第31話 止まらぬ恋慕
「
エピタフの言葉に、隣に来ていたシャオドンが胸を張った。
「チンハオは、虎族で一番、勇敢で、すげぇ戦士だ。シーワンだって敵わねぇぜ」
老虎は両手で剣を握り直す。片手ではとても受けきれないと判断したのだろう。兄は、そんな弟に容赦なく重い太刀を浴びせ続ける。
「どうした。防いでいるだけか。腕が鈍っているようだな」
「クソ……っ」
「シーワン、がんばれ!」
突然、エピタフの隣にいたシャオドンが声を上げた。
(あんなに喧嘩ばかりなのに。こういう時は、シーワンを応援するんですね)
なんだか笑ってしまった。老虎とシャオドンは幼馴染。腐れ縁。いつもは喧嘩ばかりなのに、仲がいいということだ。
エピタフは、じっと老虎だけを見つめた。
(大丈夫です。きっと。貴方なら、お兄様を乗り越えられます)
老虎は兄の太刀を受けながら、視線を返してくる。
(また余所見ですか。学習能力に乏しいですね……)
心の中ではきついことを言っていても、彼が自分を気にかけてくれているということに、嬉しい気持ちでいっぱいになった。
「人に理解してもらうには、時には力も必要なんだ。おれたち一族は特にそうだ。言葉ではわからねえことも。こうして剣を合わせれば。拳を合わせれば、わかることがあるんだ——」
老虎は言った。
チンハオは老虎に期待していた。それを知りながら、老虎は自分勝手な行動をとった。ここで制裁を受けるのは当然のことかも知れない。
しかし——老虎にだって、やりたいことはあるのだ。生き方すべてを兄に支配されるのは、老虎には溜まらなく窮屈だったに違いない。
「兄貴——おれは王都でやりてぇことを見つけた。そして、守りたいものを見つけたんだ」
「だからなんだ! おれたちの期待を裏切った」
「裏切ったわけじゃねえ。確かに悪かった。連絡一つもしなかったからな」
「後ろめたいことをしていたからだろう? おれが——おれが怒っているのは……」
チンハオの剣に弾かれて、老虎の剣が空を切り、そばの地面に突き刺さった。
「おれが怒っているのは——お前が一つも連絡を寄越さなかったってことだ!」
チンハオはそう言い切ると、自分の剣も地面に突き刺した。
「おれたちはなんだ? 家族だろうがよ! お前が勉強しなくなったってかまわなかったんだ。おれたちが怒っているのは、お前が、おれたちを信用せずに、ちっとも連絡を寄越さなかったってことなんだよ!」
チンハオは「うおおお」と雄叫びを上げて、老虎に殴りかかった。老虎もそれに応える。二人はもみ合い、そして拳をぶつけ合う。まるで子どもの喧嘩だ。
「おれも混ぜろー!」
隣でわなわなとしていたシャオドンは、拳を握ったかと思うと、二人の元に走って行った。
「いけません! ——と言っても無駄ですね」
「おうおう! なんなんだよ。邪魔すんな」
「楽しそうな喧嘩じゃねぇか。おれにもやらせろー!」
「ずるいぞ! おれたちも混ぜろ!」
周囲にいた虎族たちは、次から次へと喧嘩の輪に入ってくる。老虎は思わず大きな声で笑った。エピタフは呆れたが、老虎があまりにも楽しそうに笑うので、釣られて笑ってしまった。
からだの芯がじんと熱くなる。体調が悪いのではない。嬉しいからなのだろうか。上辺だけで人と付き合うような王宮とは違い、ここには優しさが溢れていた。
殴り、殴られて、あちこちが痛むのだろう。腫れあがった頬やからだを撫で、地面に座り込んだ仲間たちは、互いに視線を合わせて笑いあっていた。その笑い声は、静かな森に響き渡る。大きな戦いの前とは到底思えない騒ぎだった。
***
「本当に一族そろってお馬鹿さんなのですね」
野営テントの一つで、エピタフは老虎のあちこち紫色に腫れあがったからだを治癒していた。
「なかなか面白いだろう?」
「面白くなんてありませんよ。あの男には聞きたいことがあったのです。処刑されてしまうとは——」
