最終章 兎と虎は平和を願う

第33話 歌姫奪還作戦



 夜になっても、王都への攻撃は止むことはなかった。数が減ったとは言え、人間たちに対し、いい感情を持ち合わせていない種族も多いということだ。カースの呪縛から解放された上でもなお、こうして戦いに身を投じる獣族たち。老虎とらは、その戦場の脇を抜け、森の中に設営された野営テントに顔を出した。


 するとそこには、革命組の仲間たちや、その種族の長たちが集結していた。中心にいるのは兄であるチンハオだ。彼は大きく広げた地図を見下ろし、他のおさたちとの算段をしている最中だった。


「帰ったか」


「兄貴。南のほうもあらかた落ち着いた。おれたちの思いに賛同してくれる一族の長たちが、こっちに向かっている」


「そうか」


「頼もしい弟だな」


 熊族の長がチンハオに言った。


「どこもかしこも、頼もしい奴ぞろいだろう? いいか。おれたちはこの戦いを終わらせる。獣族の名誉にかけてもだ」


 チンハオはそう言い切った。


「我々は平和を求む。戦いなど終わらせ、そして子どもたちが安心して暮らせる世の中を作る。血迷い、そして戦いに身を投じている同朋たちを止めるんだ」


 各種族の長たちは雄叫びを上げた。


「ここに獣族和平連合軍を立ち上げる! 本体は正門を。第二部隊は西、第三舞台は東に回る。伝令係として、雲雀ひばり族が飛んでくれるそうだ」


「半刻後、作戦開始する」


 それぞれの長たちは自分たちの種族のテントに戻っていく。残されたチンハオとシャオドンの元に歩み寄った老虎は「おれも出るぞ」と言った。


「つがいはどうした」


「王宮に送ってきた。歌姫がカースにかっさらわれたって話だ」


 戦局は厳しい。歌姫が鍵を握っているのだ。王宮が歌姫を奪還しない限り、自分たちがいくら戦っても、それは無意味なこと。


 しかし——老虎の心には懸念が渦巻いている。歌姫を奪還するということは、カースと直接対決する場面が想定されるからだ。太陽の塔での件もある。エピタフの身が心配でならなかった。テントの隙間から覗く星空に視線を向ける。


(エピタフ——頼む。無事で帰ってくれよ。世界のすべてを失ったとしても、おれはお前だけは、失いたくないんだから——)



***



「月の神殿へ参りましょう」


 王宮の作戦本部に足を踏み入れたエピタフの姿に、そこにいた者たちが驚きの表情を浮かべていた。無理もない。しばらく行方をくらましていたようなものだからだ。しかし、すぐにサブライムが嬉しそうに笑みを見せた。


「戻ったか。エピタフ。聞いたぞ。勇ましいつがいを見つけたそうだな」


 好きだった人だ。どんな顔をして会えばいいのだろうか? と悩んだのが嘘みたいだ。エピタフは動揺することもなく、ただ冷静にサブライムと向かい合っていた。


「ええ。かなりの荒くれ者で、無作法極まりない男ですが」


「そこに惹かれたのか?」


 彼はにやにやと愉快そうに笑みを見せる。隣にいたピスは「エピタフ」と鋭い声で彼の名を呼んだ。言いたいことが山ほどあるぞ、という顔つきだ。エピタフはすぐに彼に対し、こうべを垂れた。


「今回のこと。大臣職でありながら、身勝手な行動をとり、王宮への不利益は計り知れぬ。お前がいないことで、王宮の守りはかなり脆弱になっていたのだ。なぜすぐに帰ってこなかったのだ」


「それは——」


「野暮なことを聞くな。子どもでもあるましい。最愛のつがいのためなら、全てを投げ打ってでも尽くしたい。それが当たり前の感情だろう?」


 口を挟んだサブライムに、ピスは咳払いをして視線をやった。


「申し訳ありませんでした。私は真のつがいに出会うことなく、この年まで生きてきましたので。そういう感情は理解できぬのです」


「真のつがいに出会う、出会わぬは運命しだい。出会ったことが幸か不幸かの判断はつかないものだ。しかし、気持ちに寄り添うことはできるはず。一度後悔したのではなかったか? リガードの時に」


