第34話 対冬至郎

 途中で秋葉と合流して北海道の空に足を踏み入れたとき、北の空は既に黄昏に染まりつつあった。そして、普段なら迎え入れてくれるはずの空から晴人は初めて拒否された感覚を味わった。

「なんだこれ……」

 困惑は晴人だけではなかった。秋葉も夏芽も同様に仲の良かった友人に突然拒否反応を示されたかのようにショックで顔を歪めていた。

「空が支配されている?」

夏芽が自身の腕をさすりななら言う。

「冬至郎さんの拒絶の意志が空に蔓延していると言ったほうがいいかもしれません」

 秋葉の推測を聞き、晴人と夏芽はこの空の先にいる人物に思いを馳せた。

 拒絶の空を飛び続け、辰巳たちが観測した低気圧の中心部まであと一キロ弱かという場所で晴人たちは足を止めた。

 ――黄昏の空の下、黒い点が浮かんでいる。

「晴人、平気?」

「緊張してる。だけどびびってはいない」

「私たちの仕事は、まず異常に低い気温を上げることです。晴人くん、戦力に数えますよ」

「そのつもりで来ました」

「よろしい。それじゃあ行きますよ」

 再度加速。黒い点が少しずつ人の形に変わっていく。沈みゆく太陽に照らされたせいで、冬至郎の顔は鮮血を浴びたかのように真っ赤に染まっていた。

「――ようやく見つけてくれたな」

 冬至郎がにやりと笑う。

「どうしてですかっ!」

 真っ先に訊いたのは夏芽だった。「どうして晴人に季節を譲らないんですか!?」

「……夏芽はなぜ四季が必要だと思う?」

冬至郎がゆっくりと口を開く。

「質問しているのはこっちです」

「質問に答えるために必要なことだ」

 冬至郎にそう言われ、夏芽はしぶしぶ自分の考えを口にする。「……作物を育てるためだと思いますが」

「正解だ。日本の食文化を維持するためには季節の移り代わりは必要だろう」

続いて冬至郎は秋葉に視線を向けた。「秋葉はどう思う?」

「……四季そのものが日本の文化、生活様式を形成しているからだと思います」

 冬至郎は頷く。「それも正しい」

「じゃあ何で」晴人は口を挟まざるにはいられなかった。「何で春になるのを拒むんですか?」

「夏芽の質問の答えにもなるが……俺だってこの国に四季は必要だと感じている。だがな、それ以上に冬の美しさに心を奪われてしまったんだ。つまり、答えは俺のエゴだ。この美しい白銀の世界を溶かされるのが我慢ならんのだ」

「本当にそれでいいんですか?」

「悩んださ。悩み続けて季節が何周もした。そして悩んでいるうちに俺以外の四季者が次々に引退した。――みんな俺と同じ悩みを抱えたことが原因でだ。お前たちもいずれその道を辿る、これは絶対だ」

「入ったばかりの俺が言えることじゃないですけど、それならどうして引退せずに自分の勝手を貫こうとしたんですか?」

「……それは晴人、お前のおかげ、いや、お前のせいだ」

「えっ」

 思いがけない返しを受け、晴人は言葉に詰まった。「俺のせい……?」

「そうだ。俺が引退を考えていたそのとき、春山さんが逝ってしまった。春山さんが相手なら俺もこんな大胆なことをしたは思えない。しかし、だ。春山さんが逝ってすぐに気象庁でお前の写真が配られたとき、俺は冬に頼まれたと思ったよ。半人前の晴人が相手なら、俺がずっと冬のままにしてやれるってな」

「――っ」

 晴人は口が利けなかった。三ヶ月間、冬至郎が自分をそのように見ていたなんて信じたくなかった。冬至郎の吊り上った口角はダイヤモンドダストを見せてくれたときの笑顔と全く性質が異なる。自分のせいだと言われ、反論したくても「確かに……」と思ってしまう自分が嫌だ。

 ――でも、それでも。

「俺だって……引き下がるわけにはいかないんです!」

 意地だった。振り絞って晴人は叫んだ。ここで黙ってしまったら夏芽から受けた特訓の日々を否定したことになる。

「良く言った」

 晴人の肩に優しく手が置かれた。晴人は隣を確かめない。並んで前を向いていたかった。「晴人を甘くみないでください」

 落ち着いた口調だったが、底には怒気があった。愛弟子を馬鹿され、夏芽は非常に不愉快だった。

「この子、結構筋がいいんですよ?」

 秋葉の賛同が晴人に更なる勇気を与えてくれる。

「……それでは自慢の新人くんのお手並みを拝見させてもらおうか。ご覧のとおり、俺が練り上げたこの寒気は未だ発達中。遠慮しないで全力を注いだのは俺も初めての経験だ。どこまで巨大になるのか、行きつく先はわからない。果たしてお前たちに止められるかな?」

