第28話 もう大丈夫。晴人は雨を操れる
翌日、連絡がついたということで晴人たちはいつもの学校の上空ではなく北海道の北の端にまで遠征していた。
「寒波が発達し過きた嫌いがあってな。辰巳からの指示で調整中なんだ」
晴人たちには目もくれず、冬至郎は北の空に向けて枝を振るっていた。その影響範囲は晴人のそれとは比較にもならない。一振りで距離数百キロにも及ぶ白銀の風が巻き起こり、大陸から流れてきた青い寒波を飲み込んだ。
「何をしたんですか?」
「気温上昇。秋葉から聞いたよ。晴人もできるようになったんだって?」
「……寒波全部を、ですか?」
「何十度と上げることはできないがな」
冬至郎の返事を受け、晴人は干渉できる規模、季節の種を手にした四季者の力に戦慄した。あと三ヶ月足らずでその力が自分に宿る……。春の枝が、普段よりずしりと重たく感じる。
「これで僅かだが寒波も緩和されただろう。――さて」
ここでようやく冬至郎は晴人たちに顔を向けてニヤリと笑った。「まずは晴人の成長具合を見せてもらおうか」
春の息吹で編んだ桜色の風を使って晴人が覚えてきたことを一通り披露したところで、冬至郎は晴人に拍手を送った。
「短期間でよくぞここまで。順調じゃないか」
冬至郎の言葉に晴人は素直を喜べなかった。どうした? と訝しむ冬の四季者に対し、夏芽が代弁する。「ここまでは順調だったんですが……晴人、やってみて」
夏芽に促され、北の空、晴人は目下苦戦中の凝結に再度挑戦した。枝を雲に突っ込み、もがくように枝を動かす。けれども何も起こらない。あれこれ粘ってみたが、結局雲には何一つ変化は見られなかった。
「……粒をぶつけ合わせようとしても、ぶつけようとすればするほど粒が逃げていくんです」
晴人が言ったそばから雲はかき消えた。粒が雲を形作ることができないほどバラバラに離れたのだ。
じっと晴人の様子を観察していた冬至郎が口を開いた。「……晴人はどういうイメージを持って氷晶を動かそうとしているんだい?」
「氷晶?」
「粒のことだ。夏芽先生に教わっていないのかい?」
初耳だったがそのまま言ってもいいものかと夏芽に目を向けると、
「噛み砕いた説明しかしていません」
夏芽はきっぱり言い放った。「晴人は頭より身体で覚えるタイプです」
遠回しに馬鹿にされた気もするが、そのとおりなので晴人は反論できなかった。
「……だそうです」
「いい感じに師弟関係が出来上がっているじゃないか」
逆らわない方が無難だぞ、と冬至郎は一笑した。
「話を戻すが、晴人はどういったイメージを持って粒を操ろうとしている?」
「受け売りなんですが、磁石をイメージしているつもりです。だけど全然くっついてくれなくて……正直、どこを間違えているのかさえ分かりません」
「――そして、ドツボにはまって身動きさえ取れなくなった、ということか」
納得した冬至郎は大きく一度頷いた。
「イメージについて私の伝え方が悪かったのかもしれません。晴人に固定観念を植え付けてしまったせいで……」
夏芽が申し訳なさそうに俯く。
「教師が気落ちするな、生徒に伝染する。そもそも気落ちすること自体が性急だ。まだこの特訓を初めて一週間かそこらなのだろう? 苦戦して当然なんだよ。だからお前たちふたりとも自信を持て。そして夏芽、お前はもっと俺たち大人に頼れ。迷惑とかガキのくせにつまらんことを考えるな」
そう言って冬至郎は夏芽の頭を乱暴な手つきでがしがしと撫でる。
「ちょっ……やめてください!」
急下降して逃げる夏芽に冬至郎は笑って見下ろした。「十分元気そうだな」
「からかわないでください」
