白妖精

「オシラ。あたしに話しかけるなら二度と口がきけなくなる覚悟を決めて」

 講義開始前、新しい生徒としての自己紹介でこんなことを言うものだから、男子生徒も女子生徒もまるで猛獣を見るかのような目で、可憐かつ優美な容姿をしているオシラを見ていた。

 ───朝、私が制服への着替えや洗面等の支度を完了後、オシラの部屋に向かった時のことから、少しずつ振り返っていこう。

昨日は夕食時になって迎えに行っても「うるさい」と遮断され簡単な食事を部屋の前におくこととなり、その結果食堂で再開できなかったアンスズが文句を私にぶつけてきたことを思い出していれば、食事の乗ったトレイは空になって部屋の外にあることを目視。一応食事は取ってくれたのだと安心してドアをノックして、相変わらずむっすりしたオシラが「誰」など辛辣な悪態をついて出てきたのだが、驚くことに、昨日の姿のままだった。シャワールームは自室にあるからさすがにシャワーは浴びたと思うが、あまりにも変化が見られなかったから一瞬、彼女だけ時が進んでいないのでは、と錯覚した。

 朝食に連れていく前に制服に着替えてもらおうとすればボタンの留め方やスラックスの履き方がわからないようで、彼女は今までワンピースしか着てこなかったのだろうかと考えた。教えればすぐできるようになっていたから決して不器用ではないのだが、そこが気になって聞いてみても「こんなの着たことないからに決まっているのがわからないの?」と私の予想と変わりない答えしか返ってこなかった。

昨日指示された通りに管理室に行く途中、アンスズと出くわし行動を共にすることとなったが、怒涛の質問に対しオシラは相手を眼中にすら入れずずかずかと突き進んでいった。彼女があまりにも真っすぐ一度行っただけの管理室に向かうのだから、先ほどの悪態を除けば記憶力の優れた子のように感じるのは気のせいだろうか。

 それは一度おいておき、管理室で何を説明されるのかと身構えて行けば、あっけらかんと「制服ぴったりで良かったー。あ、今日から三年生のところで講義受けてもらうことになったよ。あの合金の子」と言われてしまった。変なあだ名をつけられているのは、おそらく本人が名乗ろうとしなかった弊害だろう。怪我もせず落ちてきた少女にはある意味的を射ている。オシラは私やアンスズと同じ調子で噛みつこうとしていたが、教師陣に敵を作るといいことはないのをわかっている私は必死に止めた。

 続いて寮からそう離れていない学園。天空都市の半分を占める学園敷地は見上げても一番上がよく見えないほど背の高い木々による森で囲まれ、簡単に外には出られない監獄のような場所。入っても決して敷地外に出られない魔法でもあるのか、新年祝いのために実家への帰省が許される時以外出ることは不可能なのだから監獄と言って過言ではない。

 敷地内には天空都市の南方にある、黄金に輝く王城にも引けを取らないほど立派な造りで尖塔が四つ突き出る白亜の学園、あとは二百人が余裕でおさまる寮と競技場のみ。

 一年から四年まで学年を分けられて四年間通うことが義務付けられ、卒業後は館勤務となるが、まあここらへんはいい。基本的に卒業後のことは後回しにしており、そろそろ考えなければいけない三年生になった私は学園内に入る。

 天井が高い回廊を少し進めば広い円形のホールに着いて、左側にまた回廊があるが今は必要ない。今は等間隔にたたずむ〝Ⅰ〟〝Ⅱ〟〝Ⅲ〟〝Ⅳ〟〝Ⅴ〟と番号が浮かび上がる、意匠は控えめなものの黒と白と青の色が際立つ門だ。この門には魔法が刻まれていて、ⅠからⅣまでは学年ごとに使用すると決まっている講義室や実習室、Ⅴはその他の職員室、食堂、図書館、救護室、といった施設へ繋がっており、通る者の思い浮かべた場所へと導く。一応触れている物や人も同じ場へと行ける仕組みにはなっているが、何か物でも運んでいない限り誰かに触れたまま共にくぐるなんてことはない。

 私たちは三年だから〝Ⅲ〟の門を講義室に繋がるよう思い浮かべながらくぐる。もちろんオシラにこのことを説明してから。門をくぐったら三年の講義室に繋がる回廊に繋がった。ちなみに出る時は頭空っぽでも自動で円形ホールに繋がるようになっている。

