第29話 黒衣の正体


「お前のつがいは、勇ましいな」


 黒衣の男とチンハオのいるテントに向かう道すがら、シャオドンがそう言った。老虎とらは「どうだ!」とばかりに口元を緩める。


「かっこいいだろう? おれのつがいだぜ」


「もったいねぇ。お前みたいに、がさつで、バカな奴にはもったいねぇ」


「うっせー。お前もおれと同じ、がさつでバカだろうがよ」


 二人が肩をぶつけながら、大きな天幕に駆けつけた時、子たちを守る悪魔への攻撃を察知した黒衣の男が、すでにそこにいた虎族たちを攻撃しているところだった。


「裏切り行為は死に値する——」


 チンハオは男をなだめすかしていた。


「我々の攻撃ではない。今、状況を把握している」


「いいや。そんな言い訳は通じない。我々は裏切り行為を断じて許さぬのだ。お前たち虎族に未来はない。ふるさとの子らも全て失うことになる。お前たち一族は絶えるのだ」


「やめろ! あの子たちには手を出すな——」


「兄貴!」


 チンハオは老虎とシャオドンを見て目を見開いた。


「お前——。そうか。お前か。なんてことをしてくれたのだ! あの子たちが——」


「大丈夫だ。おれのつがいは国一だ。任しておけ」


「なんだって……?」


 老虎はしっかりとチンハオを見据えてから、大きく頷いた。彼はその意図を理解したのだろう。老虎を責めることをやめた。


「おれたちは、戦いをしに来たんじゃねえ。戦いを止めに来たんだ。兄貴。おれを信じてくれ。おれは一族を裏切らねぇ」


「わかった——。お前を信じよう」


 チンハオは黒衣の男を睨みつけた。


「今まで好き勝手なことをしてくれたな。人質が無事だとわかれば、もうお前に頭を下げる必要もない」


 長である彼の言葉に、そこにいた虎族たちすべてが、黒衣の男に対して武器を構えた。男はクツクツと笑う。


「お前たちが束になろうと、私には勝てぬ。私はカース様の魔力を分け与えられているのだ。お前たちのような野蛮な虎たちになど、負けるわけがない!」


 男は口元に指先を当てる。


(エピタフが魔法を使うときの仕草——)


「魔法がくるぞ! よけろ!」


 老虎の声に、虎族たちはその場から退避する。案の定、男から放たれた紫色の炎があたりを焼き尽くした。


「避けても無駄だ。逃げてばかりでは私には勝てぬ」


「近づけねぇ」


 虎族たちは炎を避けるばかりで、男に一太刀も浴びせられない。老虎はシャオドンを見る。彼は老虎の意図をくみ取ったのだろう。小さく頷いたかと思うと、突然。手にしていた剣を地面に落とした。


「ああー、わかった。わかった。あんたの力はすげぇな。なあ、長。やっぱ無理でしょう。こんな奴ら相手にしたって、おれたちが全滅しちまうぜ」


「シャオドン。お前は——」


 チンハオはシャオドンの真意を測るかの如く、眉間に皺を寄せた。


「おれはカースさまってやつにつくぜ。なあ、いいんだろう? あんた——」


 黒衣の男は「ああ」と低い声で答えた。


「カース様に忠誠を誓うというのなら、悪魔を攻撃している者を捕まえてこい。ああ、いいか。命までとるな。私はあの者が欲しい」


(エピタフが欲しいって、どういう意味だ?)


 老虎はシャオドンが男を引きつけている間に、こっそりとその背後に回り込む。


「へいへい。おれについてくる奴はいるか? どうだ? ああ?」


 シャオドンの声に、周囲にいた者たちは皆が困惑したように、武器を下ろした。ピリピリと張り詰めていた空気は一気に緩む。老虎はその隙に草むらから飛び出し、男の顔面をその大きな手で掴まえると、地面にたたきつけた。


「がは!」


 男の口元から鮮血が流れた。


「クソ野郎!」


「誰がカースなんかの手下になるかよ!」


 シャオドンの声に、そこにいた者たちは雄叫びを上げて、一斉に男にとびかかる。虎族の男たちは大柄だ。そんな者たちに取り押さえられたら、普通の人間であればひとたまりもないだろう。しかし——。


