第45話 過ぎ去る春夏秋冬

 ——あれから、何ヶ月が経ったのだろう。


 追加された修行の一環、刀のせめぎ合い追いかけっこ。最初はこんなの子供の遊びじゃないかと思った、でもこれが相当にきつい。


 それもこれも師匠が強すぎるんだ。俺がどれだけ本気で木刀を振っても、かすりもしないし足の速さだって歴然、自動車と自転車くらいのレベル差がある。


 日課の修行メニューを終え、へとへとになって帰ると、いつも豪華な和食が用意されている。ここでの今日が何曜日に値するかは分からないけど、仮に月曜日とするのならば。


 月曜日にはご飯と味噌汁と焼き魚、それのお供に肉じゃがとおひたし。火曜日はご飯と豚汁ときんぴらにタコの酢の物、それと生姜で漬けたきゅうり。


 水曜日は雑炊とゴーヤチャンプルーに、大皿に乗った南蛮焼き。木曜日はご飯とオニオンスープと茄子なすの肉詰め、それと茶碗蒸し。


 金曜日には炊き込みご飯とお吸い物、それに加えてかぼちゃの煮物とひじきの和物あえもの。土曜日にはパスタとサラダ、ミネストローネに大きなハンバーグ。


 そして日曜日には鍋、これだけは週ごとに具材がまちまちで毎週の楽しみだ。


 このローテーションが永遠にループする。あやさんの料理はどれも温かくて身に染みる味で、この食生活を基に生活サイクルは形成されているといっても過言ではない。


(一体、こんな多くの食材どこから集めて……それにどうやって作ってるのやら。)


 毎日、三人そろってご飯を食べる。そのおかげか、毎日の素振り一万回プラスα超ハード鍛錬コースで気が狂うことも無かった。


 あれから数ヶ月間、過酷な訓練を根気よく続けたおかげでいつものトレーニングメニューも軽々とこなせるようになってきた。


 だが、どれだけ修行を続けようと師匠はそトレーニングの内容を変えようとしない。だから俺は、いつもの特訓メニューに追加して自主練習を始めた。


 状況に合わせたイメージトレーニングだ。この世界に来てスキルを得た時と同じイメージで、内容は双剣を振り回すだけだが。


「……あのさあ」


 煮え切らない思いを胸に、焚き火をしている師匠の元へゆくと軍手は差し出され。


「なんだ、お前も焼き芋食べるか……?」


 夏のオーロラに照らされた草原で、師匠はいつものように伸び伸びとしている。


「何でいつまでたっても”技”ってのを教えてくれないんだ、もう十分強くなったじゃないか。こんな事してる場合かよ……」


 やっぱり、師匠の俺を見る目は変わる余地がなかった。


「嫌ならさっさと帰ってしまえばいい、帰路は用意しておくぞ。それで、お前の意志はそんなものなのか……?」


 何でなんだよ、何であなたはいつもそうやって俺を戦いから遠ざけようとする。


「本当にこのままでいいのかよ、今の俺に何か足りないんだったら早く言ってくれよ!」


 俺には世界を救うという使命があるのに、こんな事しているうちにまた誰かが苦しむかもしれないのに。


「……なんだ、まだ全然分かってないじゃないか。そりゃあ、技の伝授はお預けよ」


「(その言葉が出るうちはまだまだじゃ、自分自身が本当にそれでいいと本心から思えた時が、ようやく始まりなんだよ。)」


 それからはまたいつものサイクルの繰り返し。とにかく動きまくって、瞑想めいそうして、素振りして、食いまくる。


 これ以上発展の見込みも無い修練に異議を唱えて、師匠に頼み込む毎日。


「まだですか……!!」


 その度に恒例のガン無視を食らい、あやさんの料理になぐさめられる毎日だ。


「今日もですか……!!」


 何ヶ月経っても状況が進展しない。よく食って、よく寝て、素振りをするだけ、それに何の意味があるというんだ。

 