ふくれっ面で昇ってくる夏芽の表情に気負いは消えていた。仲の良い叔父と姪のようで、晴人には彼らの関係が羨ましく映った。
「晴人に磁石をイメージさせたことは別に悪くない」
教壇に上がった教師よろしく、少し高い位置から冬至郎は講義を始めた。「粒をくっつける際のイメージとして、磁石を想像するのは間違いじゃない。問題はどこに目を向けているのか、視点を置き場にあるのだと俺は睨む」
「置き場、ですか?」
夏芽が首を傾げる。
「そうだ。夏芽、お前は氷晶一粒一粒まで意識しているか?」
夏芽は黙って首を横に振った。「無数に存在するんですよ? 考えたこともありません」
隣で聞く晴人も当然考えたことはなかった。
「晴人がうまくできない理由は恐らくその点にある。夏芽は雲の中の粒すべてを一つの個として見ることができるが、晴人は個は個として見ないと駄目なタイプだ」
良い悪いの話ではない、要はタイプが違うのだと冬至郎は説明する。
「個、ですか?」
「そうだ。ちょっと試してみろ」
冬至郎は雲の切れ端を白銀の風に乗せて晴人の方へ送った。
「晴人は雲を雲としか見ていなかったはずだ。違うか?」
「そうです。粒って言われても見えるものじゃないですし……」
「晴人は小さくなった自分を想像できるか?」
「小さくなった自分ですか?」
「その目の前にある小さな雲が、高くそびえ立つ巨大な入道雲に見えるくらい自分の視点を小さくしてみろ」
「……やってみます」
晴人は両手に収まる程度の小さな綿雲をじっと見つめた。そして目を瞑り、雲を大きく自分を小さく、反比例のイメージで加速させていく。
「……できたと思います」
瞼を固く閉じたまま晴人は答えた。瞼の裏側には純白の城のごとく巨大な入道雲がイメージできていた。
「それじゃあ目を瞑ったまま枝を雲に突っ込め。そして同時に自分が雲の中に入っていくイメージをするんだ。そうすれば枝先に映る世界が晴人の中に流れてくる」
冬至郎に言われるがまま、晴人は目を瞑ったままの状態で枝を雲の中に差し入れ、イメージの中の自分は門を潜って城内に足を踏み入れた。――そこは、一面が霧の白い世界。
「何か見えてこないか?」
頭の中で目を凝らすと、晴人は霧の中で手のひら大、シャボン玉のようにふわふわと浮かぶ水玉を見つけた。ひとつ見つけたと思うと二つ三つ、それは次々に姿を現し、霧の中を無数に漂っていた。
「――見つけました」
晴人の答えに冬至郎から「それが雲粒だ」と満足そうな声が返ってくる。
「その中の一粒でいい。自分の手で動かしてみろ。そうすればあとは勝手に動いてくれる」
枝先から伝わるイメージの中、晴人は近くに浮かぶ一番小さな水玉を指で弾いた。
水玉は割れることなくぐにゃりと形を歪ませながら勢いよく方向転換し、すぐさま他の水玉に衝突した。水玉は水玉と合体し、大きな水玉へと形を変える。そして方向を変えてさらに前進――と、次々に衝突を繰り返していった。
そしてついに、自重に耐えきれなくなった水玉が地面に向かって落ちていった。
果たして今のでよかったのか。恐る恐る目を開いたとき、晴人は安堵の息を吐いた。夏芽と冬至郎の表情を見れば一目瞭然だ。
「あれほど鮮明にイメージできるなんて! 嘘みたいな光景が広がっていました」興奮気味に晴人は言う。
「春の息吹と同調したことで見えた世界だ。晴人は視点を最小にする方法が向いているようだ」
「ありがとうございます!」
勢いよく下げた晴人の頭を冬至郎は犬を相手にするかのようにくしゃりと撫でた。
「きっかけは作ってやった。あとは夏芽に任せる」
「忙しいのにすみません」
夏芽もぺこりとお辞儀する。
