【おまさす】ネコになっちゃったにゃ

「やっぱり…………だって…………」

「えー…………でも……じゃない……?」


 昼休み、食堂にて自分のご飯を運びながら今日の昼をともにする仲間の席に行くと、知世と円が話し込んでいた。


 今日はここちゃんが用事があってお昼ご飯を一緒に食べられないというので、久しぶりに知世と円と私の三人で食べることにした。二人は定食で、私だけ一人ラーメンを頼んだせいで席に着くのが遅くなってしまった。というのも、うちの学校のラーメンはなぜか人気が高く……というよりはとりあえずなにも考えずに選ぶ人が多いのか、ラーメンの受け取り場所だけ異様に人が並ぶで有名なので、私もその恩恵を受けたということだ。


「お待たせー。なに話してたの?」


 私は取ってもらっていた席にお盆ごとラーメンを置いて、うまく聞き取れなかった先ほどの二人の会話の内容を訊く。


「聞いてくれよ恵莉花。ここちゃんってネコっぽいよねって話なんだけどさ」

「ねこ……?」

「そう。動物に例えるならどの動物、的なやつ。んで、私がネコでしょ、って言ったら円が『イヌじゃない?』って言うんだよ」


 納得できないという感じで知世に見つめられた円は、その視線を痛くも痒くもないといった様子で平然と答える。


「だって、ここちゃん恵莉花ちゃんのこと大好きでしょ? ご主人さま大好きな感じがワンちゃんっぽいなって」

「いやいや、イヌはご主人さまのこと弄んだりしないだろー。恵莉花を見てみろよ。このここちゃんに一切敵わないといった感じの表情を」

「私どんな顔してるの」


 先ほど話し込んでいたときは妙に真剣な顔だったから気になって訊いてみたものの、蓋を開けてみればこんな感じの内容なので顔に呆れた表情が滲み出た。


「恵莉花だってそう思うだろー? ここちゃんきまぐれだし、いたずら好きだし。それでいてかまってくれないと拗ねるところとか、自由な感じネコっぽいだろ?」

「んまあ、そう言われてみればそうだけど」

「でもいたずら好きなのはワンちゃんだってそうじゃない? それに先輩先輩、って恵莉花ちゃんにくっついてるここちゃんはワンちゃんっぽいでしょ?」

「確かにお利口さんではあるけど……」

「恵莉花お前流されすぎだろ。そんなんじゃ埒明かねーじゃねーかよー」


 知世が目を細めて呆れ顔になる。そんな顔しなくても。確かにきまぐれな感じはネコっぽいし、お利口な感じはイヌっぽい。どっちもそれっぽいでいいと思うのだが、二人の様子を見るにそれじゃダメらしい。


「ま、これでも一番ここちゃんを近くで見てるのは恵莉花だからな。最後は恵莉花のジャッジで決めようぜ」

「いいよ。負けた方ジュース一本奢りね」

「いつから賭け事になったのこれ……?」

「言ったな? よしほら恵莉花、ここちゃんはネコかイヌか、どっち!」


 円の一言で責任の重大さが倍増した役割を背負わされ、二人の期待の眼差しとともにのしかかってくる重量に押しつぶされそうになる。


「うーん……どちらかというより……」


 二人の相槌が重なる。お昼ご飯そっちのけで注がれる目線の中で私は口を開く。


「……タスマニアデビル?」

「「タスマニアデビル……!?」」


 驚愕の声が二つ重なる。混雑して色んな声が交わされる食堂の中でも少し大きめのその声に周りから数人の注目を集めた。


「ど、どのへんが?」

「なんか、小悪魔な感じが」

「まさかのデビル要素……!?」


 二つともがっくり肩を落としてため息をつく。なんかものすごく申し訳ないことをした気がして心の中で謝った。なんとなく口には出なかった。


「タスマニアデビルって確かかなり凶暴だよ? 小悪魔というよりは普通の悪魔って感じ」

「そうなの? それじゃあここちゃんとは違うかも」

「まあ可愛い顔しながら侮れないってところは似てるのかも……? でも小悪魔って感じならネコに近いんじゃね? 私の勝ちだろ」

「あ、ずるい。どっちとは言われてないから引き分けですー」

「まずなんで戦ってるの……」


 言い合う二人をそっちのけでようやくラーメンに一口目をつけた。まだ麺はのびていなかったのでセーフ、だと思う。



***



 放課後になっていつも通りここちゃんを迎えに一年生の教室に行ったのだが。


「ここちゃんですか? もう帰りましたよ?」

「え?」


 ここちゃんと仲がいい女の子が教室を訪ねたときそう言った。毎日教室に迎えに行っているせいで私の顔は覚えられており、教室の扉を開けた瞬間そう言われたので色々困惑してしまった。


