第36話 レギオン乱戦⑧暗黒の解放

『ダメっ………!!』


 意識は飛んだ、記憶は混同した、心の中からまた一つ何かがポトリとこぼれ落ちた。


 禍々まがまがしくどす黒い暗黒の衝慟の開放、この体を中心に暗黒の台風は巻き起こる。


 吹き荒れる衝撃波はショッピングモールの全てのガラスを割り、柱をへし折り、気づいた時にはもう建物は崩壊して、地面にはクレーターの大穴がぽっかりと空いていた。


 暴れ狂う狂人の影。見えるのは炎のうずと人の死体、げんがぷつりぷつりと切れていくような音が聞こえる。


「先に仕掛けてきたのはお前らなんだから、文句無いよね」


 おびえの悲鳴は響き渡る。見下ろす飛竜使いドラゴンテイマーの首は今、ぎっしり握られた。


「何なんだっ、何なんだよお前っ……!?」

 

 背中からぐにゃりと生えた暗黒の翼は口からぐしゃりと貫通し、九十五レベルのリーダーは串刺しとなった。


「もういい、お前は喋るな……さて、次に殺されるのはだーれだ?」


 体をむしばんでいく闇の煙気。強い怒りの感情、腹の奥底から煮えたぎっているいきどおりが今、全て吐き出されるように。


「ああ、一番近いやつから殺ってくからな。何いまさら逃げようとしてんの、さっきまでそっちが追っかけてきてたじゃん……?」


 武器を蹴り落とし地面に顔を叩きつける殴打、拳骨、衝突。


「やっぱりやーめた、いちばん生きのいいやつからにしよーっと!!」


 憤怒ふんどの、憤慨ふんがいの、激昂げきれいの、憤激の、激怒の、逆上の。


『さあ怒れ、もっともっと怒り狂え!!』


(いや、こんなの俺じゃない。そこに誰がいるんだ……!?)


「そこ、早くどいたほうがいいよ……ってああごめんもう殺しちゃったか」


 そうだ、邪魔をする奴は全員死ねばいい。そうすれば全部解決するじゃないか。狩りつくせ、この眼に見えるものは全て敵だ。


「……逃げられると思った?」


 誰の声も聞こえてこない、撃たれても刺されても進むだけ。壊して壊して壊し尽くすまで、止まることのない暴走兵器。


 どれだけ殴っても何も感じない無神経、心がどんどんもろくなってポロポロとがれ落ちていく。


 体幹がぐらぐらと傾いて、首をりに飛び回る。身体の中に強力なバネでも入っているかのようなスキップまがいの千鳥足。


 精神の中でうずくまっていた暗闇の煙霧は、だだ漏れ状態。精神がすっぽり持っていかれたような脱力感、ひんまがった首はボキボキと鳴る。


「人間はもろすぎて簡単に壊れてしまう。喉を潰されれば息が出来なくなるし」


「足を切り落とせば動けなくなる」


「心臓を打ち抜けば死ぬし」


「脳みそをくり抜いても死ぬ」


「強い振動を与えれば脳震盪のうしんとうをおこす」


 狂気。これらの理論は言うまでもなく、全てが今この手によって実証されていく。


もろい、脆すぎる……もっとだ、もっと足掻けよ、もっと足掻いてみろよ!!」


 花瓶かびんのように割ってしまえ、そうすれば血液が床に飛び散ってべちゃべちゃになる。


 全て壊してやりたい、気に入らないものをすべてこの手で。


「みんな、俺が殺してやるから待っていろ」


 冷酷に、辛辣しんらつに、冷淡な殺戮さつりく。残虐に、残忍に、残酷な虐殺。


 心臓には一万度の黒炎がぐちゃぐちゃと、次第に腹を埋め尽くし喉から肺を圧迫してゆき、目の奥がぐつぐつと痛む。


 抑えきれなくなったら最後、砂時計が一周期を迎える。


 ——忘却の彼方。


 消えることのない炎を地上にふりく厄災、大切なものがかすれて消えていく感覚。自我という概念の喪失。精神の白紙状態へ、自分がまっさらで何者でもなくなっていく。


 咆哮ほうこうの、怒号の、叫喚きょうかんの、制裁の、懲戒の、断罪の、よろこびの、狂喜の、恍惚こうこつの。


「ああ楽しい、楽しいッ!! 人をぶちぶちにすり潰すときのこの感触ッ……!! もっとだ、足りない。もっともっともっともっともっともっともっと……!!」


「——駄目だよ、そら君……」


「え……?」


 気がついた時には、この腕が夏の腹をつき刺していた。


「そんな……怖い顔しないで……!」


 口からは血が噴き出して止まらない、夏の意識はもう失いかけていた。


「嘘だろ……なんでっ、なんで俺はこんな事を……!!」


 吹き矢の毒で夏の顔は青白く変色していて、体には竜のうろこが食い込んで蜂の巣のようになっていた。


「どうせ私はもう……助からなかった……」


「嫌だ……やめてくれっ!!」


 夏の腕は段々と力を失っていく、夏の目からは涙が流れていた。


「だから…これは蒼君のせいじゃ…ないよ……だからさ、早くいつもの優しいそら君に戻ってよ……」


 必死に夏を抱きしめて叫ぶ。空笑いする夏、目の中の光は消えていく。


「嘘だっ、俺のせいで夏はっ……!! 駄目だ、死なないでくれっ。夏っ、夏っ、夏……なあ、なあって、お願いだから……!!」


 涙がぶわっと溢れ出して止まらない、鼻水がのどを塞いで息ができない。


「すき…で……す」


 すると夏の手のひらは俺の顔を包んだ。その手は冷たいのに、なぜか温かかった。


「好きだっ、俺も夏のことが好きだから、だから……!!」


 最後に、俺の首には青色のマフラーがくるりと巻かれた。


 それから、春風夏はるかぜなつが息を吹き返すことはもう二度となかった。

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