第32話 開戦
「他の種族も脅されているのかもしれねぇ」
チンハオはそう言った。
「あの兎男が言っていたんだ。カースの配下はあいつ一人じゃないと。他にも何人もの闇魔法の使い手がいて、それらが、各種族に派遣されていると。だから、虎族だけ参戦しないのは一族の恥になるぞ、と脅された」
テントに戻ってきた彼は、老虎とエピタフの前の椅子に腰を下ろしていた。
「おれたちにとったら、そんなものはどうでもいい話だった。けど、子どもを人質に取られたとなったら、わけは違う。おれは
「本当に胸クソ悪りぃ奴だな」
「どうする? 弟よ」
チンハオの問いに、老虎は「やるだけだ」と言った。
「おれたち獣族と手を組むどころか、おれたちを馬鹿にしている。他でも汚ねぇやり方をしているかも知れねぇ。だから……」
「そうだな」
「兄貴。この近くに、他に集まっている種族がいるのか」
「あの男の話だと、複数いると聞いている」
老虎はエピタフを見る。
「こちらは西の種族が集結しているのだと思います。他に北、南、東——。王都を取り囲む作戦のようですからね」
「兄貴、西の種族は任せられるか」
老虎の提案に、チンハオは頷いた。
「任せておけ。すでにシャオドンたちに命じて、近くの野営テントに向かうように指示は出してある。もし、カースの手下を見つけたら、全て嬲り殺せってな」
「さすがだぜ。兄貴」
老虎はにやりと口元を上げた。
「エピタフ。おれたちは他を回る」
「人数が足りませんよ」
「ガズルのとこに最初に行く。ガズルが自由に動ければ、北は奴に任せられる」
「わかりました。では私はその後、東に向かいましょう。シーワンは南に送ります」
老虎とエピタフの会話を聞いていたチンハオは不意に二人の肩を叩いた。
「なんだよ? 兄貴」
「お前。いいつがいを持ったな。いつ子の顔が見られる? 落ち着いたら里に戻れ」
「でも、おれは——」
「お前につぎ込んだ学費の分だけは返してもらう。いいな?」
老虎は困った顔をしてエピタフを見ていた。これは致し方のないことだ。老虎は、一族に対する責任を果たす義務がある。エピタフは老虎の手に自分の手を重ねた。
「残念ながら、私は王都を離れるわけにはいきません。真面目にお勤めを果たしてから、戻ってきてください」
「寂しいだろう?」
「寂しくなどありません! 貴方のほうが寂しいのではありませんか」
エピタフは頬が熱くなる。
「寂しいぜ。おれは寂しい」
二人の様子を眺めていたチンハオは、エピタフに頭を下げた。
「今回の件は、本当に世話になった。おれたち虎族にとって子は宝だ。その子たちを一人残らず無傷で救ってくれた。あんたは一族の救世主だ。こんなバカな弟だが、つがいとして添い遂げてくれるというならば、おれたち一族には、とても幸運なことだと思っている」
「
こんなにも人から求められ、感謝されたことがあっただろうか。エピタフは気恥ずかしい気持ちになった。
「おれたち虎族は学がなくてな。それでこいつを王都に行かせて学ばせようと思ったのだが……、多分、革命組にうつつを抜かさなくても、あまり意味がなかったのかも知れないな」
「なんだよ! それ」
「勉強したって、同じようなもんだってことだ」
「うっせーな。もう。本当に。おれは勉強以上に大切なことを学んだ!」
チンハオの大きな手が老虎の頭にぼふんと乗せられた。
「見てりゃわかる。このバカが」
チンハオは、そのままにかっと笑みを見せた。
「おれたちが、この戦いを抑えてみせようぜ」
「——ああ、兄貴」
二人は両手を固く握りあって、視線を交わした。家族の暖かさや大切さを知らぬエピタフには眩しすぎる。じっとそれを見守っていると、老虎が手を差し出した。
「エピタフ」
「しかし……」
「あんたもおれたちの家族だ。そうだろう。兄貴」
