最終話 兎と虎は家族になる
「こーらー! こらこらこら! そっちは危ないんですからね。そこで遊んじゃいけませんよ」
リグレットの声が庭に響く。書類の中身を精査し、サインをしていたエピタフは窓の外に視線を遣った。それから腰を上げ、大きく開かれた扉から外のテラスに足を踏み出した。
「リグレット」
「あ! エピタフ様~。もう、ほら。お呼びですよ! お二人とも!」
リグレットは両脇に二人の子を抱えて戻ってきた。
一人は、黄金色と黒色がまだらに模様を成す長い耳を持っている。もう一人は、真っ白な、少々丸みを帯びたふさふさの耳を持っていた。
「目を離すとすぐにこれです。エピタフ様。一人で二人をみるのは切ないです!」
「リグレット。迷惑をかけます」
「あうあうあう」
「ばあ、きゃっ、キャ」
二人は両手を前に伸ばし、じたばたと手足を動かす。エピタフに抱かれたいと、全身で表現しているようだ。
エピタフは笑みを浮かべ、そっと二人を抱きとめた。
「
二人は「きゃっきゃ」と笑みを見せ、エピタフに顔を擦りつける。純真無垢な子の笑みは、エピタフの心を無条件に満たしてくれるものだった。
あの戦いから十か月後。エピタフは双子を産んだ。一人は
獣族と人間族の間には、平和条約が締結され、サブライムは広く開かれた王政を敷くことを宣言した。
老虎は、軍事大臣に就任したスティールの元で働くことになった。王宮の兵士長に命じられたのだ。要人たちの護衛や、国内の治安維持のため、王都を離れる時間が増えていた。
エピタフも魔法大臣としての職務があり、二人はすれ違いの暮らしを余儀なくされていた。
リグレットが手伝ってはくれているものの、やんちゃで活発な二人だ。一人で二人をみるのは並大抵のことではない。
「そろそろ、あの子が来る頃なのですが……」
すると正門の方から、黒い耳をピコピコとさせた黒猫の獣人、
「こんにちは~」
「ああ、よかった。いいところに。もう、大変なんですよ」
リグレットの困り果てた顔を見て、凛空は笑う。エピタフは二人に顔を寄せてから凛空に向き直った。
「すみませんね。凛空」
「任せて~。今日も二人まとめて、一緒に遊んじゃうよ!」
凛空はエピタフの手から二人を受け取ると、一緒に庭に繰り出す。生まれて数か月経つが、もうすっかり二人とも四つ這いになって好きなところにはいはいしていく。凛空は自分も膝と手をつき、一緒にはいはいをしながら、庭で遊び始めた。
「毎日、凛空が来てくれて助かりますね。私は昼食の支度、手伝ってきますね」
「ありがとう。リグレット。——迷惑をかけますね」
「いいえ。こんな楽しい仕事になるとは思いませんでした。もっと増えますよね? あの二人がもう少し大きくなってからにしてくださいね。赤ちゃんばっかりだと、ちょっと大変ですから」
リグレットは鼻歌を歌いながら屋敷の奥に姿を消した。そんな彼を見送ってから、エピタフは凛空と二人が遊ぶ姿に視線を戻す。
活発なシアは、あおむけに寝ている凛空のお腹にとびかかる。好奇心旺盛で、なんでも自分から近寄っていく子だ。
「わあ、ずっしりくるなあ。シア、重くなったみたい。ほら、ズールイもおいで」
一方のズールイは、シアと比べて大柄な割に、少々引っ込み思案だ。もじもじとしながら凛空に近づいていく。それからシアの真似をして、凛空のおなかにとびかかった。
「ぐへ~! お腹はダメダメ! 重いじゃない!」
凛空が嫌そうな声を上げるのが面白いのか、二人はわざと、凛空の腹に覆いかぶさり、それから嬉しそうな声を上げた。
この屋敷に、にぎやかな声が響くことなど、これまでにあったのだろうか。家族などいなかった。いつも一人だったのだ。それが、その生活が一変してしまった。
仕事をしていたテーブルに戻り、しばしその賑やかな様子を眺めていると、ふと背後で豪快に扉が開く音がした。
「おう、帰ったぞ~」
