第34話 満たされぬ思い
太陽の塔は無残な姿を晒していた。あの天上まで届く荘厳な姿は見る影もない。
夜明けまでは今少し時間がある。頭上には満天の星空が広がっていた。瓦礫の間を散策していくと、地下へと続く通路を見つけた。エピタフは引き連れてきたリグレットを茂みに隠れているように指示し、サブライムと一緒に地下に降りた。
とてつもなく長い階段だった。まるで地獄への通路みたいだ。しかし歩みを進めれば進めるほど、辺りは明るくなった。冷たい大理石の壁は自ら光を放っているかのようだった。
途中、奥深くから神々しい光が洩れ、そしてまるで嵐のような轟音が響いてきた。エピタフとサブライムは視線を合わせる。
「急ぎましょう!」
二人は走った。階段が切れ、広い地下空間に到達すると、そこは神殿だった。
天井は高く、光が届かないせいで、肉眼では確認することができない。
何本も等間隔に据えられている柱は、人が一人では抱えられないほどに太い。
中心部にある祭壇には、石棺が置かれていた。二人はそこに、人影を見た。
「
サブライムは悲鳴にも似た叫び声をあげ、駆けだす。凛空は、カースの腕の中でぐったりとしていた。まるで意識がない。
(あれが——カースだというのですか?)
エピタフはフードが落ちた彼の素顔を見て息を飲む。その肌は七色に光る鱗で覆われ、口元から時折、チロチロと姿を見せる舌は先が二つに分かれていた。瞼は横に開く造りなのか、瞳孔が縦に細長く、それはまるで爬虫類のようだ。
爬虫類との交配種をエピタフは見たことがなかった。彼の存在自体が奇異なるものだった。
「蛇……でしょうか」
カースと凛空の頭上には、神々しいばかりの光を放つ者が、宙に浮いていた。
(歌姫の魂——)
光の中に浮遊する存在は、王宮の廊下に掲げられている歌姫の肖像画通りの容貌だった。
凛空と同じ黒猫だが、もっと大人びた瞳を持っている。その表情はまるで聖母のように安らかな微笑みを讃えていた。
カースはぐったりとしている凛空をその場に投げ捨てると、歌姫の姿に夢中になっていた。サブライムはその隙に、凛空の元に駆け寄り、そして彼を抱き起す。
「凛空、しっかりしろ」
サブライムの呼びかけに、凛空が瞼を上げた。
「どうしてここに……?」
彼はどうやら無事のようだ。エピタフは安堵した。サブライムも同じ気持ちなのだろう。凛空をしっかりと抱き留めて、彼の無事を神に感謝しているようだった。
「遅くなりました。凛空」
「どうして? どうして、おれがここにいるって……」
サブライムは凛空に優しく言った。
「リガードの指輪には、彼の魔力が込められている。エピタフは、それを追跡できるんだ。だからお前の居場所がわかった」
凛空はエピタフを見返した。笑みを作って見せると、彼も安堵したように笑みを見せた。
凛空の中には、歌姫の魂が眠らされていた。彼が覚醒するということは、凛空が今度は眠らされてしまうのではないか、という杞憂があったが、どうやら彼は彼であるらしい。歌姫の魂は分離されたのだ。
「遅かったな。お前たち。無事に魂が分離した」
カースは歌姫の魂を迎え入れるかのように両手を広げた。エピタフたちに声をかけるものの、意識は歌姫に向けられ、まるで眼中にない様子だった。
「
彼は歌姫との再会を心から喜んでいるようだ。その声は歓喜に満ちている。
(音とは、歌姫の名か)
「早くあの器に戻るのだ。そうすれば、お前は自由の身になるのだぞ!」
カースは凛空のことを言っている。一度魂を分離し、再び器に戻す。それが歌姫の覚醒の儀だということだ。歌姫の魂が凛空のからだに戻れば、凛空の人格は眠らされてしまうだろう。サブライムは凛空を抱きしめた。
「凛空は渡さないぞ! カース、残念ながら歌姫の器はここにはない!」
「そうです。器がなければ、歌姫はただの実態のない亡霊と同じ」
「お前たちになにがわかる。邪魔をするな!」
カースはエピタフたちの存在が忌々しいとばかりに、苛立った声を上げ、懐から紫色の光の剣を取り出すと、サブライムに切りかかってきた。
しかし太陽の塔の時のようにはいかない。エピタフは瞬時に黄金色の防御壁を展開し、凛空を抱きしめているサブライムを防御した。
カースの剣はサブライムに届くことはない。
「くそ……リガードの孫が! 魔法省はおれを拒絶した。千年経った今でも、お前たちはおれの邪魔ばかりする!」
(なんの話をしている?)
エピタフの中に疑問が生まれた時。深い響きを孕む声が響いた。その声は、実態のない歌姫から発せられている。耳に届いているのではない。心に直接働きかけてくるような声だった。
——カース
「音。器に戻れ。お前ならできるはずだ。あんな子兎の防御壁など、物ともしないだろう?」
歌姫の呼びかけに、カースは剣を投げ出し、まるで母親に甘えている子どものように、その存在にすがる。彼はカースの言葉にはなにも答えない。カースは不安気に表情を曇らせた。
愛情が欲しいのだ。カースには、愛情が足りなかったのだ——とエピタフは思った。その姿はまるで、過去の自分を見ているようだった。
なにもかもが敵に見えた。奇異なる視線。下卑た視線。周囲を憎み、そしてこの世界の仕組みを憎んだ。
だが、エピタフがカースにならなかったのは、サブライムやスティールがいてくれたからだ。
いつも彼らが支えてくれた。なんとか自我を保ち、闇に落ち込むギリギリのところで踏みとどまっていた。
(けれど、それだけでは私の中は満たされなかった——)
老虎と出会い、エピタフの空っぽな器は、愛情で満たされた。生まれて初めてだった。こんなに満たされた感覚を得たのは。
カースは歌姫と敵対していたのではなかった。彼には歌姫が必要だったのだ。歌姫の全てを包み込むようなこの愛情が——。
歌姫は口元を上げ、優しい笑みを見せると、両手を差し出した。カースはそれを受けようと、同様に両手を広げる。
しかし——。歌姫の光は眩い。その光は、まるでカースの闇を燃やし尽くしてしまうかの如く強かった。
最初、満たされた笑みを見せていたカースだったが、様子が違っていることに気が付いたのか、身を引く。しかし歌姫はそれを許さなかった。彼をしっかりと抱き留め、そして彼のからだを燃やし尽くす。
「うう……うおおおおお……っ、な、なんだこれは! 音! 一体、なにを!?」
——ああ、傷つき迷子になっていた可哀そうな子。私は貴方を迎えに来たのです。さあ、もうそんな思いをする必要はありません。私と伴に。永久に安寧の時を手に入れるのです
「い、嫌だ! おれにはまだやることが……」
カースは待ちわびていたはずの歌姫の抱擁を拒んだ。しかし、それを彼は許さない。
——おお、嘆かわしい。カース。復讐の心に支配されてはいけません。私と伴に今度こそ、永久に眠るのです。どんなにこの時を待ちわびたか
カースのからだは光に触れたところから、煙を上げ、炎に包まれた。最愛の人との抱擁——という言葉からは程遠い。カースはまるで地獄の業火に焼かれるかのごとく、断末魔を上げた。
サブライムは凛空には見せたくないのか、彼の顔を隠すように抱きしめ、耳を塞いだ。
彼のからだをすっかりと包み込んだ光は、一層強く輝き、そして一瞬で消えた。まるで最初から、そこには何もなかったかのように。カースの姿は無に帰したのだった——。
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