夢路をたどる

ナタデココ

夢路をたどる

ゆめ‐じ【夢路】

夢(を見ること)の意の古風な表現。

「─をたどる《=夢を見る》」

新明解国語辞典(三省堂 第七版 小型版)より一部抜粋


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「ヤッちゃん、起きてるー?」

 

 自室の扉越しに、相も変わらず優しげな叔母の声が響いた。


 時刻は、午前十一時。大抵の人は起きている時間であり、また、規則正しい生活を送っている「あの子」が、この時間まで寝ているはずがない。

 

 叔母はすでに、私のことをそう理解しているはずである。


「……」


 ──あえて、私の話しやすい話題で興味を誘っているのだろう。


 そこまで考えた私は、することなく、ぼうっと倒れ込んでいたベッドから身体を起こし、扉越しに叔母に言う。


「ちゃんと起きてるよ。何か用?」


「あら、ヤッちゃん。少し部屋に入ってもいいかしら?」


「入ってもいいけど……あ、待って。部屋片付けるから」


 叔母が開けようとしている扉付近にたくさんの紙の切れ端が落ちているのを見て、はじかれたようにベッドから立ち上がった私は紙を拾い始めた。


 ──すべてが、役割を終えた紙の切れ端たちだった。


 何やら数式の計算途中の切れ端、意味もなく、淡々と曲線が引かれているだけの切れ端、白色のはずの紙を青色の絵の具で染めただけの切れ端──。


「……」


 私は余計な感情を抱かずに、無心で床に落ちている紙を拾い集める。


 すると、そろそろ部屋の片付けも終わった頃だろうと踏んだ叔母が自室の扉を勝手に開けた。


「ヤッちゃん、入るわよ──って、あら!」


 演技ではない、本当に驚いた表情をして、叔母が私に尋ねてくる。


「ヤッちゃん、絵を描いていたの?」


 嬉しそうな叔母の言葉。その言葉を無言で没却した私は、自室であるのに居心地の悪い空気をかみしめながら適当に呟く。


「ちょっと、教科書を見ながら勉強してただけだよ」


 確かに、数式の書かれた紙は勉強に使っていたものであった。最も、開始二分後に飽きて鉛筆を放り投げてしまったが。


 たくさんの曲線が書かれた紙も、数学のグラフだと言い張れば、それであるのだと受け入れてくれることだろう。しかし、絵の具で青色に染め上げた白色の紙に関しては、どうにも良さげな言い訳が思い浮かばず──。


「でも、それ……」


 ちょうど、叔母が私の持つ青色の紙を指さして、何かを言いかけた。


 私はその言葉を聞かないままに踵を返し、部屋の奥にあったゴミ箱に拾い集めた数十の紙を無造作に入れ込む。


「それで……何か用?」


 私はゴミ箱の前に立ち塞がるように立つと、淡々と叔母に尋ねた。


 ──私がこれ以上、絵についての話をしたくはないと悟ったのだろう。


 私に何かを言いたそうにしていた叔母は諦めたように微笑むと、今までの出来事をすっかり忘れてしまったような明るい声で、ある提案をしてきた。


「そうそう! 今日のお昼のことなんだけどね、ヤッちゃんの好きなサンドイッチを作ったの! だけど、いつもみたいに三人そろってリビングで食べるのも何だか味気ないから……」


「味気なくなんかないよ。叔母さんのサンドイッチ、いつも美味しいし」


 言いながら、私は後ろ手に腕を組んだ。


 腕についた絵の具が叔母にバレないようにするためだ。


 叔母は私の言葉に「褒めてくれてありがとう」と微笑むと、話を続ける。


「でもね、ヤッちゃん。私、貴方には少しだけでいいから外に出て欲しいのよ。いい気分転換にもなるし」


「外……」


 静かに呟き、私は窓から外を眺めた。窓からは、まるで、どこかの画家の絵にでもありそうな──緑いっぱいの、のどかな田舎の風景が垣間見える。


 私は、七月という夏休みの時期に合わせて、世間一般的に『田舎』と呼ばれるであろうこの町に来て以来、意図的に外へ出たことがなかった。


 だが「意図的に外へ出たことがない」とは言っても、昼ご飯の買い出しなどには行っていたし、全く外の空気を吸っていないわけでもないのだが。


「だからね、ヤッちゃん。お昼のサンドイッチを持って、少し外を散歩してきたらどう? こんなに家ばかりにいても退屈でしょう?」


「まあ、いいけど……」


 ──「いい気分転換になる」


 叔母の放った、その言葉がきっかけだったように思う。私自身も、この鬱々とした気分を変えなくてはならないとは思っていたのだ。


「分かった。それじゃあ私、着替えるから──」


 言って、私は叔母を自然と部屋の外に促そうとする。


 しかし、叔母は真剣な眼差しで私を見つめたまま。


「……ヤッちゃん。この辺りはね、とっても気持ちの良い風と、素敵な景色が見られるのよ」


「ああ……うん。わかってるよ。ちゃんと行くから」


 ──私が、心の奥底では嫌がっているとでも思ったのだろうか。


 別に嫌がっているわけではないと、私は不器用ながら、素直な己の感情を伝えてみる。だが、さらに黙り込んでしまった叔母の様子を見る限りでは、上手く伝わってくれていないようで。


 叔母は続けて、ずっと、自分の中でつっかかっていた言葉を吐き出した。


「──スケッチブック、持っていったらどう?」


 叔母の視線はゆるりとゴミ箱の方角を向いていた。


「…………」


 チラと、私も叔母と同じものを一瞥する。


 そこには──ゴミ箱に入れられた、自分のただの『妄想』で描いただけの美しい田舎の風景画が。やはり途中で描けなくて、描くのをやめてしまい、ただの没紙と化してしまった風景画が。


 この上ないほどに──厄介な姿で。


 不運にも、叔母の立つ位置から丸見えとなる形で捨てられていて。


「…………考えとくよ」


 蚊の鳴くような小さな声で、私も吐き出すように呟いた。


 その言葉を聞いた叔母は少々寂しげな表情を残すが、それでもまだ子供な私とは違い、必死に声音だけは明るく保ちながら。


「いきなりごめんね、ヤッちゃん。それじゃ、着替え終わったら下に降りてきてちょうだい。サンドイッチは先にバッグにつめておくから!」


 叔母が扉を開けたかと思うと、数秒後には、すでに閉まっていた。


 私は──叔母の残像を目に焼き付けるように、閉まった扉を見据える。


 机上に無造作に置かれているスケッチブックに目をやった。


 ──持っていくか、持っていかないか。そんな簡素な思考を巡らせた私はやがて、スケッチブックから目をそらして。


「……もう、描けないんだよ」


 そう、呟いた。


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 手を空かせた私は、ゆっくりと階段を降り、リビングへと向かう。


