第4章 兎と虎は戦場を駆ける

第24話 虎と兎は約束を守る



 あれがはじまりだった。老虎とらにとって、エピタフとの行為は、とどまることを知らぬ、深い深い欲望の海に潜り込んだみたいだった。


 老虎は目の前に横たわる最愛のつがいを眺めながら、王都から離れたふるさとの家族を思いだしていた。


 偵察隊の話だと、虎族たちは王都近くに迫っている。早くそこに駆けつけて、戦いに参加しないように説得しなければならない。しかし——。目の前にいるつがいに後ろ髪引かれる。


(おれは死ぬかも知れねぇ)


 約束した。ずっとそばにいる。そして守ると——。それが叶わないかも知れないのだ。


(おれは嘘つきだな)


 老虎は目の前に露わになった背を指でなぞる。彼は兎族の中でも珍しいアルビノという種類らしい。アルビノは色素がない。肌は透き通るように白く、瞳が赤いのは、毛細血管の血の色が表に見えるからだそうだ。


 彼の祖父であるリガードという男は、エピタフの祖母に恋をし、そして口説き落としたと聞いた。きっと、エピタフに似て、美しいアルビノだったことだろう。


 老虎は美しき我がつがいであるエピタフの頭を撫でた。雪白の耳がぴくりと動いた。外れかけた包帯の合間から覗く傷口に当てられた布には、血が滲んでいた。


「痛いか?」


 脇腹に手のひらを当て、エピタフの耳元に唇を寄せる。


「あちらこちらが痛んで、どこが痛いのかなんてわかりませんね」


「すまねぇ」


 エピタフの深紅の瞳が開かれた。


「そんなこと、思ってもいないじゃないですか。顔がにやついていますよ」


「え!」


 老虎は慌てて両手で頬を撫でる。エピタフは「ふふ」と笑みを見せた。


「ここまでされて黙っている私ではありませんからね。いいですか。傷が癒えたらただじゃすみませんからね。覚悟しておくといいでしょう」


「うう……」


 老虎はうなり声をあげてから、大きくため息を吐いた。それから「まあいいか」と言った。


「いいぜ。好きにしてくれ。おれが悪い。みーんなおれが悪い」


 老虎は両手を上げた。エピタフは、しばし笑みを見せていたが、すぐにそれを消す。


「一族に戻るつもりですか? この戦いを止めるつもりですね?」


 老虎は「そうだ」と頷いた。


「私は獣族に身を置いたことがありません。けれども、一族の結束を乱す者は、一族から追放されると聞いたことがあります。貴方は、どういう処遇になるのでしょうか」


「おれは追放されたわけではないけど。一族の意に反するような生き方をしているからな。処罰されるだろうな……。——虎族っていうのは、他の獣族と仲良くするのが下手だ。

 もともと、食物連鎖の上にいる種族っていうのは、プライドばっかり高くてよ。他の種族と仲良くすることができねえんだよ。それに加えて、おれたちは学よりも力だ。なんでもかんでも力に頼るんだ」


 老虎は王都から離れた里に、再び思いを馳せた。虎族は、老虎のように大柄で筋骨格がしっかりしている者たちばかりだ。見た目だけではない。性格も荒くれ者の集団だ。他の種族たちが恐れるのも無理はない。


「そんな中、おさが——おれの兄貴だけどよ。その兄貴が、おれを王都の学校に行かせるって言い出したんだ」


『いいか、シーワン。これからは学が必要だ。今までみたいに、力にばかり頼っているようでは、おれたち虎族に未来はない。いいか。お前は王都に行き、しっかりと学んで来い。そして、虎族の繁栄のためにその知恵を生かすんだ』


「もともと、本を読むのは好きでさ。兄貴は、おれに勉強するようにって言ってくれた。虎族は貧しい。他の種族との取引をしないからだ。おれを王都にやるってことは、かなりの資金が必要だったからさ。一族みんなが協力してくれたんだ」


「なのに。貴方は勉学を怠り、革命組に身を投じてしまった——というわけですね。それは殺されますね」


 老虎は「だよな」とため息を吐いた。


「こんなおれの言葉を、みんなが聞いてくれるとは思えねぇんだ。だけど。おれはやっぱり一族あいつらがこの戦いに参加するのは止めたいんだよ。おれの命が必要かも知れない。けど、おれはなんとかしたいんだ」


「命を差し出すのですか?」


 エピタフはからだを起こし、それから老虎をじっと見据えた。


「約束を反故にするおつもりですか。私のそばにずっといると言ったのに」


「え、それは。そうだ。約束した」


「ではなんなんです?」


 彼の目は怒っている。老虎は「違うんだよ」と慌てた。


「エピタフのそばにはいる。けど、一族も止める。おれは死なねぇ。だから約束は守れる」


「そんな都合よくいくのでしょうか。信用なりませんね!」


 老虎はエピタフの両肩をつかんで引き寄せた。


「離しなさい! 誤魔化してもダメです。この私を騙そうなど——許しがたき行為です」


(違うんだ——。おれは……)


「あんたと一時も離れたくないんだよ」


「シーワン……貴方の言っていることは、まったくもってちぐはぐです。世界は貴方を中心に回っているわけではないのですから」


「んなもん知るか。おれはおれの信じること、おれのやりてぇことだけをやるんだ。あんたも守るし、一族も守ってみせる」


 老虎はそう言い切った。エピタフは「まあ!」と声を上げたかと思うと、笑い出した。


「ここまで来ると笑うしかありませんね! 作戦もない。勝算もない。ただ感情だけでどうにかなるなんてこと、現実にはあり得ないのです」


「だけど……」


「いいでしょう。私もついて行って差しあげましょう」


「——は、はぁ!?」


 エピタフは老虎のはだけた服を掴むと、強引に引き寄せた。細い腕からは想像もできない力だ。


「国一の魔法使いが同行するのです。貴方は死ぬはずがありません」


「そ、それは——そうだけど……え! いいのかよ。あんたの使命は、凛空りくを王宮に返すって……」


「あの子は強くなりました。私はあの子が好きです。まっすぐで、曇り一つない漆黒の瞳は、夢や希望を見ている。きっと、私たちの世界を救ってくれると信じています」


 エピタフはアジトに来たばかりの頃の迷いはない。


「私が戻るまでの間、スティールに彼を託します。あんな男ですが、私やサブライムと一緒に武術や魔術を学んだのです。並大抵のことでやられるような男ではありません。革命組は、王宮と協力して、伴に世界を守るのです」


「革命組と王宮が手を組む?」


「そうです。革命組の組員たちは牢獄の奥深くにされています。サブライムは時が来れば、彼らを解放するでしょう。我々はカースという共通の敵を前に、手と手を取り合うべきです。王宮はその時を待っていました」


「——な、ちょ、ちょっと待てよ。それってどういう……」


 老虎は目を瞬かせてエピタフを見下ろした。


「我々が革命組を捕らえていた理由は、組員たちの身の安全を守るためだったのですよ。世間知らずの野生の虎」


「は、はあ?」


「軍事大臣のモデスティは、我が子であるスティールを自分の手元に戻すため、革命組の殲滅を目指していたのです。そのため、王宮に革命組は危険な存在である、と報告しました。

 サブライムやピスは、革命組は独自の意志を持ち、我々が目指す理想と同等のものをかなえようとしている好意的組織と認識していたのです。ところが、モデスティのその報告により、一気に危険分子として認定されてしまったのです」


 老虎には知りえない王宮内部の事情だ。王宮の中にも勢力があり、それらが水面下での駆け引きを行っているということなのだ。




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