第16話 んがんん

 あの後、亜優ちゃんはいつもの元気な姿に戻って、はす向かいの家へと帰って行った。いつもと違う雰囲気で迫られるとアブないというのは、身に染みてよく分かった。

 亜優ちゃんを見送ったあと、母ちゃんがニヤニヤしながら、

「凄い音したけど、あの子がかわいすぎて押し倒しちゃった?」

 と訊いてきた。何を息子に訊いてるんだよ!

「逆だよ。押し倒された」

「あら! あの子、ずいぶんと積極的なのね。そうは見えないのに。その子、絶対年洋のこと好きでしょ」

「いや……」

(そうとも言いきれない)

 とは思う。

 嫌われていないのは、間違いないが。

 慕われてるのも、間違いない、と思う。

 そこから踏み込んで好きかどうかとなると……。

 結局、あの後の言葉は無かった。亜優ちゃんはハッキリと言わなかった。

(亜優ちゃんの本当の気持ちは分からない)

 というのが、真実なのである。

 でも、あの抱きつかれた時の――鼻腔をくすぐった爽やかな香りは明確に分かる。覚えている。日花さんに抱きつかれた時とは、明らかに違う香りだった。

 あれかな? 部活で汗をかくから制汗剤とか?

 こうなってくると、佐里さんの匂いも嗅いでみた――。

(……今の俺、凄く変態的になってないか?)

 塩里家には、人を狂わせる何かがある。


 週明けの月曜日。

「さーて、先週のお姉さんはぁ?」

 いつも通り、天瑠が陽気に訊いてきた。週刊お姉さんは飽きたのか?

「お姉さんはサザ⚫さんではない」

「トシです……お姉さんにフラれたとです!」

「予告は『〇〇です』とは言うが、ヒ■シは出ない!」

「で、どうなんだ?」

「え? あー……」

 急な話題変更に、年洋は言葉に詰まる。

「あったな? オレに言いたくない何かがあったんだな?」

 そうでは無いのだが、あったと言えばあった。

「何があったんだ?」

「お姉さんとは何も無かった。無かったんだが……妹を家に呼んだ時に――」

「おい、待て」

 年洋は天瑠に両肩をガッシリ掴まれた。

「どういうことだ? 妹を家に呼んだって。何があった? ナニかヤったのか?」

 天瑠はちょっと興奮気味に肩を揺さぶる。鼻息が荒い。

「相談だよ。娘さんについての」

「ん? お姉さんから娘に乗り換えるのか?」

「いや、そうじゃない。娘さんが元気無くて気になったから、相談しただけだ」

「まぁ……女の子には元気の出ない時期だってあるさ!」

「? どういう事だ?」

 年洋には、その理由が分からない。

 だが、佐里さんに元気が無い理由は明確だ。雨の日のイヤな思い出である。

「落ち込んでる娘さんをどうにかしたいんだが、何かいい手は無いだろうか」

「そうだな……」

 天瑠は肩を掴んでいた手を放し、腕を組んで考え始める。

「オレが落ち込んだ時は――」

「待て! 天瑠……お前も落ち込む事有るんだな」

 年洋は驚いて、天瑠の言葉を遮って言ってしまう。

「オレをなんだと思ってる?」

 脳天気エロ将軍。

「ま、それはどうでもいいや」

 単純なヤツでよかった。

「例えば、うまいもの食ったりだな。普段食わないようなものとか」

 どちらかというと、佐里さんは作る方が好きそうだが。

「あとは身体動かしたり。運動はなんだかんだで気分が変わるな。ほどよく疲れて夜にぐっすり眠ると、朝には気分がすっきりしてるぞ?」

 運動……佐里さんは運動どうなんだろう。

「あとは気分転換にどっか出かけたりするな。普段なら行かないようなところとかな。そっちだと、気分はまったく切り替わるな。悩んでいたのが、バカみたいな気分になる」

 普段行かないようなところか……。

(それなら、俺にも出来るのではないだろうか)

 佐里さんが興味有るような場所で、普段行かないようなところ……。


 ――そう言えば、部屋の整理に行った時に……。


 身体も動かせるし、うまいもの……は有るか自信無いけど、条件に合いそうな思い当たる場所が有る。

 少し調べて、佐里さんを誘ってみよう。

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