第二十話 陰と陽

 あたしは一人、静かにバスに揺られていた。待合室のモニターで見た村へは、このバス一本でたどり着けるらしい。道が悪いのか、バスは何度も縦へ横へと揺れ動く。

車内に乗客はあたしだけで、一番うしろからひとつ前の座席から外を眺めていた。アナウンスが知らない地名を何度も告げる。運転手の男はその地名を繰り返した後で「通過します」とだけ付け加える。降りる人もいなければ、乗り込む人もない。

 あたしはもう決めていた。これから向かう山の中で、静かに朽ちると。あたしを死地へと運ぶバスはノンストップで突き進む。乗り込む時にちらと見た気のよさそうな運転手にも、これから辿りつく村の人間にも、少しは申し訳ないという気持ちがあった。死を望む人間を死地まで進んだのだと知ったらきっといい気はしないだろうし、自分の土地、見知った土地で誰かが死んだと知った住民も嫌な気になるだろう。しかもそれがサードアイとなればなおさらだ。

 だけど世間はこんなにも理不尽で優しくない。あたしが気を使う必要がどこにあろうか。あたしの死でこの世間を変えてやろうとか、一矢報いてやろうなんで大なことは思ってなどいない。これはただの嫌がらせ。「あたしを嫌う世間にあたしが気を使う必要もないじゃん」なんて、そんな子供じみた反発だ。おいしいものも食べそびれたし、やりたいこともやりきれてない。でももうどうだっていいのだ。

 ポケットに手を入れて、奥に転がるピアスを掴む。それから右手で光を取り込む車窓に掲げた。車窓の景色に併せてキラキラ光るそれを眺めながら、少しだけ後悔をした。あたしはピアスホールを開けていない。これをつけて死にたかったなあ、なんて。


「時間調整のために、少々停車します」


 ピアスに見とれていると、バスが道路わきに停車した。どうにもスムーズに進みすぎたらしい。ガタガタとタイヤが道路を転がる音もエンジンの音も小さくなって、運転手と二人の車内が静かになる。バスの周囲は緑ばかりで家はなく、知らない世界みたいだった。施設近くの山とはどこか雰囲気が違っている。停車したバスの横を通り過ぎる車も無くて、なんだか運転手と二人、別の世界に連れてこられたような気さえした。少し気まずくて、居心地が悪い。

 あたしはピアスをポケットに戻すと、窓に視線を移して外を眺める。ごつごつとした岩が並ぶ、細い川が道の隣を流れていた。


「お客さん、どこまで行かれるとですか?」


ぼうっと眺めていると、マイクを通した運転手の声が車内の空気を揺らした。


「あ、えと、村に…」


 どうにも人と話すことが苦手になったらしい。あたしはハクハクと何度か口を動かした後で震える声を絞り出す。運転席が遠いせいで、地声のあたしは少し前を張るしかない。正直もう、何も言わないで欲しかった。


「どこのバス停で降りられるとですか?」


しかし運転手は再度質問を続けた。だがそれもそのはずだ。このバスの目的地はその村なのだから、村に行かない人間が乗るはずもない。


「その、まだ、なんにも、決めていなくて…」


 どのバス停で降りるかなんて考えてもいなかったあたしは、また口籠る。


「村には観光かなんかですか?」

「ええ、まあ、はい」


「自分が言うのもあれですけど、なんもない村ですよ。春から秋は綺麗かですけど、冬はちょっと寂しか感じです。まあそれがよかって言わす人もおらっしゃるですけどね」


 あたしが下手くそに、それからどこかとっつきづらいように返事をするのに、運転手の男は優しくそう言った。

その時、施設にいたとき彼女が言った言葉を思い出して少し胸が痛む。

『近所で見かけるだけの猫が死ぬのと、名前も知ってて触れたこともある近所の猫が死ぬのでは、その死の重みが違う』

そう言った彼女の言葉を反芻しながら、あたしはもう一度この男とこれ以上口をききたくないと思った。


「あ、まだ予定決まっとらんなら冬でも景色のよかところで停まりましょうか? そこならご飯屋さんも、もし泊まられるなら宿があるところも近かですし」


それなのに運転手は明るい声で楽しそうに話す。少し間を開けてから「おせっかいやったですね」と照れながら付け加える。あたしは「ええ」という肯定の返事を飲み込んでから「お願いします」と声を上げた。「今夜の宿はもう必要ないんですけどね」なんて言葉も、なにもかもを飲み込んで。

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