新しい日々
夢の中、アイズは思い出す。どうしてだったのかと疑問を抱き、答えを求める。
あの時、仲間の援護で光源となる魔獣達を排除してアイリスに対し最後の突撃を仕掛けようとした瞬間にそれは起こった。
力が湧き出る。
血を失い、毒の影響も残り、大きく運動性能が落ちていた肉体に急にいつも以上の力が湧いて来た。肉体という器に収まり切らず溢れてしまいそうなほどに。
同時に別の奇妙な感覚も感じていた。失った血の代わりに別の何かが体内に流れ込んで来るような、そんな違和感。自分のものとは違う血液を無理矢理流し込まれているのでは、そんなことさえ考えた。
だが、その違和感が大きくなればなるほど力はますます膨れ上がっていく。気が付けば彼女は普段よりさらに速く走り、跳びかかり、アイリスの眼前まで肉薄していた。
そこまで思い出したところで目を覚ます。
「……」
上半身を起こした彼女は、まず拳を何度か開いたり握ったりして感触を確かめる。ああ、やはりだと嘆息。
違和感が消えない。あれ以来、ずっとまとわりついている。あの奇妙な力は喪失したというのに肉体の違和感だけが今も残り続けている。部分的に他者のものになってしまったような感覚。なんなのだろう、これは?
(毒の後遺症か……?)
しかし透視してみても体内に毒の成分が残っているようには見えない。
(脳が損傷したのかもしれんな)
だとするとメイディの治癒を受けてなお症状が改善しないことにも頷ける。彼の能力は脳の損傷までは癒せなかったはずだから。
(まあ、特に支障も無い。このままでもいいだろう)
いずれ消えるかもしれないし慣れる可能性も考えられる。現状で行動に支障が出てないのだからこのままでいと判断してベッドを出た。
その時ドアが開き、少女が入って来た。
「あっ、おはようアイズ!」
「おはよう」
やかましい声だ。一緒に生活するようになってから二日目、昨日も寝る直前までずっと甲高い声で喋り続ていたのに、今日もまた延々この調子なのだろうか? 想像すると少し頭が痛くなった。
「どこへ行っていた?」
「トイレだよ」
「そうか」
自分も行こう。そう思って腰を浮かせた途端、素早く駆け寄って来るリリティア。期待の眼差しを向けられてしまう。今度はいったいなんだ?
「ねえねえねえ、髪を結んでくれない?」
「髪?」
「今日は三つ編みにしたいの。そういう気分なの」
人間は気分で髪型を変えるのか、どうりで街に出ると色んな頭を見かけるわけだ。また新しい事実を学んだ。
しかし自分は髪の結び方など知らない。はっきりそう答えると、それでもリリティアは食い下がって来る。
「教えるからっ」
「やり方を知っているなら自分でやればいいだろう」
「自分ではやりにくい髪型もあるの。前はお母さんがやってくれてたけど……」
「ああ」
それで代わりに選ばれたのか。納得するアイズ。
(まあいい)
一回見たら覚える。自分はそういう天士。
「わかった、私も用を足すからその間に着替えておけ」
せっかく結っても、それから着替えるのでは崩れて二度手間になってしまう。
「あっ、そうだね。なんだ、アイズわかってるじゃん」
「そのくらいは見当が付く」
今度こそ立ち上がって部屋を出る彼女。天士の肉体の構造は人間のそれとなんら変わり無い。だから食事も排泄もする。今までそれが当たり前だと思っていたが、ふとどうしてなのかと思った。
(もっと機能的な構造で良かったのではないか?)
食事も排泄も睡眠も不要。そんな身体ならずっと使命に従事できる。なのに何故神々は自分達天士をこんな姿にしたのか。
用を足している間ずっと考えてみたものの答えは出なかった。いつか天に帰る日が来たなら、その時には直接神に訊ねてみたい。
部屋に戻るとリリティアはすでに着替えを終えていた。アイズも制服を着こみ、互いに向かい合って座るとようやく髪結いの勉強が始まる。涼し気な半袖から突き出た細い両腕。その先端の十本の指が器用に自分の桜色の髪を三つ編みにしてみせた。
「ほら、こうやるんだよ。私の髪でやってみて」
せっかく結った髪を解いて促す少女。アイズは言われた通り、彼女の後ろに回って指を動かしてみた。瞬く間に肩にかかる長さのリリティアのそれが三つ編みに変わる。
「どうだ?」
「わっ、すごく上手! 本当に初めてなの?」
「ああ」
そのはずだ。アイズはずっと今の髪型。目にかかると邪魔なので定期的に切らせている。他の団員も男で長髪は一人もいない。だから髪を結った経験など無い。
なのに自然に指が動いた。
何度もそうしてきたかのように。
「……」
違和感がまた強くなった。自分の肩に長い髪がかかっていた頃があった気もする。リリティアのものよりずっと長いそれを毎日丁寧に結っていたような……。
自分の手を見つめて黙ってしまった彼女の顔を覗き込む少女。
「どうしたの?」
「いや」
なんでもない、そう言って立ち上がる。馬鹿なことを考えた。やはり毒のせいで損傷を受けているのかもしれない。おかしな考えは切り捨てる。
「それより朝食に行くぞ。私達は平気だが、お前達人間は頻繁に食事を取らないと死んでしまうだろう」
「そうだよ。うん、お腹空いちゃった」
「なら、さっさと食え。その後で今日の方針を決めろ。また城の中の探索か?」
問いかけながら扉を開く。先に出て頬を膨らませつつ振り返るリリティア。
「二人で決めるんだよ。団長さんが言ってたでしょ」
「そうだったな」
だったらと、あることを思い出すアイズ。
「ウルジン……私の馬をしばらく運動させていない。中庭で走らせるから付き合え」
「楽しそう! やってみたい!」
「そうか」
それは良かった。
「……」
「アイズ? また固まってる」
「ああ……」
やはり違和感を拭えない。思考にまで自分のものとは違う意識が干渉している気がする。それともこれはリリティアから影響を受けたことによる正常な変化なのか?
先程の疑問を思い出す。天士は何故人と同じ姿をしているのか。
「私は、いや、私達はどうして似ているんだろうな?」
「同じ神様が作ったからじゃない?」
「それだけか?」
「わかんない」
まあ、それはそうか。彼女は人間。より神に近い天士ですら知らない真実を知っているはずもない。
「何故なんだろうな」
「変なアイズ。それより早く行こうよ」
リリティアはまたアイズの手を掴んで引っ張り出す。一瞬抵抗したが、今は彼女と共に行動することが自分の任務。思い出したアイズも歩調を早める。石造りの硬い床。二人の靴音は静かな廊下に大きく響く。
それは、やがて訪れる新たな災禍の足音にも聴こえた。
──数日後、ブレイブの元に予想通りの報が入った。その後も次々に同様の報告が大陸各地から寄せられる。こことは別の地で魔獣被害が多発していると。どんなに守りを固めてもいつの間にか街や砦に入り込んでしまうそれらのせいで、すでに多くの命が失われてしまった。
さらに、人が魔獣に変わったという不確定情報もある。
事実だろう。彼女達の暴走が始まったのだ。統一された意志の元に動いているとは限らないが、だとすれば余計に危うい。いずれにせよクラリオの事件は始まりに過ぎなかった。魔獣との戦いはこれからも続く。イリアム・ハーベストの手で怪物に変えられてしまった少女達、全ての“アイリス”を倒さない限り。
界暦一三〇九年六月三十日、ガナン大陸の人々はさらなる苦境を迎えようとしていた。
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