 オシャレや流行にはあまり敏感でないから、自転車を漕ぎやすいジーンズにシャツという、非常にありきたりな格好で。


 リビングに入ると、すぐさま楽しげな叔母の声が飛んできた。


「ヤッちゃん、サンドイッチの入ったバッグはそこに置いてあるからね!」


 部屋の奥から顔を覗かせた叔母は木製のカゴを指さした。


 「バッグ」と形容して、リュックサックすら使おうとしないあたり、やはりここは都会と違うなと思う。


「ありがとう、叔母さん」


 感謝の言葉を述べた私はカゴの中に入っている、丁寧に並べられたサンドイッチを確認しながらリビングを抜けようとした。すると、


「行ってらっしゃい。車には気を付けるんだよ」


 そんな私の背に低い声がかかる。

 新聞を膝に広げ、コーヒーを飲みながらの挨拶を交わした、叔父だった。


 その言葉に続き、ベランダで洗濯物を取り込んでいたらしい叔母も「行ってらっしゃい!」と精一杯の声を張り上げる。


「行って……きます」


 家族同士での、慣れない挨拶を無理矢理紡ぐようにして。


 私は、逃げるようにリビングを抜けた。


「……どこまでか、送ってあげた方がいいかしら」


 リビングで、そんな不安げな叔母の声が私の耳に聞き届けられる。


「大丈夫だろう。あの子はしっかりしているし、もう高校生だ」


 ハッキリとした口調の叔父の言葉。私は改めてカゴの取っ手を握り直すと、玄関口で靴を履き替えようとして──。


「それに、少しは外で一人になる時間もあげた方がいい。……まだ、両親のことが忘れられないのだろうから」


「……。そうね」


 ふと、私の、靴紐を結ぶ手が止まりかけた。


 ──まさか、こんなタイミングで両親の話を聞くことになるとは思わなかったからだ。


「…………っ」


 誰も、何も悪くないというのに、私は思わず行き場のない寂寥感を靴へと向けてしまう。後になって、自分の惨めさに唇を噛んだ。


 ──……早く、忘れられてしまえば。


 そんな調子の私の脳に、ふと『気分転換』という単語が過ぎる。


 私は、一刻も早く外に出たくなって、靴紐もまともに結ばずに玄関扉に手をかけた。そして、できるだけ叔母のような明るい声をイメージしつつ──私は、カゴを左手に、右手で玄関扉を開きながら陽気に言う。


「叔父さん、叔母さん。行ってきます!」


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 自転車の車輪が小気味よく回る。

 気持ちの良い風が私の髪を撫ぜる。


 夏だというのにそれほど外は暑くなく、代わりに少し湿ったような重い風が私の嫌な気持ちまでもを力強くどこかへ吹き飛ばそうとしてくれていた。


 昼食を食べることのできる場所を模索しながら自転車を漕ぎ始め、早くも十分が経過しようとしている。


 私と自転車は、町で一番栄えている場所、市場に出た。


 ──適当に、市場の中にある休憩所で済ませてしまおうか。


 そう思って、市場の駐輪場へと直進で進むことのできる横断歩道の赤信号が終わるのをぼうっと眺めていた、その時だった。


「ねえ! これ、今月の表紙の佐藤樹! マジでハンパなくない⁉」


「うわ、マジでイケメンだ! ハンパな!」


 横断歩道の反対側から、そんな感極まった声が響いてきた。


 私は声の主である、オシャレな二人組に目を向けて、心中で呟く。


 ──田舎でも、やっぱりそういう話ってするんだ。


 ──でも、流行りの時差とか、所持物の違いだとかは気になるけど。


 佐藤樹なんて、一年前か、下手をすれば二年前に東京で少し話題になっていた程度の俳優だ。オシャレな二人組が手に持っている物も、スマホではなく、その佐藤樹が表紙を飾っただとかいう今月の雑誌そのものである。


 ──東京じゃ、本も雑誌も、みんな携帯で片手間に読んでたからな……。


 雑誌自体、目の当たりにするのが久しぶりのような気がして、私は懐かしさまで感じてしまう。だが、その懐かしさと同時に私はこの場が『東京』と似ているような気もしてしまって──。


「……」


 ただの、市場のはずだ。でも、そこに存在している人間の数々や、漂う場の雰囲気が、やはり私には窮屈に感じられて仕方がなくて。


「……別の所にしよう」


 信号機が機能的に青を示す。あの二人組が、横断歩道を渡り始める。


 だが、私は横断歩道を渡らずに左隣の道にはけて、市場から離れた。


 自転車をもう一度漕ぎ始めながら、私は思考する。


 ──窮屈に、感じない所がいいな。


 ──誰もいなくて、何もなくて……でも、寂しくないような所。


 そんな都合の良い場所なんて、あるのだろうか。


 そう懸念を抱きはするが、時間はまだたっぷりあるからと無理に己を納得させて、私は自転車の速度を上げてみた。


 行くあてもなく、自転車を順調に一本道に走らせ続け──少しした頃。


「……ぁ」


 果てしない一本道に、突如として、単純明快な分かれ道が出現した。


 今まで通りに直進を続けるか、現れた脇道に入るかの二者択一だ。


「…………」


 まっすぐに進む道と、周囲に合わせる自分。


 左に分かれる道と、きちんとした意志を持つ自分。


 どうしてか──私は、分かれ道「それだけ」に自分自身を深くまで投影してしまった。それでも、無言のままにハンドルをきった私は、躊躇なく脇道に自転車を走らせる事とする。


 ──人通りの全くない道だった。


 そもそもが田舎であるし、町内に住む人口も少ないのだから、辺鄙な場所での人通りが無かったとしても、何らおかしな話ではない。


 しかし、私がこの道を不思議に思った理由としては「人通りの全くない道」と言うよりも、どちらかというとその道は「人の気配すらない」と言う方が正しいような気がしたからだ。


 だが、違和感を覚えただけで、不思議と恐怖までは湧いてこない。


 私と自転車が、しばらく人の気配のない道を進んでいると──。


「……森?」


 さすがに、次に起こった違和感は、言葉にせざるを得なかった。


 脇道の奥に、閑静な森が現れたのだ。


 それに加え、どうやら森自体が道の行き止まりになっているそうで、ガードレールの正面まで来てみても、他に続く道が一切見当たらない。


 ──……ハズレだったかな。


 仕方がないが引き返そうと、自転車に乗ったまま、来た道を引き返そうとした時だった。


 閑静な森の奥で──黄色の『何か』が旗のように揺らめく。


 このような森の中に住居があるわけはないし、色付いた葉か何かかと思ったが、そうだとすると『七月』という時期に引っ掛かりを覚える。


「……」


 不思議な森に吸い込まれるように、私は自転車を降りた。そして、自転車を周囲の迷惑にならないように道の端の方へと止めて、私はサンドイッチの入ったカゴを手に、森全体を囲う低いガードレールを容易に乗り越える。


