リーヴ・モルゲンタウ

きよはる

唾が落ちる


 いつもと変りなく、目立たず、荒波立てず、つつがなく。それが私の人生の方針。

 天空都市、アース。西に位置する学園敷地内の校舎、三年生講義室にて。只今講義中だ。水の日は座学が多く、三年生になって初めの授業は基礎中の基礎しかやらないせいで余計に退屈。大事なことなのだから、仕方ないのはわかる。ただ、せっかく新しく用意したノートはまっさらなまま開かれているからもったいない。

春の午前、かつ快晴な天気は微睡みを呼び込みやすい。三年生三十二人、全生徒が余裕で収まる広々とした講義室内は女性教師の声が淡々と響く、子守歌かと思いかけるそれを、視界の端に居眠りをする生徒を映しながら聞いていた。教壇に向かって並列して並ぶ一番後ろの席。両腕は机に乗せて背を丸めた姿勢。いつも通りで安心している中。

「退屈だね、カノ」

 日常を壊す根源、アンスズが話しかけてくる。暗い青の髪をゆるく三つ編みにして一つにまとめている彼女はニコニコと笑顔なのに掴みどころなく、ぬるりと人の心の領域に踏み入ろうとする。私は彼女が苦手だ。自由席だというのに、なぜか必ず私の隣とか、一つ前にやってくる。今回は隣だった。固定されている座跳ね上げ式の椅子にもたれかかるようにしてそっと声をかけてくるアンスズに一瞥くれると、またすぐ前を見る。

「教室内の居眠り生徒を数えてみたら少しはその退屈が紛れると思うよ」

「もうやった。三年生徒三十二人中六人」

 合ってる。本当に数えたのか、彼女の性格からして適当に言ってたまたま合っているのか、定かではない。これ以上の会話は控えておきたいから私は口を噤む。

「カノさん」

 すると、私語をしたことを咎められるのかと勘違いするほどちょうどよい時に先生にあてられる。表情からするに咎めるとかではなく、単純に質問時間に入っただけだろう。

 正直助かるとは思ったが、居眠り生徒六人が見えないのか、先生。……まあ、いいか。色々思うところはあるが、私は「はい」と返事をする。

「カノさん。魔法発動に必要な文字は何と言いますか」

「紋」

「正解です。では、魔法発動のためにはその紋はどうしますか」

「何らかの物質へ刻印、染色。刻印は神(しん)樹(じゅ)の枝から作ったペン、染色は同じく神樹から抽出した液でなければいけない」

「完璧です。はい、次の項目へ移動しましょう。では、アンスズさん……」

 つつがなく、滞りなく。提示された文章を読み上げるかのように、淀みなく読み上げたことに対し多少の達成感を得る。次にあてられたアンスズが紋の種類を答えている最中、安堵の息を漏らす。

 突如、翼が勢いよく羽ばたく鳥が講義室内に入ってくる。どこかの野鳥が紛れ込んできたとは思えない。よって、考えられるのは離れた場所から音声を届けてくる、魔鳥、伝達鳥(ムニン)だ。魔力の塊なため、伝達相手に届くまで障害物全てを通り抜けられる応用魔法の一つ。

『伝達。《……ウィン先生! 競技場に侵入者が……!》』

 先生の肩付近で嘴をはくはくさせて鳴く伝達鳥(ムニン)から、まず抑揚のない中性的な音声、そして男性教師の声が聞こえてくる。教壇付近には魔法が刻まれているのもあり、拡声器のように声が広がる、というより生徒一人一人に声が届く、そういう魔法だ。一番後ろの席に座る私にももちろん届いた。確かこの先生は今、競技場で二年生の飛行訓練を担当しているはず……と、冷静になる中、他の生徒の不安をあおるには十分すぎたのか、一気に騒がしくなる。先生が伝達鳥(ムニン)に何か伝達しているがざわつく講義室では聞き取れず、そんな様子もあり居眠り生徒も一拍遅れて気づいて周りの人に聞いて同じようにざわつく。姿勢のいい人でも三人ほど反応が遅れていたから、随分とまあ上手に居眠りをしていたみたいだ。