エピタフは治癒魔法を施す手を止めた。老虎はそれをそっと包み込むように握る。
「すまねえ。兄貴はせっかちでよ。——でも。あの兎野郎の話って、いったい……」
「あの男が話していた兎族の落ち人——ラリという男は、どうやら、太陽の塔を管理する一族になりすましていたようですね。我々はそのおかげで、すっかりカースの策略にはまっていたということです」
「な、なんだよ。ちょっと待て。おれにわかるように話してくれ」
エピタフは老虎が座っているベッドの脇に座った。恥ずかしそうに老虎は、頭を掻いた。
「兎族が身を引いたとき。月の神殿は閉ざされました。そして、今はどこにあるのか誰もわかりません。一方、太陽の塔は猫族が手を引いた後、人間族の中で選ばれし一族が代々管理をしてきました。ところが、数十年前に、その一族が惨殺されるという事件が起きたのです。王宮では犯人はカースだと断定しました。ラリはその時にうまく一族の生き残りとして入り込んだのでしょう」
「カースって野郎よりも、そいつのほうが、ずっとずるがしこそうだぜ」
老虎は「うんうん」と頷いた。エピタフは、そんな老虎の横顔を見て「ふふ」と笑みを浮かべる。
「な、なんだよ~」
「いいえ。本当にわかっていますか?」
「わ、わかってるよ。だからよ。そのラリって野郎もとっ捕まえて、懲らしめればいいんだろう?」
「よく理解できました。上出来です」
「くそー。バカにしてんだろう?」
エピタフは腕を掴まれて、老虎のほうに一気に引き寄せられた。
「なんです?」
「なんですって。決まってんだろう。おれは頑張ったんだぞ。危うく死にかけだじゃねぇか。ご褒美くれよ」
困惑していた。顔ばかりではなく、からだの芯まで熱くなってくる。ここのところ、度々起こる現象だ。まるで熱に浮かされているみたいで、思考が働かなくなる。
「な、なにがご褒美ですか。まだ終わっていないのですよ。こんなことをしている場合では——」
「こんなことって。おれの傷を治すくらいの時間はあってもいいだろう? あんたの傷も舐めてやったんだ。おれのもそうしてくれ」
「なにをバカな。魔法で直したほうが——」
「
老虎は右腕をエピタフの目の前に差し出した。
「嫌です」
「なんでだよー。頼むよ」
エピタフは困惑した。しかし老虎は引くつもりはないのだろう。
「早く。治療終わったら出発する」と言って、さらに腕をエピタフの目の前に突き出した。致し方ない——と、彼の傷口に唇を寄せる。老虎の血の味がした。
自分たちはそもそもが草食動物だ。血の味は苦手。肉魚類は口にしない。老虎の皮膚はたくましくて堅い。エピタフの舌が傷口に触れると、老虎の腕が緊張するのがよくわかる。
「嫌ならやめましょうか」
「いや。——いいんだ」
エピタフの顎に老虎の手がかかる。なされるがまま視線を上げると、老虎の唇が、エピタフの唇に重なった。熱い口づけに、息が詰まりそうだった。
(ダメです。これ以上は——)
少しの刺激でも、すぐに老虎に夢中になってしまいそうになる。エピタフは必死に老虎の肩を押した。
「すまねえ。我慢できねえんだ」
「我慢なさい。今はそんな場合ではないのです——」
「だったら。すべてが終わったらいいんだろう?」
「ですから。嫌ですと何度も申しあげているではないですか。私は——」
「エピタフ」
耳元で、自分の名を囁かれるたびに、エピタフの心は老虎に縛り付けられるようだ。目元が熱くなった。これ以上は——。そう思った瞬間。幕の間からチンハオが顔を出した。
「シーワン。話があるんだが……って。お前よ」
「なんだよ! 兄貴。覗き見すんなよ」
チンハオは顔を赤くしてテントから出た。
「このバカ弟。——すまねえ。本当にバカでよ」
「本当です。大馬鹿さんです」
エピタフは燃え上がりそうな恋慕の炎を抑え込むように、意識をチンハオに向けた。
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