 「なんだろう……あの、黄色いの」


 草をかき分けながら、私は森奥で揺らめく黄を頼りにどんどんと足を前に進ませていく。だが、意外と、その『黄』は見た目以上に、森の奥深くに存在しているようで──。


「……っ、わ!」


 突然現れた木の根による段差に、私は危うく転びかけた。


 しかし、頭を上げて正面を見やると──。


「……っ!」


 いつの間にか、自分は、広場のような大きく開けた場所に出ていた。


 視界の左側には、綺麗に澄んだ湖が存在している。


 湖のほとりの芝生は綺麗に短く刈り揃えられていて、爽やかで軽やかな風が吹く度に湖の水面が動くのと同期して、芝生全体が艶やかに輝いていた。


 さらに、まるで──「この場所は特別な空間だ」とでも言わんばかりに。


 先刻まで深々としつこいくらいに生い茂っていたはずの木も草も、何一つ開けた空間では私の視界の邪魔をしていなかった。


 ただ、気になることがあると言えば、一つだけ。


 全く邪魔とは思えず。むしろ、そこにあって欲しいと求めてしまうくらいには、この場に似合った『人』が、一人だけ。


「…………」


 その湖畔には──理解の追いつかないほど明確な「貴婦人」がいたのだ。


 まるで、西洋画から抜け出てきたような、とびきり美しい容貌をした、中世ヨーロッパ風の格好をした貴婦人。


 彼女は、細やかで丁寧な装飾が施された黄色のロングドレスに、現代のものよりも二回りも三回りも大きなつばが特徴的な暁色の帽子を被っていた。     


 ──「女性」と一口に呼んでしまうことすら、はばかられる。


 そんな彼女は一体どこから持ってきたのか、白色の大きなパラソルの下で正面の湖を見ながら──絵を描いていた。


 絵を描いていた、と、私は思ったが。


「……」


 イーゼルに飾られているキャンパスボードには、遠めで見ても、何も描かれていなかった。


 ──こんな所で……何をしているんだろう。


 そう思った私は、貴婦人に近付き、彼女に声をかけようとして。


「……!」


 なかなか足が踏み出せず、呆然と佇んでいるままの私の存在に気付いたのか、貴婦人は唐突にニコリと笑った。そして、大きく手を振り上げたかと思えば、大袈裟なくらいに左右へとそれを動かす。


 私は、思わず自分の後ろを振り返ってしまった。とても、私に向けられた手振りではないように感じられたからだ。すると、


「──貴女よ、貴女!」


 次は、貴婦人が楽しげに手招きをし始めた。遅れて、私は自分の目指していた『黄色』が、彼女のロングドレスの色であったことに気付く。


 森に入ったきっかけと出会えたことによる、いまだ冷めやらぬ興奮と、貴婦人のあまりの笑顔に惹かれて、私は己の足を前に踏み出した。


 ──カラリ。手に持っていたカゴが、音を鳴らしたような気がした。


 彼女に近付けば近付くほど、貴婦人の姿がより鮮明に私の瞳に焼き付けられる。本当に──まるで、西洋画から偶然抜け出てきてしまったのかと錯覚してしまうほどに綺麗な容貌をした人だった。


 そこで、私はようやく気付く。


 こんな森奥に、ここまで綺麗に澄んだ湖や、開けた場所があるわけがないと。もしかすると自分は、あの貴婦人が所有する庭かどこかに迷い込んでしまったのではないか、と、私は思考して──。


「あっ……す、すみません! すぐに出ます……っ」


 貴婦人に近付こうとしていた足を一転。


 元より叱られることが苦手で、逃げることばかりが得意な私は、またもや逃げようと足を別方向に動かそうとする。


 しかし、逃げようとした私の腕を誰かが捕まえた。


 私が恐る恐る振り返ると、直後──。


「ねえ! 私、誰かとお話がしたかったの!」


 望むような、求めるような、縋るような。


 キラキラとした眼差しを向けられて、私は思わず足を竦ませる。


 すると、彼女は「貴婦人」などという高貴なイメージとはかけ離れた、少し幼さの残る口調で私に力強く言い放ったのだった。


「退屈なら、私と一緒にお話しをしましょう!」


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「ブリオッシュ、食べる?」


「いえ……その、お昼を持っているので……」


「そう。貴女って随分と遠慮がちなのね」


 本当にどこから持ってきたのやら、湖畔には白いパラソルの他に、高級感あふれる机と装飾の綺麗な椅子がいくつか置かれていた。


 貴婦人は皿の上に乗る、ブリオッシュとやらを頬張る。


 頬張りながら、彼女は拗ねがちに言った。


「美味しいのに」


「……ほんと、大丈夫なので……」


 遠慮している、というよりは、これ以上事を荒立てたくなかったのが本音であった。自分が今座っている装飾がなされた椅子も、カゴを置いている高級感漂う机も、見れば見るほどこの湖付きの開けた場所が貴婦人の私有地であるように思えて仕方がない。


 ──不法侵入をした私に、彼女は表面上では良く取り繕っているが、少し怒っているのではないか。


「あ、あの……」


 ついに耐えきれなくなって、私は貴婦人に尋ねた。


「ええと……貴方って、ここで何を……?」


「あら、私?」


 少し驚いた表情をしつつも、彼女は自慢げに言う。


「絵を描いているのよ。貴女、絵は好き?」


「あー……最近は、あんまり」


 「好き」と答えることもできたが、色々考えた結果、そのような返しになってしまった。返答を終えた後も、返答の仕方に悩んでいる私にブリオッシュを三分の一ほど食べ終えた貴婦人が端的に一言。


「私も絵は嫌いよ。──描けないもの」


 その言葉を聞いて、私はなんの面白みもない、至極当然の疑問を湧かせてしまう。


「えっ……絵が嫌いなのに、描いてるんですか?」


「そうよ。正確な事を言うと、別に絵を描いてるわけじゃないけれど」


 ──絵を描いているわけじゃない、とは?


 そう、まるでオウム返しのように言葉を返すのもなんだか厄介に感じられて黙っている私に、彼女はここより先にあるパラソルの方角を指し示した。


「あそこに、筆洗が見えるでしょう?」


「……はい」


 パラソルの下に存在しているイーゼルの足元に、プラスチック製の筆洗が置かれていた。よく見る小窓の多い大型の筆洗ではなく、小瓶の形をしている。その筆洗を目にした私はふと疑問に思い、自然と彼女に尋ねた。


「何か、描いたんですか?」


 その中には、少し赤っぽいような、それでいてオレンジ色とも取れる、不思議な調和をした色水が入っていたのだ。


 イーゼルに置かれているキャンパスボードは手つかずであるのに、筆を洗うものである筆洗に入っている水は透明ではなく、色がついていること。


 彼女は「絵を描くのが嫌いだ」とは言いつつ、数分前には何か作品を描いていたのかもしれないと思い、私はただの好奇心から尋ねたのだが──。


「いいえ、何も描いていないの。私は、透明な水を絵具で色付けるのが好きなのよ」


「……えっ、どういうことですか?」


 納得する余地もなく、困惑の表情を示した私を見て、貴婦人が愉快そうに笑う。


「ええ、ええ。意味が分からないでしょう?」


「いいご趣味だとは、思いますけど……」


 ここに来てから驚くことが連続して起きているため、感覚が麻痺してしまったのか、私は案外すんなりと貴婦人の言うことを受け入れられた。


 すると、頷いた私を見て、貴婦人が自分の趣味について熱く語り始める。


「やり方はね、とっても簡単なのよ! 綺麗な水を用意して、絵の具で自分の好きな色を作って、量を測って、水に垂らすだけなんだから!」


「やり方は何となく……分かりますけど」


「それにね、透明な水に色を加えると、まるで色がモヤのように広がるさまが……本当に美しいの! ぜひ貴女にも見てもらいたいわ!」


 自分の趣味を熱く語っている貴婦人を見て、つい、面白く感じてしまった私は笑いを零してしまう。笑う自分を横目に、貴婦人は手に持っていたブリオッシュを全て食べ終えると、次には少し寂しげに呟いた。


