第10話 気象庁に戻り。明日も良く晴れそうだ

「無事に手にしたようだな」

 枝が折れたのを感じ取ったのか、冬至郎と秋葉が駆けつけてきた。

「おめでとう、晴人くん」

 自分が何を成し遂げたのかいまいち掴めていない晴人だったが、秋葉に褒められ自然と頬が緩んだ。

「目的は果たした。帰るぞ」

 冬至郎の号令に一同が頷く。

「戻り方は大丈夫?」

 夏芽の確認に対し、晴人は手にした枝を強く握りしめて頷いた。


 豆電球の薄明かりの中、視界に広がる見慣れぬ天井が晴人に空から戻ってきたことを伝えていた。浮遊していた感覚はきれいに消え去り、家のベッドより布団が硬いと背中が訴えている。空から布団へ、先ほどの世界が夢ではなく現実だと言われても、やはり未だ現実味がない。大勢からドッキリを仕掛けられていると言われた方がまだ信じられるかもしれない。

「慣れるかな……」

 境界線の曖昧さに弱音を吐露しながら身じろぎすると、晴人の指先が何かに触れた。硬質でひんやりとしている。まるで先ほどまで外にあったかのような……。鳥肌が電流のように身体中を駆け巡った。晴人は仰向けのまま「それ」を掴み天井にかざす。御神木の枝が、実体となって晴人の手中に収まっていた。


 晴人が春の部屋から出ると、他の四季者たちは既に全員揃っていた。

「どう?」

 夏芽の問いが晴人の右手に握られている春の枝を指していることは明白だ。晴人が腕を軽く振ると、枝は柔らかくしなって風を切った。

「すべすべして手触りは良いけど、正直な感想を言うと、公園に落ちている普通の枝と大して変わらない……かな」

「罰当たり、と叱りたいところだけど、そのとおりかもね」

 夏芽だけじゃなく、冬至郎も秋葉も揃って肩をすくめた。

「あのっ、聞いてもいいですか」晴人が全員に向けて声を出した。「あの御神木は実体がないんですよね? それなのに俺はこうして枝を掴んでいる。なぜですか?」

「それはな」口を開いたのは冬至郎だった。「その枝が、晴人と繋がっているからだ」

 繋がっている? 言葉の意味が伝わらない。

「そんなに首を捻るな、まだ話は途中だ。つまりだな、その枝は枝であって枝にあらず。晴人の一部なんだ。身体の延長だと思えばいい。実体のない御神木は季節の欠片を宿す俺たちの身体を介して具現化する。その具現化した姿がその枝というわけだ」

「俺の一部ですか……」

 理由を聞かされて、晴人は今でさえ吸い付くような感触だった枝の質感が、さらに強まった感じがした。

「いわば晴人の分身だ。大事に使え」

「はい」

「もしも折れたりなんかしたら、晴人くんも死んじゃいますからね?」

 さらりと秋葉が言った。

「えっ!?」

 さっそく手に力が入り、枝がキシリと音を鳴らす。

「秋葉さんっ」

 夏芽が諌めるように秋葉の袖を引っ張る。

「折れたら死ぬって本当なのか?」

「そんなわけない。その枝は晴人の分身であっても晴人自身じゃない。万が一折れたとしても、晴人が死ぬなんて嘘」

「だよな……」

「秋葉さんもはおどかしちゃ駄目ですよ」

 夏芽が眉をひそめて注意すると、

「だって夏芽ちゃんのときに言って晴人くんに言わないのは不公平でしょ? だけど夏芽ちゃんのときのほうが反応はかわいかったかしら?」

「秋葉さん!」 

からかわれて顔を赤く染める夏芽の表情は、普段の落ち着いた印象からは想像できない新鮮なものだった。

 晴人がはらはらしながら女性陣の争いに入り込めないでいると、隣に立つ冬至郎に肩を叩かれた。

「気をつけろ。秋葉はおっとりしていそうでなかなかのサディストだ。そして間違いなく君も遊び相手に含まれている」

 にやりと含みのある笑みを向けられ、晴人は女性陣に視線を戻す。学校では眠り姫とうたわれ、揺らぐ姿を見せない夏芽がいとも容易く転がされている。晴人は背中に薄ら寒いものを感じた。

