第32話 雲隠れ
予想はできていたが、秋葉が周囲数キロを捜索したものの冬至郎は見つからなかった。ひとまず報告をすると言って秋葉だけが先に気象庁へ戻った。僅かな期待を胸にして待機していた晴人と夏芽だったが、結果は何も変わらず待ちぼうけ、気象庁から戻ってきた秋葉から帰還命令を受け、晴人たちは空を後にした。雪は、まるで晴人たちを追い返すかのように吹雪に変わっていた。
春の部屋で目を覚ますと、羽衣の姿はなく心電図が黙々と晴人の鼓動を刻んでいる。晴人は胸に貼ってある電極を乱暴に引き剥がして布団から飛び出した。時が止まったように一本の線が流れるだけの心電図とは裏腹に、部屋の外は蜂の巣を突いたかのように大騒ぎだった。
会議室には晴人が見たこともない職員がひっきりなしに入れ替わり辰巳に報告を上げている。対する辰巳は苛立ちを必死に隠しながら矢継ぎ早に指示を出している。話しかけるタイミングを逸していると、
「冬至郎さんなら行方不明よ」
辰巳代行として羽衣が現在の状況をため息まじりに教えてくれた。
「行方不明ってどういうことですか?」
晴人と同じく部屋から出てきた夏芽が訴える。
「言葉どおりの意味よ。桐谷冬至郎は冬の種を持ったまま雲隠れしたの」
羽衣は辰巳と違って苛立ちを隠そうとせず言葉は刺々しかった。「自宅には荷物が置きっぱなし、外出した記録はあるけど軽装で不審な点はなかったとの報告が入ってる、追跡を徹底していなかったのが悔やまれるわ」
「見つかるんですよね?」と晴人。
「意地でも見つけ出すわ……というわけで、悪いんだけどあなたたちはひとまずここで待機してもらっていてもいい? 各自の部屋にいてもらって構わない。辰巳からいずれ指示があると思う」
地上では一介の学生に過ぎない晴人たちに手伝えることはなく、三人は会議室の端に隠れるように身を寄せた。
「これからどうなるんでしょうか?」
明確な答えは返ってこないと知りながらも、晴人は訊かずにはいられなかった。
「可能性は二つだけ」秋葉が重々しく口を開いた。「冬至郎さんが季節の種を晴人くんに渡す意志が『ある』のか『ない』のか、それだけ。仮に『ある』場合、冬至郎さんが今日来なかったのは何らかのトラブルに巻き込まれてしまったと考えるのが妥当でしょう。でも、辰巳さんたちがあれほど探しているのに見つからないということは、冬至郎さんは自らの意思で姿を眩ましたと考えた方がこの状況に説明がつきます。つまり……」
そこで秋葉は言葉を切った。次の言葉を口にしてしまったら何かが壊れてしまうのではないかと恐れているようだった。沈黙が空気を淀ませていくが、新米の晴人に持つべき言葉は何もなかった。
「……『ない』を前提にして対策を立てるべきです」
夏芽は苦悶の表情を浮かべながら自分の立ち位置を決めた。「冬至郎さんが晴人に季節の種を渡さない場合どうなるか、まずはそこから考えてみましょう」
「春が来ない?」
晴人は思いつきをすぐに口にした。
「短絡的すぎます。地球の地軸がズレでもしない限り日本に春は訪れます。ただ、春と表現するには寒すぎる、北海道に至っては夏が春程度になる……ということはあり得るかもしれません」
秋葉の考察を聞いて晴人は全身が粟立った。たった一人の男の暴走がそこまで甚大な影響を及ぼすことに。そして、自身が今日その力を得ようとしていたことに今更ながら戦慄した。
「それだけじゃありません」秋葉が続けた。「季節が不安定になることで前線がどう形成させるのか、想像もつきません。梅雨の有無、台風の進路、気象は多くの要因が複雑に絡み合って形成されている以上、今までと同じ四季にはなり得ないでしょう」
「同感です」
夏芽が重たく頷いた。
「俺たちに何かできることはないですか?」
「とにかく冬至郎さんを見つけ出しましょう。そして晴人くんは季節の種を冬至郎さんから強引にでも引き継ぐの。いくら冬至郎さんでも、種がなければ冬を維持することは不可能なはずですから」
最終目標はわかった。しかし、到達するための手段がわからない。日本全土から一人の男、探し出そうにも範囲が広すぎる。
「居場所として冬の勢力が強い北が有力だとは思いますけど……決めつけてしまうのは早計でしょうね。闇雲と言われたらそれまでですが、私たちは日本全土の空を探しましょう。目視での捜索は私たちにしかできないことですから」
秋葉の提案以上の妙案は挙がらず、捜索範囲が割り振られた。秋葉が北海道から関東甲信越、夏芽が東海から中国地方、そして晴人が四国から沖縄だ。
