第23話 繋がりたい




「なんだよ。おれの名前。覚えていたのか?」


  老虎とらは気恥ずかしそうに言った。


「ええ。覚えていました。希望という意味だと——。私とは正反対。貴方は望まれて生まれた。一族の希望なのかも知れません」


「腐った希望だぜ。一族を捨てた男だ」


「本当に捨てたのでしょうか。ただ——帰れないだけ。貴方の中の問題ではないのでしょうか」


 老虎は目を見開く。それからエピタフの頬を包み込むように手のひらで撫でた。


「そうだ。おれの中の問題だ——」


 彼に触れられた場所が熱い。エピタフは瞼を閉じ、その感触を感じ入る。

 心はもう、決まっていた。


「あんたのことを守るから——だから。おれと一緒にいてくれ」


「貴方が? この私を守るですって?」


 思わず笑みが洩れた。


「笑うなよ。知ってる。あんたがどんなに強いかって。この国一の魔法使いだもんな。けど、おれはそれでもあんたを守りたい。そしてずっとそばにいたいんだ」


(そばにいたい?)


 暗くて狭い檻の中で膝を抱えて震えていた。さみしくて、さみしくて、ずっと心が張り裂けそうだった。


 エピタフにとって、誰かの温もりを得るという行為は、とてつもなく難しいことのように思えていたのに。それなのに、老虎はいとも簡単に「そばにいる」と言うのか。


「その言葉に嘘はない、というのですか」


「ねえよ。死ぬその瞬間まであんたのそばにいる。あんたを残して先には死なねえ。これから先、あんたは一人じゃねぇ。おれがいるからな」


 まっすぐに向けられる黄金色の瞳は、嘘偽りなど感じられなかった。それよりもなにより、エピタフの心の奥底まで入り込んでくるような温かい瞳だった。エピタフのかたくなに閉ざされている心の扉が少しだけ開いた気がする。


「——シーワン」


 エピタフは包帯で巻かれている両腕を老虎の首に回し、そして彼を抱き寄せた。


「嘘偽りなく、私のそばにいるというのですか」


「そうだ。あんたを一人にはしねぇ。約束する。死ぬまでおれはあんたと一緒にいる」


 エピタフにとったら、彼のその言葉は、何ものにも代えがたい尊い約束。


「あんたと繋がりたい。あんたを、おれのつがいにしたい——。おれの子を産んでほしいんだ。エピタフ」


 老虎の太い腕が腰に回り、そのままエピタフをベッドに押し付けた。


「私が貴方の子を宿すのですか? 子が欲しいなら、貴方が産めばいいではないですか」


「怖いのかよ? あんたにも怖いこと、あるんだな……」


(そんなの怖いに決まっています——子を宿すなんて、今まで考えたこともなかった……)


 言葉に詰まっていると、「可愛いな。本当に。堪らなくなる」と老虎は口元を緩めて笑みを見せた。


 エピタフの冷たい頬は熱くなり、目元から涙がこぼれた。こんなことは初めてだった。


 人から見られる、ということは苦痛しかなかった。興味本位。蔑むような視線。好意的に受け入れられたことなど、一つもなかったからだ。しかし、老虎に見据えられると、心が「幸せだ」と震える。


 老虎はエピタフの首元に顔をうずめ、そして白い肌に歯牙を突き立てた。痛みと快楽は紙一重。はだけた着物の間から入り込んできた老虎の手が、エピタフの太ももを撫で上げた。


「綺麗だ。あんたは綺麗だ——。このからだにつけられた傷跡の数だけ、あんたは命を懸けてやるべきことをしてきたってことだろう。すげえよ。本当に」


「シーワン」


「血の匂いと、それから甘くていい香りがする」


「兎族は、いつでも発情期と言われています。——それでしょうか」


「年中発情期か。いいじゃねえか。気に入ったぜ」


 着物の衿元から差し入れられた手が、エピタフの肩を露わにする。ずっと老虎の黄金色の瞳から視線を外すことができない。互いに視線を交わしながらも、老虎の指はエピタフのからだを愛撫することをやめない。息が上がった。


「覚悟はできているぜ。あんたのこと。つがいにするって決めたんだ。おれたちは家族になるんだ」


 エピタフは小さく「家族」と呟いた。そもそも自分の人生にはなかったものだ。つい先ほどまで、自分は一人だった。いつ死んでもおかしくない。死など恐れぬはずだったのに。


(この男と家族を作る——?)


 エピタフの困惑を知る由もない老虎は、恥ずかしそうに言った。


「あのさ。最初に謝っておく。虎族の交尾はあんたたちとは違って痛てえんだ。すまねえ」


「痛い?」


「おれたち虎族は、交尾の刺激で排卵するような仕組みになっているんだ。だから、ここに返しがついていて。抜くときにすげえ痛てぇらしい。おれは初めてだから、わからねぇけど」


 エピタフは老虎を見上げた。幾多の戦場を駆け抜けてきた。痛みなど恐れるに足りぬこと。どこへ行っても誰かを守るために戦ってきたのに——。老虎は自分を気遣うような言葉を吐く。それがなんだかくすぐったい気持ちになって、つい反発心が湧き起こる。


「私がそんな痛みごときで泣き言を言うとでも思っているのですか?」


「な、なんだよ。心配してやってんだぞ?」


「無用な心配ですね。痛みなど、たいした話ではありません」


「そうかよ! じゃあ、もう一つも大丈夫だな?」


「まだなにかあるのですか?」


 獣族たちには、習性が異なる。人間の血が濃いほど、それは薄まる。しかし、老虎は野生の部分を強く抱えている男だ。


「おれたちの交尾は回数が多いんだ」


「回数ですって? 私はまだ傷が癒えていないのです」


「だから。加減するけど。……けど。止められなかったら悪い。最初に謝っておくぜ。すまねぇ」


「貴方と言う人は……」


 半分呆れて笑ってしまった。彼が自分のことを大切にしてくれていることがよく理解できた。エピタフは老虎の頬に手を添えた。


「私を誰だと思っているのです? 国一と謳われる魔法使いですよ」


 老虎は笑みを浮かべると、エピタフを抱え込んだ。


「シーワン?」


「勇ましいな。いいぜ、楽しもうぜ。あんたのそういうところに惚れたぜ」


「シーワン……あっ」


 老虎の瞳は黄金色から美しい空色に変わる。


(なんと美しいのだ)


 エピタフは彼の瞳から一瞬たりとも視線が外せずにいた。たくましく、太い指が、自分の肌に触れるだけで、そこがジリジリと灼けるに熱かった。自分を求めるような、その瞳の中に宿る情欲の炎に、自分は飲み込まれてしまいそうだった。


 いくら魔法を制御する装置が仕掛けられている部屋だとは言え、本気を出せば、この男をはねのけることなどいくらでもできる。しかし——そうしようとしない自分がいた。エピタフの心も彼を求めていたのだ。


 老虎はエピタフの手を取り、そして熱い口づけを落とす。それから、その唇は手から滑り落ち、エピタフの唇に重なった。開かれた唇の間から入り込んでくる熱や味を感じ、頭の芯は夢に浮かされたようにぼんやりとした。


(なにも考えられない。ああ、このひとが欲しい)


「シーワン」


 彼の名を囁くと、老虎の耳がぱたぱたと動いた。名を呼ぶと、彼は嬉しさをからだで表現する。そして、エピタフもまた、喜びでからだ中が満たされる感覚に陥って行った。


 お互いを求める気持ちはとどまることを知らない——。






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