「でもね、あまりこの遊びを理解してくれる人がいなくって。本当は私にも絵が描けたらいいんだけれど、あまり才も無いみたいで……」


「なら、私が少しだけ、貴方に絵を教えましょうか?」


 思わず、口をついて出てしまった言葉だった。

 昔はよく──両親や友達に放っていた言葉。


 僅かに心が窮屈になるが、私は気付かぬフリをして。


「あら、教えてくれるの? でも貴女、絵は好きじゃないって……」


「好きじゃないけど、教えることはできます。昔はよく、賞とかも頂いていたので。それに──」


 少しだけ言うことを躊躇ったが、私は今までのことにケリをつけるように瞳を閉じると、力強く言い放つ。


「死別した両親が、どちらも絵の仕事をしていて。二人とも、本当に有名な画家だっただけに……両親が亡くなってから、私も絵が描けなくなってしまったんです」


「あら……それは、お気の毒に」


 感受性が豊かなのか、今にも泣き出してしまいそうなほど苦しい顔をする貴婦人。そんな彼女を元気付けるためにも、私はとびきり明るい声音と緩やかな微笑みを表情の中に浮かべて。


「だから、私の絵のリハビリにもちょうどいいかもしれません。教えさせてくれませんか?」


 全てが本当のことだった。


 両親を亡くした二年前のことも、目の前の相手に絵を教えれば、自分の鬱々とした調子が崩れるのではないかと期待していることも。


 そんな私の心うちを知ってか知らずか、貴婦人は相手を安心させる和やかな笑みを浮かべて、言った。


「そこまで言うのなら、いいわ。それじゃあ、あちらにある紙を……」


 と、椅子から立ち上がりながら言いかけて、彼女は言葉を止めた。


 どこか困ったように笑って、首に手を当てている。


「……ごめんなさい。紙を取ってきてくださる?」


 よく見れば、彼女は華麗なドレスを着て、綺麗な顔立ちもしていたが、首の辺りに傷を負っているのか、白色の布のようなものを巻き付けていた。


 私にはその布すらも、不思議とオシャレに見えてしまうのだが。


「大丈夫ですか? 首の辺り」


「ええ。少し休ませれば、大丈夫。大昔に怪我をした所なの」


 彼女に「大昔」と言われた私はピンと来なかった。それはきっと、目前の貴婦人がまだ二十代半ばにしか見えないからなのだろう。


 昔、ではなく──『大昔』。


 二十年前のことは、どちらかというと、大昔よりも昔の分類に分けられていそうだと思う私は一応ぎこちない頷きをして。


「その……お大事にしてください」


「ええ。ありがとう」


「それじゃあ……私、紙を取ってくるので! 椅子に座って少しの間、休んでいてください」


 元気にそう言い放つと、私はイーゼルの元へと足を進ませていった。


 そんな少女の後ろ背を眺めて、貴婦人は嬉しそうに呟く。


「面白い子ね、あの子」


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「ただいま」


 玄関扉を開けた私は、勢いに任せて家の中に入る。


 ──こんなにも長く外に出て、人と話をするなんて、いつぶりだろうか。


 私は貴婦人に絵を教え、貴婦人は私に水の彩り方を教え、雑談を交えながらお菓子も頬張っていたところ、気付けば夕暮れ時になってしまっていた。


 リビングから叔母が出てきて、不安げな表情を隠しながら明るく言う。


「あら、ヤッちゃん! おかえり! 随分と遅かったけど……どこか面白い場所でも見つけたの?」


「まあ、そこそこね。ちょっと疲れたから部屋で寝てくるよ。何かあったらまた呼んで!」


 素早く片付けを終え、私は階段を駆け上がった。そんな私の後ろ姿をどこか満足げに見つめて、叔母は静かに微笑む。


「……よかった」


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 貴婦人に教えた絵の描き方で、貴婦人を描く。

 それが、今の自分のやりたいことだった。


 まず、紙を全体的に水で湿らせる。次に、水分を多めに含ませた絵の具を紙に水滴のように落としながら絵を作っていく。『技術』というものがあまりいらない描き方だから、ある意味では初心者向けの描き方だ。


 その分、水滴を落とす場所のセンスや、完成後の事を考える想像力は必要になってくるのだが──。


「あの人の……服の色は」


 森奧で揺らめいていた、あの鮮やかな黄色が脳裏を掠める。黄色のドレスも大きな帽子も、明るくて愛想のある貴婦人によく似合っていた。


 雑談の途中で、ぽつりと「貴方のようになってみたかった」と私が言えば彼女は「楽しいものじゃない」と私の考えを一蹴してしまった


 でも──それでも。いくら楽しくなくても、私は彼女のようになりたいと今日、何度も思った。


 彼女のような、明るくて社交的で愛想のある人間に。


 黄色やオレンジ色の似合う、オシャレな人間に。


 まさに、彼女は──自分の「憧れ」のような存在であったと思う。


 両親と死別してから──何もできなかった自分。絵を描くことさえできなかった自分が、今、こうして自分から絵を描くことができている。


 貴婦人は、あの『趣味』のように、透明で仕方がなかった私の人生に黄色やオレンジ色のような、可憐な彩りを差し込ませてくれたのだ。


 透明の水に色が差し込まれていく。モヤがかかるような、霧が吹き荒れるような。その情景は確かに、彼女の言う通り──美しかった。


 貴婦人はやはり、黄色やオレンジ色、赤色などの暖色系の色が好みらしい。私は逆に青色、紫色などの寒色系が好みなので互いに系統を譲り合ってお互いに新鮮な気持ちで楽しみあったりもして──。


「……楽しかったな」


 彼女の姿を描きながら手を止めて、ふと、そんなことを思った。


 鬱々としていた自分に彩りを与えてくれた存在。

 私が憧れとしたいと思った、存在。


彼女に「いつもいるかどうかは分からないけれど、いつでも来ていい」と言われた。どうやら、あの開けた場は貴婦人の所有地ではなく、貴婦人が勝手に使っているらしい。


 ──「色々なものの、集り場なの」。


 貴婦人がそう言っていたことを、今も覚えている。


「明日も……行ってみよう」


 結局、今日は最後まで首を痛がっていたから、明日は湿布か何かを持って行ってあげようかな。


 そんなことを思いながら、私は絵を描き続けて────。


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 翌日。その湖畔には、先客がいた。


「……小学生?」


 あの貴婦人とはあまりにも違いすぎる姿だった。格好も地味で、小学生くらいの男の子が一人。彼は、芝生に座り込んで、何かをしていた。


 そのことに加え、湖畔全体を見渡すと、昨日まであったはずの白いパラソルや机、椅子などが綺麗さっぱり片付けられている。


 ──あの貴婦人が毎回、出して片付けてを繰り返しているのだろうか?


