第29話 第5章 春

「今年の寒気はやけに強いですね」

 ミーティングを行うと四季者を気象庁に召集をかけた辰巳は、ここ最近の気象及び気象災害などを一通り説明した後、四人の前で懸念を表明した。

「次の春は晴人くんのデビュー戦です。ですが今年の冬は勢力が強い。桐谷さんのほうで事前に勢力を弱めることはできませんか?」

「できると断言はできないが、努力はしよう」

 腕を組みながら冬至郎は答える。四季者といえどもその年その年の強弱にまで関与するのは至難の技だと晴人も夏芽から聞いていた。

「それでも」秋葉が口を開く。「冬至郎さんなら弱めることくらいできそうなものですけど」

「こりゃ手厳しい」

 冬至郎は苦笑いを浮かべるだけでそれ以上何も言わず、秋葉が残念そうに肩をすくめた。

「まあ冬は冬至郎さんに任せておいて問題ないとして……晴人くん、君の方はどうだい?」

 辰巳から質問が投げられたが、返したのは夏芽だった。

「問題ありません。順調です。――ね?」

「――どのくらいできたら順調なのか自分では正直わかりません。でも、夏芽が問題ないと言っているんだから大丈夫です」

「ずいぶん信頼しているんだね」

「なんだかんだもう二ヶ月たっぷりお世話になっていますから」

「そうか、夏芽くんもすっかり先生だな」

「……するべきことをしているだけです」

「表情が崩れかけているわよ、先生?」

 秋葉の指摘に夏芽がばっと口元を腕で覆い隠す。

「辰巳さん聞いてください、夏芽ちゃんたら彼のお世話を私にはさせてくれないんですよ? 独り占めはずるいですよねえ?」

「違っ! 秋葉さんが無茶ぶりばっかりするから……!」

「そうでしたっけ?」

「そうです!」

 夏芽が噛みつくのをわかって秋葉は楽しんでいる。それを知っている周りは特に止めようとはしなかった。晴人もすっかりこの光景を見慣れてしまったので自分が争いの原因であるにも係わらず、ここでしか拝めない夏芽の貴重な表情を味わうために知らんぷりを貫いた。

 ミーティングが終わり、夏芽とともに帰ろうとする晴人を冬至郎が呼び止めた。「少し時間をもらえるか?」

「大丈夫ですけど……いいよな?」

 夏芽に許可を求めると、冬至郎の意図を掴みあぐねながらも彼女はもこくりと頷いた。「時間かかりますか?」

「一、二時間ってとこかな。そのくらいなら貸してくれたっていいだろう?」

「晴人を独占しているつもりはありませんっ」

 辰巳は他の仕事があると出て行き、待つと申し出た夏芽も秋葉に連れ去られてしまった。冬至郎は空に集合とだけ言って冬の部屋に入ってしまい、晴人も春の部屋の扉を開けた。二度目の春の部屋は初めて入った時と何も変わらず、オレンジの豆電球が柔らかな光で畳と布団を照らしていた。保健室の枕と若干硬さが異なるのを後頭部に感じつつ、畳の匂いに包まれながら目を瞑る。空が見えるのは依然もより段違いに速かった。

「今日は風がない。条件が揃っている」

 冬至郎はそう言ったきり押し黙って北上していった。埼玉上空を過ぎたあたりから目ぼしい建物がなくなり山ばかりになると、晴人は自分がどのあたりを飛んでいるのか認識できなくなった。

 不意に冬至郎が止まった。「このあたりがベストだな」

「ここ、どこですか?」

「栃木、日光あたりだな」

「条件が揃うとか言っていましたけど、何かするんですか?」

「ちょっと変わった現象を見せてやろうと思ってな」

 下降していく冬至郎を追って行くと、そこは晴人にとって未経験の低空だった。空と呼んでよいのかわからないほど地表に近い。二、三十メートル程度だろうか、人工物がない雪に覆われた木々だけでは確かなことは言えなかった。

「晴人は季節の中でどれが一番好きだ?」

 冬至郎が枝を顔の高さにあげると、枝先が銀色に染まった。何が起きようとしているのか分からないが、周囲の空気が震えていることだけは晴人でも感じ取れた。

「そうですね……少し前までなら春から冬まで一年通じてどれも好きって答えたと思いますけど、今はやっぱり春です。まだ始まってもいませんが、自分が関わっていくと思うと愛着が湧きます」

「俺は昔、冬が嫌いだった。出身が雪国でな。とにかく寒くて、毎日雪かきしなきゃならんし、おまけに転ぶ。短い夏が毎年待ちどおしかったよ」

 ――バキン。山のどこかで雪の重さに耐えられなくなった枝が折れた。乾いた音はやけに大きく響いた。

「今は違うんですよね?」

「ああ、もちろん今は冬が一番好きな季節だ。しんしんと降り積る雪。静寂が支配する汚れのない白銀の世界。いつの間にか俺は冬という季節に魅了されていたよ」

 まあ吹雪は別だが、と冬至郎は笑いながら付け足す。

「そして、決定打となったのは、これだ」

 冬至郎の枝先が銀色に光り輝いた。続けて辺り一面が遅れてなるものかと次々と輝きを放ち始める。地面から晴人たちのいる場所を追い越して遥か頭上まで、太陽の光を受けた細かな氷が宝石にようにキラキラと世界を輝かす。

「これは――」

「ダイヤモンドダスト。晴人の四季者就任祝いに一度に見せてやりたかった。さすがに俺一人だけで全ての環境を整えるのは難しくてね。今日みたいな条件の整う日を密かに狙っていたんだ」

 晴人に冬至郎の説明を聞く余裕はなかった。目の前の美しい現象に心を奪われていた。

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