 回廊の奥へ進めば講義室の入り口となる扉が見えた。こうして見ると学園内はかなり面倒な構造をしているなと思いつつ、扉を押して中に入った。

 ……さて、回想はようやく終わり、今に至るわけだが。

 講義室に入ったオシラを見るなりざわつくが、あのような自己紹介をしたせいで彼女は一目置かれるどころか、二目三目と置かれている。もちろん息を飲むほど綺麗な容姿だから、気になってチラチラ見ている人は多くいる。一番後ろの席から見ていた私はそんな好奇心と恐れが混じった生徒たちの姿を一望している。今回は私の一つ前に座っているアンスズはからっと笑っていた。

「物言いきっついな~」

「……とか言いながら笑うものじゃないよ」

「いや、だって彼女面白くてね。カノと違って」

「アンスズに面白がられても困る」

それはおそらく、オシラもだけど。これは確信に近いが想像で語られるのは気分でいいものではないだろうし、口にはしない。

 周りの目をまったく気にする素振りを見せないオシラは教壇から近いからという理由で座っただろう、前から三番目の空いていた席に姿勢良くしている。

 やがて講義が始まる。今日はまた昨年度の復習だ。またノートは真っ白のまま終わるのだろうと思ったが、前方にいる純白の髪の毛は目立っていて私の席からちょうど視界に入っているから観察にちょうどよかった。アンスズに「オシラのこと見すぎだろ」と茶化されたが、それはアンスズも同じなのだから人の事を言えない。見すぎだよ。

「魔法とはかつて神が人間に伝え、教えたものであり、その魔法を使うには神樹と呼ばれる〝トネリコ〟〝エルム〟〝キャラ〟いずれかの樹木から出でる物が必要となります。そしてどの樹木か決める選定の儀を執り行い、選定された神樹の枝からはペンを作り、樹木の各位置から染色液を抽出。……ここまではよろしいですね」

 一度言葉を区切ってから、先生はオシラに眼鏡の奥で静かに光る眼をオシラに向ける。

「オシラさん。魔法を使うのに必要なものがペンと染色液以外、まだあります。何かわかりますか」

「知らない。なにそれ」

 話を聞いていないのか、オシラはあっけらかんと言い切っている。喧嘩腰にならないだけだいぶマシだが聞いているこちらの空気は一瞬で凍り付くのだ、少しだけでいいから気を使ってほしい。先生はこめかみをひくつかせるものの、嘆息することなくこちらに目が向いた。いや、正確には私の一つ前に座っているアンスズに。

「……昨日答えたアンスズさん、どうぞ」

「また私? えーと、必要なのは紋、そして魔力。紋には種類があって〈知識〉〈航海〉〈癒術〉〈退魔〉〈盾〉〈敵対〉〈解放〉〈矢止〉〈守護〉の九つ。これらの紋を四年かけてこの学園で学ぶ……ですよね? センセイ」

「そうです。……オシラさん、わかりましたか?」

「紋は知っている」

 当然のようにオシラは淡々と返す。聞き捨てならない、と言うのをぐっとこらえた結果なのか、先生の片眉が持ち上がる。

「それは刻めるという意味で? 意味を理解し、書くことができる……」

「そうだって言っている」

「では魔法はどのような手順か答えられますか?」

「知らない。何度も同じことを言わせないで」

 教師に対する態度ではなさすぎる、隣に座っていたら肘で小突いてしまうほど失礼だ。答えるのが面倒だから適当に返すにも限度があるのだけど……など、さっきから私ばかり胃を痛ませている。当の本人が何も気にしていないからこそ気になってしまうのかもしれない。

「……シエニさん」

 そして先生は疲れた顔でオシラの斜め後ろに座っていた生徒に質問を投げる。それ、昨日私答えたなと頬杖を突く。突然投げられた方は若干焦った様子で、昨日私が答えたことと変わりないことを簡潔に答えていた。