「反応が遅れた生徒が三人はいたからそいつらも数えるべきだったな」

 隣でまだ居眠り生徒を観察していてアンスズの自由さは呆れを通り越して感心した。……自分も同じように観察していいたことを棚に上げて。

「皆さん、落ち着きなさい」

 伝達鳥(ムニン)に伝達が終わり、また飛び立ったのを見届けた先生は清涼感のある声を張った。講義室内に良く通り、一斉に静まる。

「今から様子を見てきます。すぐ戻ってくるので、勝手に出たりせず、自習してなさい」

 いいですね、と念押しする先生に対し、沈黙を返す生徒たち。その沈黙の中先生は素早く講義室を出て行った。ぴしゃりと教室のドアが閉まると同時に、また騒がしくなる講義室内。自習と言われて真面目に行う生徒は少数人だ。私は自習する派だが、大抵ぼけっとしながら紋の復習をするくらいで頭に入っているとは思えない。それでも何もしないよりはマシだと思い、席の横に置いた革作りの手提げ鞄から紋をまとめた紙を出そうとすれば、またもやアンスズが寄ってくる。

「で、カノ。見に行く?」

 彼女のニコリともニヤリともつけられる笑みを見ながら、私は溜め息を吐きかけた口を結ぶ。遠回しな競技場へ行こうよという誘い対し、答えは一つしかない。

「行かないよ」

「なんだ、つまらない」

「出るな、って言われているからね」

「反抗心はないの?」

「ないね。言われたことをこなしたいんだよ」

「……つまらないな」

 二回も言う必要はないだろ。そう思ったが、これ以上の会話は控える。それから私は先生が帰ってくるまでの十分間、紋の復習をしていたが、アンスズが話しかけてくるもので何も捗らなかった。いい迷惑である。

先生は競技場で何が起きたのか深くは説明しなかったが「問題はない」ということだけはわかった。


 午前の講義、そして昼休憩が終わり、午後の講義へと突入する。午後は問題が発生した競技場での飛行訓練。魔法を使って、空を飛ぶ。そんな簡単に説明できるものだが、運動神経が並程度の私には苦しいものだ。

 三年生にもなれば飛ぶことは余裕で出来るし、移動も出来る。ただそれが長く続かないから、やはりまだまだ訓練が必要だ。大丈夫、しっかり浮いて、横に移動する。それが出来れば及第点───。

「カノ、危ない!」

 ……やらかした。

 飛行訓練担当の先生の緊迫した声が響いた時には既に手遅れで、急落下してくる同級生に気づかず、悠長に横移動などしていた私は衝突。その衝撃で魔力を回すことを忘れて落下し、体を地面に打ち付けた。本日二回目の伝達鳥(ムニン)が羽ばたいていく様子を見届けた。魔力の集合体なため生物ではない、疲れないのもわかるが、申し訳なさが募る。程なくして救護室担当の癒術師がやってきて、少し様子を見られると。

「一応救護室に行きましょうか」

 当然、救護室行きだった。

 そして救護室に連れていかれ、〈癒術〉の魔法を刻まれるが、本当になんともない私には気分が良くなった気がする、というふんわりした感覚だけが残った。一息ついていると、がらりと救護室の戸が勢いよく開き、ぱりっとした制服に身を包んだ女生徒が中に入らず「せんせー!」と声を張り上げた。襟元にある、魔石つきリボンの色が黄色だから一年生だろう。

「一年講義室まで来て!」

「またあの問題児? まったく……カノさん、一応安静にしててね」

 こうして女生徒に癒術師の先生が連れていかれ、私は一人ぽつんと取り残される。静寂に耳を傾けるのも乙だが、さすがに暇だ。ぐるりと救護室内を見渡す。救護室は真っ白で清潔感のある空間だ。棚は回復薬が並ぶところ、魔法を刻む時に使う染色液が入った瓶が並ぶところときっちり分けられている。あとは机に椅子、奥の方には壁に頭が向くよう設置されたベッドが四つあって、それらの間にカーテンで仕切られ……。

