第22話 風の箱
「良いことでもあったか? やっぱ眠り姫関連か?」
金曜朝のホームルーム前、机に身を乗り出して秀樹が訊いてくる。
「良いことはあった。それに夏芽関連っていうことも嘘じゃない。けどな、秀樹の想像しているようなことじゃない」
「もったいぶるなって」
「ほんとだって。目標に向かって前進できたのが嬉しいってだけ」
「目標って眠り姫とくっつく意味で?」
「だから違うって」
そんなやりとりを何度か繰り返していると、「あたしも混ぜて」と話の輪に奈緒が加わって来た。「何の話?」
「晴人と眠り姫の距離が近くなったって話」
秀樹が晴人の制止を聞かずに盛って伝える。
「ちょうどいいや、あたしも眠り姫で提案があるんだ」
「提案? 何々?」
秀樹の暴走が少しでも止まればと晴人は話題に飛びついた。
「あのね、今年のクリスマス会には彼女にも参加してもらわない?」
奈緒の提案に晴人は正直驚いた。クリスマス会は中学一年の時から始まった三人だけの恒例行事だ。奈緒がとても大事にしているその会に、言い方は失礼だが部外者である夏芽を呼ぼうというのだ。実を言えば晴人も提案するつもりでいた。それをまさか一番反対するだろうと思っていた奈緒から先に提案してきたのだから驚きもひとしおだ。
「……いいのか?」
「あたしが言わなくても晴人が言ったでしょ?」
晴人のことなどお見通しだと言わんばかりに奈緒は言った。
「秀樹はいいのか?」
親友に目を向けるとにやりと笑みを浮かべていた。
「その提案は奈緒と俺からだ」
空に行っているわけでもないのに授業中、晴人はうわの空だった。このままだと中間考査は墜落コース間違いなしなのだが、晴人は肩肘をついたままずっと空を見つめ、夏芽をどうやって誘おうか、そればかりを考えていた。
本日の終わりを告げるチャイムはいつもより早く鳴った気がした。
「それじゃあ週明け、良い返事を期待しているから」
秀樹と奈緒は晴人の肩をポンと叩いて教室を後にしていった。晴人の腰は重たく、なかなか椅子から離れてくれなかった。誘うのが嫌だというわけではもちろんない。興味ないと一蹴されたらどうしようという嫌な考えだけがどんどん先走っていたのだ。重い足取りで保健室の扉の前にたどり着く。どうしようかと最後の逡巡をしていると、
「入らないの?」
中にいると思ってばかりいた人物による背後からの不意打ちに晴人の心臓は飛び跳ねた。
「夏芽も遅かったんだ」
驚きの感情を澄まし顔で塗り潰して晴人は扉を引きながら振り向いた。
「今日の特訓メニュー考えていたらついね。気づいたら教室に私以外誰も残っていなくて驚いちゃった」
真面目なのか抜けているのかわからない夏芽だが、四季者への取り組みは真剣そのものだった。いかに早く晴人を一人前に鍛え上げるか、そればかり考えてくれている。クリスマス会に誘うかどうかで迷っていた自分がひどく後ろめたい。だが一方で、言えた立場ではないが夏芽には息抜きを覚えてほしかった。
空に昇ると晴人はまず訊いてみた。「今日のメニューってどういうことを考えていた?」
「なんだかいつも以上に積極的だね」
嬉しそうに夏芽がひらりと宙を一回転する。「秋葉さんから出されている課題、気温上昇を身に付けるための方法。春の息吹を感じ取ったことで、きっかけは掴めていると思うの」
これは別の意味できっかけになるのでは? 晴人はふと思いついた。
「それなら……気温上昇を上手にできたら一つご褒美をくれないか?」
今までになかった晴人の提案に夏芽はぽかんと口を開けた。
「ご褒美? これまた唐突……あと気持ち悪い言い方」
はずした。
「やっぱりなしで!」
慌てて晴人は手を振った。
「――いいよ。晴人のモチベーションが上がるならやってもいい。で、どんなことを考えていたの?」
いやらしいことはなしだから、と夏芽は口添える。
後に引けなくなった晴人は、秀樹と奈緒と一緒に毎年クリスマス会を開いていること、その会に今年は夏芽も加わってほしいことを告げた。
「……ありがたい話だけど、私が入ると気を遣っちゃって変な空気になるんじゃないかな。それに――」
「ストップ」
想像通り苦笑い浮かべて断る理由を並べ始めた夏芽に晴人は待ったをかけた。
