第27話 第4章 凝固
「今日こそ成功させよう」
習慣となった空に昇る前の保健室での夏芽の激励も、どこか焦りが滲んでいた。
「ああ……」
ため息に乗って晴人は空に昇る。
暦は正月ボケもとうに過ぎ去った二月を迎えようとしていた。四季者見習いとして一歩ずつ順調に進んでいた晴人だったが、ここにきて壁にぶつかった。四季者にも授業の科目同様、得意不得意のジャンルがあると夏芽に聞かされていた晴人も認めざるを得ない。今回は苦手科目だ。
『雨を降らす』
晴人がその言葉を聞いたのは秀樹と奈緒に夏芽がクリスマスの都合がついたと伝えた日の放課後だった。雨も自分で操れると聞いて鳥肌が立ったのと同時にやってやると意気込んだまではよかったが、まさかこれほど難しい技術だったとは――。
「もう一度始めからおさらいしよう」
夏芽が枝を振って漂う雲を細切れにする。
「今この場所には余所より多めに水蒸気が漂っている。理屈は理科の授業をちゃんと受けていればわかるよね?」
「大丈夫、生物と化学に分離する前の理科は得意だった」
「よろしい。雲は水蒸気が大量に集まって浮かんでいるもの。これが一定値を越える……つまり飽和されると凝結して雲粒に、最後は雨粒になって地上に落ちる。これが雨。晴人にはこの水蒸気の変化を操作してほしい」
夏芽は風を操り細切れになった雲を晴人の手元へふわりと流した。
手のひら大の雲を恨めしく睨んでから、晴人は枝を雲の中に差し入れた。
微小の雲粒をぶつけあわせ、一つの巨大な雨粒にする。方法はシンプルでわかりやすい。わかっているが難しい。気温上昇と同様に圧縮すればよいと思っていたが勝手が違った。圧縮は風で作った箱の中での作業だったが、凝結は箱を作ろうと風を産み出した瞬間に水蒸気が霧散してしまう。粒を互いにぶつけ合わせる方法は一つ。顕微鏡レベルの粒そのものに干渉し、運動を活発にさせるのだ。そして晴人はこの繊細な操作を苦手とした。「圧縮みたいに、がばっと集めてぎゅっと縮めるみたいに単純な方がいい」と晴人は嘆く。
そして今度も晴人は力の加減を誤り、雲は跡形もなく消え去った。
「くそっ」
抑えたくても口から勝手に毒が漏れる。苛立ちは募る一方だ。
「一体どうすればいい? 夏芽は磁石をイメージしてるんだよな?」
「秋葉さんから教わった方法の受け売りだけどね。一粒ずつが引かれ合うイメージを持って粒全体を震わせる。私の場合、そうしたらできたのだけど……」
「やっぱり人それぞれなのかな」
晴人に磁石のイメージは合わないようで、いくら試してみてもきっかけすら掴めなかった。
「なんでお前たちは俺の言うことを聞いてくれないんだ?」
雲を千切ってみたものの、晴人は雲と睨めっこするばかりで、手は動かないでいた。
「晴人、今日はここまで」
もはや進展はない、夏芽は判断した。
「まだ大丈夫だって!」
見限られたと思い、晴人は枝を大きく振ってみせた。しかし、言葉とは裏腹に風は微弱、色も桜色とは言い難い薄いものだった。「……まだいけるって」
「しっかり休んで明日冬至郎さんに教えを請おう」
これまで出て来なかった名前が挙がった。
「冬至郎さんに? 冬真っ盛りだってのに、忙しいんじゃないか?」
「人を気遣う余裕なんてないでしょ? 冬至郎さんも晴人のことを気にかけていたから、苦戦していることを伝えたら喜んで協力してくれると思う。何より冬には雪っていう他の季節にはない特別な天候を操らないといけないから、水の三態変化にかけては私たちの中で頭一つ飛び抜けてる。頼りにしていいよ」
「……教えてくれるかな?」
晴人はまだ冬至郎と数回しか会話をしたことがなく、彼の人物像は定まっていなかった。
「面倒見のいい人だから」
「俺のできなさっぷりを見てがっかりするだろうなぁ」
「教えがいがあるってむしろ張り切るタイプじゃないかな」
晴人は内陸に目を向けると、日本アルプスの山頂は分厚い雲に隠れて見えなかった。天気予報では、関東地方は雨または雪と告げていた。冬至郎が操っている雲なのだろうか。
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