「……ん?」

 ふと、一番奥のベッドのシーツが動いたのが見えた。窓が近くて、開けられているから風のせいかとも思ったが、いまだにもぞもぞと動いているあたり風ではなく先客だろう。

 起きたのかもしれない。一応、先生はいないということを伝えるべくそっと近寄る。お節介だとわかっていても親切心が勝った。

「今、先生いませんよ」

 声かけむなしく、聞こえなかったのか無言。ベッド間のカーテンは閉じられているだけで、足側のベッド柵が丸見えなのをいいことに覗き込む。

「先生、今いないので……」

 少し待った方がいいですよ。

 その言葉は、一瞬で引っ込んだ。そこには見覚えのない少女がいたのだが、紡ごうと思った言葉が霧散した。目が釘付けになるとは、このことなのだろう。今、初めて実感している。

 薄く桃がかった肌は陶器かと思うほどつるりとしていて、顔のライン、整った目鼻立ち、全てが彫刻じみた美しい均衡を保つ。何色にも染まっていない純白の髪は緩く波打ち、肩上で揃えられていると思ったが、後ろ髪のみ腰まで伸びていることに窓から吹く風で髪がなびいて気づいた。

 何より、目。琥珀のような深い黄色は透き通っていて、まさしく宝石のような無機質な美しさが、髪と同じ真っ白の睫毛によって縁取られている。凝視したまま硬直した私を目視した琥珀の美少女は、眉間にシワを寄せた。美しい人は眉間にシワが寄ってもその美しさが変わらないのだと知る。

「不躾にジロジロと……目玉をくり抜かれたいの?」

 目で射殺せるのでは、と錯覚するほどの眼光だった。しかし、額縁の向こう側にいる絵画と見間違うほどの琥珀の美少女にはアクセントにしかならない。

 ベッドの上で上半身だけ起こして下半身にシーツをかけたままの体勢だから、彼女の着ている真っ白な服が上だけ見えて、小顔を支える首の下にある鎖骨がくっきり見えるほど開かれた襟元、短い袖は肩口から袖口にかけてゆったりと広がり、ほっそりした腕が際立つ格好。これも相まって、余計に絵になる。いつもならあまり回らない口が二割増し回るほどだ。

「ご、ごめん。綺麗な人だな、と思って」

「ただの人間風情が生意気にもあたしを口説くの? 舌を引き抜かれたいの?」

 とっさに出てしまったものは口説き認定された。彼女の顔はどんどん険しくなり、何かを言えば物騒に返される。発言されたことが実行されていたら、今のところ私は目玉無し、舌無しだ。両方がちゃんと存在していることに感謝が浮かぶ。

「……君ってこの学園の生徒じゃないよね?」

「うるさいわね。喉を潰すわよ」

「……」

この数分で私、満身創痍。どうやら、これ以上は危険みたいだ。なんだかんだ相手を自分のペースに巻き込みやすいアンスズのように上手くいかないし、しつこく話しかけるのはやめた方がいい。

「……えと、じゃあね?」

 一応別れの挨拶はした。喉潰し発言の直後、即時に目を逸らされ、無言だったが。それが少しだけ寂しく感じる、と考えて、初対面の人からいきなり口説かれたのだ。私を口説くような人はいないが、もしいるのなら距離を置く。というか逃げる。あの子はなかなか肝が据わっているに違いない。

 ───結局、癒術師が帰ってくるまで私は大人しく棚にある瓶の数を数えていた。先ほどとは別の種類らしき〈癒術〉を刻まれながら「早く寮に帰りたい」などと考えていたら。

「そういえばカノさん、ベッドにいる子を寮にまで連れてってくれる?」

「……はい、わかりました」

 謝罪案件発生。ごめん、琥珀の美少女。私とは強制的に顔をまた合わせる。


 真っ白のふわりとスカートが広がるワンピースを着ているんだな。と思いつつベッドから立ち上がった、露骨に嫌そうな顔をする彼女を連れて救護室を出る。すると、まるで狙ってきたようなタイミングで廊下からアンスズがひょっこり顔を出した。

