第35話 最後の攻防



「お帰り。凛空りく


 全てが終わった。サブライムは、凛空をぎゅっと抱きしめた。彼はよほど怖かったのだろう。カースという悪の権現ともいえる存在と、一人で対峙したのだ。


 サブライムに抱かれ、耳を倒してぶるぶると震えている凛空を見ていると、エピタフはなんだか微笑ましい気持ちになった。


「よく頑張りましたね」


 最初に出会った凛空は、甘えん坊な子どもだった。自分の背負わなくてはいけない運命を聞かされ、怖気づいて逃げ出すだろう。エピタフはそう思っていた。けれど違ったのだ。


 こんなに怖がっているというのに、彼は自分の運命に立ち向かったのだ。祖父が愛情を注いで育てた子だ。エピタフにとっても家族同然の存在だった。そんな彼が成長してくれるということは、エピタフにとっても嬉しいことだったのだ。


 しかし——。カースが消滅したはずなのに、神殿に漂う邪な気配は消えることはない。視線を巡らせると、地上へと続く入り口のところに、擦り切れた薄汚れている布を纏っている男の姿を見る。


 太陽の塔を守る一族のふりをして、エピタフたちの目の前に現れた男——兎族の落ち人ラリだった。彼は崇拝するカースが消滅する瞬間を、なにもせずに見ていたのだ。エピタフは魔法を発動させる構えをし、ラリに声をかけた。


「カースは消えました。残念でしたね。ラリ。貴方の野望は断たれた——」


 しかし彼はそう落胆した様子もなく、軽く肩を竦めて見せた。


「まったくもって肩透かしだった。カースとは愚かなる過去の遺物だったのだ。個人の感情だけで突き動かされる者ほど愚かしいものはない。私の理想とはかけ離れた存在であったこと、大変残念に思う――」


 彼は「残念である」という表情を作った。


(やはり。一番の闇は貴方だったのですね。ラリ)


「貴方は兎族の落ち人。自分で殺した一族になりすましたか」


 エピタフの指摘に、ラリは不気味な笑い声をあげた。


「そうだ。私は元は兎族だったのだ。一族に戻れぬようにと、耳も尾も切り落とされた。目も焼かれた! 光しか感じられぬが、そのおかげで他の感覚が研ぎ澄まされた。ただ——」


 ラリはエピタフに語りかけた。


「一つ残念なことは、お前のその姿をこの目で確認できないことだな。噂によれば、お前はクレセントにそっくりだそうじゃないか。私は感謝しているのだよ。私を追放したクレセントに。私は一族から解き放たれ、自由の身になったのだ!」


 ラリはエピタフの祖母であるクレセントに追放された。カースという邪悪な存在を崇拝していたが故に、一族の中での危険分子とみなされたのだ。


 彼は一族を追放され、流れ流れて、太陽の塔の一族を殺害。生き残りのふりをしてその地位に納まった。


(彼の怨念は底知れぬ。何十年もの間、太陽の塔を守る聖職者の地位に居座りながらカースを蘇らせ、そして着々と破滅への準備をしてきたというのか)


「全て私がやった。私はカースという絶対的悪に惹かれたのだ。私は混沌が好きだ。こんな意味もない世界など滅びればいい」


「なのに——」とラリは続けた。


「目覚めたカースの頭の中は、歌姫のことでいっぱいだった。落胆した。私の理想とは全くかけ離れた男だった。私が欲しいのは、絶対悪。誰にも触れることのできない、底なしの闇だ」


 サブライムは恐ろしさで震えている凛空を抱きしめたまま、ラリを睨みつけた。


「お前はカースよりも邪悪な存在だ。自分以外のことは、なに一つ考えない。身勝手で傲慢。お前こそが底なしの闇だ」


 サブライムの指摘など物ともしないのか。ラリはすました調子で答えた。


「王よ。悪は私ではない。悪はそこにいる獣族だ。兎族はこの月の神殿を捨て、王都から去った。猫族もそうだ。お前たちには天罰が下るのだ」


(この男は狂っている)


「貴方はただ自分を追いやった者たちが憎かっただけです」


 エピタフの言葉に、ラリは高らかに笑いだした。


「もう遅いわ! 私の素性を知ろうとも、カースがいなくなろうとも、戦争は止まらぬ。連合軍は王都を侵略し、そしてこの国は私のものとなるのだ!」


(この男は危険——)


