第26話 ご褒美が待っていたから

「気温上昇に限って言えば、残す課題は圧縮後の空間における拡大と維持。その二点に集中して訓練を続けてください」

「はい」

別れ際の挨拶、秋葉の説明に晴人と夏芽の声が揃う。

「私も本当はもっと協力したいところなのですが、季節の種を冬至郎さんに渡したときに思いのほか力を渡し過ぎてしまったようで……実はあまり役に立てそうにないんです」

「アドバイスはできるじゃないですか」

 ぽつりと夏芽が言った。来てほしいのかそうではないのか、秋葉の前だと彼女は少し子供に戻る。

「それじゃあもう行くけど、晴人くん、一つ教えてもらえるかしら?」

「なんでしょう?」

「急激に進歩したらしいけど、その最大の要因は?」

 その問いに対し、晴人は夏芽の方に目を向けた。夏芽は顔を横に振る。「やめて」という思いがひしひしと伝わってくる。しかし晴人は無視して言った。「ご褒美が待っていたので」

「へぇ……内容は?」

「大した話じゃありません」慌てて答えたのは夏芽だった。「晴人が友達と催すクリスマス会に参加する、それだけです。変なことじゃありません。……だからその顔はやめてくださいってば!」

 からかうには持ってこいのネタが提供され、秋葉はこれ以上なく嬉しそうな笑みを浮かべ、

「次は私もご褒美を用意しておきますね」

 そう言い残して秋葉は地上へ帰っていった。

「……あの人に私関係のことで不用意に発言するのは禁止。本当に酷い目に会うんだから」

 事実なのだろう。夏芽の半泣きの表情は過去何度もからかわれ続けたことを物語っていた。学校では眠り姫と他の生徒から距離を空けられている夏芽にとっては慣れないものなのかもしれない。しかし、心底嫌がっているようには見えない。だからこそ晴人はもっと秋葉に話を提供したいと思う。単純にいじられる夏芽が面白いということもあるのだが、落ち着き払った夏芽が主だとしても、慌てふためく夏芽もまた彼女なのだ。秋葉との関係は夏芽にとって貴重なはずだ。

「わかった?」

 黙り込んだ晴人に不安を覚えたのか夏芽が念を押して訊いてくる。

「承知しました」 

 不用意ではなく考えた上で貴女のネタを提供します、晴人は心中で敬礼した。

 昼食のため一時ベッドの上に戻ると、晴人は自分の汗の量に驚いた。全力の気温上昇はやはり相当の負担が掛かっていた。早朝から数え切れないほど繰り返し、最後はかなり無理もした。無理のし過ぎは地上に引っ張られると秋葉に注意されたが、一度自分の限界を知っておく必要があるのかもしれない。

 再びの空。晴人は限界値を知っておきたいことを夏芽に話してみた。

「限界――」

 晴人の話を聞いた夏芽の表情が曇る。

「気になるのはわかる。だけど、ギリギリ……そろそろキツイってくらいを知っていればいいよ。限界を試すのは絶対に駄目」

「どうして」

「死ぬかもしれないから」

 夏芽の答えは思った以上に重たかった。

「私たちの今の状態は?」

 突然当たり前の質問をされて晴人は戸惑ったが、そのまま今の状態を答えた。

「身体を地上に置いてきた精神だけの状態」

「そう、私たちは精神体。それじゃあ私たちが地上に戻れるのはなぜ?」

「身体と精神が繋がっているから?」

「それも正解。じゃあ、どうやって繋がっていると思う?」

「……見えない紐で繋がっているから、とかじゃないかな?」

 あまり深く考えたことがなかったため、ぱっと頭に浮かんだことを自信なくそのまま言ってみた。

「紐……そう例えてもいいのかもしれない。ちなみに私は意識の繋がりって教わった。自覚ないと思うけど、実は身体にも意識はある程度残っているんだって。それが呼応して私たちは身体に戻れる。だけどね、限界を超えてしまうと意識が飛んで繋がり――紐が千切れてしまうんだって」

「……千切れたらどうなる?」

 嫌な回答しか待っていないことはわかりきっていたが、それでも晴人は訊かずにはいられなかった。

「羅針盤を失った船。空で遭難して、下手をしたら戻れなくなる」

 夏芽の言葉に背中が冷たくなる。

「けどっ、自分の身体がある元の場所を覚えていたら問題ないんじゃないか? 家や学校なんてすぐに見つけられるじゃないか」

「……私もそう思う。だけど代々の四季者が限界を超えることを禁止するよう伝えてきたのは事実。だから晴人も限界を越えようなんて考えは持たないで、限界ギリギリを見極めて、それだけは絶対に越えてはならないということを意識して」

 夏芽のいつにも増して真剣な表情に晴人は黙って頷くことしかできなかった。「わかった、気を付ける」

「約束して。……だからと言って手抜きは厳禁だから。限界なんてそうそう越えることはないし、私がそばにいるうちは絶対にそんな目に合わせないから安心して」

 夏芽の言葉どおり、その後の特訓では確かに限界ギリギリまで追い込まれることはあっても意識が飛びそうになるようなことはなかった。そうは言っても、特訓の内容は死にはしないが死ぬほどキツいもので、夏芽に叱責される中、晴人はいっそ意識が飛んだ方が楽じゃないかと何度も思うことになった――。  

 週明け、晴人が教室で席に着くと同時に秀樹と奈緒が机に近寄って来た。

「眠り姫の件はどうなった?」

「来れそうなの?」

 期待に満ちた表情に対し、晴人はもったいぶって普段よりゆっくりとマフラーをはずし、重々しく口を開いた。「眠っていない姫をお見せしよう」

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