 私有地ではないと言っていたし、そもそも、私有地ではない場所に置いた私物を片付けるのは当然のことではあるのだけれど──と、首を捻りながら思考していた私は、突然、場にいた小学生に声をかけられた。


「何をしているの?」


 暇さえあれば、近場の公園でサッカーボールでも蹴っているような、活気のある小学生男子だった。何をしているのかと思いきや、彼もまた、外見に似合わず絵を描いている。


 ただし、今回は絵を描くのが苦手だからと筆洗に入った水に彩りを与えていたりなどはせず、ただ淡々と、真剣に紙を真っ黒に塗りつぶして──。


「……えッ、なに描いてるの?」


 小学生がこんな湖畔まで来るのだから、てっきり湖でも描きたいのだろうと思っていたが、湖どころか、この周辺で紙を真っ黒に塗りつぶす必要のある光景が全く見当たらない。そのため、何をしているのかという相手の質問に私は何を描いているのかという質問を返してしまったのだが──。


「夜空」


「夜空……?」


 小学生男子は、当然だと言うように、淡々と答えた。


「真昼間に、こんな所で?」


 夜空なら、家でも描けそうなものだけど、と思う。


──紙を一面、隅から隅まで全て真っ黒に塗りつぶしている時点で、背景などを真剣に考えているわけでもなさそうだし。


 そう考える私に、小学生男子は嫌味ったらしく返す。


「こんな所で、とか、あんたこそ。暇なの?」


「……」


 いちいち、いらないことまで聞いてくるタイプの小学生男子か。


 面倒だと思い、私は話をスルーして、彼に聞きたいことだけを先に聞く。


「ねえ、君。この辺りで、女の人を見なかった?」


「まず、僕の質問に答えてくれたらいいよ」


「うわ、めんど……」


 あまりの面倒さに、私はつい愚痴まで漏らしてしまった。


 しかも、相手は私にそう言われることは織り込み済みなのか、愉快気にニヤニヤと笑いながらこちらの答え待ちをしている。


 だが、こんな所で高校生が小学生相手に愚痴を言い続けていても仕方がないので。


「……で、なんだっけ。君の質問」


「もう忘れたの? ──暇なのかどうかってやつだよ」


「うわ、めちゃくちゃどうでもいい」


 世界で一番、無駄な時間を過ごしてしまっているような気までしてしまって、だんだんと彼と話すことすら嫌になってくる。


 だからこそ、私は端的に答えた。


「暇」


「そう。じゃあさ、僕の絵に評価をつけてくれない? あんたにつけられるかどうか知らないけど」


 彼の口からスラスラと出てきた言葉。まるで、暇かと尋ねて、暇だと言われたらこう言おうとでも先に決めていたかのような口ぶりだ。


 ──策士だ。

 まあ、色々と余計な一言は多いが。


「なんで、私が君の作品の評価なんかしなきゃいけないのよ」


 できるだけ嫌な感情を表に出さず、私は平静を装いながら尋ねた。


 小学生男子は簡潔に言う。


「暇だって言ったじゃん」


「悪いけど、君に時間を割くほど暇じゃないよ。それが分かったら私はもう帰るから──」


 と、言いかけて、私ははたと気付く。


 結局、質問とは関係のない話ばかりを続けられて、あの貴婦人を見かけたかどうかについての答えをまだもらっていない。


「それで、結局女の人は見たの? 見なかったの?」


 だいたい、次に彼が私に言ってきそうな文句が思い浮かんだ。


 案の定、小学生男子はニヤニヤと笑いながら言う。


「僕の絵を評価してくれるんなら、教えるよ」


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 湖のほとり。


 芝生に座りながら私は隣の小学生男子に容赦なく評価を下す。


「そもそも、背景が何もなくて、紙を隅から隅まで真っ黒に塗りつぶしてる時点で意外性がないよ。誰でも描けちゃうじゃない。『夜空』がテーマなのに」


「……面倒なことばっかり言うな、あんた」


 面倒なことばかり言うなんて、むしろこっちが言いたいと思いつつ、相手は小学生なんだからと意味の分からない文句で自分自身を諌める。


「……それじゃあ、あんたは『夜空』がテーマなら、どう描くんだよ?」


 ようやく、紙を隅から隅まできっちりと黒色の色鉛筆で塗りつぶし、星の役割を果たす黄色の点を各場所に散りばめ始めた小学生が私に聞いた。


 その小学生の問いに、真っ向から私は答えてみせる。


「私なら──空から見た、町の夜景を描くね」


「空から?」


「そう。私たちの目に映る夜空を視点にするんじゃなくて、私たちを見下ろす夜空を視点にするの。その方が普通の描き方をするよりも、何倍も面白く見えるから」


 夜空をテーマに絵を描いたことは何度もある。

 どれも昔のものばかりで、とうに記憶など捨ててしまったが。


「へえ」


 面白くなさそうな表情をした小学生男子が、それならと自慢げに描き途中の夜空の絵を掲げて、言った。


「なら、僕の絵の方がもっと面白いね」


「……そう?」


「うん。だって、僕の絵の夜空。飛行機の窓から見えた夜空だもん」


 真っ黒に描かれた紙。絵だけを見れば、なんの変哲もない、小学生らしい絵だと皆は思うことだろう。


 しかし、彼はようやく、絵の「タイトル」に意外性を見せてきて。


「…………」


 私は、持参してきたスケッチブックを開いた。


 そして、昨日描いた貴婦人の絵のページを開いて、呟くように──。


「絵ってね、色んな想像力が必要だと思うの。それは絵だけじゃなく、小説とか、音楽とか、色々なことに言えると思うんだけど……」


 隣の小学生男子がチラとスケッチブックを覗いた。


 そして、私の描いた貴婦人の絵を見て──唖然とし、問う。


「これ……あんたが描いたのか?」


「そ。どう、上手いでしょう?」


 大人気なく、自慢げに絵を掲げて見せた、私。

 

 ──「ヤッちゃんの絵には、人を惹きつける力があると思うの」


 少し前に、叔母にはそんなことを言われたような気もするが。


「私はね、努力が全てじゃないと思う。何事にも、ほんの少しの『才能』っていうのは必要だと思うんだ」


 私が昨日描いた、貴婦人の絵。


 それを見た者まで、思わず、笑顔を零してしまうほど可憐なひまわり色のドレスに、まるで夏の夕焼けを思わせるほどに赤く眩しい、暁色の帽子。


 筆から滴る水滴だけで作ったはずの絵は、水滴で作ったとは思えないほど細部まで濃淡がハッキリと浮き出ていて。ドレスの紋様も顔の造形も、まさか水滴で描かれたとは思えないほどに細かく──。