「そうだ。こんな一族だが、どうか末永く仲良くしてやってくれ」
エピタフは二人の視線に見守られて、老虎の手を取った。
(家族とは、なんと暖かいものなのでしょうか——)
こんなに心強く思ったことはなかった。まるで自分は、この世界で無敵になったような気がした。彼らが。いや、彼がいると自分はなんでも成し遂げられるような気持ちになった。
***
チンハオの指摘通りだった。参戦している種族の中でカースに脅されている種族はかなりの数に上った。
西から王都に攻め入ってきている種族はチンハオやシャオドンたちが、カースの手下を潰していった。
ガズルのところに立ち寄った老虎は、すでにガズルが一族を救出していたことを知る。老虎は、彼にも事情を説明し、北から攻め入ってくる種族に戻っていた仲間たちを集め、カースの手下を殲滅すべく動き出してもらった。
その様子を確認し、老虎はエピタフの転移魔法で南へと移った。
しかし——。東を片づけたエピタフと合流する頃には、陽はのぼり、一部の獣族たちが王都への攻撃を開始されていた。
「クソ、間に合わなかったか」
「いいえ。本気で人間族と剣を交えたいという一族もいるのは確か。すべてを抑えることは難しいものです」
「だけど——」
幾分顔色の悪いエピタフは首を横に振った。
「随分と頭数は減らせました」
「顔色が悪い」
老虎はエピタフの頬を撫でる。彼はくすぐったそうに瞼を閉じた。
「——今回の件。兎族が……関わっていました。どこもかしこも。カースの手下として獣族に派遣されていたのは、兎族の者たちばかりでした」
エピタフは兎族の姿かたちをしていることを呪いながら生きていた。しかし。こうして祖母の一族がカースの野望に加担しているということを知り、心痛めているのだろう。老虎は優しく彼を撫でた。
「なんか事情があんだろう」
「——そうですね。今はとやかく詮索している時間はありません。この戦いが落ち着いたら、調べてみることにします」
ふと彼のからだが揺らいた。老虎は慌てて腕を差し出して、彼を抱きとめた。
「大丈夫かよ。無理が祟ったんだ。あんた、病み上がりだ」
老虎が触れた脇腹からは、血が滲む。
「平気です。これくらい——」
「すまねえ。本当に無理ばっかりだ」
「いいえ。傷だけではないんです。なんだか少し。体調がおかしくて——」
「無理すんなって。おれに任せろ」
「貴方一人では信用なりません」
「なんだよ。南は一人で片付けただろう?」
老虎はエピタフの膝の裏に腕を差し入れ、そのまま横に抱き上げる。
「おろしなさい! 歩けますから」
首にしがみついて耳まで赤くするエピタフが愛おしい。老虎は「おとなしくしろよ」と言った。
「里に戻らなくちゃいけないなんて、あんたのそばにいられないじゃないか。不謹慎かも知れねぇけど。この戦い、終わって欲しくねぇ」
(ずっと一緒にいたいのに……)
「また、すぐに一緒です」
ふとエピタフの声が耳元で聞こえた。彼は恥ずかしいのだろう。目元も上気していた。老虎は彼の唇に口づけをする。
「やっぱ、なし。こんな戦いは速攻終わらせる。そうしたら、あんたと交尾したい」
「——嫌だと言っていますけど」
「ダメだ。嫌がったって離さねぇ」
老虎はエピタフへの口づけをやめない。いつの間にか、エピタフもそれに応えるように老虎の首に腕を回した。
「このまま——」
「エピタフ……」
しかし、冷静なエピタフが先に声を上げた。
「王宮に戻りましょう。まだやることは残っていますよ。シーワン」
老虎はエピタフを抱えたまま、小高い丘を駆け降りる。眼下には、いきり立っている獣族たちが、王都の城壁をこじ開けようとしている姿があった——。
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