第3話
それから、ごくたまに玲奈という人はあの少女がいつも立っていた所に現れる。
「……」
「あら、外へは行かないの?」
看護師さんが少年に聞いてくる。
「…うん。もういいかな」
看護師さんが、少しだけ悲しそうな顔をしたけど、気づかないふりをした。窓から見える少女に、玲奈という人に会ったところで、少年の知っている少女ではない。本音を言える相手ではない。もういない。ただじっと、窓から少女のことを見ていると、突然ふっと少女が顔を上げて、目が合った。それから、笑う。
『今から行くね』
そう口が動いたように見える。今からって?行くってどこに?いや、どうせ気のせいだ。そう思って、眺め続けていると、少女は病院の中に入っていった。きっと見間違いだ。この部屋には来ない。そう思っていたのに、5分もしないうちに、病室のドアがガラリと開いた。
「えっ……」
少年は、自分でも分かるくらいに間抜けな顔になった。
「はじめまして。あ、君はそういうわけでもないのか」
玲奈という人だ。どうして?なんでここにいるのだろう。その人は、ベッドの側にあったイスに座った。にこにこと笑っている。あの少女とはまるで違う、人懐っこい笑みだ。
「あの、どうしてここに…?」
「実はね、私、もう一人の方が表に出てた時もかすかに記憶があるんだ。もしかしたら、見せたいと思って見せてくれてたのかもしれないけど」
あの少女が?というか、どんな記憶なのだろう。
「だから、君のことは少しだけ知ってるの。もう一人の方の、たった一人の友達ってこととか」
そう言ってから、玲奈という人は少し悲しそうな顔をした。
「お母さんは、私はもう一人の方を知らないと思ってるし、その方がいいとも思ってる」
でも、と玲奈は続ける。
「私は知りたいの。あの子が君とどんな話をして、君とのどんな会話で笑ってたのか」
玲奈の顔は真剣そのものだった。
「だから、教えてくれないかな?」
「あ、えっと…」
少年だって、あの少女とはほんの半年しか話をしていない。それに、少女自身の話はあまりしてくれなかった。だから、話せることなんてそんなにない、と思った。
「あの、どうして玲奈…さんのお母さんは知らない方がいいと思っているんですか?」
「んー、たぶんだけどね、あの子が生まれた理由のせいじゃないかな。私の代わりに痛みを引き受けるための存在だったっていう」
そう、だったんだ。全然知らなかった。気づかなかった。知ろうともしなかった。また、悲しくなった。
「もう、会えないんですか…?」
少年のかなり沈んだ声に、玲奈という人はたじろいでいた。
「えっと、私には分からないの。記憶があると言っても、会話したりできるわけじゃないし…」
「いえ、いいんです。こっちこそ、わがまま言ってごめんなさい」
少年には、もう覚えておくことしかできないのだ。半年だけでもあの少女は確かにこの世界にいたと、胸を張って言えるのは少年だけだから。だから、少年は玲奈という人に話し始めた。自身の知るあの少女のことを。どんぐりを拾ってくれた、初めて会ったあの日のことから全て。
自宅に戻ってきて、玲奈は自分の部屋でベッドに倒れ込む。両手足を投げ出して、全身の力を抜いて。
「ふぅ…」
息を吐きながら、目を閉じる。真っ暗な世界の中で、体が下の方へと沈んでいくような感覚。その感覚に身を任せていると、いつの間にか暗闇の一番底に辿り着いていた。見慣れた場所だ。玲奈自身がずっと眠り続けていた場所。目の前に、大きな扉がある。私は自分で、この扉を開けて外へ出たんだ。あの子が、外の世界を見せてくれたから。病院の少年に、明るく笑っている少年に会ってみたいと思えたから。扉を、思いっきり押した。すると扉は、ギィィ、と軋みながらゆっくりと開く。玲奈は部屋の中へと入った。
「ねぇ、私、あの男の子に会ったよ。あなたがこの半年話をしていたあの子に」
返事はない。
「いい子だね。優しい子だった。あなたのこと、きっとずっと覚えていてくれるよ。ねぇ、…レイア」
真っ暗な部屋の真ん中でうずくまって、玲奈の方を見ている少女がいた。レイア、と呼ばれて反応する。