 そして、私は、この描き方以外では決して表すことのできない『儚さ』とふとした拍子に消えてしまいそうな『危うさ』を、絵に表していた。


「才能はね、あるに越したことはないよ」


 私は昔の自分を懐かしみ、今の自分に後悔しながら、呟く。


「こうやって、私みたいに、二年もきちんとした絵を描いてないと……やっぱり、前の私には戻れないから。すぐに、取り返しがつかなくなる」


 そんな私の言葉を、果たして彼はどこまで真剣に聞いてくれていたのか。


 小学生男子は星に見立てた黄色の点の数に──ようやく事足りようで。


「できたの?」


 隅から隅まで塗った黒色の背景に、星が数個置かれただけの絵。


 まあ、小学生ならば、タイトルも合わせて見てみれば、それはそれで趣があっていいのではないのかと思っていたところ──。


「いや、まだ……完成してない」


 そう言って、彼はせっかく丹精込めて描いた星を、上から重ねるようにして黒色の色鉛筆で塗りつぶし始めた。元々、黄色で描いた場所を黒色で塞いでいるためか、若干ぼやけたような──不調和な色合いになる。


「……」


 私は黙り込んだまま、彼の不思議な行動を見守り続けた。


 やがて、彼は全ての星を無かったことにするように潰しおえると。


「これで、完成」


「……。最後、一度描いた星を全部消したのは、どうしてなの?」


 なんとなく、自分もそれなりに描いてきて養われた『勘』のようなもので既に答えは分かりきっていたような気がするが──敢えて、私は本人に尋ねてみた。すると、彼はまっすぐな眼差しを自分の絵に向けて、言う。


「意味が無いから」


「どうして?」


「だって──落下途中の飛行機の窓から見える夜空だなんて、星が見えるわけがないじゃないか」


 その『落下』が、降下のことを示しているのか、墜落のことを示しているのか。それは最後まで、分からなかった。


 私は目を見張る。


 彼は終わりに向けて、最初から場を整えていたのだということに驚いて。


 ──夜空はどこでだって、皆と同じように見られるわけじゃない。


 夜空というテーマで、敢えて星を描かない。


 その判断を下した小学生の彼は、私からしてみれば、とても羨ましくなるくらいに『意外性』を見つけるのが上手で。先刻、才能がどうだとかという話をしてしまった自分を嘲笑したくなるくらいに──彼は、先のことを。


 そして、未来の『夜空』までもを、見え据いているような気がして。


「君には……多分、才能があるね」


 心の底から嬉しそうに、私は言った。


 しかし、少年はそんな褒め言葉など求めていないとばかりに、尋ねる。


「それで、絵の評価は? 百点満点で」


 面倒な小学生男子がワクワクとした表情で。

 キラとした眼差しで私のことを見つめ続ける。


「うん、そうだね」


 私は、困ったように微笑んで、やがて彼に言い放った。


「百二十点くらいじゃないかな。いいと思うよ。──すごく」


 私は寂しさを紛らわすように、まだ昼時の田舎空を見上げて。


 都会への懐かしさを、ほんの少しだけ表情の中に湛えながら。


***********************


 真っ黒に塗りつぶした、夜の空。そこに朧気に浮かぶ月と綺麗な星の数々。それだけでもため息が出るほど美しい情景だが、その綺麗な星々を、あえて単色で塗りつぶしてしまうことに意味がある。


 彼は、そう言っていた。


「……うーん」


 色鉛筆で絵を描くのは久しぶりだからか、色決めに毎度悩んでしまう。


 今回も悩んでいた、その時だった。


「ヤッちゃん、少し中に入ってもいい?」


「あ、うん。いいよ」


 描いていた紙をしまい、机の上に広がる色鉛筆を片付けるフリをしながら私は自室に叔母を迎え入れる。


 けれど、叔母は、私が昨日の夜から急に絵を描くのに没頭し始めたことを認識しているのだろう。


 ゆえに、嬉しそうに。だが、どこか不安げに──叔母は尋ねてくる。


「ヤッちゃん。最近、外に長く出ているみたいだけど……。新しいお友達ができたの?」


 どうやら、突然に心変わりをした私に何かあったのではないかと心配しているらしい。私は素直に答える方が良いと思い、叔母に言う。


「最近、湖のある場所に行くのが好きなの。ほら、市場まで続く一本道を分かれた先にある、森の奥の所」


「あら、そんな所に行ってたの? いいじゃない、風情があって!」


 叔母はかなり嬉しそうに、私が新たな『居場所』を見つけられたことに純粋に喜んでくれているようだった。だが、その喜びに反して──先刻よりも色濃く、不安な感情を残したまま。


「でもね、ヤッちゃん。あの場所は……あんまり深入りしないようにね。危ないから……」


「危ないって? あんな所にも、熊とかがいるの?」


 それならば流石に行くのは控えようかと、そんな風に思っていた矢先のことだった。


「あそこ、大昔にね。処刑場があった場所なのよ」


「処刑場?」


 ──『大昔』。その言葉を聞いて、私は、あの貴婦人のことを思い出す。


 しかし、当惑する私に、叔母は続けて言った。


「それに……数年前にも、あの湖の近くでは飛行機が墜落事故を起こしているの。その時に何人も亡くなったって、聞いたことがあるわ」


 ──飛行機の墜落事故。「落下途中の飛行機の窓から見える夜空だなんて」と言っていた小学生男子のことを、嫌でも、思い返してしまう。


「だから、この辺りに住む人たちはみんな、あの湖には近付かない方がいいってことになってるの。貴方がここに来る二日前には、一人の女の子が亡くなっているし……」


 ──女の子が亡くなった。


 だが、自分はまだ、その件に関して連想すべき『何か』が何も無い。


 もし、自分の推測が正しいのならば。

 もし、自分の考えが合っているのならば。


 その、各件に関して、連想すべき『何か』が。

 明日もきっと、掴めるのではないだろうか──?


