第18話 そこが可愛い


 エピタフが療養している部屋は厳重に管理されていた。革命組のメンバーの中には、彼に恨みを抱く者も少なくはない。スティールの取り計らいで、大熊猫ぱんだ先生の部屋の近く——幹部しか入れないエリアの一つに彼は寝かされていたのだった。


 老虎が扉を開けて中をのぞくと、エピタフはベッドの上にからだを起こして座っていた。


「おう、体調はどうだよ」


 老虎の質問に、エピタフは答える気がないようだ。一瞥をくれたかと思うと、すぐに視線を落とした。それから「ここから出しなさい」と言った。


「私には使命があるのです。歌姫である凛空りくを王宮に——王の元に連れて行かなければなりません」


 老虎はテーブルの上にお盆を載せてから、椅子にどっかりと腰を下ろした。 


「まだ本調子でもないくせに。あの黒猫のことがそんなに心配なのかよ」


(いつでも、人の心配ばかりだな——)


 老虎は拗ねたような声色でそう問いかけた。文句でも言われるのではないかと、様子を伺うが、エピタフは真面目な顔つきで答えた。


「——心配です。凛空は、我が国のためには必要な存在です」


「あんたにとったらどうなんだよ? あの黒猫は。あんたは、本当に自分の命に代えてまで、守らなくちゃいけないって思っているのかよ」


「——そうです」


 エピタフは珍しく迷っている表情を見せた。相変わらず老虎とは視線が合わないが、その視線は落ち着きなくあちらこちらに向けられていた。老虎はそれを見逃さなかった。


「嘘だな。あんたは嘘を言っている」


「嘘など言っていません」


「嘘じゃなかったら、迷っている——そうだろう? あんたは、あの黒猫を守らなくちゃいけないって立場だけど、そうは思っていない自分もいることを理解しているんじゃないのか」


 老虎の言葉にエピタフは困惑したように口を閉ざした。


(図星だってことかよ)


 老虎はそう理解した。


「なあ、どうしてあんたはそんなに何かに縛られて生きているんだ?」


「何かに縛られている、ですって?」


「そうだよ。もっとさ、自由によ、自分の好きに生きてみたらどうなんだよ」


「そんなこと。考えたことがありません。——余計なお世話です!」


 不意に彼は大きな声を上げた。


 老虎は「そうかよ」と言ってから、軽くため息を吐く。それから、テーブルの上に置いたお盆に視線をやった。


「食事、持ってきてやったけどよお。あんた、両手が使えねえだろう。食べさせてやろうか」


「な!」


 エピタフは包帯でぐるぐる巻きの両手を見下ろしてから首を横に振った。


「貴方が私に食事を与えるというのですか」


「そうだけど……」


「結構です! 一人でなんとかしますから」


「でも。そんなんじゃ……」


「ですから。結構です!!」


 なんて我儘な白兎だ——と老虎は思った。


(人の行為を無碍にするなんて。本当に性格悪いぞ! そこが可愛いけどな)