 あえて細かく説明するならば。石、木片みたいな硬いものから布みたいな柔らかくて薄いもの、なんでもいいが、物質へ魔力を込めて紋を刻む、刻印の工程。なおこれは紋それぞれの意味を理解しなければ効力を発揮しないから学習は必須。次に、各紋には該当する色が存在している。人差し指と親指でつまめる大きさの小瓶に入れて持ち歩いているから、その中に入っている染色液をペン先につけて染色の工程。最後に紋へ魔力を回して魔法が発動する施行の工程。以上の三つがある。脳内に羅列していく魔法の基礎を確認していく。

「ふーん……」

 そんな中、オシラは興味があるのか、ないのかどっちともつかないような声を漏らしていたのを耳にした。


 ───驚くべきことに、オシラは本当に魔法を何も知らなくて、それなのに紋は全て覚えている不思議な少女だった。魔法とは生まれた瞬間から側にあるものだから、紋然り、魔法然り、学園で教わる前からなんとなくやり方は理解しているはずなのだが。

 教師生徒、誰もがベルトに固定する革ポーチの中からペン、染色液を取り出し、生徒たちに平たい石を配られていざ実践となって何も準備をせず、むすっとしたオシラを見て本当に知らないのだと判明。先生は一年生に教えるようにして丁寧に指導していた。ただ、なぜかペンと染色液を持っていないため紋についてどこまで知っているのか確認をしていた。選定の儀自体は入学前に終えるものだから、どこからか来たのかわからないオシラにはまあ当然と言えば当然だろう。この落ちてきた少女はどこから来たのか……と考えてもわからないのだから、ひとまず放置。

 まず、一般的に魔法と紋は共に覚えていくものだ。紋の種類は確かに九つだが、掛け合わせて使う魔法もあるから実際覚えていく種類は多いのだ。しかし、オシラはそれを全て覚えていて、意味も理解している。本か何かで覚えたのだろうか。だとしたら魔法の使い方がわからないのは余計に意味が分からず、疑問は尽きない。教師は途中で思考放棄して「まあ、いいでしょう」なんて言っていた。それでいいのか。

 そして講義が終わり、次は魔法文字の講義……要するに紋の学習なのだが、オシラはこれが完璧だということがわかっているからペンや染色液を手に入れるために選定の儀を執り行うこととなった。教師と共に神樹選定の間に向かって行く背中を見送った。選定の儀自体はきっとすぐ終わるのだが、そこから削ったり小瓶に詰めたりとする作業がある。帰ってくるのは授業終わりだろう。懸念点はまだあって、彼女の性質からして話しかけられれば誰彼構わず噛みつくと容易に想像できることだ。教師陣に敵を作る意義がないため、さくっと、何事もなく、終わりますようにと祈っていたらあっという間に講義が終わる。それとほぼ同時にオシラは帰ってきて、私は思わず駆け寄った。

「オシラ、迷惑かけてないか?」

「話しかけるな赤毛、口を裂くぞ」

「カノだよ。じゃあ何の神樹だったか、これくらいの雑談はいい?」

「…………トネリコとかいうもの。もう近寄るな、赤毛」

 鬱陶しそうな表情でうんざりされるし、会話は相変わらずそっけないし名前も覚える気配がない。しかし、返答がくるようになった。しつこく話しかけてくるから呆れているだけなのはわかっているが、それがなんとも嬉しくてつい顔がゆるく綻ぶ。

「ニヤニヤするな。顔の皮を剥がれたいの」

「ごめん」

「カノが笑っているなんて珍しいじゃないか。いつもつまらなさそうにしているのに」

 嬉しさをこらえきれずにいるとアンスズが私以上にニヤリと笑いながら近寄ってきたため、つい真顔になる。それを見たアンスズの笑みは深まった。珍しく面白い反応じゃないか、と言っているような顔だ。

「ほらね、オシラ以外にはこんな感じなんだよ」

「知るか」

 冷たく言い放つと講義室を出ようとするから、私は慌てて追いかける。彼女にはまだ食堂に案内していないから連れて行かなければいけない。それにアンスズもついてくるが気にはしなかった。