 冬至郎が枝を掲げると、頭上にある低気圧の中心だろう漆黒の雲がみるみる空を侵食していく。

「あの雲の侵食を止めましょう。それが最優先です」

 秋葉の言葉に晴人、夏芽が同意する。

「どうすればあの雲を止められるんですか?」

「晴人は少し落ち着いて。単純な話よ。いい? あの雲の中心はおそらく超低温。だから私たちがしなくちゃいけないことは一つだけ。正常な気温に戻してあげるの」

「気温上昇ってこと?」

「そういうこと」

「生半可な力じゃ焼け石に水……いいえ、氷山にお湯でしょうか」

「秋葉さんの言うとおり。晴人、全力で周囲の気温を上げるよ」

「わかった。ちなみに、皆様ご経験は?」

 夏芽と秋葉は揃って首を横に振った。今から行おうとしていることはいわば気温の暴走だ。管理する立場の者がすることじゃない。

「当然俺も初めてなわけで……だけど冬至郎さんも初めてってことですよね」

「多分ね。こんなことしたら絶対にバレる」

「なら、経験値は一緒だ。俺でも冬至郎さんに対抗できるかもしれない」

「……ちょっと生意気じゃない?」

「やっぱり?」

 晴人がにやりと笑うと、夏芽がぷっと吹き出した。「その意気」

 散り散りに離れた秋葉、夏芽、晴人、三者が紡ぐ紅、黄金、桜、三色の風が漆黒の雲に浸食された空を三方から包囲していく。

「いきますよ」

「はいっ」

 晴人は息を止めて枝を思い切り降り下ろした。呼応して桜色の風が巨大な壁に姿を変えて黒い空を圧迫する。一人だけなら手に余る範囲でも、三人いれば抑えられる。 

 冬至郎の作り出した黒雲は三方からの圧力で侵食範囲を縮小させていく。逃げ場のない冷たい空気も圧縮により暖められて――。

「……おかしい」

 春の枝を通じて晴人は違和感を覚えた。雲の温度がまるで変化してしない。秋葉の言ったとおり、氷山に対してお湯を注いでいるだけだ。表面は水に変わるが、奥底には全く届いていない。

「晴人! ありったけの力を込めて!」

 夏芽の叱咤の声にも焦りの色があった。気づいているのは当然晴人だけではない。季節の種を持つ者と持たざる者、彼我の戦力差に晴人は愕然とする。

「諦めた方がいいんじゃないか?」

 余裕に満ちた冬至郎の声が晴人たちの風の隙間を縫って響いてくる。「もう理解してしまったのだろう? ――無理だ」

「耳を貸しては駄目。私たちの心を折るのが目的です」

 黒雲の抵抗に歯を食いしばって逆らう秋葉にいつもの余裕はない。

 このまま風を押し付けていてもジリ貧になることは火を見るより明らかだったが、夏芽にも秋葉にも打開策はなく、発達する低気圧の進行を遅くするしかできない状況だ。眼前の黒雲はゆっくりと渦を巻き、内部では稲妻が暴れ回っていた。

 十分、いや一時間? 時間の感覚を失いつつも、ひたすら風を練り続けているとき、晴人の枝に異変が起きた。始めは微かな振動だった。それが瞬く間に腕の力だけでは抑えきれないほどに強くなり、まっすぐ伸びていた桜色の風がぐにゃりと乱れた。

「晴人!?」

 異変に気づいた夏芽に対し、晴人は勝手に暴れる枝を抑えつけるのに精一杯で応じることができない。「どんしたんだ!?」「大人しくしろ!」いくら呼びかけても春の枝は応えてくれず、まるで痛みを訴えるかのようにひたすら暴れ回る。

「新人にはそろそろキツい時間のようだな。 さぁどうする?」

 黄昏時にも係わらず漆黒に染まってしまった空から冬至郎の声が滲み出てくる。

「そんなヤワな鍛え方はしていません!」

 夏芽が噛みつくも、不安は隠せていなかった。黄金色の風が少しだが揺らぐ。「晴人、どうしたの? 何があったの!?」

「枝が――」

 晴人の声はそこで途切れた。暴れ回っていた春の枝が突如力の方向を一点に定め、さらに深い闇となった黒雲の中に晴人ごと突っ込んで行った。

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