 エピタフは蒼白い炎でラリを攻撃する。しかし、彼は視力を失っているにも関わらず、その炎を軽々と避けた。ラリは身を翻すと、あっという間に階段を駆け上がっていった。


「逃がすな!」


 サブライムの声に、エピタフはラリを追跡する。兎族は脚力が発達している。人間とは比べ物にならないくらい、早く走れるのだ。ラリは落ち人とはいえ、元は兎族だ。その逃亡速度は、サブライムでは追いつかないだろう。


 仄暗い階段を駆け上がり、地上に飛び出したエピタフは動きを止めた。月の神殿の入り口は悪魔師団に取り囲まれていたからだ。


 跳躍し、瓦礫の上に飛び上がったラリの隣には、カースが使役していたふくろうの頭を持つ悪魔——アンドラス侯爵が佇んでいた。彼の天使のような羽は美しく輝いていた。


 どうやら、カースの魂が消滅したのを機に、ラリとの契約を結んだのだろう。そこに遅れて駆けつけたサブライムと凛空も足を止めた。


 アンドラスがまたがっていた銀色の狼を撫でる。悪魔師団の攻撃の合図だ。エピタフは素早く召喚の言葉を紡いだ。あっという間に三人の前に立ち現れた鳩の姿の悪魔——ハルファス伯爵は「頼みます」というエピタフの言葉に「承知」と答えた。


「あの時の兎か。ついこの前は取り逃がした。今度はそうはいかぬ」


 アンドラスの声に応えるのはハルファス。


「わがあるじには指一本触れさせぬ。アンドラス侯爵」


 ハルファスは天空に舞い上がる。狼が地を蹴り、アンドラスも空中に飛び出した。二体の悪魔は剣を交える。エピタフは「リグレット」と叫んだ。無数に存在する悪魔を始末するのは、エピタフの仕事だ。


「お任せを!」


 草むらに潜んでいたリグレットが飛び出してきた。エピタフは彼に向かって、黄金色の魔法を発動させる。老虎とらに施した魔法と同じだ。彼は黄金色の光を纏いながら、戦場を縦横無尽に駆けまわる。悪魔たちは、リグレットの健脚についていけないのだ。


「なにをしている! その兎を捕まえろ!」


 瓦礫の上で叫んでいるラリに向かい、サブライムが剣をふるった。彼は腰にぶら下げていた剣を両手で引き抜くと、すぐに応戦する。


「エピタフ様! 一丁あがりですよ!」


 リグレットは嬉しそうに笑った。彼は闇雲に駆け回っていたのではなかった。彼が戦場に描いたのは、悪魔を封じる魔法陣——。その魔方陣は広大な太陽の塔の敷地一面に描かれたもの。魔法陣に囲われた悪魔師団は、ずるずると地の底に引きずり込まれていく。


「あるべきところにお帰りなさい」


 エピタフは魔法陣を発動させながら、そう呟く。


「雑魚は私が。サブライム、失敗は許されませんからね」


「わかっている!」


 サブライムに視線を遣ると、彼は得意の剣技でラリを翻弄していた。サブライムの剣はまっすぐで、何事も一刀両断にする力がある。サブライムの剣を受け止めたはずのラリの剣は二つに折れ、そしてその太刀がラリの額に振り下ろされた。


「ぎゃあああ」


 サブライムに切りつけられたラリは地面に倒れ込んだ。


「お前にかける情などない——」


 サブライムはラリの血を払うように、剣を振るった。ハルファスとの攻防を繰り広げていたアンドラスがラリの元に舞い降りる。主の命が失われる時、契約が執行されるのだ。ラリのからだはくしゃくしゃに縮んだかと思うと、小さい塊になった。


 アンドラスはそれをつまみ上げると、ひょいと口に納めた。ボリボリと骨が砕ける音が響く。


「大して美味くもない魂だったが。こうも早く魂にありつけたのだ。よしとしようぞ。さて、契約者も不在。私がここにいる意味はない。残念だがね。ハルファス伯爵。続きは次としようではないか」


 空中から見下ろしていたハルファスは「ポポポ」と笑った。


「もっと力ある者と契約するとよかろう。私と相まみえる機会があるような——ね」


「ふん」


 アンドラスは面白くなさそうに踵を返すと、闇の中に姿を消した。後に残されたのは四人だけだった。






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