第30話 狂気の末

 虎族の子たちを解放するのは容易いことだった。エピタフが駆けつけた時、そこにいたアンドラス師団の悪魔たちの半数以上が、ハルファスの餌食になっていたからだ。


 突然の悪魔同士の争いに、虎族の子たちはお互いに肩を抱き合って身を縮ませていたが、自分たちを見張っていた悪魔が消滅し、エピタフが顔を出すと、一斉に泣きながら飛びかかってきた。


 よほど怖い思いをしたのだろう。勇敢なる虎族とは言え、子は子。エピタフはたくさんの子たちを抱き寄せて、しばし心を落ち着かせる魔法を施した。


 ハルファスに子を託し、エピタフは老虎とらたちの元に急いだ。老虎がちょうど、男の防御壁を素手て叩き割ろうとしている最中だった。


(魔法を力押しで何とかしようとするなど。貴方だけですよ。シーワン)


 エピタフの与えた魔力を身に纏い、黄金色に輝く老虎は神々しく、この世の者とは思えぬ美しさだった。


 しかし——。魔法と魔法のぶつかり合いで、正体を現した男は兎族の姿形をしていたのだ。男はエピタフの素性を知っているのだろう。


「貴方はクレセント様の孫。その御姿はまるで生き写しのようだ」と言った。


「お前は——なぜ、聖なる一族である兎族を抜け、カースに力を貸す?」


 エピタフは警戒を解くことなく、男に尋ねる。彼は黒目がちの瞳を瞬かせて首を傾げた。


「今の兎族は落ちぶれた一族に成り下がった。私は兎族を再興したい」


「再興——?」


 男はまるで自分に酔いしれているかのように、大げさな身振り手振りで話をする。


「クレセント様が人間にたぶらかされ、そして一族を去った後、すぐにお亡くなりになった。クレセント様を弔うだけの腰抜けとは、我々は違う。崇高なる一族の再興を目指した一部の兎族は一族を離れ、こうして、とカース様と共にある——」


  エピタフは兎族の内部事情を知らない。兎族の姿で生を受けたとは言え、彼が出会ったことがある兎族はリグレッドだけだったからだ。


 演技かかっている男の話し方は、狂気染みていた。エピタフは怪訝そうに声色を落として、男に問うた。


「あのお方とは誰のことを言っている?」


「あのお方を知らないのか? なんと。貴方のすぐ近くに、もう数十年も前からいるではないか。太陽の塔司祭ラリ様だ」


(ラリ——!)


 エピタフは血の気が失せるのがわかった。太陽の塔で、エピタフがカースに重症を負わされたのは、エピタフの魔法の力を封じ込まれてしまったからだ。塔は本来、神聖なる場所であるはずだった。それなのに、あの時の塔の中は、聖なる力は封じられ、闇の力が増強されるような仕掛けが施されていたのだ。


 今回の顛末のカラクリが一気に解けた。


 なぜ、王宮の古文書には、歌姫の蘇る場所が太陽の塔と記されていたのか。


 その神聖なるはずの太陽の塔に、闇の権現であるカースが易々と入り込み、罠を仕掛けることができたのか。


「ラリは——太陽の塔を守る神聖なる一族の末裔ではなかった、というのか」


「王宮はすっかりと騙されていたようだな。ラリ様は太陽の塔を守る一族などではない。彼は正真正銘の兎族。クレセント様に追放された、落ち人だ」


「落ち人ですって?」


 エピタフの知らぬことを話すのは、男にとったら優越感この上ないことなのかも知れない。包み隠すことなく、男はエピタフの問いに答えた。


「ラリ様は、幼き頃よりカース様を信仰していた。箱舟を引き起こした無慈悲な神よりも、カース様のほうがよほど信用なるだろう? 彼は千年前、獣族の世界を構築するために、命を懸けて戦ったのだ。歌姫などというふざけた存在のおかげで、その野望は中断していたが——」


 男は両手を広げて続けた。


「ラリ様は、カース様を蘇らせることにも成功した。私はラリ様と一緒に獣族の世界。兎族の再興を願う。貴方が一族に戻れば、兎族は息を吹き返すでしょう。さあ、一緒に! ラリ様と共に兎族の再興をいたしましょう!」


 鳶色の耳を持つ兎族の男は歓喜の声を上げた。


 そこにいるエピタフも、虎族たちも、彼の言葉が理解できなかった。


(この男は狂っている——)


 エピタフは血の気が引いた。


「その前に——この虎たちをなんとかせねばなりません。こうなったら、皆死んでもらいましょう!」


 男は耳ざわりな笑い声を発しながら、まるで我を失ったかの如く、闇雲に紫色の炎をまき散らした。


「ち! みんな気をつけろ!」


 老虎の声に、そこにいた仲間たちは後退した。エピタフと老虎はその炎をかいくぐり、男との距離を詰めていく。しかし、なかなかそれは叶わない。


「エピタフ!」


 老虎が自分の名を呼んだ。視線を遣ると、老虎が軽く頷く。自分が近づけるようにしてくれ——と言っているようだった。エピタフは魔法を使うときの仕草——人差し指を唇に当てた。すると、黄金色の壁が老虎を囲んだ。


「うおおおお」


 老虎は黄金色の防御壁を纏い、紫色の炎をはじき返しながら、真正面から男に向かって突進した。


(結局は真正面ですか)


 エピタフはふふと口元を緩める。


「もらったー-!」


 拳を振り上げ男にねじ込んだ。鈍い音が辺りに響き渡る。老虎は「やったか」と呟いたが、それは違っていた。老虎が殴ったのは、男の目の前に突如現れた漆黒の異形の悪魔だったのだ。男が自分の身を守るための盾として急遽、召喚したのだろう。


 老虎に殴られた悪魔は、灰のように崩れ去った。


「クソ野郎!」


 老虎は憤りを露わにする。瞳の色が空色に変色した。男はそれとは反対に、愉快そうに笑みを見せるばかりだ。


「そう簡単にはやられません。これでもカース様の信頼を得ているのですから——」


「なら、これならどうだ——」


 突然。地の底から響くような低い声に、男が顔を上げた瞬間。首と胴体がたったの一瞬で切り離された。


「おれたち一族をコケにしやがって。死をもって償ってもらおうか」


 男の背後から剣を振るい、軽々と男の命を奪ったのは——チンハオだった。彼の瞳は空色に変色し、老虎同様に怒りを露わにしている。


「その男には、まだまだ聞きたいことがあったのですが——」


 エピタフは軽くため息を吐いた。


おさの意向に従いましょう」


「感謝する。魔法大臣——」


「私の正体は、この男からお聞きでしたね」


「いや。それ以前に一度お見受けしたことがある。王宮に上がったときにな。あんたのその容姿は一度見たら忘れられるものじゃねぇ。まさかシーワンのつがいになってくれるとはな。あんたみたいな美しいつがい、おれの弟にはもったいない」


「兄貴」


 チンハオは、剣にこびりついた男の血を振り払う。それから、老虎に向けて剣先を突き付けた。


「まだおれはお前を許しちゃいないぞ。シーワン。剣を取れ」


「兄貴——」


 老虎のそばにいたシャオドンが剣を差し出す。老虎がそれを受け取った瞬間。チンハオは老虎に切りかかった。老虎は、鞘に納められたままの剣でそれを受け止めた。


「ち! 相変わらずせっかちだぜ!」


 老虎は兄の剣をはねのけると、くるりと回って距離と取りながら剣を鞘から抜き取った。チンハオの剣を受けた腕がびりびりとしびれるのか、老虎は自分の腕をじっと見つめていた。



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