第27話 卑劣な男の所業
「なんで止めたんだよ。おれはやれた。兄貴を打ち負かすことだって、おれにはできるんだ」
テントの中で、
「あの場で騒ぐのは得策ではありません。まったく。作戦も立てずに突っ走る行為は、危なっかしすぎます」
それでも言い返そうとした老虎は、思い直したようにため息を吐いた。
「——すまねえ。思った以上にうまくいかねえな」
珍しく弱気な言葉は、老虎の本音であろう。一族を飛び出し、制裁を受けるということを理解している傍ら、心のどこかでは「わかってもらえる」という期待があったのだ。
今回、その期待は見事に裏切られた。気持ちが落ち込むのも無理はない。そのやり場のない気持ちをエピタフに八つ当たりしていることに気がついたのだろう。
老虎の隣に座り込んでいるエピタフは、そっと老虎の頬に唇を寄せた。
「気持ちを言葉にすることで楽になるなら、私がいくらでも聞きます。しかし貴方の思いだけではどうにもできないこともある。皆が貴方と同じではないのです。自分の思いを押し通しても、わかり合えない時があるものです。」
「そんなもん。知っている。けど——。おれは……ちゃんと向き合えば、きっと思いは届くんじゃないかって信じているんだ」
『どうして誰もわかってくれない? 私の気持ちは、誰にも届かない——』
幼き頃より、そんな思いばかりを重ねてきて、すっかりすべてを諦めていた自分とは違っている。エピタフは口元を緩めた。
老虎と出会ってから、エピタフの中には、暖かい光が溢れていた。その光はサブライムとは違う。傷ついたエピタフの心の傷を優しく癒してくれるような光だった。
「信じましょう。貴方の言葉が、きっとあの人たちに届くことを」
「——すまねえ。でも、おれ一人の勝手な思いを優先させたばっかりに、あんたを守れなかった。おれは、あんたをああいう目で見られることに我慢がならねえ」
「大した話ではありません。慣れていますから」
「あんたはそうかもしれねぇけど。おれは違う。あんたはおれのものだからな。他人に勝手をされるのは腹が立つ」
「まあ、なんと傲慢な。私は私のものであり、貴方の所有物ではありません」
エピタフはつんと視線を外した。老虎は弱ったようにため息を吐いた。
「なんだよー。あんたはおれのつがいだろう? 守るっていった矢先にこれかよ。まったく情けねぇな……」
「なんのお話ですか」
「あんたも捕まった」
「捕まったふりです。問題ありません」
エピタフは自分を拘束している縄に意識を向けた。すると、その縄は、まるで生き物のようにうごめき、そしてあっという間にバラバラと地面に落ちた。
「まったく。性格悪いよな」
老虎は「ふふ」と笑みを見せる。
「それは誉め言葉でしょうか?」
エピタフは老虎を拘束している縄を解く。それから、彼の傷に手の平を当てた。暖かい光が老虎を包む。
「骨が数本折れているようです。さすがの貴方でも、
「兄貴は一番勇敢で、力もある戦士なんだ」
「貴方が戦ったシャオドンという者は?」
「あいつは幼馴染だ。昔から何かっていうと突っかかってくるんだ。いけ好かない奴だぜ。王都に出発する前夜。決闘を申し込まれたから、ギッタギタにしてやったんだ。だから根に持っているんだろう」
「そうですか」
エピタフは「ふふ」と笑みを浮かべた。
「なんだよ」
「いいえ。まるで私とスティールのようだなと思ったのです。どうしてでしょうね。仲間であり、友人であるはずなのに、お互いに素直になれません」
「——け。あんな奴。仲良しになんかなるかよ」
「貴方はそう思っていても、相手は違っているのかも知れませんね」
(彼は貴方が戻ってきてくれた、と喜んでいるように見えましたよ)
エピタフの治癒魔法で、痛みが軽くなったのか。老虎は深く息を吐いたかと思うと、やっとからだを起こし、その場に座り直した。
「クソ。兄貴の奴。五年も会わなかったら、余計に堅物になったぜ……」
「長のあの態度は——」
