第二十三話 親切と節介

 車内は効きすぎなくらいに暖房が動いていて、乗り込んだ途端に熱気が身体中を取り巻いた。汗ばみそうなのに纏ったコートを脱がないのは、手袋を外すことができなかったからだ。男の妻には、男にはない目がついている。ハンドル握り、真っ直ぐに前を見つめる女の顔を後部座席から覗きながらも、じっとあたしはその空気に耐えていた。


「下のバス停からあそこまで歩いてきたとやろう? 良かねえ。私はもう膝が痛くてね」


 柔らかな口調で話す女にも、曖昧な返事しか返せない。それでも女は「羨ましい」と口にしながら笑みをこぼした。


「圭ちゃんも僕も、もう随分よか歳やけん。羨ましがったってどうにもならん。そういうのを、無いものねだりって言うとよ」

「もう、英彦さんはいちいち言わんでいいことを…」


 互いを「圭ちゃん」「英彦さん」と呼び合う彼らは、苦笑いを浮かべてモゴモゴと話すあたしの前で楽しそうに話した。時折「ねえ?」と女があたしに呼びかけるが、あたしはやっぱり苦笑いのまま「ええ」とか「はい」と言うことしかできない。


「そういえば、名前聞いてもいい?」

「あ、えと、」

「私はね、山の中に住んどるけど苗字は山口で、下の名前は圭子。この人もどうせ名前言っとらんやろう? この人は英彦さん。私の旦那さん」


そう言って話す圭子はなんだか恋人を紹介する学生のようだった。


「あ、朱理…です。三井朱理」


結局私は名前を伝えた。別に死ぬ場所はここじゃなくてもいい。


「朱理ちゃんね。よろしく」

「よろしく、お願いします…」


この人たちの知らないところに行って死ねばいいだけだ。


「私ね、裁縫が好きで上のお店に作ったものを置いてもらっとて、納品に行く途中やったけん別に気にせんでよかよ」

「納品行くって言って二人で家出たとに、ここにきて商品忘れたとか言うとよ、この人。だけん僕だけさっきのところに降ろしてもらって景色を見よった」

「そうそう。歳をとるって大変」

「圭ちゃんは昔からそげんやけん。馬鹿よ、馬鹿」


 相変わらず楽しそうで、目を逸らした。車の窓の向こうを流れる山を追う。


「そうそう、もし時間あるならご飯も一緒にどう? 私割引券持っとるけど」

「いや。そんな…大丈夫です。気にしないでください」


私が他人と食事なんてできるわけなかった。圭子が「そう、残念ね」と口にすると、英彦がお節介がすぎると嗜めた。


「私も他所から来たけど、ここってほんと良いところよ。お店にはお惣菜もパンもあるけん、ぜひ見て行って」


そう笑う圭子に、私は「はい」とだけ言った。駐車場に入った車はかわいいバック音を立てた後、プスンとエンジンをストップさせた。

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