 サブライムに指摘され、ピスは「すまぬ」とだけ言った。


「王宮のために動いたとはいえ、私情が混在していたことは偽りなきことです。咎められても当然のこと」


「まったく。お前って奴は」


 サブライムは笑った。


「いいのだぞ? 自分の気持ちに素直になったって。泣き叫んで、怒ったって。誰もお前を批判などするものか。エピタフ。素直になれ」


 今まではこんな気持ちにはならなかった。サブライムがそう言っても、そんなことはできない、と蓋をしてしまう自分がいたからだ。しかし——。今ならわかる。自由がいい。自由とは自ら手にするものであると。自分で自分を縛りつけていた頃とは違うのだ、ということ——。


 エピタフが笑みを見せると、ピスの表情も和らぐ。サブライムも口元を上げて笑みを見せた。


「エピタフとその虎族の勇者の活躍により、王都に攻め入る種族を減らすことができた。さらに彼らは我々に加勢してくれるというではないか。なにも問題はない。問題はエピタフ一人を欠いた状況で王都を守れない警備体制だ。戦いが終わったら、見直しをかけること。いいな?」


 ピスは「承知」と頭を下げた。サブライムは「それより——」とエピタフを見据える。


「月の神殿の場所に行くというが。どこにあるというのだ?」


 エピタフはスティールに視線を遣った。彼は肩を竦めた。


「古文書の解析をしたが、結局は月の神殿の場所の特定までこぎつけられなかった。お手上げしていたところだ」


「大丈夫です。私なら凛空の居場所がわかります」


「なぜわかるというのだ?」


 ピスの問いに頷いてから、エピタフはサブライムに視線を戻した。


「凛空が祖父から受け継いだ指輪には、祖父の魔力が宿っています。私なら、その魔力を追える。凛空の居場所こそが、月の神殿であると確信しています」


 凛空の指には、エピタフの祖父であるリガードから託された指輪がはめられていた。凛空は、それをエピタフに譲ろうとしたことがある。しかし、指輪に触れた時、エピタフは祖父の思いを知った。


「凛空の居場所がわかるのだな?」


 サブライムの瞳は懇願するような色をたたえている。つがいである凛空の身を案じているのだ。エピタフは彼を安心させるように、しっかりと頷いて見せた。


「ええ——。やってみましょう」


 エピタフは虎族の野営テントでして見せたように、意識を周囲に広げた。彼の魔力は無限大。この国の誰よりも広範囲でそれらを展開することができた。


(凛空——。貴方は。どこにいるのです? 凛空——)


『エピタフは老虎が心配なんでしょう?』


 漆黒の曇り気のない瞳は、エピタフの歪んだ心を癒してくれるような温かさがあった。彼は無条件に周囲の人を幸せにしてくれる力がある。


(貴方は。自分が不安であるにも関わらず、周囲の人を安心させてくれる人。とても強い人です。凛空。心をしっかりお持ちなさい。さあ、私の声に応えるのです——凛空)


 エピタフの意識は、王宮を飛び出し、戦場を駆け抜け、そして周囲の森にまで広まっていく。ふと彼の意識に留まった場所があった。


「いました——太陽の塔の地下。そこが月の神殿。凛空はそこにいます」


「月の神殿は、太陽の塔の地下にあったのか! これは盲点だったな……」


 スティールは「うーん」と唸り声をあげた。サブライムは、すっくと腰を上げた。


「おれが行く。エピタフ、ついてこい」


「承知」


「こちらはピスとスティールに任せる」


 やることが決まれば、キラキラと輝く王様——、それがサブライムだ。彼は颯爽と歩き出す。ここにいる誰もが、彼の言葉にひれ伏す。


 エピタフは転移魔法の光を放ち、サブライムと共に太陽の塔の廃墟へと向かった。





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