「俺が言ったことをもう忘れたな? もっと頼れ。抱え込むのはやめろ。お前の自己満足のために晴人の成長を妨げることだけはするな」
冬至郎がじろりと睨む。
「……はい」
声を沈めた夏芽に冬至郎は盛大にため息をついてから晴人以上に彼女の頭をぐしゃぐしゃにした。
「気負うなって言ってんだよ」
「……困ったときはまたお願いに来ます」
髪を整えながら、夏芽はぽつりと声に出した。
「さて晴人よ、俺はこれから大陸の前線を確認しに行かなくちゃならんのだが、他に聞いておきたいことはあるか?」
「……ひとつだけいいですか?」
「ひとつでいいのか?」
「はい。俺の先生はやっぱり夏芽ですから、彼女に聞くのがいいと思うんです。だけどこの質問ばっかりは冬至郎さんにしか答えられないと思うので」
「夏芽を相当慕っているな」冬至郎がにやりと笑う。「それで、俺にしか答えられないこととは?」
「少し前の話になりますが、クリスマスに東京で初雪が観測されました。あれは冬至郎さんが降らせたものなんですか?」
「秋葉から誰かさんがデートするって耳にしてね。俺からのささやかなクリスマスプレゼントさ」
そう言って冬至郎は肩をすくませた。
「やっぱりそうだったんですね……」
「おせっかいだったか?」
「とんでもない。もしそうならお礼が言いたかったんです」
夏芽も参加したクリスマス会解散後の話になるが、初雪の雰囲気に酔った奈緒が勢いに任せて秀樹に告白し、見事成就した。晴人が知ったのはその翌日のことだったが、彼女の秘めた想いを中学の頃から知っていただけに、ようやくかという呆れた感情の方が喜びよりも強かったのが印象深い。その後、バカップル二人は夏芽が参加してくれたおかげで雪が降ったのだと勝手に彼女を恋のキューピット扱いにし、眠り姫が目覚める日に告白すれば成功するという、とんでもない噂まで広まる始末だった。夏芽は冬至郎の仕業だと断定し、自分が感謝される云われはないと断固否定していたが、結果として奈緒という友人を持つことができ、まんざらでもない様子だった。
「俺のおかげだとは口が裂けても言えんよ。その奈緒という子の勇気が全てだ」
おめでとうと伝えておいてくれ。そう言い残して冬至郎は次の仕事のため東の空に消えていった。
「確かに面倒見のいい人だった」
夏芽の横に並ぶと、
「カッコつけたがりのおっさんでしょ」
髪をグシャグシャにされた夏芽は不満を述べていたが、表情はその逆だった。「忘れないうちにさっそく復習しましょう」
一切れの雲の前に立ち、さあもう一度、という場面で晴人は思い出したようにぴたりと動きを止め、後ろで見守る夏芽に振り向かないまま言った。
「冬至郎さんや秋葉さんからの助言はあるけどさ……俺にとって一番の先生はやっぱり夏芽だから」
伝えておきたかった言葉に対し、受け取った夏芽は初めきょとんとしたが、自分の中で言葉を消化すると、
「……生意気」
晴人の背中に夏の枝で軽い突きをお見舞いした。
冬至郎の教えもあり、その後の晴人は順調に凝結を自分のものとしていった。氷晶と同じサイズになるイメージを掴んだ晴人は次々に目の前の氷晶をビリヤードの球のごとく弾き、粒同士連鎖する衝突は留まることを知らず――晴人にも止められない――ついには空が耐えられない重さとなる。今頃地上はにわか雨だ。
「もう大丈夫。晴人は雨を操れる」
地上に落ちていく雨粒を見送りながら夏芽は親指と人差し指で円を作り合格点を出した。
明日から二月。晴人の春まであと一ヶ月。
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