「カノ、遅かったね。今日の講義は全部終わっているから帰るだけだが……隣の美少女は? どこぞの美術館にある彫刻でも盗んできたのかと……」

 アンスズの軽口が飛び交う前に、思わず琥珀の美少女の前に立ちふさがるようにしてしまう。とっさの行動なのもあり自分が一番驚いているが、アンスズも珍しく目を見開いて、真っ黒の目を瞬かせていた。

「……カノ、もしやそこの美少女のナイト?」

「いや、」

「赤毛、どけ。背骨を折られたいの」

「……私が嫌われているのは、彼女のこの口ぶりからしてわかった?」

 彼女に言われるまま体をよければそのままアンスズと向かい合う。私の真横に立つと、そう身長が変わらないことがわかる。

「そうだな。さて、こんにちは、彫刻の如き美しさの君。私は」

「どけるのはお前もだ、青毛。その三つ編みを引き抜かれたいの」

 予想通り、というか、彼女はアンスズの口上を最後まで聞かず遮断した。ニコリと微笑んだままのアンスズは硬直している。寮への行き方など知らないはずなのに彼女は前へ前へ進もうとし、それを阻止するようにアンスズは綺麗に作られた笑みを浮かべて立ち塞がる。

「……ふ、ふふ、君、面白い子だね。ところで、見たところこの学園の生徒ではないね? まさか昼間の競技場の侵入者って君かな。なぜ教師陣が君を放置しているのかも気になる」

「……」

 琥珀の美少女は目すら合わせていない。本能が目を合わせたら最後自分という自分を絞り取られると察知しているのか。どちらにせよ英断。アンスズは更に火が付いたようだが。

「なぜ黙るんだい? そうだな、せめて名前だけでも教えていただきたい。呼び名がなければ彫刻のような美しさだしスカルプチャー、ベルンシュタイン……いやどちらも長いな、ヴァイス……うん、ヴァイスにしよう。しかし純白の君にはいささか安直すぎるかな?」

「アンスズ、いい加減にし……」

「オシラ」

 さすがに可哀想が過ぎると思って声をかけようとしたら、琥珀の……オシラと名乗った少女は、どこを見つめているのかわからない無感情の目で答えた。オシラ、という名なのか。海馬にしっかり刻む。アンスズは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして「……どうも……?」と困惑が隠し切れない笑みで返事をしていた。

「アンスズ、今から寮に行かなきゃいけないからその辺にしてほしい」

「……わかったさ。ちょっと悔しかっただけだからね」

 肩をすくめて苦笑する。そうしたいのはこっちだが、諦めてくれたのだから何も言うまい。

 紆余曲折あったが、なんとか寮に辿り着いた。外観は身分が上の人が住むだろう館そのもの、内装も掃除が行き届き、豪奢な意匠があちこちにこらされている。学園に通う一年から四年の生徒は全員ここで生活を余儀なくされるのだが、五百四十ものの部屋数があるため全生徒かき集めても二百もいないから一人部屋を与えられ、この寮には教師陣も住み込んでいる。それでも余る部屋数だから、かなり広い。

 そんな寮の、教師棟と呼ばれる教師陣が使用しているところの管理室に向かってオシラを連れて行けば「あぁ、彼女ね。そのまま女子生徒棟、四十二番の部屋まで案内してあげて。部屋に必要な物は置いといたから登録の説明お願い。あと明日の朝八時、管理室にきてね」とあっさり追い返される。

「なんだ、詳細は何もわからずじまいか」と呟くアンスズに正直同意した。とりあえず、部屋まで連れていくことが最優先。三人揃って西側の女子生徒棟に向かった。

 特に問題なく到着して、四十二号室前に立つ。少し視線を左に移して、四十一号室を見れば【カノ】という魔力で浮かび上がる文字が扉にあることを確認し、やはり私の隣部屋だと確信する。それは置いといて、オシラを室内に案内した。室内は備え付けの家具の他だとベッドの上にある日用品などの生活に必要であろう個人で用意する物、あとは制服、ローブ、実習着、その他学園に必要な物一式。一通りあるように見える。