「……」


 そう思って、私は考えた末、叔母に言う。


「分かった。でも、明日だけは、どうしてもあそこに行きたいんだ。だから明日以降は絶対に行かないようにする」


「うん。……念の為にもね。遠くまで行かなければ大丈夫だと思うから」


 いつになく慎重に言葉を紡ぎ、それじゃあと叔母は自室から姿を消した。


 取り残された部屋で、私は絵を描くことをやめ、ひたすらに熟考をする。


「…………」


 あの貴婦人は──妙に首を痛がっていたし、あの小学生は、妙に飛行機に執着していた。恐怖はなかったが、違和感は最初から抱いていた。


 不思議な湖畔の景色を目に入れた時から。


 それこそ、私があの森に足を踏み入れた、その瞬間から。


 ──「色んなものの、集い場なの」。


 貴婦人の言葉が残響し、どこまでも私の脳にこびりつき続ける。


「……まさか」


 私が考えた『冗談のような可能性』を、私は笑い飛ばしたくなる。


 数分間、悩み続けて──やがて、私は決意した。


 明日、やはり最後にもう一度、あの湖畔に行ってみようと。


 もしかしたら、あの貴婦人がいるかもしれない。


 あの場に小学生男子がいたとして、彼がきちんとこちらの問いに答えてくれるかどうかには期待ができないが、彼女ならば答えてくれるはずだ。


 自分たちが一体、何者なのかについて。


************************


 ガードレールの手前に自転車を止めて、森に入る。相変わらず、変わりようのない湖が木々に紛れて前方に見え始める。


 揺らめく黄色の姿は、今日も見えなかった。

 だが、今日も『先客』がいる。


 それは、芝生に座り込んでいる小学生男子の姿でもなく──。


「…………」


 綺麗な湖を前に、イーゼルにキャンパスボードを立てかけ、絵の具のついた筆を持ち、きちんと『絵を描いている』様子の一人の少女がいた。


 ──「湖で一人の女の子が亡くなった」。


 自然と私は、絵を描いている少女がその女の子なのだろうかと思考する。


「……」


 彼女の描いている絵を遠目から見た。


 彼女は、田舎では決して見えないはずの都会の光景を描いていた。


 見間違えではない。彼女は確かに──どこかの展望台から望んだような、立体的で緻密な都会の絵を描いている。


 ──こんな場所で、都会の絵を。


 私は、とうとう当初から抱いていた違和感すら抱くことができずに、ゆっくりと絵を描く少女の元に近付いて、躊躇いもなく彼女に話しかける。


「どうして、その絵を描いているの?」


 絵を描いていた少女は静かに私の方を振り返った。


 これといった特徴のない──私と似た少女だった。


 オシャレや流行りなどとは程遠い、地味な服装。

 外で遊ぶのが好きだ、というような活気のある表情でもない。


 至って、普通の人間と同じ服装、表情、感情をしている。


 ──純粋に、私は絵が好きだから描いている。


 そんな様子の少女は、私の言葉にハッキリと答えを返した。


「東京に行ってみたいの」


「……」


「東京に行って、もっと、色々な物を見てみたいなって思って」


 少女はそう言うと、芝生の上に無造作に絵の具のついたままのパレットと筆を置き、私の方向を振り向いた。


 ──クセのない、女の子。


 改めて彼女を見ても尚、私の第一印象が変わることはない。


 あの貴婦人のような、全てにおいての私の憧れの対象ではない。


 あの小学生のような、充分に才能を宿している私の羨望の対象でもない。


 今までに出会ってきた二人と比べれば、彼女は、随分と落ち着いていて。


 私は何度目の前の少女を見ても──これといった特徴のない、普通の女の子にしか見えなかった。


 都会の絵を描く理由も正当そのものだ。


 あの小学生のように、どこかズレた考え方ではない。


「私は……都会よりも、田舎の方が窮屈じゃないと思ったよ」


 都会に行ってみたいと望む少女に、私はそう告げた。


 だが、その言葉を聞き、黙り込んでしまった少女に私は続ける。


「でも、あなたが行きたいっていうなら……止めないけど。あなたの好きにすればいいと思う」


 まるで、長年仲良くしてきた友達が引越しを決める時のような。


 まるで、己の素直な気持ちを伝えることすら躊躇してしまう時のような。


 そんな──おおよそ、ついさっき出会ったとは思えない話を相手にしてしまう、私。だが、少女はそんな私の言葉を笑うことなく。


「そうだね」


「……」


「あなたが知っている都会を……私に、教えて欲しいな」


 私はイーゼルの元まで近付いて、彼女の描いている絵を見た。


 ────とても、上手な絵だった。


 それじゃあ、と、私は彼女に提案をする。──恐らく、今までの自分では、決してしようなどとは思わなかったであろう提案を。


「私と一緒に、ここでお昼ご飯を食べない?」


************************


 湖畔に白色の高級感溢れる机が置いてあった。


 その机上のカゴの中から取り出した二人分のサンドイッチをそれぞれ頬張りながら、私たちは閑静とした中で食事を続ける。


「っ……!」


 遠慮がちに一口、サンドイッチをつまんだ少女は顔を綻ばせた。


 そして、嬉しそうに私へと聞く。


「これ……すごく美味しい! なんて言うの?」


「私の叔母さんが作った、サンドイッチ。美味しいでしょ?」


 楽しそうに問い返した私に対し、少女は言葉を返す時間すら惜しいと言わんばかりに、黙々とサンドイッチを食べ進める。


 そんな少女の姿を垣間見て──私はクスリと微笑むと。


「そんなに急がなくても。まだあるんだし」


「なんか……早く食べないと、すぐになくなっちゃうような気がして」


 あはは、と困ったように笑った後、少女は熱い眼差しを私に向けた。


「ねえ! その、あなたの『叔母さん』っていう人に、すごく美味しかったってお礼を伝えてくれない?」


「もちろん。ちゃんと伝えるよ」


 ──それからの数分間。


 私と少女は互いに無言のまま、サンドイッチを食べ続けた。その無言の時間は、気まずくなるようなものでも、退屈するようなものでもない。


 そして、二人があっという間に食事を平らげてしまった頃──。


「ねえ! あなた、本当に東京に住んでたの?」


 まるで、生気を取り戻したかのように、瞳に活気を戻した少女は机に身を乗り出して、私にそう尋ねる。私も、久しぶりに同年代の女の子と話せることが嬉しくて、調子よく言葉を返した。


