描いたんだっ」
置物というにも、生き物というにも不完全なそれを俺はどうして良いか分からなかった。母さんは手で口を押え、わなわなと震えていた。
「……リオ、それは、イコちゃんじゃないわ
イコちゃんはね、空へと飛んで行ったの
母さんの大切だったイコちゃんはこの世で一羽なの、だから大切だったの」
母さんは大きく息を吸って吐くと、屈んでイコちゃんじゃないそれごと俺の手を包みこんで目を合わせた。
「リオ、あなたは凄い力を持っている。けれど命を創ってはダメ
創ったところであなたが嫌な思いをするだけよ
命あるものは形ある物だけで出来てるわけじゃない。イコちゃんだってきっとこの家で過ごした思い出を持ってるはずよ
この子はイコちゃんの見た目をしてるけど、そこに意思も母さんとの記憶もない。
そしたらこの子はなりたくてもイコちゃんにはなれないの」
「俺っイコちゃんが出来たらかあさんが喜んでくれるんじゃないかって
でもっイコちゃんが絵から出て来て触った時、すぐ分かったんだ!これはイコちゃんじゃないって
俺、自分が描いた物を、創り出したものを初めて気持ち悪いって思ったんだっ」
泣きじゃくる俺を母さんは優しく抱いてくれた。
それからイコちゃんに成れなかったものは母さんと一緒に火葬した。父さんにはめちゃくちゃ怒られたけど、母さんがリオは十分わかってるからと庇ってくれたのを今でもよく覚えている。
「俺は自分の能力が好きだ。好きなままで居たい」
なんと言われようと俺の答えは変わらない。けれど、好きのままでいるためにこのまま「出来ません」とだけ言うわけにはいかなかった。
気付けば外は真っ暗で、俺は手に持っていた写真をカウンターに置いて閉店準備を始めた。
次の日、俺は店を休みにして仕事道具を一式もち例の川まできていた。川に流されて死んでしまったのが子供でもあった為、調べればすぐどこの川か分かった。川岸には沢山の花が添えられている。俺はしゃがんで手を合わせるとそのままその川を眺めた。
「俺に出来ることで、君のお父さんたちを元気づけるよ」
誰も居ない川へ宣言して俺は立ち上がり、キサキが投げつけた写真を見ながら同じ場所をさがした。同じ場所が見つかればそこで仕事道具を取り出して早速仕事にとりかかった。
初めて描くそれは中々難しく気づけば夕方になっていた。日が落ちるのが早くなったなと思いながら一段落つけた俺は片づけを始めた。
『母さんは大丈夫、父さんをよろしくね』
片づけをしている俺に誰かが耳元で囁いた。バッと振り返るもそこには誰も居ない。気のせいかとも思ったが、不思議なことなどよくある。俺は川に向け親指を立て笑顔を見せた。
「まかせろ!」
それから、今日描いて納得いかずに捨てるつもりだったそれを川へと流し帰路についた。
今日は、再びキサキさんが店へとやって来る日だ。なんとか昨日のうちに絵は完成させることは出来た。後はキサキさんをどう説得するかだ。ほんとに何かしてきたらどうしようという不安もある。
店の扉のベルが鳴り入店を知らせる。顔を上げるとそこには暗い顔のキサキさんが居てこちらへと歩いてきていた。俺は立ち上がりキサキさんがカウンター前の椅子に座るのを待って自分も椅子へと戻った。
「良いお返事聞かせていただけますか」
「何度も言うようですが、息子さんを創ることはできません」
「私が、創らなければあなたの大切な人を殺すと言ってもですか?」
「……出来ません」
俺の否定の言葉にキサキさんは一瞬驚いた顔をしてそれから顔を歪めた。
「なぜですか?!私があなたの大切な人を知らないと高を括っているのですか!それなら」
「違います。そうではありません」
俺は大切な人を思い浮かべてつい笑ってしまった。
「なぜ笑うのですか」
「あぁ、すみません。きっと俺の大切な人はここで頷いてしまった方が怒ります。
それに、彼女は強いですから」
「……」
黙りこくってしまったキサキさんに俺は一枚の写真を裏返して差し出した。
「……これは?」
「これが俺に出来る精一杯です」
「?……っ、」
キサキさんは写真を見ると口元を抑えポロポロと涙を溢し始めた。
「昨日、調べて実際にその川まで行ってきました。
そこで俺に出来る事を考えて、勝手にそちらを描かせていただきました。
……キサキさん、不気味の谷現象って知ってますか?」
「いえ、」
「絵でもなんでも、人間に近いものを作る時ある一線を越えると恐怖や嫌悪感など負の感情が沸いてくるという現象です
まあありていに言えば気持ち悪いって思ってしまうことです」
「……それが?」
「きっとキサキさんは俺がリュウさんを創ったとしても、気持ち悪いと思うはずです。そして俺にこういうのです『こんなのが息子のはずがない』と」
「そんなこと……」
キサキさんは“ない”とは言わなかった。言えなかったのだろう。大切な人は死んでしまってそれを理解しているからこそ、きっと俺の創ったものを認めることが出来ないと気付いたのだろう。
「そちらの写真は差し上げます。ですからもうお帰りください
ここではあなたの望むものを創ることはできません。どうかご理解ください
後、こちらお貸頂きありがとうございました」
俺はリュウさんの写真だけをキサキさんに返した。キサキさんはリュウさんの写真と俺が渡した写真を手に持つと立ち上がった。それから胸に抱きしめ深々と頭を下げると店を後にした。先日とは違いお早いお帰りだ。俺はキサキさんの背中を見送り納得してもらえてよかったとホッと息を吐いた。
キサキさんに渡した写真には、あの時撮るはずだったであろう三人が笑った顔が映っていた。
ソウゾウ絵描き屋はじめました 蒼夜 @Roy_Yoru
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