「仕方ねえだろう? そんな手でどうやって食うっつーんだよ」


「なんとかします」


「なんともなんねーよ!」


 押し問答がヒートアップしてきたとき、「あの」と小さい声が聞こえて、扉が開いた。顔を出したのは凛空だった。


「お、お前。いいところにきたじゃねえか」


 老虎は少々ほっとした。それはエピタフも同様だろう。彼は凛空に言いつけた。


「私の両手が使えないから、食事を食べさせてやるというのです。この虎がですよ? 信じられません。そんな施しを受けるならば、餓死したほうがマシです」


「お前よ。おれの行為をなんだと思っているんだ? ずーっと眠っていたんだぞ。腹が減っていだろうって、せっかく持ってきてやったのによ」


 老虎は思わずテーブルを拳で叩いた。そもそも頭で考えるよりも、動いたほうがいいタイプだ。つい言葉よりも手が出てしまう。


 凛空はびくりと体を小さくして耳もしっぽも縮こまったが、エピタフはそんなことで動じるような男ではない。ただ、じっと老虎をにらみ返してくるばかりだった。


「なんです。その親切の押し売りは。有難迷惑、余計なお世話です。下がってください。あなたの顔を見ながら食事をするなど、余計に喉を通りません」


「毛皮剝ぐぞ!」


 思わずエピタフの襟元をつかんで引っ張り上げる。と、凛空が「ちょっと待ってよ」と間に入ってきた。老虎は「ち」と舌打ちをしてから、その手を離した。


「エピタフ、老虎はエピタフをここまで運んでくれたんだからね。失礼な態度をとるなんて、エピタフらしくないじゃない」


(そうだ、そうだ!)


 老虎は味方を得たり——とばかりにエピタフを見た。


「私らしくない、ですって?」


 エピタフは目を見開き凛空を見つめていたが、不本意そうに老虎に視線を戻した。


(さあ感謝するんだぜ。この老虎様にな!)


 エピタフの謝辞を期待して彼を見つめる。しかし、エピタフはすました表情で簡単に感謝の言葉を述べた。


「そうでしたか。それについては感謝申しあげましょう。本当にありがとうございました」


「な! ——この、この野郎……」


 老虎が口を開こうとすると、「エピタフ」と凛空が彼の名を呼んだ。老虎は自分よりも小さい少年を見下ろして、口を閉ざした。


「そんな態度はないと思うよ。いい? 人に『ありがとう』をするときは、その気持ちにならないと駄目なんだから。老虎はね。エピタフに突き刺さっていたカースの魔力が込められている剣を抜いて、あの危ない中、エピタフを抱えて脱出してくれたんだからね」


(そうだぞ。あの剣、闇の魔力が込められていて、ジリジリとやけどしたみたいに痛かったんだからな!)


 老虎は両腕を組んで、凛空の話を頷きながら聞いた。それから「飛空艇では止血までしてやったんだぞ。——舐めてな」と付け加えた。


(口から息吹き込んでやったことは、内緒だけどよ)


「舐めてですって!?」


 エピタフの顔は青ざめた。それから、自分のからだの隅々まで確認するように視線を巡らせた。そうして、別段異状がないことを確認したのだろう。軽く息を吐いてから、老虎をきっと睨みつけた。


「な、なんてことを!」


「なに恥ずかしがってんだよー」


(照れちゃってよ。可愛いところもあるじゃねーか)


「恥ずかしいとか、そういう問題じゃありませんよ!」


「緊急事態だったんだよ。そんなに怒るなって」


「ああ、なんと嘆かわしい。凛空。王宮に戻りましょう。こんな場所にはいられません」


「こんな場所ってなんだ。本当だったら死んでもらってもよかったんだぜ? なあ、おれたちの仲間を返せよ」


 深紅の瞳は老虎を見据える。そうされただけで、心臓が高鳴る——。

 老虎は声を低くして押し黙った。


「私が、いつ助けを請うたのですか。助けたのは貴方の勝手。それを親切の押し売りみたいに言うのはやめていただきたい。それから、お仲間のことについては、謝罪する気はありません。私は私のするべきことを行った。それだけの話です」


「お前……っ!」


(本当に可愛くねぇ。可愛くねぇけど——そこが可愛い!) 


 老虎の心臓はドキドキと鼓動を速めた。


「なんです? 私を助けたこと、後悔していらっしゃるのでは? 今からでも遅くはありませんよ。私のことなど放っておいてください」


(ああ、おれの気持ちはグラグラしているのに……。あんたはなんともねぇのか?)


 老虎の頭はぐるぐると混乱していた。エピタフの変わらぬ態度に焦燥感を抱いたのだ。自分がエピタフに抱く思いは、先生の言うように自分一人の勝手な思い込みなのだろうか——?


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