第2話 師匠との語らい



 オルライン伯爵家の本邸に来るのも随分久しぶりだ。

 正面玄関に近付くと、警備していた顔馴染みの衛兵のパウロが話しかけてきた。


「なんだカインじゃないか、怠け者のお前が離れから出て来るなんて珍しいな。食っちゃ寝生活は止めたのか?」


「俺はそうしてたかったんだけどさ、なんでも師匠が呼んでるらしくて」


「マクガヴァン様が? ははっ、とうとうあの方も重い腰をお上げになったか。観念しろカイン、お前も労働のなんたるかを知る時が来たみたいだな」


「憂鬱になることは言わないでくれよパウロ、俺の夢は生涯不労所得なんだぜ? それよりそこ通してもらっていいか」


「おおっ、スマンスマン。勿論だ、通ってくれ」


 扉が閉ざされたままの玄関を指差すと、パウロは長槍を手にしているのとは反対の手で重厚な扉を押し開いてくれた。


「老師様のお部屋は正面階段を上がって右奥だ。左奥は奥様やお嬢様方のお部屋だからな、間違っても入るなよ?」


「へいへい」


 子供の時に何回も遊びに来てるし勝手知ったるというやつだ。

 屋敷の中に入って足裏に覚えがある絨毯の柔らかさに感動している俺を、パウロが呼び止める。


「なあカイン、今日の夜どうだ」


 手でコロンと何かを転がすような仕草。

 伯爵家の使用人仲間でたまにやってる賭け賽のお誘いだ。


「また財布の中身が寂しくなっても知らねぇぞ。子供生まれたばっかりなんだろ、お父さん」


「ぬかせ。今夜こそお前さんにふんだくられた分を獲り返してやるからな。……でないと母ちゃんにブン殴らちまう」


 顔を青ざめさせているパウロに「考えとくよ」と返して階段を登っていく。

 突き当たって右奥。廊下を行き違うメイドや使用人と挨拶を交わしつつ、豪奢な内装の伯爵家でも一際品の良いドアをノックすると、しゃがれた老人の声が返って来た。


「開いとるよ、入りなさい」


 言われるがままドアノブを捻って中に入れば、そこはちょっとした博物館だった。

 幻獣種の角に妖精の瓶詰め、宝石もぐらの甲殻に――あれは属性竜の竜鱗か?

 まったく珍しい物ばかり揃ってるもんだ。

 もし仮に盗人が忍び込んでこの部屋にあるものを全てかっぱらったら、軽く十度は人生をやり直して余るくらいの金貨が手に入るだろう。

 もっともこの部屋の主に許可なく侵入した時点で命の保証は出来ないが。


「元気そうだのカイン。ずっと離れに引きこもって顔も見せんから心配しとったぞ?」


 なんせ俺の魔法の師でもあるこのローブ姿の髭もじゃ爺さん、マクガヴァン・オルラインは魔法使いの強さの指標となる十二階梯の第二位ディオ第一位エーナが実質空席なことを考慮すると、事実上の魔法界の頂点に立つ大魔導師なのだから。


「そうでもないですよ。昼寝してるとこを叩き起こされたもんでね」


「おやそれは孫がすまんかったの。あの娘が自分から行くと言い出したんじゃが」


 ……ミューディお前、お爺様に頼まれたとか言ってなかったっけ?

 つんけんして嫌そうにしてた癖にわざわざ自分から俺に会いに来たのかよ、なに考えてんだがよく分からんやつだ。


「カイン、言っておくがあの娘には一応婚約者がおるのでな。もしも手を出す気があるなら然るべき手順を踏むのじゃぞ? 知らぬ内に娘が子を孕みなぞしたら息子が卒倒してしまう」


「はあ? なんでそうなるんですか」


 突然なに言い出してんだこの爺さん、ミューディってまだ十三だろ。

 俺からしたらせいぜい手のかかる妹みたいなもんで、何よりオルライン伯爵に睨まれたくないから手を出すなんてありえんありえん。

 

「そもそも平民の俺とミューディじゃ釣りが合わんでしょう。あいつの相手はどこぞのお貴族様が似合いですよ」


 そう言い捨てると、執務机に向かっていた老師は実に可笑しそうに笑い声を立てた。


「ほっほっほっ、謙遜するでない。お前さんは五竜頭戦争を終結させた英雄ではないか。しかも世界で唯一の第一位エーナにして、国王陛下直々に『神域魔導師』の称号を賜ったお前には下手な爵位なぞ霞んで見えるだろうに」


「……やめてくださいよ、今の俺にはなんの力もない。師匠ならよく知ってるでしょ」


 正直その話は聞きたくないし、自分からしたくもない。

 第一位の階級も神域魔導師とかいう大層な名前も、ろくに魔法が使えなくなった俺には荷が重い。

 それに――


「そんな英雄はとっくの昔に死にましたよ。今ここにいる俺は『ただのカイン』です」 


 そうだ英雄は死んだ。

 当事者である俺は誰よりもよくそれを知っている。



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