第25話 虎族の洗礼
「王宮の牢獄ほど安全な場所はありません。私はピスの命を受け、軍事省よりも先に、組員を拘束してきました」
「じゃあ……。エピタフは、革命組のみんなを守るために、捕まえてきたってことだったのか?」
「そういうことです。——すみませんでした。貴方には大変嫌な思いをさせてきましたね」
エピタフは小さく頭を下げた。
「おれのほうこそ。すまねぇ。あんたのこと、本当に嫌な奴だなって、思っていて……」
「私も同感です。気が合いますね」
「仕方ねぇだろう!」
老虎はもふっとしている自分の耳をかいた。
「カースは王宮を孤立させたいのです。できるだけ戦力を削って弱まっているところを叩くつもりでしょう。虎族が参戦しないという知らせは、他の獣族にも波紋を起こすことができます。この戦いに参加することを迷っている種族にとって、それは抑止力にもなるはずです」
老虎は、まるで狐につままれたような気持ちになったが、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
「頼もしいつがいだぜ」
「約束は必ず守っていただきます。私を裏切るようなことがあったら——。魂の欠片も残さずに、この世から消し去ります」
「いいぜ。あんたにだったら。このすべてを捧げる」
老虎はエピタフの手を取り、そしてその甲に唇を寄せた。
(守るものができるってよ。おれは世界で一番強えトラな気がしてきたぜ! 怖いものなんてねえんだ。死だって怖くねえ。おれは、エピタフのためだったら、なんだってできる)
老虎はエピタフの白い肢体をかき抱いた。
***
翌日。老虎はエピタフと一緒に革命組を離れた。獣族の組員たちは、それぞれにできることを話し合い、そして自分たちの一族に戻ることを決心したのだ。
——この不名誉な戦いに一族の名を連ねてはいけない。
この戦いに賛同する者たちを一人でも減らすことが肝要だ。特に老虎と、熊族のガズルがどこまで説得できるか、というのはとても重要な問題だった。肉食獣の頂点に君臨している虎族や熊族がこの戦いに出るか出ないかは、他の獣族たちの判断基準の一つにもなるからだ。
歌姫を囲っている今、組員の半数以上がアジトを離れるということは、かなり危険の高い作戦だが。少しでも戦いを食い止められる可能性にかける。スティールはその可能性にかけることを選んだのだ。
時間はなかった。自分たちの足で一族の元に戻っている暇はない。エピタフは、一族に戻る組員たちを広間に集めると、彼らを一瞬で一族の元に返した。
それから、最後に虎族の元に老虎と自分を送った。
エピタフの移動魔法でやってきたのは、王都近くの森だった。虎族たちは、もう既にカースの意志に賛同し、里を出発して王都間近に迫っていたのだ。
野営を敷いている場所に到着してみると、武装をした虎族の男たちが、周囲を警戒している様子が見られた。
老虎は、深緑のローブを頭からすっぽりと覆っているエピタフの手を取り、森の中から野営の様子を伺った。
「一族を離れてどれくらい経つのです?」
「もう五年だ」
「貴方のこと、覚えているでしょうか」
「さあな。バカだからな。おれたち虎族は」
エピタフは「ふ」と噴き出した。
「笑うなよ」
「本当にお馬鹿さんですからね。シーワンは」
「うるせえ」
エピタフは「ふふ」と笑みを浮かべてから、「さて、どうしましょうか」と問うた。
「この厳重な警備体制をすり抜けて、どうやって
しかしエピタフの言葉は途切れた。突然、老虎は立ち上がると、身を隠していた茂みから飛び出したのだ。
「シーワン!」
止める間もない。
「戻ったぞ! シーワンだ!」
彼の登場に、野営の入り口で見張りをしていた兵士の二人が槍を突き付けた。エピタフは大きくため息を吐いた。
(だから嫌なんです! もう、本当に——)
