第18話 雨に謳えば

 弱い雨の中、年洋と佐里さんで傘をさして二人並び、駅まで歩く。降り続く雨なせいか、予報では気温が夏日を越えない事になっている。が、朝からじめっとした暑さがまとわりつく。出かけるのには、あまり向かない天気だ。

「雨、だね……」

 佐里さんの足取りは重い。原因はこの雨だというのは分かっている。家にいる時はそうでも無かったが、外で直接雨を見るような事になると、こうなる。

 佐里さんの表情も、曇っているように見える。


 空も曇りなら、こんな事も……。


 いや、いつまでもこんなんじゃいけない。下手すると、佐里さんだけ目の前から消えてしまうかもしれない。今日は、それをなんとかする為に誘ったんだ!

「降らなければ良かったのに……」

「むしろ、降ったからよかったんだ」

「え?」

 佐里さんは目を丸くして、足を止めた。

「生きてる以上、雨には絶対遭う。全く雨の降らないなんて……アフリカのスーダンにはあるけど、ここにいる以上は雨に遭うんだ」

 年洋も足を止め、振り返って佐里さんの方を向いた。

「イヤな思い出なんて、消えないかもしれない。だから雨にイヤな思い出が有っても、イイ思い出で少しずつ侵食して行けばいい。そうすれば、イヤな思い出の割合が減っていく。それが出来るのが今日なんだ」

「なんでそれを……」

 佐里さんは不思議そうに年洋を見てきた。

「ごめん、佐里さん。最近元気が無いから、亜優ちゃんに訊いたんだ」

「そんなに顔に出てた?」

「うん。たから少しでも元気になるようにって動植物園に誘ったんだけど、雨だったからより良かった。雨だからこそ、楽しく行こうよ。それに……」

「それに?」

「佐里さんは笑うとかわいいから、そっちの方がいいよ」

「――っ」

 佐里さんは黙って俯いてしまった。顔が少し赤いようにも見える。

(ちょっと攻め過ぎたかな?)

 と思ったが、これぐらい言わないとダメだろう。亜優ちゃんが何を言ってもダメだったんだから。

「どうする? 行く? 行かない?」

「………………行く」

 佐里さんは顔を上げた。

「そこまで言うんだから楽しい思い出、作らせてくれるんだよね?」

「ああ。俺に任せろ!」

 という年洋の力強い言葉に、

「フフッ。楽しみだね」

 と、笑顔を見せてくれた。

 やっぱり佐里さんには、こっちの方が似合う。


 電車を降りて、駅前からバスに乗り換える。

 平均勾配5%程度の坂を登っていくと、動物園正門前に到着である。ゆる坂に満足出来ない人は、そのまま西門の方へ進めば10%の坂を体験出来る。

 動物園は現在、二十年以上の長期計画でリニューアル工事を行っている。すでに開始から十年以上は経っているが、まだ終わりは見えない。

 正門はリニューアルされて、大階段の上にコンクリート打ちっぱなしの巨大な建物が見える。動物園入口の他に、展示施設や外部からも入られるギフトショップやレストランが有る複合施設になっていた。

 階段の前にはキリンのような身体をした動物の喉にゾウの頭が付いているという謎の物体が向かい合って一対有るが、これは戦前には別の場所に有った動物園正門を復元した物。その門自体は、ドイツに有る動物園正門を参考に作られたという。

 そんな門を、年洋と佐里さんは見上げていた。

「年洋くん。これってゾウなの? キリンなの?」

「あー……あ?」

 こんなの、記憶に無い。年洋の記憶に有る正門は、横長でいかにも「動物園入口です」みたいな低い建物で、右の方に時計台が見えていたはず。

 そんな知らない世界に現れた物はなんだろうと考えた結果、

「――ゾリン?」

 と言うと、佐里さんは笑いだした。ツボに入ったらしい。

「なに、ゾリンってっ」

「ほら、ゾウって幸せの象徴だし、キリンも名前の由来になった麒麟は幸せを運んでくると言われてる。それを組み合わせた究極の幸せな生き物なんだよ」

 知らんけど。

「へぇー。凄い生き物なんだね」

 信じてる。

 それでいいのか? 佐里さん。

「ここを通ると運気が上がったり、幸せになれるとか」

 知らんけど。

「だったら、通らないと」

 佐里さん、信じてる。そのうち詐欺とかに遭いそうだ。

 ちょっと心配しつつも、佐里さんと二人でゾリンの門を通って、動物園の中へと向かう。

 雨はいつの間にか止んでいた。

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