 今なら何かが出来る気がするのに、抑圧されて何もさせてもらえないこの状況は、なんだかとてもむずがゆくてもどかしい。


「今のままじゃ駄目なのか、じゃあもっと頑張らないと……!」


 四季がめぐる。巡って過ぎ去る、今日も布団から起き上がり、ルーティン化した修行をこなし、師匠に問いかける。


 すると師匠の口は、久々に開かれた。


「——やっぱりお前に教えるにはまだ早い、そんなに知りたいのならまずはゆっくり風景を噛みしめてみろ、しっかり水面を踏みしめろ、ちゃんと自分自身を愛せるようになれ」


 分からないよ師匠、俺には何が何だかさっぱりだ。この言葉の意味を理解するのは、また随分ずいぶんと先の話になってしまうのだろうか。


 ——日々交錯し続けた、何が足りていないのかと常に自身に問いかけた。


 眠れぬ夜、湖の中、水面の上、浮かんで仰向あおむけに、ゆらゆらと揺れて流される。

 

「……そんな所でどうしたんですか、眠れないんですか?」


 あやさんも起きていたのか、勝手に家を出ていったから怒りに来たのかな。


「いつも思うんだ、俺はここで何してんだろうって。この広大な世界から見たら、こんなにもちっぽけで無力な自分は、世界にとってどんな影響を与える存在なんだろうって」


「こんなにも頑張ってるのに、本当のピンチになったらそれまでで。自分が思ってるほど自分に力はなくて。ひとりの人間がどれだけ頑張った所で所詮しょせんは非力で……」


 疲れ切った体を脱力、口をポカンと開けながらぼんやりとつぶやいて。


「今だってなんか、頭の中でずっとぐるぐる考えてるけど。こんな風に考えるのだって何の意味もないんじゃないかってね」


 水に寝転びながら見上げるオーロラの空、結界にはみ渡る晴天の星空がつぶつぶとコーティングされている。


(おかしいな。何でこんな意味のわかんない事、口にしたんだろ……?)


 ——でもこの人生に奇想天外な展開は、降り注ぎ続ける。それが定められた運命で、どうやら逃げ場もないようだ。


 その瞬間、月明かりは分厚い影に覆われる。何かと思い空を見上げると、すぐ目の前には風に吹かれる桃色の長髪が。


 何を思ってかあやさんは湖にダイブしたんだ、それも物凄い勢いで。飛び込んだ衝撃で俺もバランスを崩し転倒してしまった。


 びっくりして水上に浮き上がると、湖の水は雨のようにザバーッと降り注ぐ。こんな真夜中だというのに、そこには満面の笑みを浮かべたあやさんがいて。


「……ええと、私もたまには水浴びしよっかなって。うん、丁度今日は景観もいいし!」


 水浸みずびたしになった綾さんは月明かりに反射して、キラキラと輝いて見えた。驚きを隠せずあわあわしていると、綾さんは。


「私もときどき思うことがあります……この内包結界の外側の人たちは今頃、何をしているんだろうって……!」


「私たちの見ていない所で、今も誰かが争い合ってて、誰かが苦しんでて、誰かが悲しんでいるのかもしれないって」


「そもそも今、私たちが見えている世界はわずか一部分にすぎなくて、世界はもっと私たちには想像もつかないくらい広がっていて、どれだけ思いをせた所でどうにもならないんじゃないかって……」


「でもさ、そんなこと考えてるうちに気づいてしまったんですよ。私は今、幸せですよ……って胸を張って言えることがね!」


 この一言に俺は一瞬ドキッとしてしまった、いやギクリの方が正解か。


「辛い事も悲しい事も過去にはあったけど、今はなに不自由なく岳さんと一緒に暮らせて。それに今はそら君もいますし……!」


 よく分からないけど、その言葉には、何か強い意味が込められている気がした。


「考たってしょうがないならさ、楽しんだもの勝ちじゃない? だって、もし苦しんでる人を見かけた時、幸せを分け与えてあげられるんだから……!」


 他人の幸せを思い、自分で幸せになる、俺はそんな綾さんの考え方が結構好きだ。


 そうだ、向き合い方しだいで生き方なんてものはいくらでも変えられる、三百六十度、可能性は無限大に広がっている。


 あやさんは、過去や想像もつかない未来のことなんか考えずに、今この時を幸せに生きようとしている。


 ——そうか俺も、未来ばかり追い求めてちゃいけないんだ。


 夢とか未来ばかりに囚われていると、今いる現在地点がぼやけて見えなくなってしまう。足場は、ちゃんと見ないと歩けない。


(もしかして、師匠が言いたいことは、こういうことなんじゃ……!)


 なぜか、今になって涙が込み上げてきた。その事に気づいた時、光のつぶつぶだった空には満点の星空が広がって見えた。

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