「近寄るなと言ったよね」

「案内を頼まれたんだ。先生からの依頼だし、どうかその手伝いをしてくれないかな」

「そうそう。昼食の時間だしちょうどいいじゃないか。それに次は飛行訓練だから何か腹に入れないときついぞ?」

「……」

 私とアンスズ、二人の圧が面倒に感じたのだろう。妥協でついていくことを選んでくれた。食堂へ行くにはまず円形ホールに行って、Ⅴの門をくぐる必要がある。とりあえずそこまでさくっと進み、門をくぐれば食堂に到着。昼食の時間のため大勢の生徒でにぎわっていた。二百人にも満たない生徒数以上に席数があるため座れないなどということはない。ちょうど注文を終えて昼食を受け取り席のある方へはけた生徒がいて、壁際一面に伸びるカウンターの内側にいる食堂の人にすぐ声を掛けられた。

今日のメニューとして渡されたのはスモーブロー、パンの上に様々な具材を乗せている食べ物なのだが、今回は白パンにクリームチーズを塗って、その上にスモークサーモンと小エビが横たわり、薄切りレモンと生のディルが飾り付けられていた。

 しかしオシラはサイドメニューの野菜のポタージュのみ注文していた。小食なのだろうか。アンスズが「美味しいから食べてみな」と一口差し出しても視線こそ寄こさなかったが眉間にシワを寄せて拒否の姿勢を貫いていたし、そういうことなのだと思う。夜しか食べない人も珍しくない。

 手早く昼食を終えて食堂にある門をくぐれば円形ホールにまた出る。

「次は飛行訓練だったかね~。じゃあこのまま行くか」

「そうだね。オシラ、行こう」

「……指図するな……」

 不機嫌な顔をされるが、説明もなしに学園を歩くことは不可能だ。ここは我慢してもらうしかない。

 回廊円形ホールには出入口への回廊の他にもう一本回廊があるのだが、そこから競技場へ繋がる道に出られる。どうやら三年の生徒たちは既にちらほらと集まっているようだ。作品名をつけたくなるほど綺麗に目を軽く閉じるオシラが気になっているが話しかける気は起きない同級生たちを横目に、時間になるまでの間軽い雑談のもありだろうと考えて彼女に声をかける。

「オシラ、そういえば染色液の付け方とかわかる? 小瓶に入っててコルクで蓋をしていると思うけど……」

 私がそう切り出せば長い睫毛で影を作りながら琥珀が現れた。変わらず眉間にシワが寄っていた。

「ペン先をコルクに突き刺せばいいことはもう教わっている。馬鹿にするな」

「そう。やっぱりオシラは物覚えがいいね」

「必要事項は記憶しているだけ」

「……ということは私の名前は必要事項じゃないってことか」

「容量の無駄。理解できたならもう話しかけるな」

「飛行訓練については何か教わった?」

「……これから」

「じゃあ困ったことがあったらいつでも聞いて」

「聞かない」

「見ているこっちが恥ずかしくなるほどかいがいしいね、カノ」

 抑揚などなく、滔々とした会話の中にアンスズが嘆息して滑り込む。あまりにも自然に紛れるものだから不快感はない。こうやって自然に混ざるのが得意なのだ。

「で、オシラ。私の名前はどうだい?」

「うるさい青毛」


 ───やがて飛行訓練担当の教師がやってきて講義が始まる。初めてということで手順を詳しく説明することから始まるが、飛行については至って簡単な手順だ。

 靴やローブに刻印・染色済みの紋が刻まれているため魔力を送るイメージ、刻まれている紋は〈航海〉だからその紋を思い浮かべて飛行訓練は行われる。今回は靴のみだから足元に魔力を集中させるだけで済む。そう、知識として取り込む分には簡単。あとは本人の運動能力にも関わることだから最後は己の肉体次第という、なんとも投げやりなもの。

 まあオシラなら平気そうだけども。なんとなくだが身体能力は凄まじいと思っている。なんせ落ちてきた少女なのだから。

「私はまあ得意だけど、カノは不得意だよな。昨日も落ちてたし」

「アンスズ、シッ。……オシラ、出来そう?」

「うるさい。今集中している。次話しかけたら歯を抜く」

「勘弁」

 普段あまり変わらない表情が真剣なものに変わっているから新鮮でつい凝視しているとオシラは毛虫でも見るような顔をするから、そっと視線を外した。

 私も魔力を回し、〈航海〉の紋を浮かべる。ふわりと宙に浮いてゆったりと移動する。地面からそれほど離れず浮いているが、今回は上方に注意しつつなんとか地面に着地。先生から『伝達カノ、完了だ』と伝達鳥(ムニン)がやってくる。どうやら離れたところからでもしっかり確認されていたらしい。あとは適当に時間を過ごしていいことになる。私の背丈分以上に高く飛行しているのが見えていたアンスズにも『伝達アンスズ、完了だ』と届いていたから無事終えたのだろう。