 いつもは教室で私の迎えを待っていてくれているのだが、そんなここちゃんが一人で寮に帰ってしまったのか。今までなかったことだったので少し驚いてしまったが、まあ別々に帰ることくらいおかしいことではないしあってもいいのだろう。


「ごめんなさい。ありがとう」

「いえいえ」


 私が教室の扉を閉めると、制服のポケットの中でスマホが揺れた。メッセージの着信を知らせる振動に私はポケットからそれを取り出すと、画面に「ここちゃん」と表示されていた。


『先に帰ってます。楽しみにしていてくださいね♪』


「楽しみ……?」


 それだけ送られてきたメッセージに首を傾げながら、私は靴箱に向かって自分の靴を取り出すと、そのまま真っ直ぐ寮へと帰った。



***



 二〇二号室。私たちの住処であるその部屋の扉を開いて中ドアを開けると、私は硬直した。


「あ、先輩〜♪ お帰りなさいですにゃ♡」


 部屋の真ん中で座るここちゃんの頭に生えているものは、紛れもなくネコの耳。ふわふわしたその耳を見て、数秒時が止まると、私はバタンと扉を閉めた。


「とうとうおかしくなったか……私……」


 昼間ネコの話をしていたからだろうか、制服のまま座り込むここちゃんの頭には髪の色と同じ黒いネコ耳が生えていた。それは現実では考えられるものではないくらい私でもわかっていて、それが見えてしまった私はおかしくなってしまったということだ。


「いや、まだ夢の可能性がある」


 一縷の希望に縋り、私は深呼吸をしてから一気に自分の両頬を引っ張る。


「……痛い」


 その希望は自分の指で引っ張って弾けた。私はその事実に打ちひしがれ、床に手をついて倒れた。


「ああ……私は本当におかしくなったんだ……」

「……あのー。ネコ耳つけただけでそんなになります?」


 中ドアが開いて、ここちゃんがゆっくり顔を出す。その頭にはネコ耳が健在。


「ああ……まだある……」

「いやこれカチューシャです。ニセモノです」

「え? そうなの?」


 そういうとここちゃんが頭に手を添えた。すると黒い輪っかに二つの耳がついたカチューシャが髪の中から出てきた。


「よかったぁ……幻覚を見てるのかと」

「なんでそうなるんです? 普通付け耳だと思うじゃないですか……」


 ここちゃんはネコ耳をもう一度頭につけ直しながら零す。つけ終わると私に手を差し伸べて立つサポートをしてくれた。


「それどこから持ってきたの? というかなんでネコ耳?」

「なぜか教室にあったのを思い出したんです。なにかの行事で使うつもりだったのか、理由は思い出せないですけど。なんとなくあったの思い出して持ってきちゃいました♪ まあ探してたらお昼休みが消滅したんですけど。それに尻尾はなかったんですよねー」

「なんで教室にネコ耳があるの!? ……というか、ネコ耳のためにお昼ご飯私と一緒に食べなかったの?」


 優先順位が私よりもネコ耳の方が高いと言われた気がして少し凹む。


「ほら先輩。そんなところにずっといないで、早く中に入りましょ♪ 今日のここはネコちゃんなので、いっぱいかまってもらわないと拗ねちゃいますよ?」

「はいはい」


 ネコ耳以外はいつも通りのここちゃんだと安心して、私は部屋の中に入る。いつも通り鞄を置きながら制服を着替えようとブレザーのボタンを外しながらちらとここちゃんの方を見ると、制服も着替えずにもう一度座り込みながらものすごく不満そうな顔で頬を膨らませていた。


「……なにか私悪いことした?」

「べっつにー……」


 ぷいっとそっぽを向いたここちゃんは明らか不機嫌で、やっぱり私はなにかしてしまったらしい。私は服を脱ぐのをやめて、すぐさまここちゃんの前へ行く。


「話してくれないの?」

「……ここ、ネコちゃんなんですけど」

「そうだね」

「かまってくれないと、いやなんですけど」


 数秒前にかまってと言っていたここちゃん。あれは今すぐかまってという意味で。それなのに私が自分のことを優先したせいで、このたった数秒の間で拗ねてしまったのだ、と思う。