 そんないたって普通の室内に、完全に興味をなくしたようで「それじゃあ夕食にまた会おう」と言ってアンスズはいなくなった。自由気ままで結構だが、夕食時にする質問内容を考えるのも含めて退散したのだろうと考えて溜息が出そうになる。

 私も部屋にすぐ戻るべきだが彼女が部屋にある物を空虚に見つめているのを見て、少しだけ話したくなってしまった。初対面のはずなのに酷く嫌われていて、対話をろくにしてくれないのに、だ。

好奇心の権化であるアンスズもあえて触れなかったであろう、髪の毛の隙間から見えるその、長い耳を見て脳裏に浮かぶのは幼少期に読んだ絵本に出てくる〝白妖精〟の姿。真っ白で綺麗で普通の人間とは違う長耳は、人ではないのでは、という疑惑しか浮かばない謎の塊。……しつこいと嫌われても、幻想的魅力を持つ君が気になって仕方ない。

「オシラ、二つ聞きたいことがあるんだ」

「あたしからはない。気安く声をかけるな、顎を外されたいの」

「……ごめん。君のことが知りたいという好奇心が嫌なら、無理に答えなくてもいい。でも、少しでいいから対話をしてくれないか。」

「……」

 何をそこまで彼女の嫌悪感を引き立てるのかわからないから、なるべく真摯に、丁寧に、と意識を置いて言葉を並べる。それでも、またばっさり両断されて追い出されると思っていたのだが、この努力が実を結んだのかオシラは面倒臭そうに私に目を向ける。初めてあの琥珀の目としっかり合った。これを彼女なりの肯定と捉えて、気が変わる前にと思い口を開く。

「オシラ、君は何者? 君のその長耳は普通の人間のそれではないよね」

「知らない。あたしが何者かなんてあたしが一番知りたい」

「……記憶喪失?」

「個体識別名がオシラ。それだけはわかる」

「じゃあ、競技場の侵入者で間違いない? こっちは答えられるかな」

「……落ちてきた」

「落ちて、きた?」

「そう。思いっきり地面に全身打ち付けて落ちた。怪我はなし。職員たちから色々聞かれたけど、あたしは何も知らないから答えようがない」

 急ぎ気味に聞いたせいでなかなか掘り下げられず、むしろ気になる点が増えただけのような気がしてならない。ここは天空都市だ、落ちてくるってどういうこと? 個体識別名、つまり名前の事だろうが、なぜそんな言い方を? 記憶喪失の原因は? なおのことなぜ、教師陣からなぜ放置に近い扱いをされている? いくつも浮かんで、口にしようか悩んだが、オシラの眉間にシワがどんどん刻まれているのを見るに、そろそろ切り上げた方がいいのだろう。私は感謝を込めて、作るのが苦手な笑顔を浮かべる。

「そうか。話してくれてありがとう」

「気が変わっただけ。早く出ていけ」

 切り上げて正解だったが、虫でも払うかのように追い出されてしまいドアは閉じられるが……しまった、と冷や汗をかく。ドアにはオシラという名前は浮かび上がっていないことに気づいた。ドアノブに刻印・染色された紋に触れて魔力を流すことで部屋の主としての登録となり、魔力感知の作用もあるため登録者以外の魔力は部屋の主に許可されて初めて入れる、つまり鍵の役割を果たせる。このままではただの視界を遮るだけの板だ。

「オシラ、オシラ。何度もごめん、部屋に魔力登録をしていないから鍵がかかっていないんだ。登録の説明をしたいから出てきてくれないかな」

 ノックをしてから言えば、すんなりオシラがドアを開けて出てくる。そのことに驚いていれば「愚図。早く説明して」と急かされ、私は苦笑いで説明する。手早く終えたためまたすぐに姿は見えなくなるが、私はドアに【オシラ】と名前が浮かんでいることを確認。登録はきちんとできたようで一安心した。聞いているかわからないが、最後にこれだけいう分には許してほしいな、と思いながら

「何かあったら四十一号室にきて。そこが私の部屋だから」

 そう言えば「あっそ」と、至極どうでもよさそうな声が返って来た。


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