「……」

 なんとなく、いまだ無言で集中する彼女が気になり、アンスズがワクワクした顔で見ているのもあってつい視界の端で捉えていた。今は魔力を回しているのだろうか……と、落ち着かない様子で眺めていたが、杞憂に終わる。オシラは私よりも断然高く、そして舞うように宙を縦横無尽に動いていたのだ。

「へえ、センスあるな」

 アンスズは感心した口ぶりで高く舞うオシラを見上げている。センス、があるというより、宙に浮くこと自体に慣れているように見える。まあただの主観にすぎないから実際は本当にセンスがいいとか、運動能力が高いことが大きいのだろう。

「ね、見て。たっかいなー、本物の白妖精みたいじゃん」

「性格に難あり、のね」

「確かに」

 ふと、周りの生徒たちが小声で会話するのを耳にした。

 絵本に出てくる白妖精は、人間に似た形をしていて、美しくて、人々に優しく、慈愛に満ちた存在。優しいかどうかは置いておくとして、白妖精という肩書に負けない美貌を持つ彼女の能力は凄まじいものだ。

 圧倒的な身体能力、魔力。宙を舞うように飛行し、明らかに人ならざる力を持ったオシラは綺麗で、見ていて目も心も奪われる。その姿はやはり、白妖精と表現に値する。

 ふらり、ふわり。彼女が宙を揺蕩う───が、突如、落下した。昨日の私のように誰かと衝突したわけでもない。ただ、あの落ち方は魔力を回すのを止めたものと似ている。

「っオシラ!」

 体が動く。どう頑張ってもオシラは地面に体を打ち付ける方が先だったが、突っ立っていることなどできなかった。地面に横たわり、せっかくの美しい純白の髪、薄桃がかる陶器の肌、下ろし立ての制服全身が汚れている。遅れて近寄ってきたアンスズと共に横たわるオシラを起こそうとしたら、むくりと何事もなかった様子で上半身を起こす。

「おいおい大丈夫か?」

 私が呆けているとアンスズが地面に膝を着いてオシラの肩に手を置く、が。それをぱっと払いのけて睨みつけた。

「触るな」

「今回ばかりは私の質問に答えろ。大丈夫か、そう聞いている」

 悪態に対し、いつになくアンスズは真剣な眼差し……というより、まるで標的の首を狙う刺客のような雰囲気で、見開かれた黒い目をオシラに向けている。いつもの飄々とした彼女らしくなく、少しだけ身震いした。

「……おっと、怒っているつもりはないぞ? なんでオシラはけろっとしているのに、カノがそんな顔するんだ。私は魔力がちょっと豊かな善良一般市民だから怖くない怖くない」

 ぱっと花が咲いたような満面の笑みを浮かべるものの、さっきの目を見た後だとわざとらしさが拭いきれない。

 ……やっぱり、アンスズは苦手だ。何を考えているのかわからないのは自分以外全て他人である以上、誰もがそうだし当然なのだが、彼女は特に底知れなさ過ぎて恐ろしい。思わず自分の首を撫でる。まだ繋がっているからひとまず安心できる。ヘマをしなければ繋がったままでいられると、信じている。

 アンスズの言った通り、オシラはおびえた様子もなくいつも通り何も映さない琥珀の目を俯きがちにしていた。溜め息を吐いて「怪我をしているように見える?」と呟くように言うから、一応問いに答えてくれたようだ。

「……見えないな、うん。さすが合金オシラ」

「もう口を開くな、青毛」

「そこー! 大丈夫か……ってまた昨日落ちてきた子か! 君、もしかして昨日も飛行してて落ちたとかなのか? 怪我も昨日同様ないが……」

「せ、先生、オシラを寮に連れて行ってもいいですか?」

 教師に質問攻めにされてうんざりして表情がどんどん険しくなる彼女に助け舟を出す。余計なお世話だと言うような険しい顔を向けられたが。

「まあ、そうだな……オシラも飛行技術は申し分ないし、講義完了で。見たところ魔力調整が要訓練だな。じゃあカノ、よろしく頼む。今日の講義はこれで終わりだから荷物も持って寮に帰っていい」