最愛の男の声に、エピタフの心は弾む。しかし何事もないように静かな声で返す。
「明日ではなかったのですか?」
「急いで片付けてきたんだ。あんたに早く会いたかったんだよ」
老虎はエピタフを後ろから抱き寄せて、彼の耳に鼻先をくっつけた。
「いい匂いがするぜ」
「私は、これでも仕事中です」
「いいじゃねぇか。三日に一回だろ!」
彼の唇は、エピタフの首筋に落ちる。この男がそばにいるだけで、エピタフの気持ちは落ち着かなくなる。老虎の匂いと感触に酔いしれそうになる自分を戒めるかのように、「スティールに挨拶してきましたか?」と尋ねた。
「いいじゃねえか。んなもん、後、後。すぐ終わる」
「また。帰還したら、まずは大臣への報告が先と、何度言わせるのですか! それに。そんなことを言って。すぐに終わった試しはないですよ」
「そうかな?」
「そうです!」
エピタフは老虎の手をぺちっと叩いた。老虎の腕の力が緩む隙に、そっとからだをずらし、向かい合った。彼の黄金色の瞳は、エピタフの宝物だ。
「
「なんだよ」
「それを飲んでいる間は、妊娠しないそうです。ではないと、私の場合、年中妊娠してしまいますから、仕事になりません。妊娠中は、少々判断能力も身体能力も落ちるようですからね」
「ええ、なんでだよー。おれはいっぱい子どもが欲しいんだ」
「この屋敷中に子どもがたくさんになったら困りますよ」
二人は唇が触れ合うような距離で言葉を交わす。
「子どもができないのは残念だけど。その薬止めればできるんだろう? 欲しくなったら止めればいい。それまでは思う存分、遠慮することなく交尾できるってことだな」
「え——? ……ちょ、ちょっと。それは考えていませんでしたね」
エピタフは血の気が引く思いだった。
「なんだよ。おれはてっきり、そういう意味でその薬もらったんだと思ったぜ? そういう抜けているところ、かわいすぎるぜ」
「か、かわいくなど——」
老虎は笑っていたが、ふと神妙な面持ちになる。
「今回の戦いで死んだやつらの墓、太陽の塔の跡地にできただろう。そこに寄ってきた。エピタフって名前は、墓標って意味だって言っていたよな」
「ええ——。そうです。私の名は……」
不吉なのです、と言いかけたエピタフの言葉を老虎が遮った。
「墓標って、生きていた頃の功績を刻むもんだろう? あんたは、きっと。一族の墓標なんだ」
(一族の墓標——?)
「あんたは、あんたのじいさんや、あんたの親父さんたちの生きてきた証だ。きっと悪い意味でつけたんじゃねぇんだよ。あんたはみんなの誇りだったんだ。おれは、そうひらめいちまったんだよな!」
老虎はエピタフをじっと見ていた。
「みんな、あんたのことが好きだったんだよ!」
「シーワン……」
老虎という男は、エピタフが生きている意味を教えてくれる。生まれてから、自分に降りかかってきた出来事は、すべて彼と巡り合うために必要だったのではないかとさえ思えてしまう。
エピタフは老虎の唇に自分の唇を重ねた。老虎は嬉しそうにそれに応えてくれた。
「いい家族を作っていこうぜ。おれたちが生きている証を、あいつらにも伝えねぇとな」
老虎は「ふふ」と笑うと、エピタフの腰を引いて彼を抱き上げた。それから、そのままテラスに出る。
「ちょっと。なんです? 降ろしなさい!」
エピタフの抗議の言葉など無視して、老虎は「おーい、凛空! 帰ったぜ」ともう片方の手を振る。すると、凛空がそれに気がついて笑みを見せた。
「あ! 老虎! おかえり! 一緒に遊ぼうよ!」
「キャッキャ」と声を上げる二人の子は父の登場に嬉しそうに笑った。
(私には家族ができました。おじい様。お父様——)
エピタフは瞳を細めた。暗い穴蔵に閉じこもっていた兎は、黄金色の虎と新しい人生を歩もうとしているのだった——。
—了—
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