暗転

「何をしたらいいんだ……」

「……」

 不機嫌な顔で廊下を進むアイズ。その後ろをついて行くリリティア。そんな少女の姿に人の記憶とは都合の良いものだと思うエアーズ。病院であんな目に遭わされたのに彼女は今なおアイズ副長を慕っている。それはアイリスから助けられたことを覚えているからであり、同時に病院での出来事を忘れたから。

 心を守ろうとする防衛反応。記憶障害は改善していない。事実を受け入れたということなのか、両親の死については思い出したまま。しかし彼等の話をすると再び前後の記憶が飛ぶ。毎回ではないが、当人なりの基準で耐えがたい事実があると感じた時にそうなってしまうようだ。

 アイズを慕っていることについてもメイディがこう言っていた。今の彼は半減した医療従事者を手伝い、怪我人や病人の面倒を見ている。


『亡くした両親の代わりにアイズ副長に依存しているのかもしれない。元々慕っていたんだろう? 他に身寄りが無いなら、そういう存在を無意識に頼ってもおかしくない』


 つまり彼女の心は今もまだ深く傷付き、壊れかけたままなのだ。だからこそ彼は不安を覚える。本当にあんな状態の少女とアイズ副長を一緒に生活させていいものなのかと。

 ただ、ブレイブの判断を指示していないわけでもない。今のクラリオの状況では妥当な選択だとも思う。

 アイリスとの決戦当夜、城と病院にいた人々はリリティアを除き全滅。アイズもろとも火球の炸裂に巻き込まれた区画でも大勢が死んだ。

 多くの者達が脅威を打ち払った自分達を称える一方、被害を未然に防げなかったことを責める市民も少なくない。アイリスについての情報は今もその多くが伏せられているため、あの夜にいったい何が起こったのか詳しく説明して欲しいという声も上がった。

 それに対し団長は、帝国軍壊滅後に野放しになった魔獣の群れが襲撃を仕掛けて来たと説明を行った。嘘ではないが全てを語ってもいない。人を魔獣化させられるアイリスの力が知れ渡れば間違いなく今以上の混乱が起こる。だから城と病院にいた人々の遺体が無いのは何故か、その真実は永久に闇に葬られるだろう。遺族は空っぽの墓の前で泣いているのに。

 たった一人、惨劇を生き延びた少女の存在はすでに周知の事実。被害者や遺族の中にはやり場のない憤りと悲しみで正常な判断力を失い、彼女も魔獣なのではと疑い害しようとする動きがある。そんな状況で彼女の身柄を市民に託すわけにはいかない。アイズは彼女の監視役であり生徒、そして護衛。全てを見抜く神眼の騎士が傍にいる限り、誰も彼女に手出しできない。


(副長にとっても、たしかに良い学びの機会ではあるはず。補佐官の私もなるべく二人をサポートしていこう)


 彼にも不満がある。アイズが正当な評価をされていないことだ。この八ヶ月、誰よりも近くで彼女の努力を見て来た。そしてようやくその努力が報われた瞬間も見られた。だが市民の大半は魔獣の襲撃に気が付けなかった彼女を最も強く批判している。アイリス討伐の最大の功労者なのに逆に彼女だけが評価を落とした。それが悔しい。

 病院でのリリティアに対する尋問には腹を立てたが、彼にとってアイズのミスとはその一点だけ。他に落ち度など一切無い。彼女は自分にできることを精一杯やり続けた。

 だから変わっていってほしい。彼女自身も、そして周囲の目も。彼女が正当に評価され、リリティアがそうするように多くの人々に慕われるようになること。それが今のエアーズの目標。

 小走りに二人に追いつき、リリティアを挟む形で横に並ぶ。

「副長、頑張りましょう。これも任務です」

「任務……ああ、そうだ、任務だ……」

 自分に言い聞かせるように繰り返す彼女。やはり納得はできていないらしい。でも良い傾向だと思う。何も考えず命令に忠実に従い続けるより、きっとその方が素晴らしい。

 リリティアがそんな彼女を見上げて話しかけた。

「アイズ様、今日はどうするの?」

「わからん」

 即答するアイズ。会話が途切れてしまう。気まずい雰囲気。堪えかねてエアーズが助け舟を出す。

「リリティアさんはどうしたいんです?」

「リリティアでいいよ。私、まだ子供だもん」

「ではリリティア、私のことはエアーズと呼んでください」

「うん、よろしくエアーズ」

 エアーズさんと呼んで欲しかったのだが、まあいいか。微笑みかける彼。少女もにこりと微笑み返す。そして二人同時にアイズを見た。

 戸惑う彼女。

「アイズだ、知っているだろう?」

「知ってるけど、こういうのは大事なんだよアイズ様」

「そうですよ副長。挨拶や自己紹介を疎かにしてはなりません」

「そういうものか……」

 立ち止まって考え込む彼女。窓から差し込む柔らかい陽光がその横顔を照らす。いつもの仏頂面。けれどエアーズとリリティアは息を飲んだ。

「きれい……」

「ですよね」

 などと小声で囁き合ったところに、ようやく顔を上げるアイズ。目線は逆に下げてリリティアの顔を見つめる。

「ならば、改めて名乗ろう。私はアイズだ」

「リリティアです、よろしくお願いします」

「ああ、よろしくなリリティア」

「アイズって呼んでいい?」

「えっ?」

「好きにしろ」

「えっ?」

「じゃあアイズ! 私、アイズのお部屋が見たい! お城の中も探検しよう? 今日から私もここで暮らすんでしょう? 案内して!」

「わかった」

 やることができて安心した。そんな顔で歩いて行くアイズ副長。追いかけて手を伸ばすリリティア。アイズは平然とそれを掴んで手を繋いだ。呆気に取られたエアーズだけ取り残される。

「なんて子だ」

 天下の天遣騎士団副長を呼び捨て。そんなことは自分にもできない。人間の子供とは皆あんなに大胆なものなんだろうか? 自分もまだまだ人間に対する学習が足りないらしい。痛感した彼はアイズに呼ばれて慌てて走り出す。

 かくして大きな動乱の後、天遣騎士団が暮らす城に住人が一人加わった。彼女の存在が天士達に、特にたった一人の黒い天士にどのような影響を及ぼすのか、それはまだ誰一人知らない。


 ──この状況を仕組んだ者以外は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る