第33話 夢駆け作者、起きる / 主人公、貴公子と話す
ミドリ、起きなさい。そんな言葉にミドリは緩やかに目を見開いた。
そこにいるのは同僚である。時計は昼休みが終わる時間の五分前を指していた。あぁ、なんだ、夢か。ミドリはそう思いながら起こしてくれた同僚にお礼を告げた。なんだやっぱり、全部ただの夢だったのだ。もう少し夢の続きを見ていたかったような気もする。ミドリはもう一度目を伏せてみたが、眠気は一向に襲ってこなかった。
ミドリは休憩室も兼ねたロッカー室の扉をあげて、そのまま階段を上る。不意に背後からミドリ、と呼びかけられた言葉に振り返れる。しかしそこには誰もいない。先を歩く同僚が「ミドリ?」と不思議そうに彼女の名前を呼んだ。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもな――」
――ミドリ!!
ひと際おおきな声が聞こえた時だ。がくん、と、ミドリはバランスを崩す。階段につまずいたミドリは前向きに倒れていく。衝撃に備えてミドリは目をぎゅっと伏せた。
しかしながらいつになっても襲ってこない衝撃にミドリは恐る恐る目を開く。
視界の先に広がったのは職場の無機質な階段ではなく、ふかふかのベッドだった。となりですやすやと眠っているのはリョータだろうか。
「あー、やっとおきた! もー、ねちゃだめって言ったのに」
ムッとしながらハルはミドリをみる。まるで小さな子供がぽこぽこと怒っている姿に似ている。それをぼんやりしてみていれば、ハルがむぎゅっとミドリの頬をつねった。
「痛い……なんだ、あっちが夢か。いや、でも、うん?」
「夢見てる暇はないんだからねー! ミドリは狙われてるっていう自覚持って」
「そんな馬鹿な」
ミドリは苦笑いしながらゆっくりと起き上がる。頭がぼんやりする。
「私みたいなのを狙って何になるの?」
「あのねぇ、ミドリ、実は戸籍も国籍もないでしょ」
ハルの言葉にミドリは固まる。それはケイマしか知らないことのはずである。ケイマが漏らしたのか。ミドリは目をパチリと瞬く。その言葉を聞いて、隣で眠っていたリョウタは飛び起きた。
「えっ、ミドリちゃん国籍も何にもないの? どういうこと?」
「真っ先に寝たふりしてたリョータは黙っててー!」
ハルの言葉に、リョータは「いや俺も寝てたんだけど」となんとも言えない顔をした。ハルはそれを無視して口を開く。
「あのねぇ、ミドリ、国籍も何にもないってことはねぇ、何しても証明されないけれど、何されても証明できないんだよ」
ずいっとハルはミドリに顔を近づける。
「分解されて臓器を売られても、行方不明になっても、わかんないんだからね!」
「あぁ……なるほど、被害がわかんないからか……」
「危機感がない!」
ハルはそう言ってミドリの頬をもう一度引っ張った。ミドリは半分寝ているのがされるがままである。
「表情豊かだなぁ」とミドリがぼやけば、いい加減にしなさいとハルが怒って見せたが。
「おかしい、ミドリから返事がない」
ケイマはそっと耳元に手を当てる。廊下を歩いている最中だ。先を進む三人を見送りながらコウヘイはケイマを見下ろした。
「いつからだ?」
「最上階に来る前までは通じてた。いや、通信はできてるけど、応答がない」
「取り込み中か?」
「いや……雑音だけがはいる」
ケイマの言葉にコウヘイはスマホを取り出した。そして眉間に皺を寄せた。
「何かあったらしい」
ケイマはその言葉に珍しく眉間にシワを寄せた。どういうことだ? と尋ねた言葉は日本語ではなくイギリス英語である。
ケイマはたまにこういう節がある、というのはコウヘイが思うことである。ただの学生同士の友人、もしくは友人ごっこの時は見せることは決してなかったが、怪盗として仲間になってからは偶に日本に浸透しているだろうアメリカ英語ではなくイギリス英語の発音になるのだ。コウヘイはポケットからスマホを取り出すとメッセージアプリを起動した。
「ハルには何かあればメッセージを送れと言ってある。メッセージのスタンプが来た」
「はぁ? スタンプ?」
「あくまで俺たちのやりとりの問題ではあるが、通常のメッセージのやりとりで使わないと決めているものが幾つかある」
ケイマはコウヘイのスマホ画面を覗き込む。ひよこが網に捕まっている様はどうも和やかに見えて緊急事態にはみえそうもない。
「普段は俺からしか発信しないものだが、今回は向こうから来た。どうやら捕まっているか包囲されているらしい」
コウヘイはそう言ってスマホをポケットに滑り込ませる。ケイマは少し眉間にシワをよせてコウヘイを見上げた。
「ミドリにワザとハルをつけたのか?」
「あぁ。お前が思っているよりもミドリは俺たち側の世界の人間には都合がいい存在だからな」
「都合が良い?」
「惚けるな。お前の相棒は国籍も戸籍もない人間だろう」
コウヘイはそう言ってケイマを見下ろした。ケイマは眉間にしわを寄せてコウヘイを見上げる。
「断定かよ。調べたのか?」
「ミドリに会ったその日にな。お前が下手をしたわけじゃない。だが、情報屋を使えば人の出生程度の情報なんざすぐ調べがつくが、アイツにはそれがなかった。シークレットサービスに登録されているわけでもない。改ざんされているわけでもない」
「……」
「情報屋が出した結論が、『存在証明がない人間』だ」
「存在証明がない人間、それも子供なんて売買されるのが落ちだ」
眉間にシワをよせたコウヘイに、ケイマは同じく眉間にシワを寄せた。
「それでどこにいるかわかんのか?」
「いや、GPsを切られている。場所はわからない。ただ、アイツでさえもお手上げな状態とはわかる」
両手をあげたコウヘイにケイマはため息をついた。
「環先生、悪い、俺の友人三人が行方不明になった」
どうかした? と振り返った環に、ケイマはおちゃらけたようにそう告げた。サキは「えっ!」と声を上げる。
「ミドリさん達がですか!」
「展示室にいたはずなんだけど、連絡が取れなくなったからちょっと探すわ」
「何かあてはあるのかな?」
環の問いかけにケイマは一人だけなと不敵に笑ってみせる。地下の通路のことも気になるのだけれど、と前置きを置いて、ケイマは腰に手を当てて口を開く。日本語でも英語でもなく、フランス語である。
「名探偵、ちょっとだけ色々目を瞑って欲しいんだけど」
「おや、語学が堪能な学生さんだ。英語だけでなくフランス語もですか」
「まぁね、色々あるんだよ。俺たちには」
ケイマの言葉に環は目を瞬いた。そして口元に浮かべた笑みを手帳で隠した。
「それはそれは。では、なにの目を瞑れと」
「地下にある通路の先に恐らくミドリ達がいる」
「ふむ?」
「俺たちが犯罪紛いのことをしてもある程度目を瞑ってほしい」
両手を上げてそう告げたケイマに、環は目を輝かせた。ほう! とワクワクしたように声を上げた彼女は、にっこりと笑みを浮かべる。手帳で口元が隠れているため、ケイマからは表情はよく見えないが。
「私は警察ではありませんしね、いいですよ」
「それはありがたい」
「しかし、なにをする気ですか?」
「一人、重要参考人を連れてくる。15分ぐらい時間をつぶしてから地下に来て欲しい」
その言葉に環は「いいでしょう」と頷いて見せた。
「では、15分後に」
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