第58話 プログラムの崩壊

 ゲームマスターは、ため息をつきながら立ち上がった。


「君のせいで悪いことを思い出しちまったよ。そういえば、百九十年ほど前にも俺様のことを始末しに来た愚か者がいたんだよな」


 その目尻は極端につり上がっていて、手は左胸に当てられる。


「あの時は危なかったよ、油断したすきにここを撃ち抜かれてしまってねえ。おかげで心臓も残り一つになってしまったよ」


「あいつは本当気に入らない奴だった。どれだけ痛ぶっても最後の瞬間まで顔色ひとつ変えないんだならなあ」


「でも君はいいなあ、実に反応が良いよ……それでいて実に愚鈍で滑稽こっけいだ。やはり人間というのはそうでなくちゃなあッ!!」


「……残念だったな。そういうわけで今回は油断無しだ、二度も同じミスはしない」


 俺は歩き出した。標的めがけて走り出すわけでもなく一歩一歩、地面を踏みめる。心音は響く、静かだからこそよく響く。


(さあて、どうしたもんかね……!)


 ——ひとつ。突破口とっぱこうになり得るかもしれない、不可解な点はある。


 それは、システムに記録された俺の情報についてだ。仮に俺の情報が見透みすかされているとするのならば、おかしいはずだ。


 俺の人生の記録のうち。下を向いて独りぼっちだったことなんかよりも、数段と衝撃的なビッグイベントがいくつもあるはずだ。

 

(なぜ触れなかった。俺が転生者であることを、内包結界での修行の事を……!)


 その時、時間は止まった。色褪いろあせた視界の中、ただ思考だけは回る。これは時間が止まったというよりは一瞬の間に情報を受け取り、処理されたような感覚に近い。


『……待ち望んでいたぞ、鍵をそろえし者よ』


 とつぜん脳内に響き出したのは、レコードのような音声だ。


『私は”天秤の鍵”と”内包世界”をつくった者。この音声が作動しているということは、私は戦いに敗れてしまったという事なのだろう』


『伝えるのは一つだけだ、内包世界にはシステム対策がほどこされている。内包世界にいた間の情報はシステムによって記憶されない。それでは未来の命運はたくしたぞ、我が後継者よ』


 自分にだけ聞こえる脳内反響音声は、そこでプツリと切れてしまった。


(はいよ、命運はたくされたぜ……!)


 ゲームマスターはメニューを操作する。すると何やら全身に違和感が走った。


「何だ……?」


『【 アクティベートライセンス 】』

『【 Control System Protocol 】』


〔ステータス〕

 空木蒼うつろぎそらLv.1

〈装備〉木の枝


 この手に握られた星屑ほしくず蒼剣そうけんは、たった一本の細々ほそぼそとした木の枝になり変わった。


「あんまりにもあきらめが悪いからなあ、プレイヤー情報を初期化リセットしてやったよ。どうだい、今まで上げてきたレベルが一瞬にしてパーになった時の気持ちは。ねえねえ、今どんな気持ち……?」


 それでも俺は足を止めなかった。消えて無くなってしまった双剣をうれいて手元をながめた後、標的の元へと一歩一歩近づいていく。


「……どうもこうもあるか。お前のせいで、みんなは苦しんだ」


「——そうかい、貴重な意見をありがとさん。それじゃあそろそろ死んでもらおうか」

 

 慣れた手つきでメニューに手をかけるゲームマスター、目にも止まらぬ速さでシステムは発動する。

 

『【 アクティベートライセンス 】』

『【 プロダクトコンストラクト 】』


 大津波が押し寄せる。生成された濁流だくりゅうは、天井を打ち付けながら迫る。


(あの時だって、とっさに傘を武器にして戦えたんだ。だから木の枝だってきっと武器にできる……!!)


