第21話 心が痛む理由



 夢を見ていた。幼い頃の夢だ。気がついた時には、周囲には誰もいなくなっていた。


 祖母はとうの昔に亡くなっていた。


 祖父は、歌姫の生まれ代わりの護衛任務に就くと言って、魔法省大臣を辞任して、どこかに消えた。


 母は早々に家を出て行った。我が子である自分を直視することができなかったそうだ。まさか、人間の自分が獣族の子を産むとは思ってもみなかったのだろう。精神的に疲弊し、心を病んだと聞いている。


 父は祖父の代わりに魔法省に詰め、そして家に帰って来ることはなかった。


 いつも屋敷の奥深くで一人で過ごした。訪ねてきてくれるのは、王子であるサブライムと、軍事大臣の息子であるスティールだけだった。


『おれは、おれの成し遂げたいことのために王になるんだ。なあ、お前たちもそれに賛同してくれるか? 獣族も人間族も、みんなが一緒に手を取り合って笑っていられる社会を作るんだ——』


 サブライムの理想はとても魅力的だった。堂々とみんなと一緒に笑い合える世の中がくるということだ。それになにより、理想を語るときの彼の瞳が好きだった。キラキラと輝く碧眼は、まるで宝石みたいに輝いていた。


 エピタフはサブライムが好きだった。彼と一緒なら、どこにでも連れて行ってもらえるような気持ちになったからだ。


 ——サブライムの目指す社会が現実のものとなれば、祖母だって、父だって。みんなが幸せになれるんだ。私はそんな世界を早く見てみたい。


 しかし現実はそう甘くはなかった。


「お前の父は闇の力に飲み込まれ、王宮に対して謀反を企てたそうだ」


 嵐の夜だった。訪問してきたサブライムは唐突にそう言った。耳を疑った。


(父が? あの優しい父が、そんなことをしたのか?)


「王宮はお前の父を処刑した。エピタフ。すまない。おれの力が足りなかったんだ——止められなかった」


 エピタフの両腕を握って、サブライムは泣き崩れた。彼を責める気にはなれなかった。


(父が悪いのだ。心が弱い父が悪い……)


 闇の力につけ入られるような弱い心を持ったことが罪だ——と思った。


(私はそうはならない。どんな立場に立たされようと、私は闇に染まることはしない。私は魔法大臣の一家の末裔なのだから——)


 昔の夢は辛いことばかりを思い出させる。ふんわりとした感触に目を開けると、そこには老虎とらがいた。


「な、泣くんじゃねえぞ。涙はいいことねえ」


 彼の指は、エピタフの目尻から零れた涙を拭ってくれていた。


「——夢を見ました。昔の夢です」


「傷が痛むわけじゃねぇんだな」


「痛みはずいぶんと和らぎました。ここから出ていく気になれば、いつでも出ていけるくらいだと思います」


 ここに来てから。革命組のアジトに運び込まれてから、この男とばかり話をしていることに気がついた。彼はそれだけ、献身的に自分の世話をしてくれているのだろう。本来であれば、素直に話をしなければならないはずなのに。


(不躾なのは私のほうですね)


 エピタフがぞんざいな態度をとっても、彼はこうして食事を運んでくれ、そして食事の介添えをしてくれる。それだけではない。着替えさせてくれたり、要望すれば、なんでも運んできてくれたりするのだ。


(この虎は、なぜここまでしてくれるのか?)


 体調が回復するにつれ、エピタフの中に生まれるのはそんな疑問ばかりだ。本来であれば、王であるサブライムの容態や、歌姫のことなど、他に考えなくてはいけないことが山積しているはずなのに。老虎のことばかりに気持ちが向いていることに困惑していた。


「そうかよ。この部屋にはあんたの魔法を押さえる装置を設置してあるって、博士が言っていたぞ」


「そんなもの。私の前では、ただの子ども騙しです」


 エピタフは老虎を押しのけ、ゆっくりとからだを起こした。


「もう貴方の世話にならなくても大丈夫です」


「けど、あんたを王宮に返すことはできねえ。おれたちのアジトの場所がばれるからな」


「私が王宮に戻れば、当然、このアジトに残っている組員たちは一人残らず拘束させてもらいます」


 自分でも理解できなかった。本当は、こんなことを彼に言いたくはないのだ。けれど、どうしても冷たい言葉が口を突いて出てきてしまう。エピタフは、はったとして老虎を見た。しかし彼は、じっと押し黙って、エピタフを見据えていた。


 いつもだったら、文句の一つでも投げかけられるはずなのに。


(なぜ黙り込むのです?)


 老虎の瞳は鋭い。まるでエピタフの心の奥底まで見透かしているみたいで、苦手だった。


「あんた。サブライムって王様が好きなんだってな」


「——なにを……。今はその話ではないはずです。スティールから、ありもしないことを吹き込まれたのですね」


「ありもしないってよ。本当なんだろう? 見てりゃわかる」


「見ていれば……ですって?」


(いつ? どこで? なんの話をしている?)


 エピタフは動揺していた。自分の気持ちを他人に指摘されるのは苦手だ。ずっとずっと。色々な思いをひた隠しにしてきたからだ。なのに——。目の前の男は、平気で踏み込んでくる。


「貴方には関係ありません! 私は……私は獣人の血が混じっているのです。王とつがいになど、なれるはずがない! いい加減にしてください。私は自分のすべきことをしているだけ。私の生き方に許可もなしに踏み込んでくるなど。無礼な行為です。私は貴方に救いを求めてなどいません」


「救って欲しいんじゃねぇか。あんた。いや——エピタフは、誰かに救って欲しいって思っているんだ」


「勝手に私の名を呼ばないでください!」


「そう怒るなって。怒るってことは図星なんだろう? エピタフ——。あんたは、とっても寂しそうな顔をしているぜ」


(寂しい? 私が寂しいですって?)


 エピタフは言葉を失った。唇がわなわなと震えている。


「自分の使命を全うするって言うけれど。それってなんのためにするんだ? そんなに必死で、誰に認めてもらいたいんだよ?」


「——わ、私は……」


 ——認めてもらいたい。


 祖父に認めてもらいたかった。


 父に認めてもらいたかった。


 母に認めてもらいたかった。


 幼かった頃から、ずっと心の奥底に押し込めてきた感情が、喉元から飛び出しそうになる。苦しかった。舌の根が痙攣をして、言葉がうまく出ない。気持ちばかりが溢れてくる。


「サブライムが——好きでした」


(そうだ。私は——サブライムが、。好き——?)


 自分の中から絞り出された言葉に、エピタフは驚愕した。思わず老虎を見据える。彼はじっと静かにそこにいた。


「じゃあ、今は違うんだな」


「い、今——。私は……」


 狼狽えて居た。こんなことは初めてだった。自分の気持ちがまったくわからなくなった。


「なあ。あんたはつがいになる人が決まっているのか? サブライムって王様とつがいになれないなら、他にいるんだろう? 魔法大臣様だもんな。そりゃ、血筋がいい奴は、血筋がいい奴同士でつがいになるって決まっているんだろうけどよ……」


 老虎はいつもとは違い、声が小さい。その瞳には影が差し込み、悲し気だ。エピタフの胸はまるで刃物で抉られたみたいに、痛みを覚えた。


(なぜだ。彼が傷ついた表情を見せると、私の心も痛むのか? なぜだ。理由がわからない)


「あんたは、おれのこと。どうとも思わないのか?」


 今まで閉じこもっていた殻から、表に引きずり出されるような感覚に、エピタフの心は大きく揺さぶられていた。






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