第19話 冬至郎の初雪

 白銀の壁が球の内側にいる晴人のすぐそばまで迫ってきた。

「俺たちはこの風にぶつかって大丈夫なのか?」

「平気、色が付いているから怖く映るかもしれないけど、しょせんは風、ぶつかって怪我をすることはないよ」

 不安がる晴人の足が白銀に飲まれたとき、真冬の海に足を突っ込んだような感覚が晴人の全身を駆け巡った。

「冷たっ!」

「冬の凝縮だと思って。大丈夫、凍えるのは一瞬だから」

「そういうことは早く言えよ! これはもはや怪我の一種だぞ!」

 晴人の喚きは風が腿を越えたあたりで悲鳴に変わった。

 頭のてっぺんまで凍えさせて通り抜けていった白銀の風は、冬至郎の持つ枝先一点に凝縮していく。精神体にも係わらず鳥肌でびっしりの身体で、晴人はその光景を仰ぎ見ていた。

「これが……季節の引き継ぎ」

「そう、白銀に輝くのは冬至郎さんが種を冬の色に染めたから」

隣の夏芽も冬至郎と秋葉の様子を静かに見守っている。「よく見ていて、次は否応なしに晴人の番だから」

 肩にずしりと重たいものが乗ったように感じた。果たして自分に務まるのだろうか、まだ春の色すら知らない自分に。

「夏芽は初めてのときどうだった? 緊張した?」

「愚問。緊張しない人なんかいないよ。三年前、中学生だったのに我ながら上手くやったと思う。……ううん、やっぱり違う、上手くできたのは全部晴人の前任者のおかげだった」

「前任者……その人ってどうなったんだ? そもそも何で担当替えになったんだ?」

 晴人に浮かんだ素朴な疑問に夏芽の表情は陰った。

「亡くなった」

 これ以上言いたくない。そんな口調だった。夏芽にとって、いや、ここにいる晴人以外にとって掛け替えのない人物だったのだろう。

「――いつか聞かせてもらえると嬉しい」

「ごめん……」

「別にいいよ、それに今は上の引き継ぎを見届けないと」

 晴人は努めて明るい声を出し、冬至郎と秋葉の邪魔にならない程度に上昇して行った。


 秋葉は自身の枝から慣れ親しんだ重みが消えたのを感じた。季節の種はいまや完全に自分の手を離れてしまった。三ヶ月前から真紅に輝いていた灯は消えた。また九ヶ月のお別れだ。

「またね……」

白銀に輝きながら眼前の滴状の種は、無言で秋葉に別れを告げ、ゆっくりと冬至郎の枝に染み渡っていった。

 久々の感覚に冬至郎は満足感に浸っていた。冬の枝に宿った種の力が手のひらを伝い体中を巡っている。今すぐにでも列島を白銀で覆いたく欲望に駆られる。もちろん、枝の心地よい冷たさが冬至郎の馬鹿げた想いを覚ましてくれる。しかし、それほどまでに季節の種は強大で、何度も繰り返し授かっているはずなのに、その度に冬至郎は新鮮な驚きを覚えていた。

 冬至郎が枝を軽く振ると、氷の粒が無数に発生し、太陽の光を反射して輝いた。

「秋から冬へ。確かに引き継ぎました」

 秋葉が自分の枝先に息を吹きかけると、紅い風が小さく踊った。「さ、あの子たちにも教えてあげないと」

 秋葉は上昇してくる後輩ふたりに手を振った。


「これが季節の引き継ぎ、なんですね」

 晴人が冬の枝を凝視しながら言うと、

「ああ、次はお前の番だからな、期待して待っていろ」

 冬至郎はニヤリと笑って枝先を晴人に向けた。

「……精進します」

「だけど晴人くんも頑張りましたよね?」

秋葉が音もなく晴人に近寄る。「裂けた穴を塞いでくれてありがとうございました」

「頼んでおいてあれだが、正直、期待以上の働きをしてくれた」と冬至郎も続く。

「そもそも俺が始めから参加していたら起きないトラブルでしたから」

「そんな言い方したら駄目ですよ? 一週間であれだけ成長したなんて私たち全員の予想以上だったんですから。ね、夏芽ちゃん?」

「基礎しかやらせませんでしたから……晴人は本番に強いかもしれません」

 付きっきりで指導してくれた夏芽に評価されるのは素直に嬉しく、晴人の顔は思わず緩む。

「でも、まだまだです。晴人に教えないといけないことは山積みです」

 早速釘を刺されてしまい、晴人は顔の緩みを戻すより先にうめき声を上げた。

「私も秋が終わって暇になってしまったから練習に付き合わせてもらってもいいかしら?」

 秋葉の申し出に晴人はとっさに反応した。「是非お願いします」

「言っておくけど、秋葉さんの指導はキツイから」

 夏芽がため息とともに忠告した。

「えっ」

「是非ともって言ってくれましたよね?」

 柔和に微笑む秋葉の表情が途端に恐ろしいものに見えた。季節が冬に変わり、冷えた空気がそう見せたのかもしれない。と、ここで晴人は気がついた。冷たい空気が辺りに充満している。晴人は冬至郎に目を向けた。

「晴人よ、これからの修行に向けて、俺からもいいものを見せてやろう。きっとこれからの参考になる」

 そう言って冬至郎は枝を掲げた。白銀の気流が大気を揺らしながら上昇していく。晴人が上空を仰ぐと、白銀の気流に吸い寄せられるように雲がどんどん分厚くなっていく。

「一瞬であんなに巨大な雲を……」

「種の力を得た冬至郎さんならこれくらい余裕で出来る」

 厚い雲が太陽の光を遮ると、はらはらと白いものが落ちてきた。

「雪――」

 手のひらに落ちた雪は綿のように軽く、空気を丸めて白く染めただけのようだった。

「この一帯での初雪だ。冬の準備は万全か?」

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