受け持ちが決まったとき、ようやく報告の隙間を見つけた辰巳が三人に声をかけた。「すまない、残念ながら今のところ目ぼしい情報は報告されていない。が、地上の桐谷冬至郎の身体はこちらに任せてほしい。しかし彼の精神は我々では手が届かない遙か上空におそらくいるだろう。君たちに託してもいいだろうか?」
「もちろんです」
四季者たちの息の合った返事で辰巳の曇った表情に僅かではあるが陽が差した。
「気象データは厳に注視する。異常気象が認められた場合はすぐに連絡するから地上には小まめに戻ってきてもらいたい」
辰巳の祈りにも似た頼みを受け、三人は再び空に昇った。羽衣によるモニターも今の状況ではとても叶わず、機械たちは晴人の布団の横で彼の眠りを見守るようにじっと黙り込んでいた。
冬至郎の行方は知り合って日の浅い晴人には想像もつかない。どこで暮らし、普段はどんな仕事に就いているかさえ知らない。知らないことばかりだが、冬を誰よりも愛していることだけは先のダイヤモンドダストの一件で痛感している。いつか夏芽や秋葉、そして自分も冬至郎のように四季を自分の季節で独占したいという感情が芽生えてしまうのだろうか。自身の春を経験していない晴人にとっては、いくら考えても答えを見つけられない問いだった。
晴人にとって初めての南の空だったが、空はどこまでも青く、彼を受け入れてくれた。沖縄上空から始めて鹿児島、蛇行しながら北上、どこも素晴らしい見晴らしだったにも係わらず、北九州まで来ても冬至郎の姿は見えなかった。
四国も空振りに終わり、情報更新のために気象庁へ戻ろうとしたとき、季節はずれの暖かい風が晴人の頬を撫でた。
「夏芽?」
風上に進路を向けて飛ぶと、晴人より高度の低いところで夏芽が手を振っていた。
「収穫は?」
食いつくように晴人が訊く。
「全くなし。足跡が残っている訳でもないし、それこそ雲のように絶えず変化する空だから時間に少しでも差があれば見つけようがない。――そっちも?」
深いため息で答えを返す。
「多分こちらが先に見つけることは不可能だと思う。冬を維持するために冬至郎さんも何らかの行動に出るはずだから、狙うのはそのときしかないんじゃないかな」
「だったらどうして俺たちはこんなことを?」
「何もしないよりはマシでしょ? 待っているだけって晴人は耐えられる?」
「……無理」
「でしょ」
肩をすくめた晴人に夏芽が苦笑する。
「それで、俺を呼んだのはどうして? 見つからないって報告は地上でも十分だから、他に用があるんだろう?」
「私ひとりでもいいかなって思ったんだけど、一人より二人の方が効き目があるように思って」
「効き目?」
「せっかく西に来たんだし、神頼みもしておかないと」
四季の大樹にとって冬至郎の謀反は些細なことなのかもしれない。びっしりと雲に根を張りそびえ立つ大樹は、何も変わることなく、ずっしりとした存在感で晴人たちを迎えてくれた。まるで慌てふためく晴人たちを諫めてくれているかのようだった。
「冬至郎さんの影響は今のところなさそう……かな」
夏芽のつぶやきが自分と同じ考えで晴人はほっとした。植物が苦手とする冬だが、実体のない大樹には影響はないらしく、青々とした巨大な葉がびっしりと生い茂り、一枚一枚の擦れ合うさざめきは空気を振動させていた。
幹の付け根で晴人は大樹の天井を仰ぎ見た。自分に与えられた春の枝がどこから枝分かれしたものなのか、密集し過ぎていてここからでは当たりも付けられない。
隣の夏芽がお参りよろしく大樹に向かい一礼し、手のひらを大樹へ押し当てた。真似して晴人も続く。大樹の脈動が聞こえてくる。
「あれ?」
以前とは違う違和感があった。脈動が一定の、心地良い音色を刻んでいない。先に気づいた夏芽は既に耳を密着させている。
「やっぱり影響があるんだ」
「これってやばいのか?」
「私も初めてのことだからわからない。ただ、良い兆候でないことだけは確か」
清流のせせらぎのようだった脈動は、突如出来た障害物によって流れが滞っているようだった。途中、ゴポッという濁った音が耳を通じて晴人の身体に響き渡る。
「早く春にしてみせます」
自然と言葉が出た。晴人は身体を預けたまま大樹に約束した。「もう少しだけ待っていてください」
気象庁に戻り現状報告を行い、大樹の状態からして実際の気候に影響が生じるまであまり時間が残されていないという認識が深まったのはいいが、肝心の冬至郎の行方については三者ともに全く掴めず、季節の引き継ぎができないまま二月は幕を閉じた。
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