エピタフは、チンハオの後ろにいた黒衣の男を思い出した。
「少し気になることがあります。探ってみましょうか——」
「気になること?」
エピタフは老虎の問いには答えずに、意識を集中した。そして気取られないように、そっと周囲の様子を探った。
この世には、自然の中にも力がみなぎっている。それらを伝いながら、この野営の中をくまなく探った。ここには、相当数の虎族がいた。虎族たちの本気がうかがえる。
『——少しでも不審な動きを……——わかっていますね』
虎族には似つかわしくない、細い声が耳に突く。エピタフはその場面で意識を停滞させた。
『うるせぇぞ。……おれに指図するな!』
低い、それでいて憤怒の感情が込められている声は老虎の兄であるチンハオのものだ。ゆらゆらと揺らめく水面のように、映像は不明瞭に歪む。いつもなら、鮮明に見て取れるはずの映像に邪魔が入っているようだった。
(ここは闇の魔力に覆われている。私の力がうまく働かないのはそのためですね)
チンハオは、黒衣の男と会話していた。
『カース様は——慈悲深い方……——。貴方の弟が……きた兎。あれは——……大臣だ』
『そんな——……知っている』
『——……そんな口の利き方はいけないですね。今は私の……をカース様だと思って……ないと——』
チンハオはギリギリと奥歯を噛みしめて男を睨みつけていた。
『そんな……態度をとると、どうなるのか——。やはり……を連れてきて正解でしたね。今すぐにでも……——することができるのですよ』
肝心なところが聞き取れない。しかし、どうやら虎族たちは、カースに協力しているのではなく、脅迫されているということだ。
エピタフはすぐに意識をそこから退けた。黒衣の男がカースの手下であるということは、それ相応の魔力の持ち主に違いない。いつまでも自分の意識をそこに置いておいて、勘づかれでもしたら元も子もないと思ったのだ。
(なにか。大事なものをカースに握られているのだろう)
エピタフは再び意識を集中させた。突然黙り込んだ彼の様子に、老虎は心配気にエピタフの横顔を見つめていた。
(なにがあるというのでしょうか……)
すると、エピタフの意識はこの場にそぐわない存在に行きついた。
そこには人間でもない、獣族でもない、異形の者がいた。彼らは、漆黒のからだに犬のように口先が長い顔貌だった。太陽の塔でカースが使役する悪魔が従えていた者たちだった。
(悪魔だ。ここだ。——子ども!?)
悪魔が狡猾な瞳で辺りを見張っているテントの中には子どもが数名いた。子どもたちは、異形の者たちに怯えて身を寄せ合っているようだった。
(なるほど。人質——か。カースのやりそうなことだ)
黒衣の男は、虎族が裏切らないようにと見張りとして同行しているのだろう。エピタフは周囲に巡らせた意識を体内に引き戻す。それから老虎を見た。
「さて。どうするのです?」
「ど、どうするってよ……。なんだよ。黙り込んでよ。心配するじゃねぇか」
「そんなことはどうでもいいのです」
「ど、どうでもいいって……よくねぇよ!」
「これからのこと、なに一つ考えていないことを誤魔化さないでください」
「ぐ……」
老虎は言葉に詰まらせた。それから、ふとエピタフの腰を引き寄せると、ぎゅっと抱きしめた。
「あんたのこと。こうしてぎゅっとしたら、なにかいい案が思いつくかもしれねぇ」
こんな状況にありながら、老虎はエピタフの首筋に唇を寄せた。エピタフは力いっぱい、老虎を引き離す。
「貴方とは金輪際、交尾はしません」
「なんだよ。受けて立つって言ってくれたじゃねぇか」
「あの時は、です。もう嫌です。それに、今はそんな場合ではありません!」
二人がもみ合っていると、テントの外からシャオドンが顔を出した。
「うるさいぞ。痴話げんかは他所でやれ! おれたちは明日の出撃で気が立っているんだ!」
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