「はい、そこまで」

 黙って様子を見ていた辰巳が一歩前に出て手を叩いた。まるで教師だ。

「目標は無事に達成できたようだし、今日はこれで解散する。我々大人はさておき、高校生にはそろそろまずい時間だ」

 スマホを見ると時刻は二十時を回っていた。遅くなると親には伝えているが、限度はある。

「晴人くん、夏芽ちゃんをしっかりと送ってあげてくださいね。あ、この場合のしっかりは、送り狼とは違う意味ですよ?」

 秋葉が面白がって言っているのは承知しているが、悲しいかな、免疫のない晴人の顔は勝手に熱くなる。

「わかってますっ」

 語尾が強くなってしまうのもお姉さまの思惑どおりなのだろう。

 気象庁の正面口に戻ると、制服姿が災いし、辰巳と同じスーツ姿の何人もの職員から奇異の視線に晒されて居心地が悪かった。

「すまんね、ここの職員全員が君たちの存在について知らされている訳ではないんだ。君たちの存在は国家機密だから」

 平然と辰巳は言ったが、晴人は自分がそのような存在になってしまったことに目眩を覚えた。学生鞄から少しはみ出た枝を除けば、晴人の見てくれは一介の高校生でしかない。

「あの、これからも気象庁に集まるんですか?」

「いいや、基本はないと思ってくれていい。今日は大樹への挨拶という目的が第一にあったが、晴人くんにこのメンバーと環境が現実に存在していると信じさせるために来てもらった意味合いも強い」

 なるほど、と辰巳の説明に晴人は納得する。冬至郎に秋葉、上空だけで出会っていれば現実味は薄かっただろう。目の前にいる仲間がこうして身体を持って地上にいる姿を見るのと見ないのではまるで違う。

「どこにいようと集まる場所は変わらんからな」

 冬至郎が夜空を指さし、晴人はつられて空を仰ぐ。街の明かりで星の瞬きは映らないが、月だけは爛々と輝いている。つい先ほどまであの夜空を駆けていたかと思うと身体が粟立つ。

「俺は明日からどうすれば?」

 次の質問に答えたのは夏芽だった。「私が基礎を教える。春まで徹底的に」

 彼女の引き締まった表情に晴人の背筋が勝手に伸びる。あと三カ月強で春を管理する力を身に付けなければならない。何から始めればよいのかさえ掴めていない晴人にしてみれば、残された時間はあまりに短く感じた。

「そんなに堅くならなくても大丈夫ですよ」秋葉が晴人の肩を揉む。「まずは一週間で基本のいろはを覚えてください。良いものを見せてあげます」

「良いものですか?」

「とっても綺麗なものだけど今は秘密。まずは夏芽先生の下でしっかりと勉強すること。夏芽ちゃん、頼んだわよ?」

「任されました」

 夏芽の返事に満足したのか、秋葉はにっこりと微笑み、「またね」と手をひらひらさせながらタクシーへ向かって行った。

 秋葉が帰るのを皮切りに、

「男子三日会わざれば括目して見よ――一皮剥けた姿を期待している」

そう言い残して冬至郎が歩き出し、

「集合が必要になれば僕から連絡を入れる。授業中の場合はふたり一緒に行動してくれ」

 辰巳もまた庁舎に戻って行った。

「目が回る一日だった……」

 晴人がぽつりと漏らすと、夏芽はしれっと言った。「それなら、明日からは毎日吐くまで目を回すことになるから覚悟して。あと、私は弱気な言葉を吐くのも吐かれるのも嫌いなの。覚えておいて」

