第36話 平和の歌




「この裏切り者どもがー!」


 まるで呪詛のような不気味な叫びをあげながら、自分に切りかかってくる獣族たち。老虎とらは太刀を振り払い、「お前たちのほうがどうかしているぜ!」と返す。


 動き出した歯車は、そう易々と止まるものではない。そんなことは理解していた。しかし、戦場に立つ者たちは、冷静さを失っていた。相手を殺さなければ、自分が殺されるのだ。


 戦場とは命の駆け引きをする場所。


 ——戦場では、敵に情けをかけてはなりません。その甘さは、いずれ自分に返ってくるものです。


 月夜の晩。エピタフに言われた言葉が脳裏を掠めた。


(そうだ。おれは甘いんだよ。甘々なんだぜ。エピタフ——)


 案の定、命を取らない老虎のやり方では、次々に敵兵たちは老虎に襲い掛かって来る。隣で剣を振るうシャオドンは容赦ない。血飛沫が上がり、彼の足元にはいくつもの骸が横たわっていた。


「お前、なにしている! 全然、減らねーじゃねぇか!」


「——おれは……」


(殺したくねぇんだ)


 家族が出来た。震えながらも、果敢に挑んでくる目の前の敵兵にだって、家族はいるはずだ。


(おれがこいつを殺したら。一体、何人泣くんだよ)


 老虎は剣の柄頭の部分を使い、挑んでくる敵兵の後頭部を殴打する。意識を失った者は地面に崩れ落ちた。


「んなことしていたら、また意識取り戻して襲ってくるだけだろうがよ!」


 シャオドンは、自分の周りの敵を片付けると、老虎の元に駆け寄り、そして背中合わせに周囲を警戒した。カースが率いる連合軍の数は底なしだった。


 エピタフや老虎たちの苦労は功を奏しなかったのだろうか。


 始まりは、人間族に対する小さな不信感。それがこうして、大きなうねりとなり、自らも制御できないほどに膨れ上がる。もしかしたら、こうして老虎たちと対峙している種族たちは、一体なんのために戦っているかということすら忘れているのではないだろうか?


 敵兵の瞳に宿る狂気の色。死を目前にして我を失っている者の持つ狂気。生への執着が人を変えてしまうのだろうか。


(おれだって生きたいんだ。おれも。おれもこんな風になってしまうのだろうか——)


 老虎の心に迷いが生じる。ほんの一瞬の出来事だった。しかし、そんな迷いはすぐに断ち切られた。


「我々は平和を望む! 聞け! 獣族たちよ! 心を闇に染めてはならぬ! 我々は誇り高き獣族ぞ! 同朋で血を流して、なんの意味がある!」


 まるで地の底から響いてくるような声が、戦場に響き渡ったからだ。


「兄貴……」


 チンハオは愛馬にまたがり、大型の槍を振るっていた。彼の肩や背には、矢が何本か突き刺さっているが、そんなものは物ともしない。彼は平和を信じ、そして敵兵に語りかけていた。


 暴力が支配するこの場面においても、彼は言葉を忘れることはないというのだ。老虎はまるで冷たい水を浴びせられたような気持ちになった。


「兄貴は——忘れちゃいねぇのか。そうだ。おれたちは対話をするべきだ」


おさはからだを張って、戦いを止めようとしているんだ。お前もちゃんとしろ! 腑抜けた気持ちでは、相手は止まらねえ。いいか。相手が本気なら、お前も本気を出せ!」


 シャオドンの声が老虎の胸に突き刺さる。戦士として、誠意を見せろ。シャオドンはそう言っているのだろう。老虎は剣を握りなおす。


(おれは迷い過ぎだ。大事なものが出来て、迷っているんだ。クソ……っ。おれらしくもねえ。エピタフはきっと、からだ張って戦っているに違ないってぇのによ)