「わかった。かまってあげるね」

「別にいいです」

「え、えぇ……?」


 後ろにまでそっぽを向いてしまったここちゃんは、私に背中を見せた。その様子に困惑してしまって、またもや私は固まってしまった。


 かまってほしくなかったのかな……? 確かに、ネコってかまってほしくないときにかまうとものすごく嫌がるって聞くけど……でも、今目の前にいるネコはここちゃんだ。


 長年一緒にいるわけじゃないから全部わかるわけじゃないけど、それなり長く一緒に過ごしてきて、少しはここちゃんのことわかってあげられるようになったつもりだ。だから今、ここちゃんが本当にしてほしいことは……。


「ひゃっ、先輩……?」

「よし、よし。寂しくさせてごめんね」


 ここちゃんの背中を後ろから包むように抱きしめて、私は頭を撫でた。耳の感触がけっこうクセになるけれど、本物ではないからここちゃんはなにも感じない。けれど、ないはずの尻尾が揺れている気がした。


「ごろごろ……」

「ん……にゃあっ……」


 顎の下を指先で撫でるとここちゃんがくすぐったそうな、気持ちよさそうな声をあげる。しばらくすると、ここちゃんを撫でている私の手を掴んできた。


「なんで、撫でてるんですか……」

「あれ、嫌だった? ごめんね」


 私はすぐさまここちゃんから離れた。ここちゃんは本当にかまってほしくなかったみたいだ。揺れる尻尾なんて、本当になかった。


 私が申し訳なくて俯いていると、ここちゃんがゆっくり振り向いた。


「……なんで、やめちゃうんですか……?」

「えっ?」

「もっとしないんですか……?」


 捨てられた仔ネコのようにうるうるした瞳で見つめられて、胸の中が跳ねた。


 わ、わあー。罠だった。やっぱりかまってほしかったみたい。ここちゃんのこと少しはわかるようになってきたって、嘘じゃん。調子に乗りすぎてたみたいだ。


「する! するよっ! ごめんね、途中でやめちゃって!」


 私はもう一度ここちゃんに背中から抱きついて先ほどよりも強く頭を撫でた。ネコを飼っている人は、こんな駆け引きを毎日しているのだろうか。言葉も通じない状態で、大変だ。でも、なんとなくいつものここちゃんより素直な気がする。気がするだけだろうけど。


「先輩、わしゃわしゃしすぎです……」

「あっ、ごめん。もっと優しくするね」

「いえ、そのままの強さでいいです。……そのままが、いいです」


 そう言ってここちゃんはくるりと振り返って、今度は背中からじゃなく前から抱きつくようになった。その仕草がなんとも愛らしくて、いじらしくて、ネコがどれほどわがままでもお世話をし続けられる飼い主の気持ちがわかった気がする。


 私はわしゃわしゃとここちゃんの髪が少し乱れてしまうくらい強く撫でる。心配になるくらいの強さだけど、ここちゃんは気持ちよさそうな顔を浮かべているのでそのままにした。


「……先輩。だっこ、してください」

「だ、だっこ?」

「はい。ここをだっこするんです。嫌ですか?」

「嫌じゃないけど……大丈夫?」

「なにがですか? 誰も見てませんし、恥ずかしくなんかないですよ」

「そういう問題じゃ……まあいっか。ここちゃんがしたいなら」


 私は立ち上がりながらここちゃんの脇の下に手を入れて、一緒に立ち上がる。非力な私でもするっと持ち上がってしまうここちゃんの軽さに少し驚く。そのまま目線が合うくらいの高さまで持ち上げた。私より身長の低いここちゃんは地面についていない脚をぷらぷらさせながら真っ直ぐと伸びている。持ち上げられて同じようにびよーんと伸びているネコと重なって、少しおかしくなって笑ってしまう。