 老虎は拘束していた男の姿が消えていることに気がついた。


「ど、どこに行きやがった!? 確かに捕まえたはずなのに——」


 シャオドンもきょろきょろとあたりを見渡す。すると。


「こっちだ。こっち。だから無能な種族の相手は疲れるのだ」


 黒衣の男はチンハオのそばにいた。チンハオは漆黒の異形の者に捕らえられ、その首元には、男の差し出した剣先が突き付けられていた。


「兄貴!」


「長!!」


「狼狽えるな。お前たち」


「おっと、動くなよ。お前たちの大事な長だ。丁重に扱わねばなるまい。しかし、私は夜目が利かぬ。手元が狂わないようにしなければなるまい。あまり大きな声を出すなよ。心乱されると、手が震えるわ」


 男は愉快そうに笑うと、剣先をチンハオの首筋に少し差し入れる。彼の首筋から血が滴り落ちた。


「クソ野郎!」


「卑怯だぞ」


「どちらが卑怯だ。お前たち何人で私にかかってきた? 多勢無勢ではないか」


「そもそもは、子どもたちを人質にしたのはお前だ」


「お前たち虎族がこの戦いに否定的であるのが悪い」


 男は気味の悪い笑い声をあげていた。


「さあ、武器を捨てろ。まずは、あの魔法使いを捉えてこい。五体満足でなくても構わない。命だけは取るな。それからお前たちは、予定通りに明日、戦いに参戦するのだ」


「——クソ」


 一人、また一人と武器を地面に落とす。長を人質にとられたのでは、勝ち目はない。老虎は歯ぎしりをして、男を睨みつけていた。


「万事休す——」


「そういうことだ」


 男は再び、くつくつと不気味な笑い声を発した。だが。


「んなわけねぇだろう!」


 老虎は地面を蹴り、腰に携えていた長剣を抜き取った。


「シーワン! やめろ!」


 シャオドンの制止など無視し、男をめがけて、一気に長剣を振り下ろす。ここで反撃してくるとは思わなかった男は怯んでいるようだ。


れる!)


 しかし——。寸でのところで男と老虎の間には、紫色の光る壁が出現し、老虎の攻撃は意図も簡単に弾かれたのだった。老虎は大きく後退せざるを得ない。


「長の命が欲しくないのか」


「シーワン! やれ! おれの命など惜しくはない。頼む! こいつを殺せ!」


 チンハオがそう叫んだ。男は「やれやれ」と肩を竦める。


「なんと感動的なシーンだろうか。しかし、結末は悲劇——。長は死に、頭を失った虎族たちは、私の命で明日出撃。カース様のために、多数の犠牲を強いられることになるのだ」


「んなことさせるか!」


 老虎は何度も何度も。弾かれても弾かれても、壁に挑んだ。男は「相手をするのも面倒です」と言わんばかりに、黙ってその様子を眺めている。


 老虎は刃がこぼれた剣を投げ捨て、今度は素手で壁を幾度も叩いた。その手からは血が滲む。男はまるで退屈だ、と言わんばかりに軽くため息を吐く。


「もういいだろうか。時間の無駄だ」


 しかし——。老虎が叩き続けた壁が、ピシピシと音を立て始めたのだ。壁にはジリジリと亀裂が入る。


「なんと!」


 男は慌てたように口元に指を押し当てる。壁を修復しようとしているのだ。だが、老虎の拳はそれを許さない。


「なんだと!?」


 男は手のひらを広げ、からだを紫色に光らせて防御壁に魔力を注入した。


「おれは諦めねえ! 確かにバカかも知れねぇ。なんの知恵もねぇ。けど、気持ちだけはまっすぐなんだよ!」


「まったく。正真正銘のお馬鹿さんですね」


 ふと後ろから凛とした声が響く。それと同時に、老虎のからだが黄金色に光った。エピタフの魔力を纏った老虎は、からだ全体が魔法兵器だ。あっという間に紫色の防御壁を拳で割ってみせた。


 その風圧で、男のローブが吹き飛んだ。紫と黄金色の光がまじりあって、爆風を起こす。灰色の煙が立ち上がったかと思うと、一気にそれは消失した。


 黒衣のローブが落ち、男の素顔が見て取れた。そこにいたのは、エピタフと同じ、鳶色とびいろの長い耳を持つ兎族の男だった。


「兎族……? 神聖なる神に仕える一族が、なぜカースに加担する」


 驚愕しているエピタフを見据えて、男は笑った。


「私は兎族であって、兎族ではない」


「どういうことだ?」


 男はくつくつと笑い、そしてエピタフにうっとりとした声色で語りかけた。




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