「どうして、戻ってきたの?あなたにとってここは、安らぎの場所であると同時に、トラウマを思い出させる場所でもあるのに」
玲奈は笑う。
「ここには、あなたがいるから」
レイアは、意味が分からないという顔をした。玲奈は、少年に一つ嘘をついた。レイアのことを、知らない、会話もできないと。でもそんなことはなかった。ただ、レイアが頼んできたのだ。もう外へは行かないと、だから、ここには来ないでくれと。じゃないと、望んではいけないことを望んでしまうって、すごく苦しそうに。レイアは、玲奈を救ってくれた。突然真っ暗な世界に引き摺り込まれた時には驚いたけど、そっと背中に手を当てられて、
「よく頑張ったね、もういいよ。ずっと眠ってていいよ。私があなたを守るから」
そう言われた。玲奈は言われるがまま、目を閉じた。背中の手がとても優しくて安心して。
「私はトリテレイア。あなたを守る、そのためだけにいる存在。あなたが再び目覚める時にはもういないから」
ぼんやりとその声を聞きながら、深い深い眠りについたんだ。レイアは私を守ってくれた。だから、この場所もそこまで怖くはない。
「…私は、消えるはずだった。なのになんでまだここにいるの?あなたにはもう私は必要ないのに」
玲奈は首を振る。
「必要よ。だからまだいるの。いてほしいの」
レイアも首を振った。
「私がここにいることで、あなたはずっと過去に囚われ続けてしまう」
「そんなことないわ。私はただ、あなたと話をしたいの。ただ一方的に守ってもらって、それで消えて、なんて私は言えない」
本心だった。いろんな話をしたい。玲奈とは違う世界の見方をするレイアのことを知りたい。
「本当は、あの病院の男の子とあなたと、三人で話をしたいんだけど」
「それは無理ね。だって体、一つしかないし」
「そうなのよね…」
レイアが笑う。
「あなたって、おかしな人だね。あの子もだけどさ」
「そんなことないよ」
レイアが優しく微笑む。
「そんなことあるって。こんな私のことを必要だなんて。本当は、さっさと消えるつもりだったのに、変な欲が出ちゃったじゃない」
「ならずっとその欲を出していてよ。もっとたくさん話そうよ」
「いいえ、それはできない。もともと消える前提の存在だった訳だし、あなたのことを少しでも知りたいと、今まではここに留まれていたけど、残念ながら意思でどうこうできることじゃない。それに、そろそろだもん」
何が、と言う前にレイアが立ち上がる。
「さよならだね。最後に少しだけでもあなたと話せて良かった」
玲奈と同じ顔、同じ声で。玲奈とは全く違う笑みを浮かべながら。
「あなたを守れた。それだけで私は、私の存在した価値はあったよ」
「待って!」
勝手に終わらせようとしないで。消えないで。
「じゃあね、…玲奈」
レイアの背後に、扉が現れる。真っ白な扉が。レイアは振り返ることもなく、そのまま扉の向こうへと歩いていってしまった。待って、とは、もう言えなくて。
「さよなら。ありがとう」
玲奈は笑って見せた。レイアが振り返ることはないと分かっていても。
「ねぇ、また来てもいい?」
「いいよ、もちろん!」
レイアが去ってから、数日が過ぎた。玲奈は少年のもとを訪れては少し会話をし、また1週間後に来る約束をする。
「ねぇ、お願いがあるの」
「なに?」
レイアは言わなかった言葉。
「覚えていてほしいの。レイアのこと」
少年はきょとんとした。
「当たり前じゃん。大切な友達だもん」
玲奈は笑う。
「そうだよね。私にとっても大切な人。だから、私たちしか覚えていられないから…」
「レイアちゃんのこと、たっくさん話そうね!」
少年が被せるように言ってきた。
「うん」
ねぇ、レイア。私を守ってくれた人。
「もう一つ、お願いがあるの」
あなたのことを覚えていられる私たちのことを。守って、なんて言わないから。ただ、私たちはずっと覚えているから。
「私と、友達になってくれる?」
半年だけ。一人だけ。 軽原 海 @6686
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