「んなぁっ……!」


 持ち上げられたここちゃんは驚いた表情を浮かべていて、その顔がどんどん赤くなっていく。


「? ここちゃん?」

「っ……だめっ!」

「あがっ」


 不意に目の前で顔を合わせるここちゃんから両手が飛んできて、私の両目に勢いよく命中した。


「こ、ここちゃん……前が見えない……」

「あ、ああっ! すみません、先輩!」


 目からここちゃんの手が離れ私の視界に光が戻ってくると、私はここちゃんから手を離してその場にへたり込んだ。


「大丈夫ですか、先輩!?」

「う、うん、大丈夫。痛いけど、なんともないよ」

「すみません、そんなつもりはなくて。ただ、先輩の顔が近かったから……ちょっとびっくりしちゃって……」


 顔を赤くしたままのここちゃんが慌てて目線を合わせるようにしゃがむ。


「すみません、痛いですよね。先輩……目、瞑ってください」


 私は言われたまま目を瞑った。しばらく周りが静かになって、不意に柔らかいものが左瞼に当たった。


「ん……ちゅっ」

「……? …………!? ここちゃん!? 今なにしたの……?」


 ばっと勢いよく瞼を開くと、少しでも動けばぶつかってしまいそうなほど近くにいるここちゃんと目が合った。真っ直ぐな澄んだ目の奥に意識が吸い込まれそうになる。


「今のここちゃんはネコちゃんですから、お詫びに痛くしちゃった部分を毛繕いしたんです。でも、ぺろぺろするのは少しばっちぃですから……瞼にちゅ、ってしちゃいました♡」

「ちゅって……キスってこと……?」

「ほら先輩、まだ左だけしかやってませんよ? 右もやらなきゃ。ほら、目閉じてください♡」

「は、はいっ……!」


 私はぎゅっと瞼に力を込める。次に来るものがわかってしまっているから、心臓の音が先ほどの何倍もうるさい。


「……先輩、緊張してるんですか?」

「ひゃっ……!」


 瞼にキスされるのを身構えていたが、来たのは左耳への囁き声だった。予測していなかった方向から来たものに肩が飛び跳ねる。ぽしょぽしょと囁かれる言葉は、心臓の音よりも小さいのになによりもよく聞こえる。さらに身構えた私に、ここちゃんは頭を優しく撫でてくる。


「力入れちゃ、めっ、ですよ……それとも、このまま耳にちゅってされたいんですか?」

「い、いや……違う……」


 私は身体がこわばりながらも最大限力を抜いた。するとここちゃんは黙ってしまって、心臓の音だけが響く。なにも言わないここちゃんが次に来るのは瞼なのか、それとも耳なのか、はたまたまた別のところからなのかわからなくて少し怯える。


「……ちゅっ」


 少しの沈黙のあと、唇が触れたのは右の瞼だった。私はそれにどこか安心感を覚え、それと同時に身体の力が全部抜けて、後ろにあったベッドの壁にもたれかかった。


「ふふっ。先輩、びくびくしてて可愛かったですよ♡ 仔ネコちゃんみたい♪ どうですか? 痛いの飛んでいきましたか?」

「もう、なにもわからない……」


 そもそも痛みを感じることすらできそうもなかった。目の前のここちゃんはいつもと変わらないいたずらな笑顔を浮かべていた。


「ねえ先輩。瞼へのキスって、相手への憧れの意味があるらしいです。ここ、いつだってどこまでも優しい先輩が憧れで、大好きです♡」


 ここちゃんは私に強く抱きつく。さっき拗ねてたのが嘘みたいに離れる素振りは一切ない。私はそんなここちゃんが微笑ましくてもう一度頭を撫でる。今度は、優しく。


「そんな大好きな先輩に、ご褒美です♡」

「ご褒美……?」


 そう言ってここちゃんは自分の頭に手を添えて、ネコ耳を外した。そしてそのネコ耳を、私の頭へと持っていく。


「……へ?」


 その耳は私の頭に着地して、私は今ネコへと変貌した。


「今度は先輩がネコちゃんです♪ いっぱい可愛がってあげますからね♡」

「ま、待って、私はいいからっ!」

「えー、そんなこと言わないでくださいよ。……そうだ先輩。さっきの瞼みたいに、キスはする場所によって意味があるんですよ。ちなみに耳は……内緒です♡」


 ここちゃんが私を逃さんというように膝の上に乗ってくる。私は逃げ場がないことを悟って、ここちゃんに涙目で訴えかける。


「気になりますか? それじゃあ……先輩の耳で確かめてみましょうか?」

「ゆ、許してっ……!」

「許してほしいんですかー? これはご褒美なんですけどねぇ。でもどうしてもって言うなら……先輩が『にゃー』って可愛く鳴いてくれたら、許してあげます♡」

「なにそれぇっ……!」

「ほら、三秒以内に鳴かなかったらしちゃいますからね? ほら、さーん、にー、いーち……」

「にゃ、にゃあぁ〜!」


 虚しい負けネコの遠吠えが部屋の中に響いた。

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