「はい。オシラ、行こう」

「……はあ」

「先生~私もオシラたちについていきたい」

「アンスズはまだ完了していない生徒を見て指導の手伝いをしてくれ」

「……は~い」

 不服そうに口を尖らせる彼女を見て、いつも通りなことに安心してから競技場を離れる。オシラと共に一度学園内に入り、Ⅲの門をくぐってロッカーから荷物を持ってから学園の外に出る。

「あ、白妖精だ」

「本当だ。三年に舞い降りた白妖精」

 オシラを寮の連れていく際に通り過ぎる三年以外の生徒に白妖精と言われていた。見た目だけでもやはり多くの人は白妖精だと思っているんだな。それでも話しかける人がいなかったのは、明らかに汚れていて急ぎ足なことを汲み取ってくれているのだろう。なんとか寮のオシラの部屋の前まで辿り着く。

「シャワーの浴び方は大丈夫だと思うけど、その制服……」

「水、どこにあるのか知らない」

 私は制服の洗浄だけするつもりだったが、水のありかを知らないと言われて思わず目を見開いた。同時に、きちんと教えてあげられなかったことが申し訳なくなる。

「……もしかして昨日もシャワー浴びてない?」

「水浴びだろ、早くしろ」

「えっと、じゃあ私は室内に入れる許可をしてほしい。ドアノブの紋に魔力を流しながら」

「もうわかっていることを言う必要ない」

 慣れたように魔力を回し、室内に入るオシラに続き私も続けば弾かれることなく無事に入れた。朝は魔法について何もわかっていなかったオシラが、今は軽々とこなしている。物覚えはいいはずなのに、容量の無駄だと言って私の名前は一向に覚える気配がない。

 まあ、そうだよな。何も言い返せない。なんせ私の名前にも、存在意義も、価値はない。災厄しか呼ばないのだから、覚えたところでな。

 自嘲気味に笑えばオシラの片眉が持ち上がったように見えた。瞬きをした次の瞬間にはいつもの不機嫌な顔だったし、おそらく気のせいだろう。

「ほら、まず脱ごう。制服の汚れは私がやっておくから」

「……命令するな。下顎外すぞ」

 悪態をつきながらもオシラはベスト、スラックス、ワイシャツと脱いでいく。服を脱いだことであらわになるオシラの体はまさしく玉体と言うに等しい造形美だった。花のようにしなやかで華奢なのは脱ぐ前からもわかりきっていたことだが、脱ぐことでそれが顕著になった。なめらかな白い肌に傷一つなく、無駄な脂肪も一切なく、それでいて乳房の膨らみはしっかりあって女性らしい柔らかさがある。そこに艶めかしさはない、彫刻のような、芸術品に等しい姿がある。

 ───そう思うのも仕方ないだろう、なぜなら、乳房には本来あるはずの乳頭は見当たらず、胎児として生まれたならばあるはずのヘソもない。

女体をかたどった何者かであると、嫌でもわかった。

「……オシラ、君はやっぱり人間ではないよね」

 失礼のないよう、言葉を絞り出したつもりだった。結局失礼な言い方になったが、彼女は怒りも、悲しみもしない。「そう思うならそうなんじゃないの」そう言ってシャワー室に入った。シャワーヘッドは魔法の刻まれた道具である刻印具だということ、魔力を回して温度、水圧の調節ができることなど、使い方を説明してシャワー室は閉じられる。

 続いて私はオシラの制服に〈癒術〉の刻印、染色は金色。元通りになれ、という思いで魔力を回せば、淡く光を帯びて汚れの落ちた綺麗な状態の制服になる。やるべきことが終わって、息を吐く。

 ……何もわからない、わからないが、今はそのことについて考えたくなかった。

 シャワー室にいるオシラに向かって部屋に戻ることとタオルをサイドテーブルに置いたことを伝え、私はさっさと部屋に戻り、夕食の時間までベッドに横になった。

 思考放棄が最近増えたような気がする。頭の片隅に一瞬留まるこの考えは、またすぐに掻き消える。

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