第20話 老虎の決心


 エピタフの食事を終え、お盆を厨房に返却しようと通路を歩いていると、前からやってきた大熊猫ぱんだ先生が「おお、いいところに」と言った。彼はポケットから、エピタフに差し入れをした恋愛小説をもう一冊取り出した。


「こっちはお前の分だった」


「はあ? おれにも読めっていうのかよ」


「そういうことだ。お前たち二人は、なにせ経験不足だ。ちゃんと勉強することだ」


 ニヤニヤと笑みを見せる先生を眺めてから、老虎は「ち」と舌打ちをして、その小説を受け取った。それから、厨房に寄り道をして、広間の一画に設けられている椅子に腰を下ろす。ここは、組員同士が談笑をしたり、食事を摂ったりする場所でもある。


 老虎は小説を開いた。人間の貴族と犬族の軍人との恋愛物語だ。貴族は生まれた時から、王のつがいになる運命を持った男だった。


 しかし。お忍びで足を運んだ祭りで、犬族の軍人と運命の出会いを果たしてしまう。二人は真のつがいだったのだ。お互いの立場を超え本能で惹かれ合うその思いは、留まることを知らない——。


「こんなん、難しいにきまってんだろー。なんだって、ややこしい設定にするもんだ。誰だよ。こんな話書くやつは!」


 老虎は頭をくしゃくしゃにして唸った。すると、そこに親友のシェイドがやってきた。


「お前が本を読む姿を見るのは久しぶりだな。学生の頃は、よく図書館にいたけどさ」


「どうせ本なんて似合わねぇって思ってんだろう?」


「そういうこと」


 シェイドはニヤニヤと笑みを浮かべて、老虎が持っている本を覗き込んだ。


「恋愛小説? なんだよ。恋か。お前、ここのところ、あの白兎につきっ切りだもんな」


「仕方ねぇだろう。スティールに頼まれちまったからさ」


「頼まれなくてもやるだろう? お前のことだもの」


 老虎は「図星だ」と思った。シェイドとは学生時代に知り合った。それから、ずっと一緒だ。老虎がスティールの演説に感動し、彼と行動を共にすると決めたとき、シェイドも一緒に来てくれると言ってくれた。


「なあ、老虎」


 シェイドは本をぺらぺらとめくりながら言った。


「お前はまっすぐでいい奴だ。きっとあの白兎にも思いが伝わると思うよ」


「なんだよ。励ましてくれるのか?」


 いつもは、なんだかんだと冗談ばかり言ってくるシェイドが、真面目な目つきをしていた。老虎は、なんだかいつもの彼とは違っているような気がして不安になった。


 そんな老虎の気持ちなど、気がつかないかのように、シェイドは首を横に振ってから口を開いた。


「なあ。獣族たちが、国内あちこちから、王都を目指しているだろう? お前はどうする。ふるさとの仲間が戦いに巻き込まれるのって、どういう気持ちなんだ?」


「お前はどうなんだ。狐族も入っているんだろう?」


「おれは——。わからない。おれの家族はもう誰もいないからな」


 老虎は出会った頃、シェイドが話していたことを思い出す。彼の親兄妹は、人間に殺された——と言っていた。深く踏み込んで聞くことではないと思ったので、それ以上は知らないが、彼もまた、色々な事情を抱えてここにいるということだ。


「なあ、老虎。ちゃんと家族がいて、帰る場所があるなら、大事にしなくちゃいけないよ」


「シェイド……」


(この戦い。虎族あいつらには、参加してもらいたくないんだ)


 老虎はじっとシェイドを見つめた。彼の言いたいことはわかる。老虎がすべきことは一つだ——と言っているのだ。


「ここにいる奴ら、みんながそうじゃないか。おれは帰る場所はないけれど、みんながやるべきことをしなくちゃいけないと思うんだよな」


「すまねえ。気を遣わせるな。シェイド」


「いいって。おれはここにいる。お前たちがすべきことをする間、おれはここにいからさ。安心して行ってこいよ」


「おれの話を聞いてくれるような奴らじゃねぇんだけどさ」


「大丈夫だよ。老虎の家族、仲間じゃないか。言葉遣いは悪いし、乱暴だけどさ。きっと心は熱い。お前の言葉、ちゃんと聞いてくれると思うよ」


 老虎は気恥ずかしそうに頭をかいた。老虎は一族を止めるために旅に出る必要がある。そのためには——。


(やっぱり、ちゃんとしておかねぇといけないよな。おれ、生きて帰れるかわからないし。後悔だけはしたくねぇ)


 恋愛小説の二人は着実に愛を育むが、そんな二人を周囲が許すはずもない。王のつがい候補であるという身分で、獣人とつがいになるなど、処刑されてもおかしくない大罪だと、小説の中では述べられている。


(好きな奴同士がつがいになるのに、そんなものは意味ねぇだろう。なんで周りがごちゃごちゃと邪魔すんだ。面倒くせぇ)


 そこまで考えてから、はったとした。


「面倒にしているのは、おれか」


(おれが悪いんだ。あいつのことが好きって気持ち。難しく考えすぎなんだよな。きっと)


「なんだよ。老虎」


 シェイドはきょとんとして、目を瞬かせた。

 老虎は両腕を組んでため息を吐いた。


「おれの場合。おれ自身が面倒にしているだけだ。なに臆病風吹かしていやがる。おれはおれだ。おれらしくやればいいんだろう?」


「わけわからないよ。老虎」


「すまねぇけどよ。シェイドと話していると元気が出るぜ。本当にいつもありがとな」


「老虎……」


 シェイドの表情は翳る。


「なんだよ。おれ変なこと言ったか?」


「いいや。言ってない。おれの方こそ感謝しているんだぜ」


 気を取り直したように笑みを見せたシェイドだが、老虎はそう気にすることもないと思った。二人はこぶしを合わせ、それから笑みを見せあった。


 小説の最後は悲劇で終わる。周囲の猛反対にあった二人は、最後は一緒に命を絶つことを選択する。二人のことを知った王は、二人がつがいになることを許す命を下したが、時すでに遅し。二人は手を取り合い黄泉路へと旅立っていくのだった。


(死んでたまるかよ。おれは絶対に死は選ばねぇ。おれはどんなになったって、あいつと一緒に生き抜いてやるんだ!)


 老虎は小説をポケットにしまうと、すっくと立ちあがった。


「老虎、どこにいくんだよ」


「悪りぃ。野暮用だよ。野暮用」


 シェイドの問いに手をヒラヒラとさせて、老虎は広間を横切り、通路に足を踏み出した。




 

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