「カッコ悪いじゃねぇか!」


 老虎は叫ぶ。


「お前ら! いいか。おれの話を聞け! 大事な奴のために死ぬなんて馬鹿な事をするんじゃねぇぞ! 大事な奴を泣かすなんて、男のすることじゃねぇんだからな!」


 彼は握りなおした剣を地面に投げ捨てると、「うおおおおお」と雄たけびを上げて、拳で殴り掛かった。


「ちょ、武器を捨てるバカがどこにいる!? 本当によ!」


 シャオドンは慌てて老虎の加勢に入る。二人は右へ左へ、場所を変えながら、敵兵たちを翻弄する。彼らの勢いに怖気づいたのか、敵兵たちは一歩、また一歩と後退していった。


 すると——。どこからか場にそぐわない歌声が響いてきた。老虎たちも、敵兵たちも。皆がその歌に意識を取られた。


「歌姫か」


 チンハオの声に、老虎は視線を巡らせる。城壁の上。そこに凛空りくがいた。あの晩と一緒。みすぼらしい恰好だ。まるで捨て猫みたいに。けれども、彼はまるで神の光に守られているように輝いて見えた。


(あの光は——エピタフ)


 エピタフの放つ防御の魔法は、神々しい黄金色に輝くのだ。小さい凛空の声が、広大なる戦場に響き渡るのは不思議な光景だった。老虎はふと頭上を見上げた。革命組の所有する飛空艇が飛んでいく。


(博士のからくりかよ)


 凛空の歌を届けてくれているのは、どうやら縞栗鼠しまりす博士の操縦する飛空艇だ。それから、伝令係を務めてくれている雲雀族も、魔法の力で歌声を広めてくれている。


 まるで地獄のような光景に明るい光が差し込んだみたいだった。暗雲の合間から差し込む一筋の光——。


「この歌は」


「歌姫——だ。この歌は歌姫に違いない!」


 敵兵の中からそんな声が聞えてくる。歌声に耳を傾けた者たちの瞳からは、狂気の色が消えていく。敵も味方もない。そこにいた皆が、次々に武器を地面に手放し、そして凛空を仰ぎ見た。


 あの鬱蒼とした森の入り口で出会った凛空は、小さい黒猫だった。ぼろぼろに傷つき、自分の運命など一つも理解していない彼を見て、老虎は気の毒に思ったことを思い出す。


 ところがどうだろう。凛空はまるで別人だった。まるで全てを許し、全てを癒すようなこの歌声に、傷ついた者たちは救いを求めて膝をついた。そして両手を握り合わせて涙する。自分のしてきたことを悔いるかのように。皆が凛空に許しを乞うたのだ。


 老虎は右手の拳を頭上に突き出す。


「我らの歌姫だ! みんなの歌姫だ!」


 老虎の叫びにざわざわとしていた声が大きくなる。


「そうだ——。あれは平和の象徴。歌姫だ」


「おれたちは……こんな争いなど無意味だ」


「家に帰りたい」


「帰ろう。おれたちの故郷に——」


 剣を捨て去った傷ついた者たちは、互いに肩を抱き合い、そして泣いた。


「やっと終わりかよ」


 シャオドンは老虎に笑みを見せる。二人は固く手を握り合った。


「助かったよ。ありがとな。シャオドン」


「クソ。気味悪いからやめろ。お前、危なっかしくて見てらんねぇぞ。あのつがい、守るんだろう?」


 握り合った手を離し、老虎は城壁の上に向かって手を振る。自分に気が付いたのだろう。凛空がにっこりと笑みを見せた。彼も相当緊張していたに違いない。安堵の表情が見て取れた。


 彼があそこで平和の歌を歌ったということは、カースやラリの始末がついたということだ。


「終わったんだ——。全てが終わった」


 老虎は軽く息を吐く。長かったこの戦いに、とうとう終止符が打たれるのだ。老虎は最愛の人へ視線を戻す。しかし——。凛空を覆う光がふと消えたかと思うと、彼はその場に崩れ落ちたのだ。


「——っ! エピタフ!」


 エピタフは隣にいたリグレットに抱えられていた。


(クソ! 無茶したのかよ!)


「シーワン?」


 不思議そうに声をかけてくるシャオドンを残し、老虎は王都へ駆けだした。






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