 歩き出した夏芽の後ろ姿は、初めて持った印象どおり、冷ややかなものだった。十一月の寒さと相成り晴人の身体には染みる。

「……覚悟しておく」

 早くも漏れそうになったため息はぐっと呑み込む。

「でも……」彼女は振り向きざま言った。「今日はお疲れさま」

 ずるいと文句を言いたかった。厳しい言葉から一転した気遣いの一言は、晴人をぐらつかせるには十分な威力だった。

「どうかした?」

 晴人が突っ立ったまま付いて来ないことに夏芽は訝しそうに足を止める。

「なんでもない!」

 意図しない凶悪さにこれから振り回され続けるんだろうなぁと晴人は内心苦笑いしながら晴人は夏芽に駆け寄った。

辰巳から交通費として渡された潤沢な資金でタクシーに乗ると、不覚にも晴人はすぐさま眠りに落ち、意識が戻ったときには見覚えのある通学路にタクシーは止められていた。


「おはよ」

「起こしてくれたらよかったのに」

「疲れたときは眠るに限るから」

 道案内をさせてしまったことは申し訳ないと思うが、夏芽に指摘されたどおり晴人の身体の芯にはずっしりとした重さが残っており。身体を直接動かしていたわけではないのに筋肉が悲鳴を上げていた。

「さぁ降りて、夢の続きは家で見て」

 慣れた仕草で運転手に乗車賃を支払う夏芽より先にタクシーを降りた晴人に対し、寝起きには厳しい夜風が首をなでた。夜空にはごく僅かだが星が瞬いている。自分の知っている空だ。

 夏芽が財布を鞄にしまいながら降車すると、タクシーは閑静な住宅街の中、エンジンを響かせながら走り去って行った。

 静寂があたりを包み、沈黙が気まずい。

「夏芽の家ってどっち?」

「ここで解散でもいいと思うけど?」

「そうは言っても、秋葉さんに送れと言われた手前な」

「……変に真面目」

 夏芽はそれ以上固辞するわけでもなく、黙って晴人が隣を歩くことを許容した。

 このまま黙りこくって歩く選択も間違いではないのだろうが、晴人の方が耐えきれなかった。

「……あのさ、秋葉さんが言っていた『良いもの』って何か教えてもらってもいい? 実は結構気になってるんだ」

「あれね……」

 夏芽が呆れた様子で前髪をいじった。「秋葉さんももったいぶるよね。私は別に教えてあげても構わないと思ってたけど、秋葉さんがああ言った以上、私からは言えないかな。そんなことよりもまずは基本。秋葉さんの言葉なんてすぐに忘れるくらい覚えることがたくさんあるんだから」

 夏芽の少し上がった口角からは秋葉に通じる残酷な色が滲み出ていた。明日から何が待ち受けるのか、あまり想像しない方がよさそうだ。

「お預けか。まぁ確かに一週間なんてあっと言う間だからな。明日からの七日間は特に早そうだ」

「そういうこと」

 ふふっと夏芽は俯きながら笑った。それからまたしばらく黙って歩いていると、踏切で夏芽が足を止めた。遮断機はまだ降りていない。

「晴人はここまででいいよ。私の家、ここからすぐそこだから。送ってくれてありがとう」

「礼なんていいよ」

「秋葉さんの命令だから?」

 意地悪そうに夏芽が言う。

「言われなくたって送っていたさ」

 ここでムキになるから自分はまだガキなのだろう。

「わかってる。それじゃあまた明日学校で。昼休みになったら晴人の教室に迎えに行くから」

 えっ。という言葉は拒絶に聞こえそうでぎりぎり呑み込んだが、明日、自分の教室がまたどれだけざわつくかは容易に想像できる。それでも晴人が抱いた感情は迷惑などでは無論なく――。

 遮断機が降り、夏芽の後ろ姿が電車に隠される。晴人は――今日何度目になるだろう――空を仰ぎ見た。月の横で金星が瞬いている。明日もよく晴れそうだ。

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