籠の外

 ずううううんという重々しい音を立てて、ふたつの鳥籠は地に落ちた。感覚的にはそれほどの高さではなかったらしい。俺たちは無事だった。不思議なことに落ちた衝撃で鉄格子が壊れ、鳥籠から出ることができた。キョウもまた鳥籠から出た。

 俺たちは茫然と立ち尽くし、互いを見た。嫌な予感しかしない。だがそれ以上に、俺は兄の存在を確かめたかった。死んだはずの男だぞ。そもそもの疑問に答えてもらっていない。兄から向けられる性欲も怖かったが、死んだはずの男が存在している事実のほうが、俺は興味深かった。

「キョウ……っ」

「ショウ……無事か?」

「キョウ!」

 俺は兄のもとへ駆けた。縮こまっていた手足が痛んだ。よろけて転びそうになった。それでも俺はキョウに近づきたかった。

「ショウ。それ以上は――」

 兄の姿がはっきりと見える。手を伸ばせば届きそうな距離。

 俺は大きく一歩踏み出し、そして何かにぶつかった。反動で弾き飛ばされる。こらえきれずに尻餅をついた。

「――危ないって言おうとしたのに」

「う、うるせえよ!」

 意味がわからない。俺は前を見る。キョウがいる。俺とそっくりな双子の兄がいる。あと少しで触れたはずだ。なのに何かに阻まれてこれ以上近づけない。

 俺は立ち上がり、おそるおそる手を伸ばす。兄の顔に触れようとしたが、やはり何かに阻まれる。キョウもまた、俺と同じように手を伸ばし、俺たちの指先が合わさる。キョウはにやりと笑った。

「ガラスだ。俺とお前の間にはガラスの壁があるんだ」

「知ってたのか?」

「ああ。だからお前を止めようとした」

「何で知ってるんだよ。もうわけがわからない!」

「落ち着けよ、ショウ」

「何で急に落ちたんだ? 俺ならできたはずなのに!」

「ショウ」

「こんなに低いのに! 何で俺は落ちたんだ!」

「ショウ!」

「何であんたがここにいる。死んだんじゃないのか。あんたが俺の足を引っ張ったくせに」

 そうだ。俺は兄のせいで落ちた。あれくらい余裕で飛べたはずなのに。目の前の男は俺と同じ顔を持ちながら俺よりも優れた人生を歩んであっけなく死んだ。

 全部全部こいつのせいだ。俺が落ちたのも俺がひとりになったのも俺が鳥籠に閉じこめられてどこにも行けなくなったのも全部全部あいつのせいだ。

 どうする。鳥籠は壊れたが、このガラスの壁のせいで逃げられない。あいつを殴りにも行けない。どうする。結果は同じだ。死ぬしかない。どうするどうする。どうしたら憎い兄を殺しに行ける。俺のすべてを奪ったあいつを。

「ショウ。俺を殺したいのか?」

「……ああ」

「手を合わせてみろよ。ほら」

 俺の憎悪を知ってもなお、キョウはにやけた顔で俺を挑発する。ガラス越しのキョウの左手は大きく男らしい手だ。俺と同じ体格のくせに。バンっと音を立て、俺は右手を合わせる。悔しいことに、俺の手は兄よりも小さかった。

「そのまま顔を寄せてみろ。背はお前のほうが高いんじゃないか?」

 兄と目線を合わせる。俺のほうが高い。俺と同じ顔をした兄は締まりのない顔をしている。俺のほうがいい男だ。俺のほうが優れている。

「なあ、ショウ。良いこと教えてやろうか。ここから出る方法を知りたいだろう?」

「あんたの言葉は信用しない」

「この鳥籠については俺のほうが詳しいぞ」

「鳥籠は壊れた。俺は自由だ」

「じゃあこの壁は何だ? さらなる絶望の淵に立たされただけだろう? 入れ物が壊れただけじゃ、逃げることはできない」

「俺は自由だ」

「自覚しろ、ショウ。お前は俺に執着している。狂っているのはお前のほうだぞ」

「もう黙れ。あんたの声は聞きたくない」

「殺したいほど、俺を愛していたのか?」

「ふざけるのも大概にしろ」

「知ってるぜ。ショウ、お前の抜け落ちた記憶を全部な」

「言わなくていい! 俺は何も知らない!」

「あっけなく死んだ? 笑わせるなよ。俺を突き飛ばしたのはお前だろ、ショウ」

 黙れ黙れ黙れ。俺は知らない。あんたは勝手に落ちた。俺は何も知らない。俺も落ちた。一緒に落ちた。俺たちは一緒に落ちた。

 先に落ちたあんたは俺の足を引っ張って――。

「ああああああああああ!」

「自覚しろ。俺を突き落としたときの感情を。お前は俺を蹴落とした上で独占したかったんだろう。お前だけの俺にしたかったんだろう。可愛いな、ショウ。お前は本当に可愛い。俺もお前を殺したいよ。なあ、どうすれば俺たちは平等になれる? 俺たちは死んでいるのに。どうしたら互いを愛し合える? 憎悪? 違う。愛だ。理解できるか? 俺たちは愛し合っているから互いを憎み合えるんだ。お前が愛しているのは俺だけだ。世界で唯一の、お前の兄だけだ。――ああ、やめとけ。どれだけ壊そうとしても、このガラスは割れないぞ。ガラスを割ってここから出るには、お前が目覚めるしかないんだ。自覚しろ。お前が俺をどうしたいのかを――」

 キョウの声が耳障りだ。頭が痛い。割れる。何も聞こえない。何も聞きたくない。何も聞こえない。何も聞きたくない。うるさい。うるさい。黙れ。俺は悪くない。俺は悪くない。

 どうして死んだ。どうして生きている。俺は何だ。俺は何者だ。

 俺は、俺は俺は俺は――――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る