「これは俺にとってのご褒美なんだ。もちろん無理強いするつもりはない。けど、俺たち三人は夏芽にも参加してほしいんだ。俺に拝み倒されて仕方なく、あくまでも俺へのご褒美として、ってことで」
どうしてここまで必死に誘うのだろう。その答えに晴人は気がつかない振りをした。夏芽に息抜きをしてほしい。自分が誘う理由はそれしかないと晴人は自分を納得させながら勧誘を続けた。
「ご褒美抜きにしても、ここまで言われたらもう断れないよね……」
夏芽は眉を寄せたが、最後は晴人の提案に乗ることを決めた。ここから先は晴人の出来次第だ。
気温上昇について夏芽が改めて手本を見せてくれた。彼女は枝を巧みに操り周囲の風を自分色に染め上げながら一か所に集めていった。――例えるなら箱。黄色い風が見えない箱の中に詰められていくように圧縮されていく。風は苦しそうに箱に中で暴れ回るが夏芽は平然とした表情のまま箱に蓋をした。
「入ってみる?」
夏芽に促され、晴人は黄色に染まった箱の中に足を踏み入れる。
「暑っ」
刺すような空気から一転、真夏の汗ばむ空気が晴人の肌を包んだ。後ずさりして一歩箱の外に出るといつもと変わらない感覚に戻った。
「来年は猛暑かも」
おかしそうに夏芽は言った。「夏の感覚は思い出せた?」
晴人はコクコクと首を上下させ腕だけを夏の空間に突っ込んだ。
「どうして暑いんだ? 俺たちは精神体であって身体は地上(した)だろう? 暑い寒いって感覚はあり得ないんじゃ……」
「私たち四季者が直接関与した現象は、未関与又は間接関与の自然現象とは全く別のものなの。だから何も干渉していない、本来であれば氷点下である上空の気温は何も感じない。一方で、その空間は四季者である私が創り出した現象。私たちの存在も私たちが関与した現象も、元を辿れば大樹の力に行きつく。つまり、私たちとその夏の空間は同じ存在なの。だから精神体の晴人も暑さを感じる、同じ力を拠り所にしているから」
晴人が紡いだ桜色の風を受けたとき、夏芽の髪は揺れ、「暖かい」と言っていた。彼女の説明を聞き、他にも思い当たる節がいくつかあった。
「そういうことだったのか」
「夏を圧縮したあの空間に入って他に気が付いたことは?」
教師よろしく夏芽は晴人に問いかける。暑いだけでは不正解らしい。
「ええと……空気が乾いている、かな」
腕だけじゃなく身体ごと突っ込んで再度確かめてみる。じっとりとした感じはない。からからの暑さは本物の夏とは別物だ。
「正解。じゃあその原因は?」
「……湿度?」
夏芽は頷いた。「いくら夏を創り出そうしても周囲に浮かぶ水蒸気に差がある限り私には仮初めの夏しか作れない。ここが私たち四季者の限界」
そう言って夏芽は仮初めの夏を解除する。黄色い風が霧散して儚く消えた。
「さ、次は晴人の番」
夏芽が空のステージを晴人へ明け渡すかのように後退し、雲の椅子に深く腰掛けた。
「随時アドバイスを頼む」
晴人は見よう見まねで枝を指揮者のタクトさながら頭上に掲げた。春の息吹を身体に感じながら晴人は枝を軽く振る。周囲を漂う風の幾筋かが淡い桜色に色付けされていく。
「来い」
晴人の呼びかけに応じ、桜色の風たちは本流から分岐して晴人の頭上で旋回を始めた。
「風の球の発展、旋回させたまま円を小さくするイメージ」夏芽の声が飛ぶ。
言われたとおり晴人は旋回する風の円周を小さくさせて――ズシンッ! 突如、枝が急激に重くなり激しく震え出した。枝が激しく抵抗し両手で抑え込まなければ手から弾け飛んでいきそうだ。
「重い……!」
「風が抵抗してるの! 我慢して!」
晴人は歯を食いしばりながら風を操るものの、風の旋回をこれ以上小さくすることはできず現状維持がやっとだった。夏芽はこれ以上の抵抗を平然と抑え込んでいたというのか、信じられない。
「次はどうすればいいっ?」
歯の隙間から晴人は声を絞る。
「旋回する風の周りに箱をイメージして! できるだけ小さい奴。そして風をその中に閉じ込めるイメージ!」
晴人は夏芽が先に作り出した夏の空間を思い出す。そして抵抗する風たちをその中に閉じ込める――。
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