「うん。東京の、中心から少し外れた所に」


「へえ! なのに、どうしてこんな田舎に来たの?」


 はしゃいだ調子を保ったまま、少女は聞いた。私は水筒に入った茶を飲みながら、顔色一つ変えずに淡々と理由を述べる。


「両親を交通事故で亡くしたの。それで、親戚がいる、この町に来たんだ」


「……ごめん。もしかして、嫌なこと聞いちゃった?」


 目を伏せて、少女が申し訳なさそうに言った。

 私は首を横に振りながら、返す。


「ううん。全然。寧ろ、何だか言えてスッキリした」


「そっか。それなら、良かった」


 可愛らしくはにかんだ少女は、続けて、ぼそりと呟いた。


「あなたには……悲しんで欲しくないから」


 くっきりとした輪郭の少女を見て、私は沈黙する。


 何か、迷いがあったわけではない。


 だが、彼女に対しての明確な『惑い』があったことは──確かで。


「東京に行くことが、あなたの理想なの?」


 話題を転換させる目的も含め、私は本題に足を踏み入れた。少女は風に黒髪を靡かせながら、イーゼルに立てかけられた都会の絵を見て、呟く。


「理想っていうか、憧れ、に近いかな」


「……そっか」


 互いに都会と田舎に思いを馳せ合う。


 私は、ふと、彼女の素晴らしい絵を脳裏に思い描き──尋ねた。


「あなた、絵が上手だった。好きなの?」


「うん、好き。でも、あなたの『好き』には適わないかな」


 相手は私のことなど、全く知らないはずなのに。


 相手は私が絵を好きだということすら──知らないはずなのに。


 そんなことを言った少女に一本取られたな、なんて。


 不思議な思考をしながら──私は言った。


「ねえ、絵を描かない? あなたと一緒に描きたいの」


「? 別に、いいけど……」


 まるで、どうして私と一緒に、とでも聞きたげな表情の少女。私はカゴと一緒に持ってきた、画材の入ったバッグを手に呟く。


「私ね、水彩画が得意なの」


「うん。何だか……そんな感じがする」


 優しい微笑を浮かべて、少女は言った。


 私は、バッグの中からキャンパスボードを取り出しながら。


「両親が死んでから……どうしてか、上手く描けなくなっちゃって」


「だから、私と一緒に描きたいの?」


 素直に問われた言葉に、私は素直な言葉を返す。


「あなたは、都会の絵を描いているんでしょう?」


「うん」


「それなら──私は、この場所を描くよ」


 この、綺麗に澄んだ湖と開けた湖畔が特徴的な、特別な場所を。


 この、自然と人工的な空間が偶然に調和した、不思議な場所を。


 ──私はこれまで、様々な人たちと出会ってきた。


 水に絵の具をとくことが好きな黄色のドレスを着た、貴婦人と。飛行機の窓から見える夜空を描き、星を乱雑に散りばめ、後にその星を消してしまう小学生の少年と。


 そして──田舎から、都会の光景を望む、少女と。


「いい絵が描けそうじゃない? お互いにさ」


「うん。……そうだね」


 優しく微笑んでくれた少女を見て、私も微笑んだ。まるで、鬱々とした気分を吹き飛ばしてしまうくらいに──この時を楽しく思いながら。


************************


 湖畔に二人の少女が立ち、絵を描く。


 イーゼルに立てかけられたキャンパスボードにはそれぞれ、都会の光景と、田舎の情景が描かれていた。


「────」


 高い展望台から望まれたかのような、都会の光景。目を凝らしても全てを見ることなどできないほどに、緻密に詰め込まれた建物の数々。


 紙の七割はおびただしい量の建物で埋め尽くされていたが、残りの三割にはなぜか、どんよりとした曇りの空が描かれていた。


 今にも雨の降り出しそうな、空。だが、よく見てみると、薄らと太陽の光が街に差し込みかけているような気もしてくる。


 加えて、形式的な都会の光景には、所々、緑色の木々が残されていた。


 自然に溢れ、自然と共に過ごす田舎とは全く違う都会の光景。


 それを、都会に行ったことのない少女は──細部まで丁寧に、繊細に。


 きっと、凄まじい鍛錬を積んできたのであろう少女は、素晴らしい筆使いのまま、最後まで絵を描き上げようと真剣に絵と向き合っていた。


「────」


 そんな彼女に対し、田舎の情景を思いのままに描いているのは、つい最近まで絵を描くことを拒んでいた少女だ。


 彼女は湖と夜空の構成で、紙を二分割に分けている。


 紙の下半分を有する湖の色合いは──これまた、まるで、透明の水に彩度の高い青色の絵の具を差し込んでいるような。


 モヤがかかっているような、霧が吹き荒れているような。


 そんな、特別、調和の取れた色合いで彼女は湖を儚く描きあげていて。


「────」


 少女は湖を描き終えると、続いて夜空の情景に取り掛かる。


 まず、紙の上半分を真っ黒な単色の黒色で塗りつぶした。そして次に、黄色の絵の具を筆に取り、星に見立てた黄色の点を慎重に描き記していく。


「──」


 黒色の背景に黄色の点が描かれただけの絵。


 人によってはそれを、稚拙だと言い、笑うかもしれない。


 だが、それでも良かった。これは──ただ、自分が好きで描いている。


 それだけの、作品なのだから。


「──」


 星を全て描き終えると、私は続いて、黒に近い消し炭色を作り、水を多く含ませた筆にそれを取った。そして、躊躇うことなく。今まで描いてきた全てを消すように、夜空を塗りつぶす。


 全ての星が消えてしまう。

 だが、それで良かった。それこそが狙いだった。


 ──湖と夜空。


 その二つを完成させた私は、ようやく最終工程に取りかかる。


湖と夜空の境目。境界線の引かれたような形になっているその部分に、私は趣向を変え、今度は都会の光景を描き始めたのだ。


「……!」


 隣の少女が目を見張る。

 違和感でありふれた絵だった。


 構成も、物語性も、何一つそこには──ありやしない。ただ、自分が描きたいものを分割で描きこんだだけの作品。ただ、自分の思い出が消えてしまわぬうちにと筆を取っただけの作品。


 気が付けば、少女とよく似た、リアリティのある力強い都会のビル景色がその境界線には存在していた。


 そこで、私は──仕上げとばかりに、青色系統で描かれた湖に、貴婦人の着ていたドレスを思わせる暖色系の色をにじみこませた。そして、真っ黒で幻想的な夜空に現代的な飛行機を飛ばす。


 最後には──湖に『何か』が落ちた時の大きな弧状の波紋を筆で書いて。


「……っ、描けた……!」


 描きながら、私は、心臓の鼓動までも早めてしまっていたらしい。


 いつもより激しく高鳴る鼓動を必死に押えつけながら、私は手に持つパレットと筆を芝の上に置いた。


 汗が滴る。その汗すらも──優美に思えて、仕方がない。


「……上手」


 隣の少女が、呆然と私の絵を見て、そう呟いた。


 私は笑って、少女の緻密で丁寧な絵を見ながら言う。


「そんな。……あなただって」


 それから、私たちは互いに絵を誉め合い、後はひたすらに笑い合った。


 存在しないはずの都会の光景と田舎の情景。

 存在して欲しいと、私たちの望む光景。


 ────私は、絵を描くのが……やっぱり好きだ。


 二年前から、ずっと描けていなかった水彩画。


 自分の愛用し続けている筆を握りしめて、私は心に誓う。


 これからも、絵を描き続けたいと。


 彼らの遺志を引き継いで──私は、絵を描きたいと。


「これからも、描いてね」


 少女は寂しそうに、私にそう言ってくれた。


 これがきっと、全ての『最後』なのだろうと確信する。


 でも、私は、少女に悲しい表情をして欲しくないと柔らかに笑って。


「……あなたこそ」


 そう、言った。


************************


 夕暮れ時。玄関扉を開けた私は、イーゼルやキャンパスボード、絵の具などの画材を手に家の中へと入る。


「ただいま」


 遅れて発せられた挨拶を聞き、叔母が心配そうにやってきた。


「ヤッちゃん、おかえり! 怪我は……してない?」


「うん。でも、もうあそこには行かないよ。叔母さんを心配させちゃうし」


 玄関に座り、靴を脱ぐ、私。

 その後ろ背を見つめて──。


「ヤッちゃんのお友達、お昼、食べてくれたかしら?」


「うん」


 立ち上がった私は、空になったカゴを手に、頷いて告げた。


「友達に、すっごく美味しかった、って伝えてほしいって言われたよ。私も美味しかった。いつもありがとう」


「それは……良かったわ」


 言いながら、叔母は少々気がかりな様子で私の画材に目をやって。


「ねえ、ヤッちゃん。最近、また絵を描いているみたいだけど……」


 少しだけ聞くのを躊躇いながらも、叔母は笑って尋ねた。


「どう? いい絵は描けた?」


 いい絵が描けたがどうかを尋ねる叔母の言葉に、私は自室に向かいかけた足を止める。


 私の後方で、心の底から嬉しそうに微笑んでいる叔母の姿が目に浮かぶ。


「……うん」


 私はこの三日間の思い出を胸の中に宿して。


 どこか寂しげに。

それでも、とても楽しげに頷くと──。


「すごく、いい絵が描けたよ」


 私は、満面の笑みのまま、叔母を振り返った。


「本当に……すごく、いい人たちとたくさん出会えて」


描きあげた『思い出の絵』を抱きしめて、言う。


「すごく、楽しかったの!」








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夢路をたどる ナタデココ @toumi_yuki

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