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ぼくと有瀬さんがおどろく中、左京さんは、おだやかな笑みを浮かべた。
そして、これまでと同じ静かな声で、説明を続ける。
「夢を叶えるために努力を重ねられた有瀬さまには、言うまでもないことかと存じますが……。夢は、心の一部を形成するもの。持ち主の一部と言っても過言ではない存在です。ゆえに、持ち主の心から切り離す行為は、夢側に負荷がかかります」
「…………」
「生き物である夢は、持ち主から切り離された状態では長く生きられません。処置を施さずに形を保っていられるのは短いもので九日。そこで、当店では、質入れ当日から八日が経過した時点で夢を凍結し、新たな持ち主となるお客さまの心に移されるまで、冬眠状態にするのです」
凍結? 冬眠?
現実離れした説明に、理解が追いつかない。
多分、有瀬さんもそうだと思う。
だけど、左京さんは淡々と説明を続けてる。
「しかしながら、夢を凍結した時点で『持ち主の一部』ではなくなってしまうため、結果的に、お客さまの心から消失してしまうのです。そして、一度冬眠状態になった夢は、たとえお品物を買いもどしたとしても、元の持ち主の心に移ることはありません。これは、わたしの所感でしかありませんが、夢側が『自分を捨てたのに』と、拒絶反応を起こすためのようです。――そういう事情ですので、品物ではなく『夢そのもの』を買いもどす場合は、質入れ当日から、七日以内でお願いいたします。その場合、利息をお支払いいただく必要はありません」
そこまで言って、左京さんは口を閉ざす。説明はこれで終わりみたいだ。
えーと……すごくややこしい説明だったけど、つまり、こういうこと?
「夢」は
それを防ぐために、右代谷質店では(方法は分からないけど)「夢」を凍結して、冬眠状態にする。
そうすれば、新しい持ち主が現れるまで、「夢」を保管できるようになる。
ただ、凍結された「夢」は『持ち主の心の一部』じゃなくなる上に、「自分は捨てられた」って思うから……。
一度凍結してしまったら、「夢」は消失してしまう。
そして、たとえ買いもどしても、「夢」は、持ち主の心に、もどらなくなる。
多分、これであってると思うけど……。分かったような、分からないような、そんな感じ。
「――査定、なさいますか?」
左京さん、有瀬さんを見つめて、たずねる。
有瀬さんは、稲穂の絵をじっと眺めたあと――答えた。
「……お願いします」
「かしこまりました。では、お品物を査定させていただきますので、少々お待ちください」
座ったまま頭を下げた左京さんは、絵画をじっと見つめた。
絵そのものを見てるのか、それとも「夢」を見てるのか分からないけど、左京さんの眼差しは、おどろくほど鋭い。
それにしても……。
「夢が消失する」なんてこと、本当に起こるのかな。
「夢を質入れする」こと自体、常識からはずれてるのに、「夢そのもの」が持ち主の心から消失するなんて、正直信じられないよ。
だけど、「夢は生き物」だって言った左京さんの表情はすごく真剣で、お客さんを騙すために嘘を言っているようには思えなかった。
あと、「保管期限」とか「利息」とか、専門用語が多くて全然分からなかったなあ。
バイトするかどうかはともかく、気になるから、あとで調べてみようかな。
そんなことを考えてたら、隣に立ってる案外さんから、薄い冊子を渡された。
えーと、「従業員用簡易マニュアル」?
左京さんが査定してる間にチェックしておけってことみたい。
案外さんって
ぼくは案外さんに頭を下げて、マニュアルに目を通した。
《基礎用語》
・質入れ:お客さんの品物をあずかる代わりに、適切な金額を貸しつけること
(質入れされた品物は、「保管期限」の間、質屋で保管される)
・保管期限:質入れした品物が、質屋に保管される日数のこと
(質入れ当日を含めた三か月間を指す)
・元金:質入れ時に、店側から支払われた金額のこと
・利息:一か月ごとに一定額発生する金額のこと。「買いもどし」の際に必要
・買いもどし:お客さんが質屋に「元金」と「利息」を支払い、質入れした「品物」を取りもどすこと
(※保管期限内に「買いもどし」を行わない場合、後述の「質流れ」になる)
(※「夢」を買いもどす場合は異なるルールが適用されるため、注意が必要)
・質流れ:質入れした品物を、お客さんが買いもどせなくなること
・夢:お客さんが質入れした「品物」に宿っている、生き物
早いものだと、質入れ当日から九日までしか生きられない
・凍結:「夢」を保管するために行う作業。質入れ当日から八日目に行われる
うーん、なるほど……?
相変わらず、ややこしいけど、さっきよりは、分かったかな。
要するに、質入れした品物を取りもどしたかったら、保管期限の三か月以内に、「元金」と「利息」を支払って、買いもどせばいいってことだもんね。
で、「夢」を買いもどすときだけはルールが違ってて、質入れした日から七日以内に「元金」を支払わなきゃいけない。
うん、大体分かった。……多分。
「――査定が終了しました」
そう思ってたら、絵画を見てた左京さんが言った。
この絵の「元金」は、一体いくらになるんだろう……。
ぼくと有瀬さんが緊張する中、左京さんは、凛とした声で告げた。
「査定額は、五千万円です。――有瀬さま、質入れなさいますか?」
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