「ここだっ!!」


 一連の流動を感じて、対極の連動を感じて、木の枝から巻き起こる春風は洪水を巻き取って、うずまいてからめ取る。


【 流動:対極の連結 】 


「やっぱりな……やっぱりお前は知らない。この技は通用する。これは、がくさんとあやさんからもらった技!!」


「……こりゃさすがに驚いた。でもなあ、ちょっと上手くいったからって調子に乗ってるんじゃないかい!!」


『【 アクティベートライセンス 】』

『【 プロダクトコンストラクト 】』


 今度は小さな太陽が生成され、部屋は灼熱しゃくねつに埋めつくされる。


【 流動:対局の連結 】


 心には湖が宿った。清くうららかで、みずみずしく包み込むようなうるおい。

 

「スキルなら消去デリートしてしまえば良いだけの話……って何!? アビリティスキャニングが効かないだと……!?」


 ドンピシャみたいだ。ゲームマスターは今、初めて動揺どうようした。


「お前の知らない。お前には知らないことが二つある———」


 また木の枝のひと振り。羽ばたくように、灼熱の球体を真っ二つに切り裂いた。


「一つは俺が転生者であること。もう一つは、俺がこの世界のスキルシステムを超越ちょうえつする技を習得したということだ」


 蒼眼そうがんは光り輝く。その場に立ち止まって深呼吸、脚を前後に開き、木の枝を支える右肩を回し、深く重く広く水平に構えた。


 今この胸にはある。スキルやレベルや装備なんて関係ない、るぎない活力の根源が。


『あやつは初めからすでに、とてつもない才能を持っていた。風格がどのプレイヤーとも違っていた。まるで攻略の規範をなぞったかのようなスキル練度、この世界のシステムによくあそこまで順応できたもんだ……』


『……その反面、あやつの心はガラスのようにもろくて、なんとも足元すらおぼつかないようなただの少年であった。こんなにも恐ろしく驚異的な力を秘めているのに、健気けなげでどこか危なっかしいんだ』


『ワシらはあやつがどんな過去を辿たどってきたのかは知らない。でも、あの真剣な眼差まなざしが本物であることを物語っていた』


『だから才能を無駄にしないようにと、師匠としての責任には困らされたもんだ。いつも慎重に、迷いながら指導をしたもんだよ』


 二人は、今もきっと見守っていてくれている。今ここにはいないけれど。今も、二人が背中を押してくれている気がするんだ。


『——最初はあの子を旅立たせる気なんてなかった、このままずっと三人で暮らすのも良いんじゃないかって思ってた』


『でもあの子はどんな時でもずっと前を向き続けていた。実際、みるみるうちに強くなって、ほんの数年では習得出来るはずのない技まで見事に習得してしまった』


『本当はこれ以上戦いに出向かせたくはなかった、またあの時の二の舞になってしまうかもしれないから……でもあの子は言った。もう俺はやれるぜと』


『その後ろ姿は、かつて私たちが愛した子どもにそっくりだった。ありがとう、もう一度私たちにひと時の夢を見せてくれて』


『子どもはいつか巣立つもんだ、その勇姿を見届けてやるのも親の役目……大丈夫、あの子なら安心して旅立たせられる』


 それは本来自分に向けられるべきでない愛なのかもしれない、それでもいいんだ。


 ——だって愛に、区別はないから。


『もうワシらが心配することは何もないさ、自信を持って送り出せる。大丈夫、今のそらならきっと何だって出来る、空木蒼うつろぎそらは絶対に死なない……!!』


 あの二人は、俺が忘れていた大切なものを思い出させてくれた。


 それは愛。分けへだてのない、等価値な生命の愛。自分自身さえも愛することを。


 俺は知った、好きという感情の形がたった一つだけではないことを。


 俺は知った、血が繋がっていなくたって、今までなんの関係もなくたって、本物の家族になれることを。


 俺は知った、利害関係なんてことを考えなくても人と人は繋がれることを。


 俺は知った、心から人に身を任せることが実は意外と簡単であるということを。


「完全にめ腐ってる傍観者様に教えてやるよ。人間様の底力、愛の力ってやつを!!」

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