「何者だ!」
「おうおう。悪いけどよ。
「チンハオだと? ——お前は……シーワンじゃないか!」
「だから。ちゃんと名乗っただろう? おれは正真正銘のシーワン様だぜ」
兵士たちは槍を下ろすと、笑みを見せた。
「なんだよ。久しぶりだな」
「よくここがわかったな」
「兄さんはいるか」
「ああ、奥に——」
兵士の一人が視線を上げた瞬間。
騒ぎを聞きつけて集まってきた虎族の中から、一人の男が顔を出した。彼は老虎と同じくらい大柄な虎だった。
「シーワンじゃねえか」
「……
「どの
「そんなわけにはいかねーんだ。おれはどうしても兄貴と話が……」
「うるせー!」
シャオドンと呼ばれた男は、老虎の胸倉をつかみ上げた。
「どうしてもチンハオに会いたいと言うなら、おれと勝負しろ! 五年前のお前との勝負、負けたままじゃ、おれの気が済まねえ!」
「いいだろう。いくらでも相手してやる。その代わり、おれが勝ったら兄貴と話をさせろ」
「ああ、いい——ぜっ!」
シャオドンは老虎を突き放すと、くるりと右に一回転をして、そのまま勢いをつけて老虎に殴りかかった。突然の拳に、老虎は後ろに吹き飛んだ。
「……っ」
エピタフは思わず声を上げそうになり、口元を押さえた。ここで口を挟むのは得策ではないと思ったのだ。
(これは虎族同士の戦いだ)
「け。王都に行って腑抜けになったか? シーワン」
シャオドンは地面に座り込んだ老虎を上から覗き込んだ。しかし、すぐに老虎の反撃を食らうことになる。老虎は間髪を置かずに、近づいてきたシャオドンの顔に頭突き食らわせたのだ。
今度は形勢逆転だ。シャオドンは後方に仰け反った。鼻の骨が折れたのかも知れない。流血を押さえ、彼は「クソ野郎!」と叫んで、老虎に襲い掛かる。
少々できた隙に立ち上がった老虎はかかってきたシャオドンの拳を避け、そして自分の拳を彼の腹部にねじ込んだ。
しかし、強剛な骨格を持った虎族だ。拳一つで倒れるような柔な造りではない。シャオドンはすかさず老虎の顔面を殴った。老虎の口元から血が流れる。
「この裏切り者が!」
二人はもみ合い、そして地面で上になり、下になり、ぐるぐると形勢を変えた。その間にお互いの拳は、確実にお互いのからだにダメージを与え続けている。
エピタフはただ黙ってそこに立ち尽くしていた。老虎は自分の加勢を快く思わないということを理解していたからだ。しかし——。ふと視線を上げると、自分のすぐそばに虎族の男が近寄ってきた。
「おいおい。あんたシーワンの連れか?」
男の手は更にエピタフの腕を捕まえようと伸びた。彼からは殺気は感じられない。興味本位——というところだろう。エピタフが様子を見守っていると、戦いの最中だというのに、老虎が大きな声で叫んだ。
「クソ野郎! おれの物に手を出すんじゃねえ!」
エピタフに気を取られた老虎の腹部に、シャオドンの拳が深くめり込む。
「がは……っ」
老虎の口から潜血が噴き出す。さらに二発。シャオドンの拳は、老虎の堅いからだに叩き込まれた。不気味な、からだが損傷する時に響く音が暗い森に響いた。
「シーワン!」
エピタフは老虎の名を呼んだ。
地面に膝を突いた老虎は、そのまま周囲の兵士たちに両腕を掴まれて拘束された。老虎はその腕を振り払おうとするが叶わない。虎族の人間たちは、みな身体能力が高い戦闘民族だ。
エピタフが魔法を使おうと、人差し指を唇に当てた瞬間。大きなテントの幕間から一人の大柄な虎族の男が、のっそりと顔を出した。
大柄な虎族の男は、右目から頬にかけて古い傷がある。顔つきは老虎に似ていた。精悍なまなざしは黄金色。老虎よりも一回り大きなその男は、老虎を見下ろすと、じっと押し黙ったままそこに立っていた。
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